390 第23話22:家族②




 全く記憶には無いが、自宅だという場所への帰り道も驚きの連続だった。

 名も知らぬ花が小道のあちこちに咲いている。鮮やかで花自体が大きくて存在感があった。

 初めて見る果物も多くある。細長くのびる葉が重なるよう無数に生い茂り、その中から先程の桃よりもわずかに大きい楕円形の果実が顔を出していた。鮮やかな黄色が端にいくに従って茜色に色づいていく。まるで夏の太陽を思い出させた。こちらも独特の甘い香りを撒き散らせていた。


 ハークは知らぬことであったが、どちらも南国のものである。本来の、アルトリーリアの気候からすればこちらが主であり、むしろ今まで見てきた作物、花、果物の方が生育が難しいのであるが、そこは森都アルトリーリアに住むエルフの技術力によるものであった。


 自宅だという大木の幹に直接備えつけられた木製の扉の前で、少しだけ悶着が起こった。

 どうもエルフ族には、特に森都アルトリーリアに住むエルフ族には従魔を住宅の中に入れる習慣が無く、自宅脇に建てられたうまやのような小屋にて夜は休ませるのが通常だという。実際、ハークが家出する前であっても同様であったらしい。虎丸は基本的にそこにいたようだ。


 郷に入っては郷に従え、とは申せ、この世界にて覚醒してより常に傍らに居てくれた存在が、恐らくは壁一枚か二枚隔てた程度とはいえ、互いに視認不可能となる場へと離れるのは、ハークにとって些か不安に思えてしまった。


『ダイジョーブッス、ご主人。ここアルトリーリアの中であれば、危険なんて有る筈も無いッス!』


『そうだな。虎丸の言う通りだな』


 日毬を背に乗せた虎丸にもそう励まされてはハークも弱音を吐く訳にはいかない。そう思って覚悟を決めると、ディーアネイラが話しかけてきた。


「あら、ハーク。従魔さんとお話?」


 ハークは一瞬絶句する。またも驚いていたためだ。感知されるかのような兆候は無かった。


「驚いたかい? ディーアネイラはお前と同じ『精霊視』持ちなんだ。僕には無いから、ハークの『精霊視』は、お母さんからの遺伝だね」


「ズースお祖父ちゃんも、持っているわよ」


「そうだったのですか」


 どうやら母方からのものらしい。そういえば、鏡で見た自分の姿と、母の顔はよく似ていた。どうやら自分は母似なのかも知れない。


 家の中に入っても驚かされてしまった。大木の中にそのまま納まった家の内部は、思った以上に広い。とは言っても、見える限り土間と炊事場しかない。小さなゴーレムが水場にいて、米を洗っていた。


「さて、それじゃあお母さんは食事の支度をするからね」


「ハークは僕と上に行こう」


 そう言って父に連れられて、人が三、四人入れば座るのも難しい狭い部屋に入る。

 ケイロンが何かの突起物を押し込むと、扉が閉まり部屋全体が動き出した。


〈これは……!? 上っている!?〉


 部屋全体の動きが止まったと感じると同時に扉が開いた。その先は先程の土間と炊事場の光景ではなく、明らかな居間になっていた。

 つまりは二階に移動したのか、と理解すると同時に、もうこれ以上に驚愕することもないかと思っていたハークの精神が、更に揺さぶられた。

 テーブルと椅子の、外界でも一般的に見られた食事場とは別に、窓の近くに畳の間が存在していたのである。

 い草が下に存在していた時点で予想しておくべき事柄であったかもしれない。


 ただ、動揺するハークをよそに、父ケイロンは水を発生させる法器より筒のようなものに水を汲み、テーブルに置くとまたも指一本で取っ手部分の端っこの突起を押した。

 この街では指一本あれば充分であるのかもしれない。下手をすると、手首から上の筋肉を使う機会がない可能性もある。男性も女性も、この街では漏れなく筋肉質な者は一人もいなかった。


 水を入れた筒のようなものも法器のようで、気がつくと筒の脇についた取っ手と逆側の注ぎ口から蒸気を吐き出し始めている。その湯を使って、ケイロンは茶を二ついれてくれた。

 またも懐かしい香りに包まれてしまう。畳の匂いと合わされば尚更だ。

 ふうふう、と少し冷ましてから飲んだ。外界にも茶はあったが色が違う。こちらのは薄い緑色であった。

 茶には詳しくなかったが、苦さが引き立つ挽き茶とは違い、非常に飲みやすい。前世のものよりこちらの方が喉を潤わせるには良いかもと思えた。


 共に喫茶しつつ、父と一対一で少しだけ話す。

 父ケイロンは話好きというほどでもないが、前世によくいた黙して語らずといった訳でもなく気さくに応対してくれる。

 先程の、名も知らぬ見たこともなかった植物や果実の事を聞いているうちに、それが解った。道理にも明るい人物でもあるようで、ズースよりこの街に伝えられたという今の自分についての仔細を尋ね聞いているうちに、ハークは少しだけ話題を一歩踏み込んだものに変えてみることにする。

 自身が森都アルトリーリアの外、所謂外界で暮らすことについてであった。


「いかがでございましょうか?」


「……そうだね、僕としては、父さんとしてはお前にはこの都市の中にいて欲しいと思うよ。それにお義父さん、お前のお祖父さんであるズースさんも言っただろうが、お前は実際に子供だ」


