449 第27話10:エスケープ・フロム②




 ゴッガァァアアン‼ と、肉と肉とがぶつかったとは思えぬ音が発生する。

 巨大な人狼と化した少年だったものの体当たりを、モログが受け止めた際に発生した衝撃波でハーク、シア、ヴィラデルの髪が大いに揺れる。


〈む!?〉


 驚くべきことに、モログの身体がわずかながらも押されていた。

 極々微量ながらも、驚くべきことだ。勢いの差があるのだから普通に考えれば当たり前の筈なのだが、相手はあの最強モログである。その彼のパワーと真っ向の勝負ができているという、ある意味証明でもあるのだ。


「グゥオオオオ!」


「むうンッ!」


 更なる押し込みを行う人狼となった少年に対し、モログも正面からのりきで対抗する。接触している今の状態であれば解りやすい、今や両者の背丈はほぼ変わらなくなっている。体格も同じようなものであった。

 組み合う2人の両足元がビキバキと音を立てて床を破壊しつつ互いに沈み込んでいく。


 一見、拮抗する両雄とも感じられる光景だが、ハークは知っている。モログの本気はまだまだあんなものではない。充分に過ぎるほど、彼は余力を残していると感じる。


「ウウウゥウ……、ガァアアア‼」


 それは、人狼の少年にも野生的な勘にて伝わったのか、彼は右手を力ずくで組んだ状態から強引に外す。次いで、その手についた鉤爪を思いきり振るった。

 次の瞬間、モログの胸には3つの赤い傷跡が刻まれていた。


「えっ、ウソ!?」


「あらっ!?」


「む!?」


 ハークも含めて全員が驚きを隠せない。モログの肌は、下手をすればどころではなくキカイヘイの装甲すら優に超える代物だ。傷ついているのを見たのは、半年ほど前にモーデル王国辺境領ワレンシュタインで行われた『特別武技戦技大会』決勝にてハーク自身が傷つけた以来ではないだろうか。


 これは、相当な攻撃力の高さを示している。

 ただ、それを活かせる精神を持てばこそ、だ。

 現在の彼はどう見ても真面な精神、そして判断能力を失っていた。そんな相手にモログが遅れを取ることなど万が一にも無い。このことを良く理解しているからこそ、ハークたちの中には焦りを抱く者はいなかった。大体からして、爪の一撃とてほとんど薄皮を突破したに過ぎない程度だ。


 以上のことを幼いながらも鋭く感じ取ったのか、はたまた生来の勘の良さなのかウルスラと呼ばれた少女が悲鳴のような声を上げる。


「やめてぇ! お願い! レトを殺さないでぇ!」


「大丈夫だ、少女よッ! この俺様に任せるがいいッ!」


 自身の悲痛な叫び、そして願いに対し、いきなり答えを貰えるとは思ってはおらず、少女は眼をしぱしぱとさせる。


「えっ、えっ?」


「さぁ来いッ、少年よッ! 君の攻撃で俺様の肉体を傷つけられると思うのならば存分にやってみるがいいッ!」


 両手を広げたモログの挑発に応えるかのように、人狼のレトは先程モログの胸を傷つけた右手を思いっ切り大きく振り被った。

 矢張り精神が安定していないがゆえの行動か、隙だらけだ。どこを攻撃しても良い。ハークならばとっくに必殺の一撃にて一刀両断してしまえるだろう。


 モログも躱せる筈である。だが、敢えて左肩で受け止めた。爪が喰い込むのも気にせず、モログは両手を伸ばし、レトの胴体を捉える。


「あ、終わったわネ」


「うん」


〈だろうな〉


 喰らい投げ、あるいは受け投げとでも言おうか。

 ハークも貰ったことがある。その時は武器を囮にされていた。回復魔法が無かったら、絶対に立ち上がることなど不可能であったろう。意識すら保つのもギリギリであったのだから。


