392 第23話24:母親




 外へと飛び出たハークは、虎丸や日毬を伴い、当て所なく真夜中のアルトリーリアを進んでいた。

 灯篭の灯りがぼんやりと、だが確実に道を照らしてくれていて、歩くのに難儀はしない。


 ゴーレムが数体、ハークの姿を発見して首を傾げていた。こんな時間に出歩く者なんて、滅多にいないということだろう。


 考えなしでありながらも、その足は自然と目的地を求めてしまうものである。歩いているうちにハークは、夕暮れ時に両親と見たあの桜の巨木を目指していた。


「美しいなぁ」


 果樹園を抜けた先に広がる、桜色の花弁舞い散る光景に、ハークは素直に己の感情を述べた。


「きゅーん」


 ついてきてくれた日毬が虎丸の頭上で同意の意を示して囀る。ハークと同じく、この光景に見惚みとれていたようだ。


『ご主人……、何か、悩んでるッスか?』


 しかし、虎丸だけは別だった。無論、虎丸とて美しいという感情はある。いや、厳密に言うと、そういうものは全て『居心地が良い』という感情に虎丸の中で集約されるのだが、それだけに主人の感情に注目できていた。

 そして、そんな虎丸の眼に間違いなどなかった。


「儂が悩んでおる……か……。確かにな……」


 ハークは顔も向けずに答える。声もたどたどしく、小さい。打てば響くようなハークにしては珍しいことであった。


 そもそもが、悩んでいるという状況自体がハークにとっては珍しかった。

 翻って鑑みても、ここまで深く悩み、自身の行動の結果に思い悩んだこと自体が記憶に無い。無論、六十を超えた前世の年月を含めてもだ。

 彼は訥々と己の考えを口に出した。


「この森都アルトリーリアから逃げ出そうとするのであれば、造作もない。お主と日毬がいれば尚更だ」


『そうッスね』


「だが、その行為は儂だけでなく、多くの、この一年間に知己を結んだ人々全てに迷惑をかけることになる。追手がかかればモーデルも無視することはできん」


『そうッスね』


「だからと言って、このままこの都市に留まっている訳にもいかん。仲間たちとの約束があるのだからな」


『そうッスね。そもそもここでの生活は、ご主人の夢にとって不必要な期間となるッス』


 小さな風が起こり、花吹雪が増した。

 虎丸の言う通りであった。ハークの夢、最終目標は剣の頂、極みの頂点、これを掴むことにある。


 実は、ハークは最近、この自身の最終目標に少し近づくことができたのではないかと思えるようになっていた。

 姿なき概念のようなものだが、その尻尾を掴むことくらいはできたのではないか、とも思っていた。

 が、それも実戦無き世界では、今以上に進むことなどできはしない。一人修練で技を磨こうとも、想定する相手が存在しなければ意味など皆無だ。

 掴みかけた実感も泡と消えることだろう。


 相方の、ぐうの音も出ぬほどに完璧な理解による言葉に、ハークは振り返った。


「御母堂様を説得できなかった場合の、想定が全くもって上手くいかぬ。堂々巡りだ……」


 溜息すら漏れそうなほどに、素直な感情を吐露していた。

 すると、虎丸が意外なことを語り始めた。


『ご主人。ご主人は先代に遠慮でもしているッスか?』


「遠慮?」


 先代とは恐らくハークの前人格のことだろう。彼に遠慮とはどういう意味なのか。

 虎丸の真意はすぐに解った。


『先代の行動は、オイラには残念だったッス。けれど、それは先代の責任ッス。ご主人が負う必要なんかないんッスよ? だから、ご主人が先代の代わりに、先代の両親に遠慮する必要なんかもないと思うッス』


「儂が、あの二人に遠慮している? そう視えたのか?」


『はいッス』


 ハークはしばしの間、己が考えに沈む。虎丸の指摘が理に適っているかどうかを確かめるためだった。

 だが違う。虎丸の言う、先代のことは一瞬たりとも頭には上らなかった。影響は全くない。

 だから、そんなことはないよと否定の言葉を吐こうとして、ハークははたと気がついた。


 虎丸に、この世界で恐らくは一番に自分のことを理解してくれている他者に、両親に対しそこまで遠慮していると思わせた要因は何か、と。

 そこまで考えて、改めて今までの自分の行動に翻ってみると驚くべきことに気がついた。

 ハークはその事実を一つ一つ、再度言葉に出そうと試みる。


「違うのだ、虎丸」


『え? 違うッスか?』


「ああ。儂がご両親二人に遠慮していると思ったのであろう? だが、何故遠慮する必要があるのか。それが判らぬから、お主は先代と結びつけた。そうではないか?」


 虎丸は肯いた。


『そうッス』


「虎丸の言葉で今更ながらに気づかされたよ……。確かに、儂はご両親のことを慮っていた。……仲間たちと彼女らとの約束、それと同列近くにまでお二人のことを考えていたのかもしれないな。滑稽な話だ。お主に指摘されるまで、全く分かっていなかったよ」


 虎丸が首を傾げる。その頭の上に未だ乗ったままの日毬まで虎丸の真似をして首を傾げるものだから、大変に和まされてしまった。

 肩の力が抜けたハークは、そのまま続ける。


「昨日今日会ったばかりの他人を、何故に儂がそこまで慮る必要があるのか。その理由が解らずに、だからこそ虎丸は儂がご両親に遠慮していると思ったのであろうが、そうではない。儂は……、儂自身があのご両親を尊敬してしまったのだよ。敬愛、いや、親愛の情を持ってしまったと言ってもいい。不思議なものだな……。儂の、ではなく、そうだ、お主の言うように、先代のご両親であるというのに……」


 ハークがここまでの心境に陥った原因に、ここまで来てハーク自身もようやく思い至っていた。彼ら両親二人、父ケイロンと母ディーアネイラから受ける、混じりっ気のない愛情によって、である。

 それは、ハークにとって新鮮なものだった。

 前世とて父なる者、母なる者はいたが、今世の父母に比べれば月とスッポン、天と地ほども違いがある。前世の父母などに、ハークは愛着など抱いたこともなかった。互いに好き勝手生きていたし、むしろ邪魔だと思っていたくらいである。故郷を出た後も、特に思い出すこともなかった。一度たりとも帰ろうなどと考えに上ることすらなかった。


「不思議なものだなァ……」


 ハークは再び自嘲するように言った。

 本当に心から不可思議な思いだった。彼ら両親二人を心から傷つけたくはないのだ。これまで苦楽を共にしてきた仲間と同列くらいに。


 仮に、そうもしも仮に、であるが、もしあの二人が何者かに襲われ、その身を傷つけられたとすればハークは怒り狂うだろう。

 眼の前の存在が傷つけられた時と、全く同じように。


 以心伝心。肉親の絆にも似た主従はどちらかともなく寄り添い、そして一方は桜の巨木を向いて座りこみ、もう一方は彼の横に寝そべった。

 触れ合いながら、お互いの体温を感じながらも、共通の妹分が飽きて周囲を飛び回り始めても二人はそのままであった。



 どれくらいそうしていたのか。

 ふと、虎丸の耳が揺れた。それを感知して、ハークが己の感知能力を全開に引き上げる。


『ご主人……』


『うむ。分かっておる』


 両者は同時に立ち上がる。次いで、身体ごと後ろへと振り向いた。

 二者の視線の先には、一人の人物、その人影があった。


「母上……」




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