394 第23話26:無限の愛を超えて
「すまん、虎丸。……今だけは……、儂の好きにさせてくれ」
『ご、ご主人……、了解ッス……』
ハークは心配する虎丸の脇をすり抜けてディーアネイラの傍に立つ。そして膝を折り、彼女と視線の高さを合わせた。
「お顔を上げてくだされ。あなたの、母としての洞察力、推察力に些かの間違いもありませぬ。あなたの愛情に間違いなど微塵もありませぬ!」
「……え?」
俯いていたディーアネイラの顔が上がり、涙で腫れかけた双眸との視線が交わる。思わず瞳をそらせたくなったが、ハークは逃げなかった。
「御母堂様、これから儂は、奇妙な話をいたします。信じられぬのが当然の話でありますし、儂の頭がおかしくなったと感じることもあるでしょう。それは仕方がありませぬ。ですが、これから語ることは紛れもなく、儂の知る真の事実でございます!」
「ハーク……」
ハークは一度、ごくりと唾を飲みこんだ。これから真実を話し伝えることが、自身の血縁上の母親にとって決して良いこと、正解であるとは限らない。
しかし、自身の直感を信じて、母親として強き一歩を勇気をもって大きく踏み込んだディーアネイラの心を、彼女自身に否定させたままにしておくなどハークにはできなかった。
ならばどうするか。いつものことをやるだけだ。
迷いながらも、これだけは譲ることはできない。
相手が強く踏み込んでくるのならば、決して引かず、自分もさらに強く踏み込むのがハークなのだ。
「儂は……、今この身体の中に息づく儂の魂は、ディーアネイラ殿の愛した息子ではございませぬ。儂は元々、この世界とは異なる世に生きた、この世界でのヒト族によく似た種族の人斬りでございました。
「異なる……世……?」
ハークは己の胸に手を置く。身振りで自分の魂を指し示す意思もあったが、己自身を落ち着かせる意味もあった。
「前の世の儂は、兎に角、剣の道を極めたかった。しかし、そうは参りませんでした。その頃の儂の肉体は、既に朽ちかけていたからです。そんな時、儂の精神に直接語りかけてくる存在があった。その存在は言いました……。生きる希望を失い、肉体はまだ無事なのに魂だけが死に、今まさに失われようとする身体がある、と。その身体を受け継いでみないかと持ちかけられ、儂は一も二も無く飛びつきました」
「まさか……、その魂とは……」
「お察しの通り、この肉体の前の持ち主。ディーアネイラ殿の……、ご子息の魂でございます」
「ああっ……、そんなっ……」
ディーアネイラは再び俯いた。しばらくハークは無言のまま、ディーアネイラの嗚咽がおさまるのを待った。
「これが……、一年前の出来事でございます」
「……だから……、あなたにそれ以前の記憶が無かったのね……?」
「はい」
「ねぇ、……どうして、息子は死んだの……?」
「辛い話になります」
「解っているわ。でも、我が子が死んだ原因くらいは知っておきたいの」
迷いはないようだった。
「分かり申した。ここからは儂も前後の状況から推察し、また伝聞によって導き出した経緯にございます。従って、幾分かの憶測が入りますのでご理解くだされ」
ディーアネイラが頷く。それを受けてハークは大きく息を吸い込んでから、話を再開した。
「ご子息は、モーデルの古都ソーディアンに巣くう闇の組織に当時所属していた、古都三強と呼ばれる実力者の一人に眼をつけられていたようです。街から外に出たところで手下を含み三人で襲われました。後から知ったのですが、当時はまだ精霊獣ではなかった虎丸と、その古都三強の男とは同レベル程度だったらしいのです。対して、ご子息には戦う力はございません。多勢に無勢。追い詰められて崖から落ちたか、あるいは……」
「逃げられないと悟って……」
「……はい」
ディーアネイラは唇を噛んでいた。
ここで、ハークは敢えてヴィラデルの名を出さなかった。出しても無用な因縁が増えるだけだからである。
それに彼女は関わってはいたものの当事者でもないし、厳密に言えば前人格のハーキュリースの魂が消失した直接的な原因ではない。その直接的な原因を、敢えて上げるとするならば、思春期の少年の憐れな独り相撲にあったのだから。
ヴィラデルの名を出すことは、そういった前人格の不名誉な部分にも触れる必要がある。そんな年若い死人を鞭で打ち、墓をわざわざ泥で汚すような真似など真っ平御免だった。従って、前人格の遺書も出さない。
「その……息子を殺した三人組はその後、どうなったの?」
「殺しました。……儂と、虎丸で」
「そう……」
ディーアネイラは再度俯くと、今度は眼を閉じた。失った息子の冥福を祈るかのように。もしくは、心の中で亡くなった子に向かって声を掛けていたのかも知れない。
ハークは頭を下げつつ言う。
「申し訳ありませぬ。ご両親を、儂はご家族を謀っておりました……」
とても許されることではないと、確信しながらの謝罪だった。罵られ、今すぐアルトリーリアから出ていけと言われるであろうと、この時のハークは予期していた。
が、次のディーアネイラからの反応は全く違ったものだった。
「仇を……、討ってくれたのね……」
「は!?」
「は!? じゃあないわ。……ありがとうね」
「ご、御母堂様?」
