448 第27話09:エスケープ・フロム




 ズズン! という音と共に周囲が揺れた。いや、研究所全体が揺れているのだ。『異質技巧研究所』全体が。

 大鉈と圧殺の会話が堂々巡りになっていたことで、我知らず微睡まどろんでいたクシャナルの意識は急速に覚醒される。


「警備兵! 俺だ! 大鉈のバットソンだ! 状況を報せ!」


 バットソンが持てる限りの大声でがなり立てている相手は、壁から突き出た筒であった。不思議なもので、あれに話しかけると別室で待機中の者たち、普段から研究所所属の警備兵たちに連絡が繋がるようになっている。

 少しの間を置いて、部屋上部に設置された同じような筒の先につけられた音声を増幅する法器から返事が届いた。金属の筒は設計から設置まで帝国製だが、先端の法器のみ王国製で供与されたものだという。


「たっ、只今状況確認をさせております! もう少々お待ちを!」


「ちいっ! 状況に遅れて、贄にされても知らんぞ! 早くしろ!」


「ひいっ! わ、分かりました! 分かりましたので、いましばらく時間を!」


 ガチャリと音がして、これ以降の通信が途絶えたことを示す。さっきのが警備長だかは知らないが、最も場で格上の者だろう。バットソンの脅しのような檄に、部下だけでなく自分も慌てて待機部屋の外へと出て行ったに違いない。


 パラパラと天井から埃や細かい粒などが未だに降り落ちる中、圧殺のロルフォンが改めて口を開いた。


「今のは……、爆発か? 下から感じたぞ。格納庫のキカイヘイどもの燃料にでも引火したのではないか?」


「バカな。あれの安全性は確立されている。ひとりでに引火するなどありえん」


 訳知り顔で言い放ったが、すぐにバットソンから否定されていた。


「ふーーん、匂うなア。なぁ、大鉈のオ。俺はちょいと行ってくるぜエ。獲物の匂いがすらあア」


「何? 何をバカな事を……。いや、しかし、侵入者かも知れんか。『星見』とも辻褄が合うだろうしな……」


「フン! あの小僧の世迷言なんぞどうでもいいが、俺も胸騒ぎを感じる! 行ってくるぞ!」


 考え込むバットソンに対し、ナジャールーダと呼応するかのようにロルフォンも立つ。その姿に何故だがクシャナルも焦りを憶え、遅ればせながらも立ち上がって宣言をする。


「俺も行きますぜ! じっとしているよりも、俺たちで確認しちまった方が早えですよ!」


 解説をするならば、この論理には幾つもの破綻があった。

 まずをもって、キカイヘイの燃料とやらが放置しておいてひとりでに爆発するような代物ではないとすれば、それを爆破した犯人がいるということで侵入者の説が成り立つ。

 そして何より、彼ら4人よりも比較にならぬほどの人員を備える常駐警備兵の方が、慣れもあり現状把握能力が遥かに高いことは明白であり、彼らからの報告を現在の部屋にて待ってから問題の場所へと向かった方が、普通に考えるならば効率の面で上に違いない。


 しかし、論理的にも根拠として後押しする方向性に誤りがあったとしても、時としてこういった勘一つの行動が、全てに勝ることもある。

 彼らはこういった感覚に優れるからこそ、そして優先するからこそ、帝国13将という地位に、今いるのかも知れなかった。


「ちっ。落ち着きのないものどもめ。だが、俺の勘もざらついているのは事実だ。向かうとしよう」


「そうこなくっちゃなあア!」


 ただし、その判断が必ずしも良い方向へと向かうばかりではないことを、彼らはこの後、一人残らず痛烈に知ることになる。




 一方で、巨大な揺れの影響は『異質技巧研究所』の他の場所にも強く表れていた。


「ほ、ホントかよ……」


 少年は今現在見ているものですら信じられないかのように立ち尽くしていた。

 彼の目前では、彼と、その同室の少女の行動の自由を完全に阻害していた鉄の扉がズレている。もう少し押してしまえば、どうにか2人の小さな身体ならば、通れるようになるかも知れない。


「さぁ! 押すよ、レト! 手伝って!」


「お、おう!」


 気合を入れた所為で、フン、と鼻から可愛らしい息が漏れたウルスラに続く形で、レトもズレかかった鉄扉へと向かう。

 これが、小さな小さな2人組の逃避行、その最初の一歩となるのである。




   ◇ ◇ ◇




 走りながらもハークは、複数の何者かが自分たちに接近しつつあることを感じ取っていた。


「あと少しで会敵するぞ。皆、準備は良いか?」


 久々に出た老婆心からの言葉も、矢張り必要は無いようであった。全員、自信たっぷりと余裕で肯く。

 大体からして、この後の各自の手順は実に単純だ。接敵する相手が碌な相手でなければ突破するなり速度と持久力をもって引き離し、話に聞く帝国13将が現れたら其々3手に別れ、帝都の外に達した時点で各々一当たりする。