「サァァァーーーーイクロンッ!」


「グッ、グォオオオオオオオオオ‼」


 回転が始まる。あれでもう技から抜け出すことはできない。自分の頭が上下左右、一体どちらに向いているのかも分からなくなってしまうからだ。


「ステェエエーーーークッ、バッスッタァアアアアアーーーーッ‼」


 最早声も出せなくなった毛むくじゃらの巨体がモログと共に落ちてくる。受け身など取ることもできずに床に背中から打ちつけられた人狼の身体は、もうピクリとも動かない。垂直に持ち上がったままの彼の両足が墓標のようで、その生命の灯火が消えてしまったことをどうしようもなく想起させるが、実際にそんな心配は要らない。

 モログによれば、むしろ絶対に死なせぬための技であるのだそうだ。


 彼ほどの強さになると、最早どんな技でさえ必殺級と化してしまう。

 モログ自身によれば、中途半端に強い者の方がある意味、加減は難しいらしい。

 ハークとて似たような憶えがある。実力が伯仲する者との戦いで手心を加えれば、敗れるのはこちらだ。

 戦いとはそういうものである。手加減できるような余裕があるというのは、純粋に両者間に横たわる実力の差が明確であるとも言い代えがきく。


 つまり、先の技『サイクロン・ステークバスター』を仕掛けられたということは、モログにそこまでの相手であると認められた証明であると考えても良いほどである。


 とはいえ、ここまでだ。

 正に一気呵成なる決着である。全員がそう思っていたハークたちの眼の前で再び驚くべきことが起こる。

 レトが立ち上がったのだ。


「ええぇ!?」


「ちょっ……、どんだけよ⁉」


「凄いな」


「グゥウウ……」


「きゅ……きゅん?」


 フラつきながらも、眼が虚ろでありながらも、確かに己の両の足で立ち上がっている。

 これには、ハークを始め、全員が声を上げるしかなかった。


「ウ、……ウウゥウ……」


 だが、さすがにそこまでで力が尽きたようだ。視線が下を向き、両腕も下がっていく。

 戦意を喪失したのであろうか。そう思っていたところで、人狼の身体に変化が起こった。

 急に肉体が、中から空気が抜け出たかのように萎み始めたのである。胸板はどんどんと薄くなり、剛腕もみるみる細くなり、長ささえ縮む。全身を包んでいた体毛は、身体の内側にするすると戻っていった。


 全てが終わった時、そこに漆黒の毛皮を持つ狼顔の化物はおらず、元の小さな小さな少年がいた。

 意識も失ったらしく、彼の身体はゆっくりと前のめりに倒れゆく。それを屈んだモログが優しく抱きとめていた。


「レト! レト! お願い、死なないでぇ!」


 そこへ、半狂乱となった少女が駆け寄ってくる。

 少年を受け止めるために、既にしゃがみ込んでいたモログは更に身体を丸め込んで彼女と視線の高さをできるだけ合わせた。


「心配する事はないッ、少女よッ。この子は気絶しているだけだッ」


「えっ? はっ、はい……」


 巨漢からの思わぬ優しい言葉と声音に少女は眼を白黒させた。気持ちはハークにも分かる。先程の戦闘中とは、モログの雰囲気が一変して柔らかくなっていた。


「君たちはッ、こんな時間にこんな場所で何をしていたのかねッ?」


「えっ、あっ、あの……」


「先に言っておこうッ。俺たちはこの国の者ではないッ。敵国の者とでも考えて良いだろうッ。つまりはッ、この研究所とやらにとっても敵だッ」


「えっ、えっ、敵?」


 混乱する少女。だが、モログは彼女に対し言葉を重ねていく。ただし、殊更ことさらに口調を優しげなものへと変えながら。


「正直に教えてはくれないかッ? 君らはこの研究所から外へと脱出したいッ、そうではないかねッ?」


 少女が戸惑いながらも肯いた。今はモログの腕に抱かれ、意識を失っている少年が人狼へと変わる前の台詞から考えればそうなる。


「ありがとうッ。よくッ、答えてくれたッ。そこでだッ。いいかねッ、少女よッ。まずは名前を聞かせてくれないかッ?」


「え、えっとっ、ウ、ウルスラ……です」


 おっかなびっくりではあるが、彼女はしっかりと自らの名を名乗る。その光景に、モログの手が思わずと彼女の頭を撫でようと伸びたように見えたが、途上で行き先を変え、少女ウルスラの小さな肩の上へと優しく置かれていた。


