401 第24話04:いつもの『キセキ』②




「待った! 待て! 頼む、待ってくれ!」


 本番さながらの気迫で迫る大男。やや異常な勢いに、審判役の男性調査員は押されながらもしっかりとした声で言う。


「ゼルモンティ殿、既にアレス殿下の圏内でハーキュリース殿の宣言がなされた後ですので……」


「構いませぬよ。床石踏み抜いてまで駆けつけようとした忠義に敬意を表して、虎丸に相手させましょう」


「がうっ」


 ハークの言葉と従魔の同意とに審判役の調査員がホッとした様子を見せたのは、ゼルモンティが必死過ぎて背中の大剣に手を這わせていたのと無関係ではない。


 一方で、ハークがゼルモンティの我儘でしかない横槍に対して文句も言わなかったのは、別に『特別武技戦技大会』予選においての対戦を記憶していた訳でもなく、彼の気迫に押された訳でも勿論なく、本当に言葉通りにゼルモンティの必死さを忠義の表れと勘違いし、感心していただけに過ぎなかった。

 ただ、ゼルモンティも、少年の譲歩を受けて多少は落ち着きを取り戻していたようだ。


「よし、審判、その従魔のレベルは!?」


「お待ちを……。エッ……!?」


 ゼルモンティの指摘を受けて、審判役が木製装丁の本に似た鑑定法器を懐より取り出して起動させる。次いで驚愕に眼を見開いて結果を告げた。


「レベル……四十五です……!」


「なっ……なんだとおぉおっ!?」


 ゼルモンティの心が絶望に沈んだのも無理はない。虎丸に対するゼルモンティのレベルは三十六。九つの差がある。

 さらに守るべき主である筈のアレスのレベルは三十。対戦相手であるハークは三十七。

 つまりは双方揃って二回連続で六対一の目を出さねばならない状況に追い込まれてしまっていた。


「で、では、ハーキュリース殿……」


「うむ」


 審判役から虎丸の分も含めて二つのサイコロを受け取ったハークは、ゼルモンティとアレスばかりが文字通りゴクリと固唾を飲んで喉を鳴らす中、実に気負いなく無造作にそれらを床に放った。

 数度の軽やかな音を立てて転がったサイコロが出した目は、六と四であった。




   ◇ ◇ ◇




 『模擬戦争』は終わった。

 自身を護送すべく、城の外からの人員がこの最上階に到達するまでの間、その場待機を言い渡されたアレスだが、そもそもが動く気力などない。項垂れた姿勢のまま膝をつき、そのままであった。

 自身の所為だとはいえ、ヴィラデルからの念話を待ちながら手持ち無沙汰だったハークは彼に声を掛ける。


「大丈夫かね」


 アレスはすぐには答えなかった。しかし、たっぷり十秒ほどかけてから溜息を吐くと同時に言った。


「終わったか……」


「そうだな。『模擬戦争』は、終わったよ」


「違う。俺の人生が、だ」


 諦めたような、全てを悟ったかのようなアレスに対して、ハークはいつ念話が届いても良いように意識を傾けつつも反論の言葉を吐く。


「王座に就くことだけが、人生ではござらぬでしょう」


 これは元々、前世の殿様連中のお子たちにも言ってやりたい言葉であった。

 が、アレスはハークを見上げて言う。


「何を言う。アルティナは俺を殺す。そうに違いない」


〈それはどうかな〉


 周囲の貴族連中は本心ではどう思っているかは分からないが、アルティナはそんなことなど望んでいない。

 あの心優しき娘が、半分とはいえ血のつながった実の兄をくびり殺すと提案するなぞ、元々考えられもしなかったが、昨日も、ハーク達仲間とランバートにアルゴス、レイルウォードがいただけの場ではあれど、しっかりと明言していた。

 兄が恒久的に彼自身の王位継承権の破棄を認めるのであれば、命までは絶対に奪いたくなどない、と。


 大体からして、ハークからしても、アレス王子は立場的に敵とはいえ、ただ帝国に踊らされた人物であるだけで憎むべき対象ではなかった。

 卑劣な手段も取ったかもしれないが、彼が明確な自分の意思のみにて行ったのは父親の強引な追い落としと、議会への直接的な圧力による権力の集約であった。それとてこの国の慣習に照らして考えれば言語道断らしいが、戦国の世に生きたハークにとっては当然とまでは言えなくとも、一定の理解を示せる行動だった。美濃の斎藤、仙台の伊達など、力で父親から実権を奪取した息子など、いくらでもいた時代なのである。ハークの観点からすれば、眼の前の人物はただ単に判断を誤り、失敗しただけなのだったのだ。