 今回の潜入を機に、主たる敵の実力を確かめておくことも目的であった。

 構成は第1にハークと虎丸、そして日毬の従魔たち。第2にシアとヴィラデルの女性陣。第3が残るモログである。これは、相手戦力の分散は元より、敵方の一極集中を避けるためのものだ。


 子供のような姿ではあれど自軍の中では最も身体の大きい虎丸と共に行動するハークに、侮られやすい女性2人のシアとヴィラデル、そして最後はたった1人とはいえ最強の雰囲気を漂わせるモログである。実に悩ましいところだろう。ヒト族以外を重要視しないという帝国の人間からすれば、一番狙われやすいのはハーク組とも考えられるが、それならそれで全く問題は無い。


 虎丸の本気の足に追い縋れる者など、ほとんど考えられないからだ。対処し難い人数に追われるならば、適当なところまで引き付けてから全速力でブッち切ってしまえば良い。今回はあえて危険を冒し過ぎる必要も無いのだ。


『ご主人、このまま真っ直ぐ・・・・に進むと左から来る一集団と接触するッス。けれど、出入り口には一直線だし、右上から来る『本命』の一団に先んじて目標地点まで到達することが可能ッス!』


『承知した!』


 既に虎丸の施設構造把握は、完全なものとなっていた。

 ハークは念話から通常の会話へと瞬時に意識を切り替える。こういった意識の変更も、この一年で堂に入ったものであった。


「モログ!」


「おうッ、どうしたハークッ!」


 走る彼らの眼前には、が迫ってきていた。


「あの壁をぶち破ってくれ!」


「了解したッ!」


 ハークの頼みをモログは躊躇なく受ける。次いで加速し、自らの全身を破城槌と変える。腕を眼前で交差し、そのまま突撃するのだ。


 ズッガァァァアアアン!!


 けたたましい音と共に崩れ去る壁がその先にいた一団を慄かせ、悲鳴を上げさせる。ここまでは良かった。予想もできたことである。


「ひゃぁぁああ!?」


「うっわぁぁぁああ!?」


 しかし、上げさせた悲鳴の幼さが、ハークたちの足を思わず一瞬止めさせた。


「むうっ!?」


「えっ⁉ なっ、なんでこんな所に子供が!?」


 まだ年端もいかぬ幼子2人組であった。双方、薄手の着の身着のままといった様相だ。女の子の方は驚き過ぎたのか、仰向けに転んでしまっている。

 明らかに警備兵等の類ではない。


「ぬぬッ?」


「一体……?」


 ハークたちの誰もが戸惑う中、先に再起動したのは幼子2人組の片割れ、男の子の方であった。


「くっそう! もう見つかったのかよ! ウルスラ、必ず脱出してくれよ!」


 即座に戦闘態勢を取った少年は薄手の上着を脱ぎ捨てる。栄養状態が足りていないのか、若干の細腕と感じられてしまった。


「待つのだッ、俺たちはッ……!」


「ダメ! 待って、レト!」


 モログと、彼の連れのウルスラと呼ばれた少女が諫めようとする。

 しかし、同時に全員の眼前で驚くべきことが開始された。

 何と少年の身体が巨大化し始めたのだ。


「何と!?」


「はっ!?」


「ええっ!?」


 薄い板のようだった胴は分厚い胸板へ、枯れ枝に似た細腕はモログのものを思わせる極太へと急速に成長していく。下半身も同様だった。内側から高まる圧力に負けて、ビリビリと裂けていき太ももまでが顕わとなる。背丈もどんどんと上に伸びゆく。

 同時に、別のものが彼の肉体を覆っていった。

 毛である。体毛がみるみる彼の身体の全てから現れ出でて、その全身を包む。

 全てを覆い終えた時、レトと呼ばれた少年の面影はまるでなかった。顔の造形すら、全く別のものとなっていたからだ。


「狼の……、顔だと!?」


「ま、まさか、人狼族ライカンスロープ!?」


 ヴィラデルの言葉に被せるかのように、巨大な獣の頭をした存在が吠えた。完全に人のものではないそれで。


 次の瞬間、彼は口の端から涎を撒き散らし、一心不乱な突撃を開始した。

 表面上の姿形であれば、酷似した存在をハークも知っている。モーデル王国辺境領ワレンシュタインの家老ベルサや、軍の上級大将を務める才女エヴァンジェリンなどだ。だが、彼や彼女とは明らかに異質なるものを、ハークは感じざるを得なかった。


 近づく未知なるそれに対し、モログが一歩足を進める。


「皆ッ、手を出すなッ! 俺様が相手をするッ!」




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