389 第23話21:家族




 アルトリーリアは美しい街だった。森の中にある都市だから森都、と考えていたがとんでもない。


 正に森の、森でできたみやこであるからこその森都なのだ。


 まるでやしろである。清く流れる場所はそのままに、淀み停滞する箇所にホンの少しだけ手を加えている。

 野放図で、繊細。

 どこからが自然のままでどこからが畑なのか。どこまでが道でどこからが草叢なのか。どこまでが森でどこからが家なのか。非常に曖昧だ。


 例えば道を示すがために石畳が敷かれているが、全て丸みを帯びた自然石である。石と石の隙間より短い草が生え、小道の脇にまるで元からあったかのように少し大きめの岩が随所に配置されており、所々が苔むしてもいる。

 さりとて小道の進路上に雑草が長く伸びたままという訳でもない。全て短く刈り揃えられていた。


 縦横に賽の目で伸ばされた小道を分断するかのように、か細い小川が幾つも流れている。水田に流れる用水路なのだが水はいささかも濁ってはいない。その一つ一つを乗り越えるための石造り橋が、これまた惜し気も無く架けられていた。

 欄干の朱色が緑の中で見事に映えている。現代日本で太鼓橋と呼ばれる構造をしているのだが、その知識はハークには無い。


 濃淡の様々な緑に、青く輝く水の色、そして欄干の朱色。これらを木々の間から降り注ぐ陽光が美しく彩っていた。

 小さな橋を渡る瞬間、下を流れる形を常に変化させる水面がきらきらとそれを跳ね返してもいる。


〈まるで切り離された別世界だ。エルフ達が外を『外界』と呼ぶのも解る〉


 幻想的な、街とは思えぬ街並み。木でできた、のではなく樹木そのものの家々がそれを助長していた。


 自分の両親だという人物に、片方からは肩を抱かれ、もう片方には手を引かれ進みながらハークの脳裏にはそんなどうでもいい考えが浮かんでくる。

 兎に角、この都市内に充満する茶畑の香りがいけない。否が応にも郷愁感を引き出されてしまう。

 己の故郷はここだ、帰ってきたんだと勘違いさせられてしまう。


 ふと、そんな茶畑の中に動く影を発見した。

 ずんぐりむっくりで、土気色の人形。それが枝の剪定、もしくは新芽の摘み取りをしていた。前世の熊、というか、どこかエヴァンジェリンを想起させる。

 その光景に閃くものがあった。前にヴィラデルが語っていた『ゴーレム』というヤツだ。エルフの里では広く使用されているという。

 甲斐甲斐しく働くも、動きはとてものっそりとしている。全く危機感が刺激されない。

 よく見ると、大小様々な個体が農作業に勤しんでいた。


 広間に着くと大勢の同胞たちだというエルフに大挙して囲まれた。皆、心から嬉しそうにしていたり、泣きそうになっていたり、実際に泣いていたりする。

 疑いようが無いほどに、この地のエルフに自分が大切とされていたことが解る。奇妙な感覚であった。外見の美しさは兎も角、ヴィラデルに対しそれほど魅力を感じてはいない今のハークにとっては、この身体に当時宿っていた前の人格に詰め寄って問い質したいほどである。


「ご心配をおかけしました。ただいま帰りました」


 自然にこの言葉が口から出た。まるで、この身体に残る、前人格の残滓が今の自分に言わせたかのような気分であった。




 多くの住民たちからその帰還を祝われた後のハークに待っていたのは、彼らからの質問攻めであった。

 とはいっても、家出の理由とかではない。彼らの中で、もうそれは過ぎ去った過去でしかないのかも知れない。もしくは、蒸し返さぬよう、藪をつつかぬよう努めているのだろうか。


 いずれにしても、彼らの質問のほとんどはこの一年間、ハークが何をし、どう生きていたかであった。一つ一つできる限り丁寧に答えていくと、彼らは時に憂い、時にハークの成長に感じ入ったように感動を表に現わしていく。

 印象的だったのは、男性陣は主に老若問わず、ハークが苦労しつつも強く生き抜いてきたことに感銘を受けてくれていたように思えた一方、女性陣は年配の反応こそ男性陣と大差無かったが、比較的若い年頃の者たちは途中から、「凄い」だの「素敵」だのと黄色い声ではやし立てるだけとなっていったことだった。


 よく見るとデメテイルもその中に混ざっている。

 気持ちは分からんでもなく、若い女性に戦いの話などしても受けが悪いのは当然。飽きたのだろうとも思っていたが、彼女らから送られる視線は熱いような気もしないでもない。

 不快、などというほどでもないが、背中が何かぞわぞわむずむずとした。


 二時間近く経ったところで、一人の老婆が人々の中心にまで歩み出て、今日はもうこれくらいにしようと場を収めてくれた。年の頃は明らかに、自身の血縁上の祖父であるズースより上だった。

