391 第23話23:未来選択




 この後の行動によるハークの未来は、恐らく三つに分岐していた。

 一つは何とか両親を説得して、穏便にこの都市を去る未来。

 これが一番良いに決まっている。

 幸い、父親であるケイロンは、ハークのこれまでの実績を内心はどうあれ冷静に評価してくれている。今は母親であるディーアネイラの意見に引っ張られているが、彼自身本来の意思としては、自分たちの感情と都合、ハークの望みとその成長とを天秤にかけて後者が勝っているようだった。母さえ説得できるならば、といったところである。


 ただ、その母が問題だった。彼女は自身の息子の評価と実績を考慮の対象にも入れていない。

 しかし、それも納得だった。過去の記憶を失っているハークは病人。病人は自分の家で療養するのが普通だ。至極尤もな話である。治るものである、と考えるならば。

 正直に語るしかハークには考えつかなかったとはいえ、彼女にだけは半ば自業自得めいた結果となってしまった。


 二つ目は、恥も外聞もなく逃げ出す未来だ。

 元々、時間制限もあることだし、どうしてもの場合はそれしかない、と事前に決めていた。

 だが、相当に悪手である。


 脱出が困難であろう、という意味ではない。実際にやってみねば分からないが、むしろ簡単なのではないだろうかとハークは予想している。

 この都市はそういう構造をしていた。外から中に入るのは非常に困難であろうが、中から外へ出るのは比較的容易そうであった。だからこそ、前人格のハークですら、脱出に成功できたのである。ほとんどは虎丸頼りだったとしても、だ。


 今はその時より遥かにこちら側の条件が優れている。

 ハーク自体の実力は大きく伸び、天変地異を引き起こす日毬も加わった。さらに肝心の虎丸は精霊種に進化、その身体能力と感覚器官の鋭さは今更言うに及ばずである。


 能力的にはできぬ筈はなかった。森都アルトリーリア側がハークの家出を受けて、何らかの対応策を新設していたとしても同じ事だ。

 今のハーク達を穏便に止める手段など無い。ハーク一人ならば兎も角、虎丸と日毬まで加えて考えれば取り得る手段は無限に等しい。


 問題は、外へと脱出した後の話だ。

 外界で暮らすアルトリーリア出身のエルフ達、例えばデメテイルなどは全員追っ手と化すことだろう。ひょっとすれば、一度は理解を示してくれた祖父、ズースまでをも敵に回すことになるかも知れない。


 ただ、敵とは申せ、こちらは命を狙われるどころか傷つけようとすらされることはないであろう。追っ手となる者達の目的は、ハークを無事にアルトリーリアへ連れ帰すことなのだ。

 それがまた、ハークにとってはより厄介となる訳であるが。

 敵意の無い相手と戦えるワケがない。口惜しかろうが都合が悪かろうが何だろうが、逃げの一手のみしか選択肢は無いのである。


 しかも、それだけではない。森都アルトリーリアがモーデル王国の重要な一部である以上、エルフ以外であっても、公的な立場を持つ者たちとは表立って会うことができなくなってしまうことだろう。

 エルフの里であるアルトリーリアは、高性能な法器を生み出す超重要な拠点だ。巨大国家であるモーデルの本領とて、ハーク一人のためにエルフ達全員の意向を無視することはできまい。


 つまりは、この一年にて強く縁を結んだほとんどの人物と、表立って堂々と会うことはできなくなるのである。

 具体的に挙げていけば、アルティナとリィズ、その父ランバートに部下のフーゲイン、エヴァンジェリンやオルレオンのギルド長ルナもだろう。そしてソーディアンのギルド長を務めるジョゼフに先王ゼーラトゥース、配下のラウムともだ。


 例外はシア、シン、モンドの三人くらいだろう。冒険者随一の実力者として大陸中に名を轟かすモログとて、怪しいものである。

 大体からして先に挙げた三名も、何かしらの役職に引き上げられてしまえばこれまた同じだ。衆人環視の中では大っぴらに話もできなくなってしまう。特にシアはワレンシュタイン軍により既にお声がけを貰っている身だ。下手をすれば彼女の未来にまで悪影響を及ぼしかねない。


