406 第24話09:海獣④




 次々と襲い来る五本足を縫うように掻いくぐりながら、ハークと虎丸のコンビはクラーケンの弱点である頭部を目指す。が、彼らであってもあと十メートルまで近づくのが限度だった。前後左右、上下も問わず、極太の触腕が常に襲いかかってくるからだ。

 ハークがなますに刻もうとも、すぐに元通りとなる再生能力は元より、まるで一本一本が別々の生き物のように動き回ってくる。おまけに、奇妙なほどに連携が取れていた。


『ちいっ! 随分と器用なものよ!』


 その評価を下さざるを得なかった。

 上から押さえつけるように二本が迫る。


「奥義・『大日輪』!」


 危なげなく『天青の太刀』の切っ先が弾力のある足の先端を二本とも斬り落とす。

 ハーク達が慣れてきたのだ。しかし、ここにきて対応してくるようになったのは、敵も同じであった。


「ぬっ!?」


『しっ、しまったッス!!』


 突然、虎丸の足下にあった筈の地面が無くなっていた。

 いや、地面ではない。虎丸の足の下にあったのはクラーケンの肉。ランバートら地上部隊に攻撃をしかけていた残り三本の足であったのだ。


 足の肉の上であるのは虎丸だけでなくハークも承知の上であったのだが、自分達だけでなく同時にランバート達まで相手にしながら、まさか器用に梯子はしごを外す行動を文字通り物理的に行うとは思っていなかった。


 予想外にも空中へと投げ出されたとはいえ、いつものハーク達であれば難無く切り抜けられたに違いない。例えば、『風の断層盾エア・シールド』で短時間ながらも足場を作り、軌道を変えて最終的には後退しながらも地上へ降りることだろう。

 しかし、今は魔法が使えないのだ。


『拙いぞ、ハーク殿! クラーケンが『水流ブレス』の発射体制に入っておる!』


『見事められたという訳か!』


 エルザルドからの指摘が至極その通りであると示すかのように、クラーケンの頭部がぶくりと膨らんでいく。この流れを見事クラーケンは狙っていたのだ。

 足が着く場面においてならば虎丸の神速はどんな不利も一瞬で覆す。しかし、今この状況では機能させることもできない。


「「「ハーク!」」」


 逸早く気づいた仲間たち、ランバートにシア、ヴィラデルがほぼ同時に叫んでいた。


『くっ! 虎丸!』


『ご主っ……!』


 ここは上下に別れるしかない。

 それでも両者無事にとはいかないだろうが、やらぬよりはマシだった。以心伝心、二者は同時に動き出す。

 分離を選択する瞬間だった。

 その両者の瞳に、六枚のハネを持つ大きな存在が映る。


『なっ……!? 日毬か!?』


 それはハークの言葉通り、種族SKILL『変態トランスフォーメーション』の効果によって現在の最大サイズにまで大きくなった日毬であった。レベル三十六の時点でハークと同程度にまで巨大化可能であったが、レベル四十一にまで達した今においてはハークのほぼ倍の大きさまでに変化可能となっていた。


『日毬ッ、止めろッス!』


 その大きくなれるようになった身体で、『水流ブレス』の盾になるつもりではと虎丸は考えて制止する。ハークも同じ予想をし、念話で伝えかけたところでそれが間違いであったのだと気づいた。

 日毬がハーク達の前にではなく後ろへと回ったのである。


「うおっ!?」


「ガウワッ!?」


 ハークと虎丸が全く同時に驚きの声を上げた直後、クラーケンの限界近くにまでに開かれた口内から超大な水柱が発射された。


 本来であれば、二人は成す術無く襲いかかるその超高水圧に、飲み込まれることとなっていたに違いない。

 だが、ハーク達の背中、具体的に言えば二本の前脚でハークの身体を掴み、残りの四本脚で虎丸の背も掴んだ日毬は力一杯に羽ばたいて、彼らを自身と共に斜め上の空間へと引き上げていた。


 多くの飛行モンスター、いいや、この世界の空を飛ぶほとんどの生物たちは、以前にエルザルドが語ったように、意識もせず自然と行使している魔法の力の補助によって、巨大で重量のある肉体を宙に浮かし、飛行能力を行使している。従って全ての属性魔法を封じられた今この場であれば、この世界最強の生物ドラゴンでさえも、空を飛ぶことは到底不可能だ。

 しかし、日毬の元々の種族『グレイトシルクモス』はそもそもが魔法の補助などなくしても空を飛行することが可能な種であり、そこから進化した種である『エレメントシルクモス』たる彼女においては、急加速急旋回等を除けば、簡単な話であった。


 『変態トランスフォーメーション』の効果により飛行形態へと変化した日毬の巨大な六枚翅が巻き起こす羽風により伸び上がり、三者は『水流ブレス』の迫る危険域よりすんでのところで脱出したのである。