「うむッ、ありがとう、ウルスラッ。そこでなのだがッ、君たちも一緒に行かないかッ? 俺たちもこの場所からの脱出を目指しているのだッ」


「えっ、……い、一緒……に?」


 ウルスラは薄い着衣に包まれた小さな胸の前で手を合わせて迷っていた。対してモログは、決して急かすことなく彼女の決断を見守る態勢を取っている。


 成り行きを見守るハークに、真横へと近づいて来たヴィラデルがハークの耳だけに届くような声の大きさで囁いた。


「ねェ、ハーク、あのコたちひょっとして……ひょっとしてなんだけれど、アタシらに対するスパイとかだったりは……しないワよネェ?」


「無いな」


 恐る恐る聞いてくるヴィラデルの仮説をハークは言下に否定する。


 ヴィラデルが疑った大胆な説は、実は、ハークの脳裏にも一瞬は浮かんだことであった。

 前世の忍びも良く行っていた手だ。

 無論、本当の子供が諜報活動を行う訳ではない。

 生まれつき背の小さな『侏儒こびと』を使うのである。顔だけは中々に誤魔化しが効かないので変装をさせる。見た目が幼いというのは最も警戒感をいだかれ難い。前世の忍びが良く行った手であることからも、その有用性が測り知れるというものである。


 この世界には魔法という、未だハークに全容の一端程度しか掴ませていない技術もあることから、やりようなど恐らく幾らでもあるのではなかろうか。

 が、有り得ない。少なくとも今は。

 諜報活動とは、相手を見定めてから行うものだ。まだ一当たりも行っていない今現在で、ハークたちに向かってそういった手合が送られることは考えられなかった。

 ヴィラデルもそれが解っているから強くは主張できずに、迷った形でハークに話を振ってきたのであろう。


 「まァ、そうよネェ……」とヴィラデルが呟くとほぼ同時に、少女の中で考えがある程度まとまったようであった。


「あ、あの……痛いこと、……ない?」


「無いぞッ」


「怖いこと、……ない?」


「あれば、俺様が全力で守ろうッ!」


 力強い宣言と共に巨漢は自身の胸を叩いた。それを見て、ウルスラも覚悟を決めたようである。


「わ、分かり、ました……。お、お願いします……」


「良くぞ言ってくれたッ!」


 モログは即座にウルスラを片手で抱き上げると左肩に乗せる。気絶したままであるレトという少年は、右腕の中に納めるように抱えて立ち上がった。


「行けるかね、モログ」


 一応の確認のための言葉に対し、モログはしっかり肯く。


「うむッ。時間をかけてしまったなッ。済まぬッ」


「いいや、構わないよ。儂もその子たち・・には大いに興味があるからな。さて、それでは脱出の続きといこうか。なぁに、あのまま真っ直ぐの突破は時間的に適わなくなってしまったが……」


 さすがに手間取ってしまった所為で、このまま正面の壁をぶち破りながらの突破は敵防衛戦力の『本命』と真っ正面から出会ってしまうことになる。さすがに、この状況・・・・での遭遇戦からの乱戦には無理がある。


「で、あれば、多少方角を変えれば良いだけだ。皆、儂の後ろへ」


 言いながら、ズラリと背の大太刀を抜いた。それを見て少女が一瞬びくりと身体を震わせたが、気にしないようにする。

 全員が自身の背後へと回ってきたのを確認し、ハークは弓を引き絞るような構えを取った。

 そして、その蒼い光を放つ美しい刀身より自身の魔力を噴出させ、纏わせる。

 存分に引き絞ると、彼はその全てを開放させた。


「秘奥義・『天魔風震撃』‼」


 後に語ることによると、ウルスラはこの時の光景を生涯・・忘れることはなかったという。

 自分とそれほど年端も変わらぬ亜人の少年が放った一撃が、彼方までの道を作ってくれたことを。

 自分とレトの、自由とそして、未来への。




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