387 第23話19:見知らぬ故郷へ




 森の中は濃い霧に包まれていた。森林地帯の早朝にはよくあることだが、それにしても濃すぎる。エルフの眼ですら十メートル先くらいしか見通せない。


「随分と視界が悪いですな」


「ええ、凄いでしょう? ここはいつもこんな感じよ」


「え?」


「法器で作り出しているのよ。ヒト族や魔物に簡単には侵入されないようにね」


「法器で? まさか、森都を守護する為に森の全てに?」


「そうよー。都市の外側部分だけどね」


 デメテイルは軽い調子で返答するが、断じてそんな問題ではないとハークは知っている。

 地図で見た限りの森都アルトリーリアを包む森は、相当に広大である。一つの都市丸ごとどころではなく、この世界の一つの領に匹敵するくらいの広さがある。


「一体どれほどの数の法器を……?」


「あ~~、数はそんなに多くはないわよ。広範囲に濃霧を撒き散らすのは、実はそんなに難しいコトじゃあないからね」


「そうなのですか。しかし、ヒト族がこの中で迷えば命取りですね」


「昔からこの森全体は、周囲に住むヒト族には『迷いの森』と呼ばれて恐れられていてね、地元の人間なら近づきはしないわ。ただ、そうじゃない者はごくたまに足を踏み入れちゃうこともあってね。まぁ、その場合にもちゃあんと対応策は森都も用意しているわ。もうすぐ見えてくるハズよ」


 デメテイルがそう言ってからハーク達を背に乗せた虎丸が進むこと数分、急に目前に怪異が現れ出でた。

 何の前触れもなく、ぽわんと空中に赤い玉のようなものが出現したのだ。


「ぬお……」


 ぼんやりと光るその様は、前世で見た蛍の光とは全く違い、伝え聞く人魂ヒトダマをどうしても想起させた。光はハーク達から見て左側に音もなく流れていき、やがて忽然と消える。


「虎丸さん、今目の前に現れたヒトダマが進んでいった逆、向かって右に進んでくれるかしら」


「がう」


「デメテイル殿、今のは一体……?」


 デメテイルの指示通りに虎丸が進行方向を変える中、ハークはそう訊かずにはいられない。


「驚いた? 今のが対応策の一つよ。ビックリさせて引き帰させるの。あと、ふよふよと飛んで行ったでしょう? あの方向が最も森の出口に近いのよ。最初はみんな、出現した逆側の方向に逃げて行くのだけれど、その内疲れ切ってくるとフラフラとついて行くようになるわ」


「では、つまりその逆が?」


「方角的には森都の入り口に近いわ。けど、正確ではないから何度か修正を行う必要があるわね。具体的には、もう七、八回あのヒトダマと出会って、その都度ごとに逆方向を選択する必要があるわ」


「成程」


 随分と手間のかかる方法だ。だが、それだけに有効だったのだろう。


「このシステムのおかげで、森都アルトリーリアはもう二百五十年以上もの長い期間、無断での侵入者を許してはいないわ」


「二百五十年……」


 普通に考えれば、とてつもない長さである。エルフ族にしてみれば、まあまあといったところなのだろうか。


 そのままデメテイルが語っていたように八度、人魂との邂逅を経て逆側へと進むと、ようやく一つ目の目的の場所に到達したらしく、デメテイルが少し大きめの声を出す。


「あ、あった! 虎丸さん、あのちっちゃい子供くらいの岩が見えるかしら? あそこで止まって!」


「がう」


 虎丸は言われた通り、小岩と呼べるくらい岩の横につけ、足を止めた。その背からデメテイルが飛び降りると小岩を押して横にズラした。

 デメテイルもか細い見た目に反し、レベルは二十九だという。ただのか弱き女性ではないのだ。軽々と動かした岩の下に上蓋のようなものが見えた。


「よっ……と」


 むしろ岩より重いのであろうか、ゴトリと音がして金蓋がデメテイルの手によって開けられると、下に何かが収められていた。


「それは?」


「『長距離双方向通信法器デンワ』よ。見たことない?」


「それが……」


 ハークは確かに今まで『長距離双方向通信法器デンワ』を自身の眼で見たことはなかったが、仮にあったとしてもそれだとは解らなかったであろう。

 それは外界、ヒト族の世界で『ケータイ』と呼ばれる法器であったのだから。


 デメテイルがその『ケータイ』より繋がる、管のついた茶碗のようなものを手に取り、それから茶釜によく似た本体の中心付近から飛び出た十二の突起物の幾つかを流れるような動作で次々と押した。


 待つこと数秒、がちゃりという意外に大きい音が辺りに響き、直後、茶釜が喋り始めた。

 いや、茶釜のような物体を通して遠くにいる人物、恐らくはエルフのその声が聞こえてきているのだろうとは解るのだが、ハークには当初そうとしか思えなかった。


『もしもし。どなたかな?』


「あ! その声はノイマンさんかな? 私です、デメテイルです! デメテイル=マリサ=アルトリーリア=スナイダー! ただいま帰りました!」


「おお! デメテイルか! お帰り! ズースさんから聞いているぞ、ハークを連れ帰って来てくれたんだってな! すぐに迎えに行く! 一番に進んでくれ!」


「了解です!」


 言い終わると同時にデメテイルは管つきの碗を元の場所へと戻した。そして金蓋を被し、小岩も元の位置へと移動させると、再びハークの後ろ、虎丸の背に跨って言う。


「虎丸さん、この道・・・を真っ直ぐに進んでくれるかしら」


「がうっ」


 よく見ると、先程までは気づかなかったが、今までなかった獣道のようなものが地面にはしっていた。

 丁度、虎丸の立つ位置が二つの道が交わる十字路のようになっている。


「デメテイル殿、今のは?」


「ん? 金儲けのために森都アルトリーリアを狙う者は結構いるらしくてね、そのための備えみたいなものよ。ホラ、アルトリーリアは最新法器の宝庫だからね。この中にどうしても侵入したいのならば、私たちみたいに外界で生活しているエルフを誘拐して、案内をさせるのが一番じゃない?」


「確かに……、それはそうですな」


 鍵が開かなければ、鍵の開け方を知っている者から聞き出す。不躾極まりないが、単純な話でもある。


「そういうのを防ぐための手段よ。私がフルネームまで名乗って、その後に、ただいま帰りました、まで言わないと、二番に進めって言われるわ。この道を右ってことなんだけど、そうなると森都の外周をしばらく進むことになって、時間が稼がれている間に、森都側が救出部隊を編成してくれることになるわ」


「ふむ、二段構えという訳ですか」


「そうよー。でも、まだこれで終わりじゃあないのよね」


「え?」


 霧のせいで走ることができない虎丸が、そのまま指示通りに進んでいくと、周囲の霧が急速に晴れてきた。さらに十分ほど進めば森が急に途切れる。その先は、砂塵が舞っていた。向かって左から右へと、凄まじい速度でそれが流れている。


「ぬう、これは!?」


「大丈夫よ、空気を急速に押し流す法器でちょっと流れの速い気流を生んでいるだけだから。目的は匂いを散らせて鼻の良い獣人族や魔物なんかに森都の正確な位置を悟らせないためなので、厚さも数メートルしかないわ」


 三段構えの三段目という訳だ。ハークは意を決すると虎丸に向かって指示をする。


「よし、虎丸、進んでくれ」


『了解ッス、ご主人!』


 虎丸がまたゆっくりと前進を開始する。一応、砂塵を吸い込まぬようにと日毬は懐に隠し、自身は息を止めていたが、急速な気流の流れと砂塵の渦はすぐに抜けた。


 しかし、まだ四段目があったようだ。


「うおっ」


 巨大な川が道を塞いでいたのだ。川幅はこちらの単位で二百から三百はあるだろう。流れも急流とまでは言えないが結構速い。

 深さもたっぷりとあるようだ。水は綺麗で清流そのものだが底が見えそうで見えない。

 川のこちら側も向こう側も切り立った崖のようになっており、しかも補強されている形跡がある。明らかに自然のものではなかった。


「まさか、堀?」


「その通りよ。森都の周りを取り囲んで流れているわ。……ん? あれは……」


 デメテイルが指差した方向に眼を向けると、向こう側に誰かいるのをハークも見つけた。

 エルフの男性のようだ。割と壮年で、釣り糸を堀に垂らして座っていることからどう見ても釣り人である。今日は天気も良いので、その気持ちは充分に分かった。


 デメテイルが大きく手を振ると、気づいて向こうもすぐに振り返してきた。

 つられてハークも手を振り返しつつ、あれが『長距離双方向通信法器デンワ』で話していたノイマンなる相手方かとも思ったが、どうやら間違ったようだ。

 向こう岸の木々の奥より二人の男達が駆けてきて、崖の直前で止まり、足元の何かを操作する。


 すると、ゴゴゴゴゴゴゴ、という地響きが辺り一帯を襲った。

 地震か!? とも思ったが意外なまでに揺れはほとんど無い。

 すると、眼の前の堀の底から川面を切り裂いて石造りの橋がゆっくりとせり上がってきていた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る