452 第27話13:大鉈と岩盾②




 シアは何とも奇妙な心持ちで敵に相対していた。というのも、つい直前まで冷徹だった相手が、戦闘開始と同時に豹変したのである。


「ひゃはははははは! 逃げるな、女ァ! 貴様の断面を、俺に見せろォオ!」


 などと血走った眼で言いながら攻撃してきたら、誰だって気持ちが悪いものだろう。


 バットソンの一族は、帝国の前身となった国家に仕える処刑人を、代々務める家系であった。

 幾つもの周辺国を呑み込んで帝国が今の形に近いものとなって制度が大幅に改変され、専門の処刑人という立場が廃止となってから、バットソンは純粋な戦士として改めてこの国に仕えることになった。


 彼にとって殺人とは他の者とはひと味違う意味を持っている。戦に従事する士としての、軍人としての仕事という意味とは別として、彼にとって殺人とは解体であった。

 だから武器も解体を行いやすい鉈なのだ。しかも大型のものである。


 ただ、いつしかバットソンは、それに仕事や任務以上の意味合いを見出してしまった。

 斬り開かれた人体の断面に、無類の美しさと快楽を感じるようになってしまったのである。


 周囲の状況と環境の変化により度々流転する人間の善悪という曖昧な概念を排除して考えるとしても、狂人と呼ばれて然るべき腐敗した精神の持ち主へと堕落した彼に待つ未来は、断罪による人間社会、あるいはこの世からの排除が本来の顛末であっただろう。

 しかしながら、帝国の政策が常に人の死をもたらすという統治とは名ばかりな指針である以上、バットソンの腐った快楽に対する欲求はある程度まで満たされる。

 ゆえに彼は帝国13将の最年長者として、普段は常軌を逸した自身の内面を抑え、冷徹で思慮深い人物である『大鉈のバットソン』という仮面を被り続けられたのである。


 そして今、バットソンはその自らを取り繕う仮面を取り外し、一心不乱にシアへと襲いかかっていた。


「うひはははは! シネ、シネェエエエ! ひははははは! ええい、当たらんなぁ、クソ女がァアア!!」


 内からほとばしる昏い欲求に突き動かされるままに、大鉈を縦に横にと振り回すが当たらない。

 奇しくも、互いに視認が効かぬほどの距離で繰り広げられているヴィラデルとナジャールーダ組の状況と同じ展開となっていたが、それもその筈で、シアの回避技術もヴィラデルと同じ人物からの影響を受ける形で大きく向上していた。


 元々シアの防御技術は高かった。躱せるものは躱し、難しければ鎧で受け流す。大きくて当たり負けしない頑強な肉体を活かす、理にかなった防御法である。一人で戦うことの多くなる彼女に、現ソーディアン冒険者ギルドのギルド長ジョゼフが手ずから仕込んだものだった。


 これに、ハークの回避技術が加わった。

 シア自身がハークに稽古をつけられた経験は少ない。だが、彼女自身がハークと共に修練を行った回数と期間は、実は誰よりも多かった。

 『門前の小僧習わぬ経を読む』効果と同じようなものであろうか。誰よりもハークの回避技術を観察する機会の多かった彼女が、それを自分の防御技術と徐々に融合させていくのは最早必然ですらあった。


 当たらぬ展開に怒りを刺激されたバットソンが、予備の武器を抜く。といっても全く同じ形状、大きさの大鉈であった。二振りの大鉈を両の腕にそれぞれ握り、再度、猛然とシアに襲いかかる。

 それでも当たらない。攻撃の頻度こそ倍化したが、逆に一撃一撃が雑になっていた。


 焦る必要のない展開の中、シアの脳裏にはある人物の言葉が浮かんでいた。


(おっちゃんが言ってた『血に狂った奴』って、コイツのことだよね……)


