393 第23話25:Mother
「母上、いかがなされました……」
そう言葉を発しながら、ハークは左手で、虎丸が自身の前に出ようとするのを抑えつけていた。ハークを守ろうとしたのだ。虎丸にとってはいつもの行動である。
母ディーアネイラの手には、一本の杖が握られていた。
先端部に、魔法発動とその威力を底上げする『補助法器』が明らかに組み込まれている。ハークの籠手内部にも、両碗部分に仕込み備えつけられているものだ。
ただし、遥かに大きい。一目瞭然なほどに、この世界の魔法使いの武器としての杖であった。
「どうかした、って聞きたいのはこちらの方よ? こんな時間に一人で出歩いて、一体どうしたの、ハーク?」
口調は今までと変わらぬ優しげなものだが、表情が違っていた。先程までの笑顔はない。ハークの眼からすれば、思いつめた表情にも感じられた。
ゆっくりと近づいてくる母。
それがどうしようもなく自身の心臓を早鐘と打たせる。ただ、危機感はない。不可思議な焦燥感だけがあった。
「そ、そうですな……。少し夜風に当たりたく、散歩に出ていました」
「ふゥん、そう……」
どこか興味なさそうに応えて一度立ち止まるディーアネイラ。目線もこちらを向いていない。
その様子を視ても、ハークの動悸と胸騒ぎは全く治まる様子がなかった。
次いで、彼女は驚くべきことを言った。
「やっぱり……、あなたは私の息子、ハーキュリースじゃあないわ」
「は!?」
一瞬、何を言われているか分からなかった。次に頭に浮かんだのは、つい先程の虎丸との会話を聞かれていたのか、ということだった。
だが、あり得ない。
虎丸から送られる念話の内容を盗み聞くことはできないし、ハークからの言葉も周囲に届くほどではなかったはずだ。いかな良質なエルフの聴覚とはいえ、届くまでの範囲内にまで近づけば虎丸どころかハークでも感知できる。
「一体、何を申されますか……!?」
彼女の視線は、いまだハークに向いてはいなかった。
「あなたの姿は……、間違いなくハーキュリースのもの。それは間違いないわ。ケイロンや、お父さんからすれば、疑う余地なんかないでしょうね……。あなたと面と向かって話をすれば、私も同じだった……」
「…………」
ここでディーアネイラはハークの姿を視線の中心にとらえる。
「けれど、あなたはどこか違う! どこと、なんてキチンと言えはしないけれど、あなたの姿を見ずにあなたの言葉を聞く度に、私の、母親の勘が『違う』って感じるの!」
「な!?」
ディーアネイラは言い終わるや否や、持っていた杖を身体の正面に構える。明らかな戦闘態勢であった。
「母上、何をなされるおつもりか!?」
「百五十年前、まだ魔族の封印が不完全だった頃、世界には
ハークの『精霊視』が、ディーアネイラの魔法発動の兆候を捉える。しかし、この期に及んでもハークの危険感知能力が作動しない。むしろ至近距離の方から立ち昇ってきているのが感じられた。
『虎丸! 待て! ディーアネイラ殿に手を出すことはまかりならん!』
『なんでッスか、ご主人! あれはご主人を攻撃しようとしてるんッスよ!』
『それでもだ! 儂が何とかしてみせる!』
主従が念話で言い争う間に、彼女の魔力構築が完了する。
「きっと、とても強力な『悪霊憑き』だと判断するわ! でも大丈夫! きっと私が治してみせる! 『
「ぬう!?」
この世界に目覚めたばかりの頃のハークであったならば、魔法という知識を全く得ていない頃のハークであったならば、害意はなくとも何かしらの行動を余儀なくされていたところだ。
しかし、今のハークは違う。ハークはディーアネイラが発動した魔法が火属性の初級魔法であることを知っており、しかもその魔法が全く攻撃力のない、周囲を照らすだけの効果しかないことも理解していた。松明の代わりとなり、持続時間が長く消費魔法力も低い。ハークも一応習得はしているものの、夜目が異常に効くようになったために使用する機会はほぼ無かった。
何をしたいのかが解らず戸惑う。虎丸とて同様だった。ディーアネイラは直前まで、ハークに何かしら攻撃の意思を示す言動をしていたのだから尚更である。
そして、彼女は続けてもう一つの魔法を放つ。
「『
今度もまた、拍子抜けであった。『
どう考えて脅威とはならない。そう判断したハークと虎丸の前で異常が起こった。
『
「うっ!?」
「ギャンッ!?」
「きゅ!?」
突然の異様なほどの発光に、ハークや虎丸どころか日毬さえも眼を眩まされる。
が、少なくともハークの視界は即座に回復した。エルフ特別製の瞳は、そういうふうにできているのだ。
「は……
ディーアネイラは既に構えを、攻撃態勢を解いていた。そして観察するかのように、こちらに視線を送っている。そんな彼女の様子を視て、一応の行動の完了を悟ったハークは彼女に向かってそう訊ねた。
しかし、直後、彼女の両眼が大きく見開かれた。
「え……? 変わって……いない……?」
「は? 何が、でございますか……?」
「え? 嘘……。私、間違った……?」
彼女の言葉は要領を得ていない。ハークの言葉も、まるで届いていないようであった。
「わ、……私……、な、……なんてことを……」
次いで、彼女は身を震わせ始めた。寒さに震えるように。そして、杖を落とした。
「は、母上様!」
ハークはそんなディーアネイラに近づこうとしたが、虎丸がその進路を塞ぐ。
ハークの視界の中で、彼女は大粒の涙を流し始めた。
「……ごめんなさい……。私、私……、自分の息子のことを信じられないばかりか……、悪霊扱いするなんて……」
ぼたぼたと足元の草叢を濡らす母の涙は止まらない。
それを視て、ようやくこれ以上の危険はないと判断したのか、虎丸が道を開けてくれたのだが、ハークの脚が前に進むことはなかった。
その代わりと言うべきか、ハークは、ディーアネイラが何をしようとしていたのか、大体察することができていた。
母が大方を省略する形で説明していたので情報が断片的ではあるが、どうも昔に滅びた魔物がいたらしい。どうやらその魔物は、前世では実際に見たことはないが噂で何度か聞いたことのある妖怪のように、人に憑りつくことができたらしい。
彼女は、ディーアネイラはハークがその状態であると判断し、息子を治療するがために、先程の強い光を放ったのかも知れなかった。
「……う……う、うう……。ごめんなさい……、私、……母親失格よね……」
遂に膝をつき、泣き崩れていく彼女の姿を見て、ハークは強く心を揺さぶられた。
確かに彼女の言う通り、ハークは『悪霊憑き』ではなかった。だが、状況としては同じようなものだ。
消えたこの身体の元の人格、本来の少年の魂が失われた肉体に、別の人格、今の自分の魂が入り込み、奪ったようなものだった。
彼女は見事に言い当てていたのである。ハークの人格が変わっていたことに関しては。
自分の卑怯な韜晦に惑わされることなく。
凄まじき洞察力、観察力だった。
母とはこれほどのものか、そんな思いをハークは抱かされていた。
そして方法は兎も角、正しき判断をした彼女が涙をこぼしながら謝罪の言葉を吐く光景を見るのがつらく、居たたまれなかった。
今すぐ近寄って、その震える肩に手を置いてあげたかったが、そんなことに何の意味などないことがハークには解っていた。
意味がある行動は一つ。
決意をこめて、ハークはその行動を選択した。
「
『ご主人!?』
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