『日毬助かったッス!』


『凄いぞ、日毬!』


「きゅん!」


 虎丸とハークの称賛を受け、日毬は嬉しそうにさえずった。

 ハーク達を飲み込む筈であった高水圧の水柱は、そのまま彼らの後方にあった物見の塔へと直撃する。

 その光景にランバートやシア、ヴィラデル、仲間たちを始めとした多くの人々が胸を撫で下ろしていた。


 が、その一撃は思わぬ波及を生む。

 水流ブレスの直撃を受けた全高二十メートルの塔は、当たった中ほどの箇所からボッキリと折れてしまったのである。

 十メートルもの煉瓦や石の塊が大地に落下する。幸いにも落下地点には誰もおらず、砕けて周囲に飛び散った破片を受ける距離にさえ一人としていなかった。


 が、にもかかわらず、物見の塔をなぎ倒すのではなく一瞬で真っ二つとした激流の威力に、避難しつつある一般市民の恐慌が頂点へと達してしまった。


「うっ……、うわあああああ!」


「殺される! 殺されるぞおおっ!?」


「ひぃいいいいい! 逃げろぉ!」


「走れっ! 走ってくれええーー!」


 ズースを始めとした今この場では戦力としての活躍の場がない魔法兵たちに先導と護衛を受け、辛うじて保たれていた整然さ、維持されていた落ち着きのタガが外れる。


「ぬうっ!? 皆の者! 静まれいっ! 静まるのだ!」


 異常事態にズースが老体を押して声を張り上げたが焼け石に水だ。力無き王都の民たちの間に生じた恐怖は次々に周りへと伝わっていき、金切り声が幾重にも幾重にも延々折り重なっていく。


「しまったぁ!!」


 ランバートが気づき、奔る。

 騒然とした群衆のうねりは巨獣の狂った精神を簡単に引き付けてしまっていた。瞳と共に巨大なるクラーケンがゆっくりとその身体も方向を変える。

 次いで、頭部が一回り膨らんだ。再びの『水流ブレス』の発射体制へと入ったことは、ほとんど誰の眼にも明らかであった。


「拙い! 奥義・『大日輪』! ぬぉおおおお奥義・『朧穿おぼろうがち』ィ!!」


「グワォオオオオオオオォォォオオオオオオオオオ!!」


 虎丸が吠えながら突進し、ハークは滅多矢鱈めったやたらにと刀技を繰り出すが、巨獣の注視は戻らない。依然としてハーク達は、ある程度の脅威ではあれど五本の足で事足りる存在でしかないからだ。


 黄ばんだ牙の乱立が上下に引き裂かれる。

 開かれたその口より痛烈な水の噴出が発せられるのは、最早止めようがなかった。

 人々の前へと全力で奔走するランバートも今一歩届かない。超高水圧の奔流は儚き命を一体何人、何十人、いいや何百人と奪うというのか。

 誰もが、その最悪の結果を頭に思い描いた瞬間であった。


「————待ぁあてぇいっ!!」


 突然、赤き疾風が凄まじい速度を維持しながら遥か後方、王門の方角から放物線の軌跡を残し飛んできた。

 周囲の空気を正に斬り裂いて逃げ惑う人々を一瞬にして飛び越し、彼らの前へと墜落する砲弾、否、隕石が如き物体が爆撃音めいた衝撃と共に土煙を大きく巻き上げる。

 同時に発射された『水流ブレス』。

 が、ハークには見えた。周囲に立ち込める土砂の煙を切り裂くように垣間見えた鋭い両角の影が。


「オレ様の眼の前でッ! 命を儚きものになどさせはせんッ! 『サイクローーーン・クローーーズライン』ッ!!」


 突如、人々の前に発生した竜巻が、襲い来る水流を次々と飲み込み、螺旋の渦へと巻き込みつつ最上部にて散らしていく。

 不可思議な光景に誰もが我を忘れて見上げていた。そう、あのクラーケンでさえも。


 やがて『水流ブレス』が止むと同時に、竜巻が一瞬にてかき消えた。

 その中心点に現れた巨漢が、最後の回転を止めつつ、紅のマントを空へと投げ捨てていた。

 次の瞬間、幾人もの言葉が数珠のように連なっていく。


「ま、まままままさかっ!」


 この声はアルゴスという人物のものだと、ハークの耳は理解する。


「アレはっ!」


 今度はヴィラデルの声だった。


「そんな馬鹿な!?」


 リィズの声だった。ハークも激しく同意である。


「嘘でしょう!?」


 これはアルティナだ。疑いたくなる気持ちも解る。


「マジかよ!?」


 ランバートの声である。懐疑を表しつつも歓喜が感じられた。


「モッ、モモモモモモモッ……!?」


 シアに至っては驚き過ぎてどもってしまっている。続きはハークが奪うことにした。


「モログーーーーーーーー!!」


「おぉ応ッ!!」


 威風堂々と胸を張る鋼の肉体が、無骨な鉄兜と共に輝いたように見えたのは気のせいではない。

 英雄の光臨だった。




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