465 第28話04:アルタード




 レトは約1日ぶりの全能感に身を任せていた。

 視界は歪み、音も普通には聞こえない。周囲を高い壁に囲まれた巨大な空間の中にいるかのように、激しく反響していた。

 自身が置かれた今の状況も判然としなくなるが、対峙する紫色の巨大な物体に対し、身体が勝手に対処を開始したのを感じる。

 同時に強烈な微睡みに襲われた。何とか意識を保て、と言われていたのは憶えているのだが、どうにも抗えそうにない。

 レトは完全に肉体のコントロールを手放した。




 レトが変身した人狼とジェイドスコーピオンの戦いが視線の先で開始されたのを見て、ハークは溜息まじりに言った。


「失敗だな」


「失敗、なんですか?」


 ハークの隣に立つウルスラが不思議そうにそう訊く。

 実際、戦いはまだ始まったばかりだ。ジェイドスコーピオンの右鋏の一撃を、レトが変身した人狼は華麗に跳び上がって躱し、反対に鋏に向かって爪撃を打ちこんでいた。


「うむッ。ハークの言う通りだなッ」


 が、ハークとは反対側の隣に腕を組んで立つモログまでもが同意する。ウルスラを挟んで並び立つようなハークとモログだが、実際には両者が隣り合って立つ真ん中にウルスラがその身で割って入ったというのが正しい。

 にもかかわらず、ウルスラ相手に彼ら2人は細かい解説を始めてくれる。


「先の一撃を躱したのも、眼で見てというよりは本能による回避だったッ。身体能力のみでどうにかした感じだなッ。正確に言うならばッ、跳び上がるまでもないッ」


「その後のレト側の攻撃も、単純に手近な場所を選んでおこなっただけに過ぎぬ。無駄、とまでは言わんが、あんな堅い甲殻の上からでは大した傷にもなっておらぬだろうな」


「ふぇええ……」


 矢継早の批評に、理解が追いつかないのかウルスラが戸惑ったような声を出すも、2人の解説は続く。


「そもそもスキルが使えればなッ。彼の攻撃力ならば甲殻を貫通するだけでなくッ、そのまま鋏一つを切り落とすことも可能だろうッ」


「その前に、もし急所に打ち込むことができれば、一撃にて勝負を決せられる可能性さえあるかもしれん。彼の速度能力と攻撃力の高さであれば然程難しいことでも……。む? 一撃もらったぞ」


「ああっ!」


 雑に攻撃を重ねていたレトが、ジェイドスコーピオンの尾の一撃を躱し切れずに右肩に貰っていた。

 肉を削がれ、血が飛び散る光景を眼にしてウルスラの口から思わずの悲鳴が上がったが、ジェイドスコーピオンの元々の狙いはレトの頭部であった。

 つまり、かなり離れた位置で攻撃を受けたことになる。ハークならばわずかに頭を下げることで躱し、あるいは身体ごと左か右に移動させて確実に回避をしてから尾の先端部の斬り落としを狙うことだろう。


 大分、大雑把だと言わざるを得ない。

 ただし、攻撃を受けた右肩はもう傷が塞がりかけている。人間種離れした自己回復能力は大したものだ。


「継戦能力が高いようだなッ。もしアレが帝国に正式採用されることになって、キカイヘイと組んで共同戦線を張るようなことになればッ、モーデルにとってもかなりの脅威に成るのではないかねッ?」


「ふうむ。単純にキカイヘイの戦闘についていけるだけの兵力というだけで、モログの言う通りに充分侮れんであろうな。……ただ、2種の全く特性の異なる兵科を巧みに指揮するのは相当に困難だ。今の帝国に両者を同時に運用できるような智者がいるとも思えんな」


「連携がとれねば逆に互いの足枷とも成りかねんかッ。結局ッ、問題は数というところかなッ。……むッ、そろそろ決着が着きそうだぞッ」


「そのようだの」


 ハークは肯く。何だかんだでも、レトが終始圧倒しているのだ。基本のステータス値が違う。互角に近い攻防をしていても、レトの攻撃が一度でも急所を掠めれば天秤は大きく傾いてしまう。


