407 第24話10:二人の英雄
とある島の海岸。夕日に赤く染まる波打ち際に、一人の女性が立っていた。
ただし、長く美しい黒髪がたおやかに揺れている様からは想像が難しいほどに、女性とだけに表現するのは語弊があった。
彼女の身体は小さく、幼い。外見の年齢で言えばヒト族の十に届いてもいないくらいであった。
動物の皮を幾重にも重ね、丸めて作ったかのようなボールを両手で抱え、外見に似合わぬ憂いを称えた瞳で遥か先の海平線を見詰めている。まるでその先にいる、大切な存在を見透かそうとするかのように。
「クロ」
後ろから自分の名を呼ばれて、弾かれるように彼女は振り向く。
とはいえ、この地には自身の名を呼ぶような存在は、今や一人しかいない。クロと呼ばれた少女の視線の先には、彼女の予期した通りの人物が立っていた。
「パパ」
少女が父親と呼んだ人物は、あまりにも彼女に似ていない。
華奢で儚い印象のクロとは違い、父親の男性は巨大で厳めしい。ゆったりとした大昔の法衣にも似た服に身を包んでいるにもかかわらず、その下にある筋肉が各所を押し上げ、その存在を隠し切れていなかった。
背丈も少女の三倍以上はある。短く刈り揃えられた頭髪は燃えるように真っ赤で、重力に逆らって逆立ち、同じ色の顎鬚とつながっていてまるで獅子の
特別難しい
「ここにいたのか。捜したよ」
溜息を吐くかのような父親の様子に、クロはクスリと笑う。父親の心配性な様子に少し呆れているのだ。実際、この地にいれば危険など無いし、彼女一人の力では島の外に出ることなど到底不可能であるというのに。
クロにゆっくりと歩み寄りながら、父親は奇妙なことを口走る。
「さ、もう寝なさい。お前はもう七日間も起きたままなのだからね」
異常な話であった。通常、ステータスの恩恵があるこの世界でも、これだけの長期間一度も睡眠を摂らなければバッドステータスが発現、体調が悪化して然るべしであり、場合によってはそのまま死亡することさえあり得ることだろう。
しかし、クロにとってはいつもの事だった。父親が語ったことも、特に異常を示すものではなく、幼い子供に「もう夜九時だから寝る準備をしなさい」と言い聞かせているに等しい。
クロにとってはこれが普通なのだ。
ただし、一度眠りについてしまうと三日間はそのままだった。悠久の時を生きる彼女にとって、この世界の時の流れとのズレを示すものである。これでもまだマシになった方で、父親との生活を始めた当初は数年間覚醒したままであり、一旦眠れば半年間寝たままの状態だった。
当然に、今現在の彼女の体調にも悪影響は見られない。
尤も、デメリットが全く無い訳でもない。
時の流れのズレはそのまま異常な成長速度の遅さにつながり、大抵の人間種が持つ短い寿命の中では外見上のわずかな変化ですら感じることはできないほどだろう。
精神は肉体に引きずられる。クロも、『通常の』という定義にはとても収まりきらない存在だとしても、生命体としての宿命からは逃れようもなかった。
日々の経験により、少しずつ内面だけが進歩しようとも、外側の成長とあまりにかけ離れてしまえば後退もせざるを得ない。
一進一退の危ういバランス。それでも彼女を大きく成長させた出来事があった。
その出来事へとクロが思いを馳せていると気づいたのは、手の届くほどにまで歩み寄った父親が、娘の手中にかつて自身が作った皮のボールが抱えられていることに気がついたからであった。
「あの子のことを、……思い出していたのかい?」
父親の問いかけにクロは肯く。
クロは自身の長い生の中で、束の間にできた弟と、よくボール遊びをしていた。一年も経たぬうちに背丈を超えられても。もはやどちらがつき合う方なのか、分からなくなっても。
そしてクロの視線は元の、日の沈みゆく海平線へと戻る。まるでその視線の遥か先に、思い起こす人物の存在を確認しているかのように。
つられて同じ方向を見やる父親の脳裏にも、昨日のことのように思い出された。
余程の体力と共に、余程の幸運にも助けられなくては辿り着けぬこの島へ打ち上げられていた少年を介抱し、その後、家族として過ごした十三年の日々。使命に殉じることを決意し、旅立っていった日の朝のことも。
