470 第28話09:己の心をかたち造れ⑤




 レトが打ち出した拳の動き自体はお世辞にも良いと言えるものではなかった。

 ハークは徒手空拳に関しては素人にも近い。にしても、その動きは単純に腕だけを振って突いただけであることが解るものだった。

 全身の力を、突き出す拳一つに全て集約することのできるフーゲインのものとは月とすっぽん。比べるまでもない。


 無論、フーゲインも迎撃の威力を抑えていた。そうでなければ彼が一方的に押し勝っていたことだろう。

 レトの動きから一瞬で判断し、威力を互角にして双方共に無傷で済ます腕は、相変わらず大したものだ。

 が、それ以上にフーゲインの手際の良さというか、熟練ぶりに驚かされる。

 ハークはフーゲインとの、先程の会話を思い出す。


「戻ってくる、って事ァ、無くなっちゃあいねえ。他のモンに押し込められて、テメエの一番奥に押し込められちまっているだけなのさ。叩き起こすンでも良い、まずは『そいつ自身』を表面に引っ張り出してやらねえとな」


 彼はそう言っていた。そして、それが第1段階であるとも。

 ハークの眼から見て、その1つ目の段階は早くも詰めの様相である。


「おっし! 次はキックだ! やってみな!」


「グァッ!」


「ホイッ!」


 レトは、足を前方に突き出すような蹴りを放っていた。

 ただし、蹴るというよりは足裏を相手に押し出すかのような動きだ。フーゲインが一度としてそんな動作の蹴り技を打ったところなど見たことはないが、攻撃の方向と威力を合わせるためか全く同じ動きを行っていた。


「よしよし、いいぞ! 次は裏拳!」


「ウ? ウガッ!」


 やや高度な動きを注文されたレトは一瞬躊躇したようだが、その場でくるんと一回転するとそのままの勢いでちゃんとした裏拳を放っていた。明らかにもう、本能だけの行動と片づけることはできない。

 対してフーゲインは、回転もせずにそのまま裏拳を放ち迎え撃つ。再び硬質な激突音が周囲に轟いた。


「右後ろ回し蹴り!」


「ガッ!」


 そして、今度は躊躇すらも見せずに、ぐるりとまたも一回転して、その勢いでレトは注文通りの後ろ回し蹴りを繰り出す。


「アタッ!」


 フーゲインも今度は動き出しから遅れることなく素早く回転、同じ後ろ回し蹴りを放つ。

 ガシィ! と両者の間で技と技がぶつかり合っていた。


 そう、未だつたないとはいえ、既に技であったのだ。


「鮮やかな手際であるなッ」


 再び腕を組んだモログが感心してものを言う。ハークも全くの同感であった。


「うむ。一日の長いちじつのちょうとは申せ、宣言通りとは恐れ入る」


 フーゲインによるレトの訓練は早くも最初の段階を通過したらしく、もう好きに打たせていた。

 さっきまでと比べれば格段に正確性を増したレトの攻撃も、フーゲインはものともせず軽快に捌いている。


「良くなってきてはいるが、当たらねえからといってブン回すだけじゃあ意味がねえぞ!」


「グァ!?」


 人狼のレトが不用意に突き出しただけの拳を彼は平手でバチンと強く弾いた。

 その勢いに押され、数歩後退するレトは躊躇いを見せるかのように一度動きを止める。


「もっと拳に力を乗せろ! 今はお前の方が上背があるんだ! 試しに体重を乗せてみな、こうだ!」


 そう言ってフーゲインが実践してみせる。振りかぶった拳を突き落とすかのような動きだった。


 すると、なんとレトがたった今眼の前で行われた動作を真似し始めたのだ。振り被り、叩き落としてきた拳をフーゲインは両の平手でもってしっかりと受け止める。

 さすがに今回はフーゲインもその場に留まったままという訳にもいかず、後ろにズレていた。


「へっ、ようやく意識を取り戻したか? それとも、まだ寝起きってところか?」


 フーゲインは拳を受け止めた体勢のまま不敵にそう語る。

 彼の言う通りであろう。ある程度の意識を取り戻していなければ、レトが眼で見た動作を真似して再現しようなどとは思わないし、できる筈もない。

 よくよく眼を凝らしてみれば、狼の顔と化したレトの口の端からはもう唾液が漏れていなかった。


〈次の段階に移る、つもりだな〉


 レトとフーゲイン両者の様子を視て、ハークはそう判断する。

 フーゲインが事前に語っていたことによれば、レト自身の意識を表に引っ張り出したら、次は彼の精神に『芯』を作ってやるとのことだ。そしてこれが第2段階であると。


 フーゲインはそのまま言葉を続ける。


「まだまだ完全に眼を覚まし切ってはいねえな。なぁ、いいかレト! お前、強くなりてえんだろ!?」


「ウ、ウガ……」


 自分に向けてハッキリとした言葉を向けられて、レトは些か戸惑うかのような仕草を見せた。


「強くなりてえんなら、自分の中の闘争本能なんかに負けている場合じゃあないぜ! 最初の時に、なんで強くなりてえと思ったか、そいつを思い出せ! そして、その想いを常に自分の中心に据えるんだ! そうすりゃあもう、本能なんぞに簡単には飲み込まれたりはしねえモンさ!」