 ウルスラだけは未だ真剣にその様子を眺めているが、ハークとモログにとっては結果など最初から決まっているようなものであった。その過程の方こそが重要なのだ。


「どうやら今回も、またモログに頑張ってもらわねばならんようだ」


 ハークが幾分か済まなさそうに告げる。

 変身したレトは簡単には止まらない。いや、止まってくれない。

 戦闘が終わっても自我を失っているのでそれを認識できないからだ。要するに、自分の意思で変身を解除できないのである。暴走と言ってもよかった。


 となると、レトの変身を強制解除させるしかないのだが、これには2通りの方法があった。

 1つにはレトの耐久力値を大幅に下げるやり方。平たく言えばHP値を大きく減少させる、つまり大怪我を負わせるということである。

 以前、ハークたちがレトやウルスラと帝都の『異質技巧研究所』内にて出くわした際に、モログが行った荒療治に近い手段と全く同じ手という訳だが、当然ながら、この手段はレト側に大きな負担が生じることになる。

 おまけに危険度も高い。モログの技術は完璧に近いとハークから視ても思うが、いつまでも手加減しきれるものでもない。万が一、があるというのは可能性がゼロではないことも示しているのだから。


 そこで、2つ目の方法である。それは、レトの耐久力ではなく持久力を減らすというものであった。有り体に言うと、レトを極度に疲弊、疲れに疲れさせるという方法となる。

 というのも、どうも持久力を失うと変身の際にレトの内部深くに閉じ込められた彼の自我が、表に出て来やすくなるようなのである。

 そこで呼びかけを行うことで、既に何度も無傷に近い変身解除に成功していた。中でもウルスラの呼びかけが最も効果的であるようだった。


 時間こそかかるが、この2つ目の方法が最も確実かつ安全なのである。何しろ、モログの持久力値、則ちSPスタミナポイントはほとんど無尽蔵とも言えるくらいなのだからだ。


「問題は無いさッ。任せてもらおうッ」


 そう言って、モログは紅のマントを脱ぐとそれをハークに手渡して、肩をグルグルと回す。

 気負いも全くない。実際、レトがモログの持久力を4分の3以下にまで減少させたことも未だ無いのだから当然と言えた。


〈せめて何かしらの戦法を使えるならば、別であろうがな〉


 ここで、ただ1人真剣にレトの戦闘の様子を眺めていた人物に向かって声がかかる。


「ウルスラー、そろそろ休憩終わるわよ。戻ってらっしゃい~」


「あっ、はっ、はいっ!」


 ウルスラが振り返って返事を返した相手はヴィラデルである。

 何をやっているかというと魔法の訓練であった。

 ヴィラデルが簡単な検査をしてみたところ、ウルスラには魔法使いの才覚があることが判明したのである。しかも、ただの魔法使いとしての才覚ではなく、回復魔法まで使用できるかもしれない才覚であるようだ。まだ、土系統だか水系統だかも不明だが、それを明らかとするためにもヴィラデル自らが指導を行っていた。


 ちなみにだが、ここにいないのはシアだけである。

 虎丸はいつも通りハークのすぐ後ろに控え、お座りして待機しており、日毬はそんな虎丸の頭にとまって、自由気ままにウルスラやレトに向かって声援を時たま行っていた。


 シアは現在、スケリーたち『四ツ首』帝国部隊の面々が使う武具を、1つ1つ修繕している際中である。

 彼らも自分たちの手で簡単な修理くらいは行っていたらしいが、長いことまともなというか、専門家の整備を受けていなかったためにかなりガタがきていたようだ。


 各々、しばらく敵地の中での待機ともなったのだが、それぞれ有意義に過ごしているものである。

 ただ、レトのことが停滞気味ではあった。


「行ってきなさい、ウルスラ。レトのことはモログに任せておけば大丈夫だ」


「そうだぞッ。安心すると良いッ。何も心配する事は無いぞッ」


「は、はいっ! レトをよろしくお願いします!」


 2人の言葉で背中を押され、ウルスラはヴィラデルお手製の小さな杖を、両手で抱えながら駆けていく。

 遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見送りつつ、ハークとモログは自然とお互いの顔を見合わせた。

 そこには、「何も心配する事は無い、大丈夫だ」とは言ってみたものの……、という意味合いの視線が無言の中に絡み合うのだった。




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