 母だという女性、ディーアネイラがそっと耳打ちしてくれる。


「この里一番の長老さまよ。今年で八百九十八歳になるわ」


 驚きの、ほぼ九百歳である。それにしても、だった。


〈どうやら母、いいや、アルトリーリアに住む全ての方々に、儂が一年前以前の記憶が無いということが伝わっているようだな〉


 でなければそんな注釈を貰えるわけもないし、先程の質問でもアルトリーリアを飛び出した直後に関してのものが飛んできて然るべきである。

 どうやら自分の祖父、ズースはハークが内心抱いていた評価よりもずっと有能であるのかも知れない。外界での評価はあまり職務に忠実でもなく、王国に対しても同様、という評価でもあったが、よくよく考えてみればそれは能力面の評価ではなく、外ヅラとしての外面的批評に過ぎない。



 広場での住民ほぼ全てを巻き込んだような集会が解散となり、親子水入らずとの長老の申し出により、ハークは父と母だという人物と共に森都の中を案内されていた。


 森の中の自然と一体化したような街は、進むにつれてハークの抱いた感想を後押しするかのような様相を呈していった。

 その中に紛れるような形で、ハークも良く知るような農作物の数々が育てられている。奇妙なのは、そのどれもが収穫間近だとしか見えない状態ばかりだということであった。野菜だろうが果物だろうが種類が異なれば収穫時期もまるで違うものだ。ただ、魔法という便利なもののあるこの世界では、そしてそれを取り扱うことに関して右に出る者のいない種族であるエルフの街においては、特に不思議な事ではないのかも知れない。

 その証拠に、季節は春先だというのに米が稲穂を垂れていた。


 解るものは多かったが、道すがら父という人物、ケイロンが一つ一つ説明をしてくれた。

 彼はこの都市の農作物開発部門に従事しているらしい。より効率良く、より実り、そして何より、より美味しく食せるよう開発するのが仕事なのだそうだ。そう母、ディーアネイラが補足してくれた。


 やがて、果樹園だという地域に差しかかる。甘い匂いが四方八方から押し寄せてくるかのようだ。桃も林檎も兎に角デカい。ハークが前世で知る大きさの二回り三回りどころではない。

 思わず感嘆の言葉が口を突いて出てしまった。それを聞いて、少し得意気になった父が、食べ頃だという桃を一つもいでくれた。


 まだ成長途中の自身の片手では余るほどのそれに、ハークは我慢できずにかぶりつく。果肉が口の中ではじけ、噛んだところから果汁が溢れ出して口の端から零れそうになる。

 後から後から溢れて、甘く爽やかな匂いでこちらを溺れさせようとするかのようだ。


 あっという間に平らげてしまったところで、後ろからちょこちょこといつものようについてきてくれる虎丸たちにも分けてあげれば良かったと思い出す。だが、後の祭りだ。

 その頃には葡萄園だという場所に到達していた。複数の木々の枝が絡まり合い、屋根を造り上げている。

 古都ソーディアンでの『魔物の領域』にて、木々や植物を魔物が好み通りに操作して迷宮と化した場所に侵入したこともあったが、抱く印象が正反対極まりない。


 そして、枝葉で形成された屋根から一定間隔で垂れ下がる物体に、またもハークは眼を疑う。これが葡萄なのか、そんな訳があるかとまで思えてしまうほどだった。大きさが正に前世の比ではない。前世のものは、一粒一粒が小指の爪の先程度だった。この地の葡萄はその何十倍もある。まるで別の果実が寄り集まったかのようだ。


 またも感嘆の声を上げそうになっていると、青く色の塗られたゴーレムが落ち葉拾いをしているのが眼に入った。丁度、今の自分と背丈が同じくらいである。

 一応、本当にゴーレムなのかどうか尋ねてみる。


「ええ、そうよ。あのD型は赤ん坊の頃のあなたをお世話してもらったのと同型のものね」


 懐かしそうに母が言う。そう言えばヴィラデルも言っていた。ゴーレムは子供の世話もしている、と。

 そう聞くと気になってもしまうものだ。頭の上に猫の耳かのような飾りがついている。先程のゴーレムには熊という印象を抱いたが、でぃー型というのは猫のようにも視える。


「あ、そうだわ」


 日が傾いてきて、そろそろ帰ろうかと申す父に対し、母ディーアネイラが一つ思い出の場所に寄ろうと提案し、父もそれに賛同する。

 無論、否やなどないハークが連れられた場所、そこには桜の木が立っていた。


「うわぁ……」


 感極まって思わず子供のような声が出てしまった。いや、今は外見上子供以外の何物でもないのだが。

 高さはこちらの単位で三十メートルを超えるのではないのだろうか。枝ぶりも見事としか言いようが無く、美しく咲かせた花を風に舞い散らせていた。前世でも桜などは、それこそ死ぬほど見たものだったが、これ程の巨木で豊かな枝ぶりを維持しているなど初めてである。

 率直に言って、美しいとしか考えられなかった。


「綺麗でしょう? 私の、お母さんのセカンドネームの由来の木なのよ」


 どこか誇らしげに彼女は言い、次いで顔をこちらに向け、本当に嬉しそうに言葉を続けた。


「お帰りなさい、ハーク」


 その笑顔を見て、ハークは早く仲間のもとに帰還せねばならぬ、という事情をすぐに口にすることはできなかった。




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