 おっちゃん、とはソーディアン冒険者ギルド長のジョゼフのことである。シアはジョゼフのことを心の中では親しみを込めてこう呼ぶ。


 シアの人格形成に大きな影響を与えた人物を上げるのならば、まず2人の人物が並び立つ。

 一人は彼女の育ての親であり鍛冶師としての師匠でもあり、孤児だった彼女を引き取ってくれた義理の父であった。

 物事の善悪、常識と良識、モノを造り産み出す者としての心構えと技術などを、シアはその人物より授かっている。


 そして、もう一人の人物とはジョゼフであった。

 彼からシアは、上記に挙げたもの以外のほぼ全てを学ばせてもらっている。その中の一つに、絶対に他者を傷つけることだけを楽しむような輩にはなるな、というものがあった。


 魔物を討滅せねばならない冒険者という職にいて、ある種矛盾する言葉なのかも知れない。が、任務のために血に染まる者と、血に染まるためだけに殺す者は全く別だとシアは教わっていた。

 ジョゼフは後者を『血に狂った奴』と呼称していた。そして、こういった症状が少しでも自身に現れたならば、潔く引退すべきだとも。完全に『血に狂った奴』となってしまったら最後、もう人の世界で生きることはできなくなってしまうからだ。


 更に、敵として『血に狂った奴』と出会ったとするならば、絶対に躊躇するなとも教えられていた。

 それは、人の世界に仇を成す存在に他ならないからである、と。


(確かにそうだね、おっちゃん……。ここであたしが加減して見逃したとしても、碌な事にはならないって解るよ。むしろ、コイツによって増やされる犠牲者の数が増えるだけ……!)


 生きるだけで他者に悪影響しかもたらさない人間もいる。本当に極々偶にだが。

 シアはそんな人物と今、相対していると今更ながらに確信していた。


 バツの字を描いて振り下ろされた攻撃を躱すと同時に、シアは大地を踏み固める。足の底に仕掛けられたスパイクが地面を噛み締めた。


「ぜいやぁ!」


 狙い澄ました一撃は、咄嗟に両の武器を引き戻したバットソンの防御を、その大鉈ごと粉砕しながら突き刺さった。


「ぶげぁ!?」


 シアの法器合成槌はそのまま突き出た銛の部分がバットソンの腹部を突き破り、それ以外が骨の幾つもの破砕音を響かせあげていた。

 恐らくは即死は免れるとしても、確実に致命傷に達した一撃だったに違いない。

 が、シアが相手に対し与える必要のない無駄な苦しみを味わわせることなど、する訳が無かった。法器を発動させるトリガー部分を躊躇なく握り込んでいた。


 ドッゴォォォオオオン!!


 直後に起きた爆発により、バットソンの身体は文字通り吹き飛んでいた。

 彼がその場に存在していたと明らかに示すものは、すすけた欠片に砕けた鉈の刃と柄くらいである。それらが乾いた音と共に大地へと散らばっていった。


「ふうっ……。やれやれだね……」


 存外、気持ち悪い手の感触が抜けない。

 尊敬する、ある一人の剣士のように、シアは息を吐いた。

 彼も、いつもこんなほろ苦い勝利の感覚を味わっていたのであろうか、と思えてならなかった。




   ◇ ◇ ◇




 同じ頃、シアが思い起こした人物も帝国13将の一人と対峙していた。


 無論、虎丸が追いつかれることなどない。つかず離れずを意識し、相手が疲れ始める手前の頃合を見て停止。その背から主が降りたのである。

 既にお互いの一当ては、一度終了し、両者は元の間合いに戻っていた。


 が、ハークは構えを解いていない。

 足を少しだけ開いて膝を僅かに出して折り曲げ、腰を落としてやや前傾姿勢のままである。右手に携える『天青の太刀』もだらりと下げ、その蒼き刀身は大地と接触する寸前の位置にあった。


 虎丸が眼を見張っている。その頭の上で、小さな手の平サイズの日毬がちょこちょこと忙しなく動いている。

 そしてハークの眼差しは真剣そのものであり、向かい合う13将の一人クシャナルの手に握られた、一見何の変哲もない直剣へ真っ直ぐに向けられていた。


 その頬には一筋の赤い線が奔っていた。明らかな鋭い刃物によりこさえられた傷である。傷口の端から一筋の血が滴り、細い顎へと向かって落ちゆく。


 やがて、ハークが口を開いた。


「成程。錐刀すいとうか」





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