 言いながら、フーゲインは視線を前方からちらりと外した。その視線が向かった先はハークたちではない。だが、その近くにいる者にだった。


「あの子を守りてえ、そう思ったんだろ? だからこそ、強くなりてえとも思ったんだろ?」


 ここからは小さな声だった。自分とレトにだけ伝わればいい、そんな感じである。しかし、耳の良いハークには聞こえてきてしまうのだった。


〈彼女のことか〉


 ハークはそれに視線を向けることなく、今もレトの様子を心配そうに見つめているウルスラの姿を思い浮かべた。

 ハークだけではなく、聴こえていれば全員が思い浮かべたに違いない。

 逆にハークの眼からすれば、ウルスラもレトの身を案じて魔法を、特に回復魔法を使いこなせるようになろうとしているよう確信できた。レトは己で気づいていないかもしれないが、傍で視ているほぼ全員がその事に感づいていることだろう。


 フーゲインは同じ声量で、レトへの語りかけを続ける。


「俺も似たようなモンがあるからな、すぐに分かったぜ。だがな、それなら尚一層、こんなとこで躓いてるワケにゃあいかねえぞ。なんせ女ってぇのはワガママだからなぁ。そいつだけじゃあなくてよ、彼女の守りてえモン全てを守ってやらなきゃあいけねえ。だからよ、もっともっと強くなってやらねえとなぁ! そいつが男の甲斐性ってヤツよ!」


 レトが人狼の顔をこちら側に向けた。無論、ハークを見ている訳ではない。

 視線を向けられたウルスラは小首を傾げていたが、そんなレトの瞳はもはや当初の濁ったそれではなく、透き通ったものへと変化、いや、戻っていた。


 フーゲインは人狼の拳を抑えていた手を離すと、再びレトへと語りかける。


「もう大丈夫そうだな。いいか、レト。今のテメエの心に浮かんだ思いを絶対に忘れるな。今のお前をかたち造った、テメエの思いをよ。そいつがきっと、未来のテメエも造り出してくれるぜ。さ、もう人間の姿に戻ってみな。平気さ、きっとやれるぜ」


 レトはしばらく視線を彷徨わせていたが、やがて自分の両手の平を見つめ、目を瞑って「ウ、ウ……」と小さく唸り出した。


「落ち着いてやってみろ。できるさ」


 フーゲインが今度は優しく声を掛けてやって数秒後、急な変化が訪れた。

 人狼の身体がみるみるうちに縮み、毛皮が引っ込み、頭髪だけを残して元の少年の姿が顕現した。まるで人の姿を模した狼の内から、少年が出てきたかのようにも見えた。


「うわぁ……!」


 横のウルスラから、感嘆の声が聞こえてきた。


「やるものよネェ」


「フーゲインさんって、強いだけじゃあないんだね……」


 ヴィラデルとシアの方から続けて感服の言葉が耳に届いてきた。シアの感想は聞きようによっては些か失礼かもしれないが、彼女はハークと違ってフーゲインの戦闘に関する面しか今まで見ていないのだからある意味仕方がなかった。


 そんな彼は、未だぼうっとして状況を掴みかねているレトの頭をポンと撫でて一言だけ言う。


「なっ、できただろ?」


 顔を上げた少年に対し、にっ、と笑うとフーゲインは一歩下がり、背を向けた。

 ハークたちの場所を空けるためである。


「よくやったな。レト」


「見事だぞッ、レトッ」


「おめでと、レト」


「良かったね、レト」


「やった! やったね、レト!」


 口々に称賛の言葉を送られて、レトはようやくと自身の状態を悟った。彼は弾かれるよう身体の向きを変えて姿勢を正すと、一番奥にまで引っ込んで行ってしまった人物に向かって叫んだ。


「あっ、あのっ! フーゲインの兄ちゃん、ありがとうございましたっ!」


「おう」


 フーゲインは振り向くも言葉少なにそう返すだけである。ハークには何となく解った、彼は少し照れているのだろうと。それでも一言は送らずにはいられなかった。


「宣言通りとは実に恐れ入るよ、フーゲイン」


「ヘヘッ、見直してくれたかよ?」


「元々、見損なったことなど一度も無いよ」


 そう伝えると、フーゲインは若干顔を赤くしながらも屈託なく笑った。


 そしてここから、レトへの指導は急速に進んでいくこととなる。




   ◇ ◇ ◇




 されど日々が過ぎるのは早く、光陰矢の如し。

 いよいよ明日、作戦任務のために帝都北東のヌルの森とやらを目指し、出発する日取りとなった。




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