ディーアネイラは顔を上げる。その顔は、泣き腫らした眼であったとしても、先程までの絶望に沈むような表情ではなく、どこか吹っ切れたような感じであった。
「その、ゴボドーサマって言うの、やめなさい。何か変な気分になるわ」
「い、いやしかし……、儂は息子殿の身体を奪ったようなもので……」
「違うわ。それはあの子の、行動の結果よ。そうでしょう? あなたはむしろ、あの子が残してくれた忘れ形見のようなものよ」
その言葉を聞いて、不覚にもハークは涙が出そうになったが堪えた。
在りし日の虎丸からかけられた言葉を思い出した。
〈強いのだなァ〉
そうとしか思えなかった。無論、心が、である。
納得できぬこともあるだろう。胸にわだかまりもあることだろう。しかし、その全てを抑えつけて、彼女は両方のハークを肯定したのだった。
「だから、今のあなたも私の子に変わりはないわ。……ン? 私の子が残したものなのだから、もしかして孫になっちゃうのかしら?」
にこりと笑うその顔に、最早含むものは一切感じられなかった。まるで気圧されたかのような感覚でハークは言う。
「まさか……。あなたをお
「あら、嬉しいわ。なら、私を母と呼んでくれる?」
「……はい。あなたさえよろしければ、……母上」
「よろしい」
彼女は立ち上がると、膝立ちのハークを見下ろしながら、溜息をついて言った。
「……はぁ、そうなると、もうあなたは病人でもなくなるのよね?」
「む? ……確かにそうかも知れませぬ。失った訳ではなく、儂は元から持っていないだけ、ですからなァ」
「そう……、残念ねエ。もうあなたを引き留める理由がなくなっちゃったわ」
おどけて言う彼女に合わせて、ハークもつい冗談で返してみる。
「申し訳ございませぬ。元来、記憶にゃあとんと自信が無かったものですから」
その言葉を聞いて眼を丸くした母ディーアネイラの顔に、まずったかとも思ったハークだが、彼女はすぐにこらえきれぬようにころころと楽しげに笑った。
「ふふふっ。あなた、前世ではかなりモテてたんじゃあないかしら?」
ハークはぎくりとした。まるで正真正銘の母に、「あなた女遊びが過ぎるわよ、気をつけなさい」と注意された心持ちである。
「い、いえ、そのようなことは……。前世では容貌が恐ろしげでありましたので、中々に敬遠されておりましたゆえ……」
「そうなの? じゃあ、手練手管で押す感じだったのかしら?」
「ああ、いや、ご勘弁ください……」
尻すぼみになるハークの言葉。完全に言いくるめられている光景に、後ろの虎丸があんぐりと口を開けて驚いていたのだが、それに気づく者はいなかった。
ひとしきり笑った後に、ふうっ、と息を吐いた後、ディーアネイラは改めて言った。
「でも、本当にあなたを引き留める理由がもう無いとしたら、私も、ちゃんと送り出さないといけないのね」
隠しようもない、寂しさを含んだ声音であった。どこか諦念さえ感じられる。
「……よろしいのですか?」
ディーアネイラはハークを見て、しっかりと肯いた。
「ありがとうございます。いいや、申し訳もございませぬ」
「いいのよ。謝る必要なんかないわ。お父さん、あなたのお祖父ちゃんからも、こう言われたの。『ハークを森都アルトリーリアの中に強引に押し留めることは、エルフをも含めた世界全体にとっても損失となる。そう評価する。無論、あの子にとっての成長と、未来にとってもだ』ってね。私は世界だとか、そんなのにあまり興味はないし、わからない。だから、あなたを最大限に評価したお祖父ちゃんの言葉を信じてみることにするわ」
「身に余るお言葉に過ぎますよ。精々が、今のモーデルに必要なだけでございます」
さすがに大袈裟過ぎる。モーデル王国全体すら飛び越えて、大陸どころか世界などと。しかし、眼の前の母と、祖父は違うらしい。
「いいえ、私はそうは思わないわ。あなたのお祖父ちゃんの『先を読む』力は確かだもの。それに、六十一年前、あなたが生まれた時に、私はこの子が世界を変えるような子になるって感じたわ。本当よ? 後でお父さんに聞いてみるといいわ」
「そ、そうなのですか?」
「ええ。……さっ、そろそろお家に戻りましょう。お父さんは一度寝ちゃうと中々起きたりしないけれど、もし起きていたら凄く心配しているわ」
「あ、はい。そうですね」
膝立ちのままであったハークはここでようやく立ち上がり、二人は連れ添って家に向かう。
だが、歩き始めて数秒もしないうちに、ディーアネイラがハークの方向に振り向いて語りかける。
「ねえ、ハーク。アナタのセカンドネームの意味、わかる?」
「い、いえ。分かりませぬ」
「ヴァンはヴァンガード。先駆者、っていう意味なの。今思うと、あなたにぴったりだった……のね」
「母上……。光栄です」
「いいのよ……。あなたはあなた。その道を、貫きなさい」
「はい、必ず」
それは、改めて親子となった者たちの、再びの別れの言葉。
その時、やわらかだが確実に風が吹き、花の舞が二人を包んだ。
日毬の放った魔力の残滓が周囲にほんの少しだけ漂っていたが、『精霊視』を持つ二人共、気づくことはなかった。
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