 本当に卑劣な行為を行った者は、他にいる。


 だからハークは、眼の前にいるアルティナの兄が、急に不憫に思えてきてしまった。


「そうとも限りませぬよ」


「何故そんなことが言える!?」


「アルティナが望まぬからです」


 眼を見開いて、ここでアレスはハークをまじまじと見る。


「そ、そうか……、お前は……あいつの側近だったか……」


 ようやく気づいたのかとも言ってやりたくなったが、今まで死の恐怖にずっと苛まれていたことを考えれば仕方ないかとも思い直して止める。


「だとしたって、俺は一生日陰者だ。閉じ込められて終わる……」


 そういってまたも下を向くアレスに、ハークは何故だか少なくない苛立ちを覚えた。半ば衝動的に言う。


「だとすれば、どうするのです? 男が一度、事破れただけで簡単に全てを諦めると? 安い命ですな」


 まるで、無責任に焚き付けるような言葉だったが、再度こちらを見上げたアレスの眼に、少しだけ光が一瞬宿ったような気がした。


「俺だって諦めたくなどないさ! だが、こんな俺に! 王位を継げなかったこの俺に、この後、一体何ができるって言うんだ!?」


 ハークは諦念に染まったアレスにゆっくりと首を横に振りつつ答える。


「何でも良い。何かできることがあるでしょう。今まで自分を支えて来てくれた人々に対してとか、これから世話になる人々のためにとかでも、日々の感謝を忘れなければ良いだけだ。そうすれば、おのずとやるべきことが解りましょう」


「感謝だと!? そのようなことをやって、何が変わるというのだ!?」


 結果は同じだと言いたいのだろう。昔ならば、ハークはこの時のアレスに明確な返答などできなかったに違いない。しかし、今は違った。


「阿呆ですなァ」


「あほ? アホだと!? この俺を……!」


「ええ、阿呆ですよ。命は巡っておることを知らぬのですな」


「命が、……巡って……?」


「ええ。命は巡っておりまする。例え此度の生が、ここで終わるのだとしても、必ず別の形として生まれ変わります。その記憶は恐らく残ってはいないでしょうが、手前だけの損得しか考えられぬとしても、巡り巡って未来の己、来世の自分にツケを回したくはないでしょう? だからこそ、ごく小さな発見でもわずかな資源でも思想でも良い、何でもいいから、後の世を良い方向に導ける何かを残すことこそが、知恵持ち守り育める者たちの、我らの本来の役目であるのですよ」


 ハークは後になって、何故に自分がこんなことまでをアレスに言ったのか、と不思議に思うことになる。


 転生という経緯を含めた、この世界に来てからの新しい経験を、半ば無意識的に己の中で消化し、言語化できたのかも分からないし、眼の前の人物を哀れんだ自分の口より勝手に出た、でまかせのたぐいだったのかも知れない。


 確証は勿論のこと、確信も無かった。しかし、どこか頭の中で正直な気持ちな気がした。


「なるほど」


 丁度、奥にある階段から、アレス護送のための兵士たちが上がってきたところだった。アレスはそれだけ言って、すっくと立ち上がっていた。


「さ、アレス王子、こちらへ」


 アレス護送を指揮するのは、第三将軍レイルウォードであった。

 名を呼ばれたアレスは大人しく従うと、最後にハークを見る。アレスはヒト族にしても体格が良く大男だ。見下ろす彼はハークに一言だけ返した。


「未来の、来世の自分か……。エルフとは、そのように考えるのだな」


 気休めにしかならなかったかも知れない。

 だが、レイルウォードが先行し、両脇を挟んだ兵士たちに連れられる彼の背中は、もう丸まってはいなかった。


 せめて心の中で、彼の前途が少しでも実りあるものであることを祈るハークに、待ちに待っていた念話がヴィラデルよりようやく届いた。


『ハーク、件の親衛隊隊長ボバッサを見つけたわ。周囲に他の隊員はいないようだけれどね』


『承知した。すぐに向かう』


 ハークが素早く横の虎丸に跨ると、またも風の如くにその姿がかき消えていた。




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