「しかし……」


「まぁ、最後まで言わせておくれ」


「は、はいっ」


 焦ってしまった己を恥じ、ハークは心を落ち着けて口を噤んだ。


「本来ならば、お前は僕らが護って当然の歳であり、護られるべきなんだ。けれども、お前が他者から必要とされ、国からも評価される実績を重ねて、しかも大きく成長を遂げて帰ってきた、この事に関して単純に僕は、お父さんは嬉しく思うよ。そう考えれば、お前の幸せはここにはないのかもしれない……。お前の望みを無視して、この地に閉じ込めてしまうのは、お前の、今現在の成長を封じる結果にもなりかねないと、今の僕は考えてきているんだ」


「父上……」


 独善でもなく、ましてや前例にとらわれるでもなく、眼の前の人物は息子のためだけを一点に思っていた。それがハークを感動させる。

 自己の矛盾した思いを、ほぼ完全なまでに断ち切って語っていた。父なるものはこれ程のものなのかとも感じ入ってしまう。


 だが、それを遮るものが現れた。


「ダメよ」


「ディーアネイラ……」


「母上……」


 食事の支度を終えて、ゴーレムと共に台車で二階へと運んできたディーアネイラであった。


「ハークは記憶喪失。だったら治るまで、元の記憶を思い出すまでが治療期間。そうでしょう?」


「うん、そうだ。そうだよな……」


 先程の聡明な様子が鳴りを潜め、ケイロンは自らの妻であるディーアネイラの言葉を認めるのみとなる。しかし、ある意味、父の言葉とは別の角度での筋が通っているだけに、表立って否定しにくいのも確かだった。


「さっ、ご飯にしましょう」


 彼女の言葉に、男二人は揃って賛同の意を示すしかない。ハークとしても、今の段階で先の話題を蒸し返す気にはなれなかった。

 そのお陰か、夕食の団欒は終始和やかに過ぎていった。




 数時間の後、ハークは自室だという部屋の中で、一人ベッドに横たわっていた。

 この部屋だけは、寝具を含め外界で見慣れたものばかりであり、ほとんど大差は無い。大木の木の幹の内部だということを除けば。


 大きな窓が一つあって、そこから外の様子を見下ろすことができる。やはり夜も幻想的だった。

 いや、随所に設置された灯篭の如き街灯の灯火ともしびが照らす光景は、一種神秘的にすら感じられる。そういう雰囲気を形作るため、計算して配置されているのかも知れなかった。


 この都市は、実際のところ多くの面でハークの精神を強く揺さぶっていた。


 人間の表層的な感受性に訴えかけるだけの、ただ単体で美しい建築物ならば、ヒトはいくらでも建てることができるだろう。

 相応の対価を支払えば。

 それこそ、氷の国、凍土国オランストレイシアの王都シルヴァーナで拝見した、宝石までをもふんだんに使用した、白亜の城ならぬ白銀に輝く城のように。


 一目見た最初の瞬間は、美しい以外の感情が湧いてくることはないであろう。しかし、周囲のくすんだ色合いの街と比べるとあまりにも落差がありすぎ、しかも長時間眺めていては周囲の灯りを跳ね返し過ぎてギラギラと眼が痛くなってきてしまう。


 しかし、この街は建物単体でも街並み単体でもなく、自然と一体化し、溶け込むように存在していた。

 元から美しい部分を活かし、新しく加えていくものをそこに寄せていく。それは、計算と経験に基づいた真理ゆえになのだろうかとも思えてしまう。


 しかもだ。そういった表面的な外観だけなく、この街は内面も非常に豊かだった。

 美味いものを喰い、水は清く豊か。だから人心は満ち、従って奪い合う必要もないから争いごともない。


 まるで伝え聞く桃源郷だ。桃が美味過ぎたからでは決してない。

 子供が自分しかいない事だけが問題だった。

 だが、彼らとて何かしら解決策を考えているとのことだった。ハークが出奔したからこそ、その問題と向き合えたと、昼間の集会の中で壮年にもう少しで届くくらいの年頃の夫婦が語っていた。


 彼らは、ひょっとすると、未来のモーデルなのかも知れない。

 このまま順調に時を経て、先へと進んだ姿なのかも知れない。

 恐らくは今は人口が落ち着き、停滞を見せている最中。

 だがきっと、また先に進み始める。川の流れのように。それは止めようとしても止められるものではないのだから。


〈そうか……。だからこそ、モーデル稀代の英雄『赤髭卿』は、どうしてもこの森都をモーデルに加えようとしたのではないのだろうか〉


 気づかぬとしても指針として。進むべき形、目標として。

 些かに、規模は小さいのであろうが。


 この都市を、何とかモーデル王国へと組み入れようと、最も尽力したのは『赤髭卿』だという。狙いはこの都市で造られる高度な法器とその技術であると、誰もが言う。しかし、それだけでないとしたら。


 気持ちは分かる気がした。

 我が故郷ながら、誇らしいほどであった。これほどとは想像すらもしていなかった。

 ハークがこの都市にもう少しの間でも滞在できれば、必ず得るものがあるだろう。そんな、予感めいたものまで頭に浮かんでくる。


 しかし、そうはいかなった。

 仲間たちが、待っているのである。




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