 つまりは、そういった生活が成人に至るまでの約四十年間続くのである。

 如何なハークでも、想像するだけで息がつまりそうだった。はっきり言って、極力選択したくない願い下げの未来であった。

 大体からして根本的に、逃げるとはそういう結果を招くのである。



 では、どうするか。それが残りの一つ、三つ目の選択肢につながっていた。

 この街、森都アルトリーリアに留まる未来である。


 今更だが冷静になって考えてみれば、もうほとんどと言っていいほどにモーデルの王位継承問題も解決に向かっているのだ。

 聞くところによると、第一王子アレス側は既に解体の状態に近く、対してアルティナ側は勝ち馬に乗るが如くに続々と戦力が集結しているという。

 その戦力と状況の差は、既に波乱は無いとまで言えるくらいなのだ。


 従ってハークの出番もほぼ無い、という公算が成り立つ。

 何かあるとしても、アルティナの傍にはランバートを始め精鋭たるワレンシュタイン軍にシア、ヴィラデルまでついている。おまけにハークの祖父であり、現在の彼よりも二レベル高いズースまでも、有事の際にはアルティナに力を貸すと約束してくれているのだ。

 ハーク達が必要とされているのは、主にアルティナの心の支えとなることであり、残りはまさかの中のまさかの事態に備えて、の意味くらいだった。言わば、圧倒的優位に立とうとも勝負が完全に決するまでは気を抜かぬという行為に近いのである。


 以上のことを踏まえれば、母を説得するまでこの都市に留まるのも、決して悪くはない選択肢の筈だった。

 何より、ハークはこの森都アルトリーリアに強く興味が湧いてきていた。

 さらに言えば、自らの種族でもありながら、エルフ族というもの自体にも興味が湧いてきていたのである。


 さっきの夕餉の席のことだ。昼間の集会でも話題に出たが、帝国のキカイヘイに対する詳細を尋ねられた際に、ゴーレムの技術を流用された可能性があると答えた後のことだった。

 呆れ半分、感心半分のような口調で、母ディーアネイラはこう言っていた。


「やっぱり外界のヒト族たちって、今でも技術を戦争に流入することだけに限っては、私たちエルフには想像もつかないような考え方をするものなのね……。ねぇ、あなた」


「そうだね。やはりヒト族を含めて外界に技術を伝えるのは、慎重を期さなければいけないようだ」


 和やかな夕食の最中、そこだけ表情を悲しげに変えた父ケイロンの言葉が印象的であった。


「父上。それはもしかして、『長距離双方向通信法器デンワ』の小型化技術のことでしょうか?」


「おや? 知っているのかい?」


「はい、デメテイル殿に少しだけ」


「そうか。それだけではないけれど、それも重要なものの一つに含まれているよ。大体からして、僕とディーアネイラは『長距離双方向通信法器デンワ』の技術を外界に伝えること自体にも反対していたんだ。まだ時期尚早だとね」


「結局、いまだに外界ではびこる犯罪組織に利用されているようだものね」


 ハークは言い返さなかったが、結局は何であっても使う者次第なのである。現に、モーデルでは正しく使用している者たちの方が多いだろう。

 それに都市としての規模が大きくなって、見知らぬ隣人が増えていけば、裏組織が発生するのはある程度の必要悪でもある。潜み隠れる場所が増えるからだ。それともエルフ族は、そういったものも乗り越えられる自信すら持っているのだろうか。


 いずれにしても、もう少しこの地に留まれば、そういったエルフ達の隠された技術にも少しは迫れることだろう。それには純粋に興味があった。


 ところがである。

 そんな穏便な未来を、ハークが選択する筈などなかった。

 仲間たちとの約束の件もあるが、それよりもまず、この地の平和な生活に自分が完全に馴染める筈はないと確信できるからだった。


 表面上は何事もなく過ごせたとしても、確実に在りし日の選択を後悔する時が来る。

 この街は平和過ぎるのだ。戦いの気配が全く無いのである。


 驚いたのは、たった一年前に故郷から出奔した小僧っ子の餓鬼が、外の世界でけっこうな有名人になりましたと帰ってきたというのに、誰も腕試しを挑んでこなかったということだ。

 前世だったら、調子に乗った餓鬼がと誰かしら腕っぷしの強い野郎が喧嘩を吹っ掛けてくるだろうし、今世でもエルフ以外の他種族であったら模擬戦くらいなら当然に申し込んできたに違いない。『特別武技戦技大会』後のオルレオンでの日々がそれを充分に証明していた。


 如何に平穏を常とする集団であろうとも、腕相撲くらいは挑まれるとばかり思っていたが、正直なところ当てが外れてしまった。


 ハークはベッドから一人起き上がり、窓から外を眺める。

 ここに居る限り、穏やかで優しい日々が流れていくことだろう。


 だが、ハークは武人。戦いの徒なのだ。

 戦闘の気配すら皆無と言えるこの都市で、何年何十年と平穏無事に過ごせるとは、とても思えなかった。


 ふと、蛍のような光が眼に入った。

 日毬であった。

 暇つぶしがてらにひらひらと飛び回っているようだ。その姿に誘われるかのように、ハークは窓から外へ飛び降りた。




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