「心配かい?」
無理もない、と思った。クロは弟に
その特別なSKILLとは、クロが父親の種族SKILLを参考に産み出した『
このSKILLは、術者もしくは使用者が望む未来へと至る為の最短の道を、しるべの如きに文字通り仄かに光らせて見えるようにする効果を持つ。
ただし、最短の道ではあれど、最良の道とは程遠いもので、場合によっては術者及び使用者に対して生命の危機が及ぶような道を指し示すことも、決して少なくはなかった。
苦難多き
言うは易く行うは難し。そしてそんな生き様には近しい者の心労が、ある意味つきものでもある。
しかし、少女はかすかに首を横に振った。
「ううん」
否定の返答の意味が解らず、父はまじまじと娘に眼を向けた。
視線を一身に浴びながらも、少女はハッキリとした声で続きの言葉をつむぐ。
「大丈夫。あの子の選んだ道だもん」
父は増々と娘を凝視した。
ややあって彼は確信する。娘の言った「大丈夫」が、子供らしいタダの「大丈夫」とは違うことを。
通り一辺倒の、あの子は強いから無事に違いない、という意味の「大丈夫」ではない。
危険な道であると解っていながら、あの日送り出したのだからどのような結果になろうとも「大丈夫」という意味だ。
全てを納得し切った訳でもないだろう。子供らしく都合の良い予測を立てている部分もあるだろう。
それでも、彼にとっては娘の確かな成長を実感できた瞬間だった。
歓喜と感激が急激に混ざり合い、彼の中で感情が爆発しそうになる。だが、一抹の寂しさがそれをせき止めた。
「そ、そうか。……そうだね」
大きな彼の手が、クロの頭をくしゃりと撫でた。彼は穏やかに続ける。
「さぁ、家に帰ろう」
「うん。パパ」
二人は同時に向きを変えて、連れ立って歩き始める。どちらかともなく手をつなぎ、夕日を背に受けながら、男は一度だけ振り返り、息子とも思う愛弟子のため心の中で祈った。
(平穏無事に、など……望むべくなどない。だが、どうか、その行く末に
これが、かつて『赤髭卿』と呼ばれた男、ヴォルレウス=ウィンベルの天にではなく世界への切なる願いであった。
◇ ◇ ◇
同時刻。別の空の下。
陽の高さがもうじき頂点に達する地にて、両雄が並び立っていた。
白き精霊獣に跨る、見るからに小さな方が、巨漢な方に話しかける。
「モログ! 飛び入りの助太刀に感謝する! ……が、何故今、この地に!?」
小さき方、ハークの疑問も尤もだと、彼の声が届いた多くの人々は思った。
神出鬼没、東奔西走を地でいくモログではあるが、十日ほど前の動向は明らかである。この場にもいるワレンシュタイン領領主ランバート=グラン=ワレンシュタインの依頼によって、主やハーク達を始めとした主力部隊の留守を預かる形で、同領都オルレオンに彼にしては長く滞在していたのだ。
その後、ランバートやハークらの帰還によって、無事にお役御免となる彼の、更にその後の動向及び所在は不明であった。
「それほど不思議ではないぞッ、ハークッ! オルレオンから俺本来の拠点ッ、西の辺境コスタ・デラ・ソルラへの帰路の途上で、王都に寄るのは当然の話だッ! それにッ、道中特に急ぐ旅路でもなかったのでなッ!」
「な、成程!」
虎丸に乗ったハーク達はわずか三日で踏破したが、
途上で王都に寄るのも頷ける。オルレオンから西の辺境コスタ・デラ・ソルラへの経路で、王都は丁度距離的にも中間地点に当たる。休憩や、旅の物資を整え直す意味でも経由地として相応しい。
つまりは、彼の王都への到着時間が適時すぎて不思議に思えてしまうだけなのかも知れなかった。都合が良過ぎると。
だが、今はそのことに考えを巡らせるべきではない。ハークは己の違和感を一旦棚に上げ、前を向く。
「よぉし! 奴を、クラーケンを討滅する! 助力を頼むぞ、モログ!」
「おおッ! 任せろッ!」
今、二人の英雄が並び立った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます