402 第24話05:いつもの『キセキ』③




 ヴィラデルと日毬は『模擬戦争』が始まる前より王城上空にいた。

 より正確に言うならば、音もなく空中をホバリング飛行する日毬にヴィラデルがぶら下がっていた、と言うべきだろう。


 上空より彼女達は何事かが起こる兆候をずっと監視、もしくは帝国貴族たち第一王子親衛隊員の姿を探っていた。

 そしてヴィラデルはハークにより、『模擬戦争』が始まった瞬間、もしくは終わった直後に何かしら仕掛けてくる可能性が高いとの指摘を受け、喧騒の中で忙しなく動き始めた人々の背後を特に注視していたのである。


 五感において、ヒト族の何倍ものアドバンテージを持つ彼女の瞳が、湖畔にほど近い茂みの奥から一瞬だけ顔を出した人物の姿を捉えていた。

 ボバッサである。

 その光景は正に、苦しさから息継ぎのため水面へと顔を出したかのようでもあった。


 発見したのはそのたった一人だけではあったが、他の親衛隊の人員は正直脅威でもなんでもない。

 ヴィラデルに監視を続けてもらっている間、そう考えたハークはランバートとレイルウォードにも声を掛けた後、逸早く現場に向かう。


『どうだ、虎丸?』


『ボバッサの匂いは憶えたッス。ただ、……ご主人、申し訳ないッスけれど、そいつの他に潜むヒト族の匂いは全く感じられないッス』


『ふうむ、虎丸の鼻をもってしても、か。何か分からんか、エルザルド?』


 胸元がほんのりと暖かくなる。エルザルドが起動したのだ。


『残り香を完全に消し去る技術はその昔あった筈だ。しかし、今現在発せられる匂いを止める方法は、我も記憶に無い。森都アルトリーリアのように拡散させて出所を不明にする程度だ』


 森都アルトリーリアは、嗅覚に優れた亜人種等を警戒して、街のすぐ外側の空気を常にかき回す仕組みを作っており、正確な街の位置を悟らせないよう配慮していた。


『他に儂が考えられるのは、事前に土の中に埋まっているとか、この先の湖の中に沈み潜んでいるとかであろうな』


 前世でも、ごく一部だがやってきたものがいるともハークが耳にしてきた行動だ。魔法や法器という便利なものがあるこの世界では、むしろ存分に考えられることだろう。


『そう言えば、凍土国オランストレイシアの城では、壁の中に隠れていた敵もいたッスね』


『うむ、虎丸の言う通りだ。警戒を怠らずに頼む。小さな音や振動にも注意を向けるのだ』


『了解ッス!』


 念話での話し合いが終わる頃には、既にハークと虎丸は共にボバッサを一方的に視認できる場にいた。

 彼の姿を斜め上からの、王城の壁に虎丸が張り付いた状態で眺めていたからである。

 自身の背丈よりも低い茂みの中に屈みこんで身を潜めるボバッサは同じ高さの周囲を確認するのみで、上から見られているなどとは考えてもいない。

 当然だ。彼は付近の建物の窓の位置を事前に確認して、そこからでは見つからない角度の場所に潜んでいたのだ。


 そんなボバッサが慌ただしく動き出そうとした。ハーク達が入れ替わるように監視を続ける中、正確な位置を伝えたヴィラデルや日毬と共に、四十人ほどの兵士が一斉に到着したからだ。

 王国第三軍とワレンシュタイン軍の混成部隊で、前列を務めるワレンシュタイン軍は例の、キカイヘイ軍団との戦闘でも使われた大盾を装備しているので良く分かる。


「よォし、大人しくしやがれボバッサ!」


「もう逃がしはせん。諦めろ!」


 両軍を率いるランバートとレイルウォードが叫ぶ。その後ろから祖父ズースに付き添われる形で現国王が近づいてきており、更にシアやエヴァンジェリンを伴ったアルティナとリィズまでもが合流しようとしていた。


 兵士たちの包囲が完了する中、王城壁面に取りついていた虎丸もハークを背に乗せたまま大地に降りる。

 立ち上がり、腰の剣を抜かぬままに臨戦態勢を取ろうとしていたボバッサが振り向く。そのようなことをしている間に、湖の袋小路を背にして彼の包囲は完全に完了していた。ただし、全員が五メートルほどの一定の距離を保っている。ボバッサが使用できるという『洗脳魔法』を警戒してのことだ。


「観念するのだな」


 ランバートたちに続いてハークも最後通告を行ったが、返ってきた反応はやや激烈であった。


「チィッ! 黙れ亜人種! 俺に馴れ馴れしく話しかけるな!」


 そういえば帝国の地は、亜人種に対する差別意識があからさまであるらしい。そんなことを思い出していると、レイルウォードが業を煮やしたように声を荒げた。


「黙るのはお前だ! お前の手の内はもう判明している! 抵抗する意思を見せるならば容赦はせんぞ!」


「手の内だと……!?」


「もうよせ、ボバッサ!!」


 連行されていた王子が、兵士たちに周囲を固められたまま、少し離れたところより叫んでいた。


「もうよい! 全ては終わった! 俺のためならもう充分だ!」


 途端にボバッサはせせら笑うような、まるで牙を剥くかのような顔となって、がなり返した。


「誰がお前のためでなどあるものか! 愚かな小僧め! 我らが秘密を売ったな!?」


「……ボバッサ……!」


 悲痛な表情へと変わるアレスが顔を俯けるが、最早ボバッサは彼の方向を見ていない。周りを警戒しつつ、一歩後ろに下がると同時に、懐に括りつけられた魔法袋の中から黒い石を取り出して言った。


「はっ! だが、残念だったな! あのバカ王子に話したことが計画の全てではないぞ!」


 ハークはボバッサが取り出した黒い石に見覚えがあった。


「あれは!? ……『封魔石』か!」


 ハークの言葉にランバートが即座に反応する。


「何っ!? ハークの報告にあった、魔法SKILLを封じ込めちまう石の欠片か!? レイルウォード殿、魔法攻撃主体の兵士を下がらせてくれ!」


「了解だ! 聞こえたな!? 魔法部隊、後退せよ!」


 二人の指揮官の命により、兵士たちの並びに変化が起こる。軽装で杖を持つ兵士たちが槍や剣を構える兵士と場所を代わっていた。

 淀みない対応にボバッサは眼を剥き、視線をエルフの少年剣士へと向ける。そして、憎々しげな表情に変わり、呪詛めいた言葉を吐いた。


「……そ、そうか……、亜人の少年剣士……! 第二王女の側近……、貴様が……! 亜人ごときが……!」


「諦めろ! そいつの対処も判っている! 武器攻撃系のSKILLであれば問題は無いのだからな!」


「素直に投降するのであれば、命まで奪うつもりはない!」


 ランバートとレイルウォードの説得めいた降伏勧告が再度行われたが、ボバッサは再び先の不敵な笑みを浮かべつつ、更に一歩後退した。後ろはもう湖の淵である。


「ハッ! それだけか!?」


「何ぃ!?」


「何だと!?」


「もう俺に退路なんぞ無いことなど、始めから解っていたさ! だが、タダでは死なん! 出番だぞ! 出てこい、『バケモノ』!!」


 ボバッサがそう叫んだ直後であった。

 突然、ボバッサの背後の湖、その水面が盛り上がった。ザバアッ、と水面を切り裂いた音が上がった直後も、後から後から赤い肉のような何かが水中から上がってきていた。


 出現した巨大さからすれば、周囲へと撒き散らした水滴の量は明らかに、奇妙なまでに少なかった。

 それは、水中より全貌を現した訳ではなく、まるで軟体生物のような顔面をさらしただけである。しかし、高さも幅も軽く十五メートルを超過していた。


「な、何だあの、馬鹿デカい顔は……!?」


 ハークの疑問に即座に答えたのはやはり虎丸である。


『ご主人……、あれは! 水生系最強と言われるモンスター、クラーケンッスよ!!』


 巨大な丸い瞳のすぐ下にある、乱立した牙に包まれた口の如きものが、にやりと笑うかのように動いた。




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