386 第23話18:森都アルトリーリアへ③




 最初に、実際に動いているハークを視た瞬間、デメテイルの身体には衝撃が奔った。

 まるで印象が違ったからだ。


 モチロン、顔が大きく変わったとか、ましてや成長したということではない。

 年齢的に、ハークは確実に成長期なのだが、エルフは人間種一成長の遅い種族だ。一年程度で何が変わるワケでもない、デメテイルもそう思っていた。


 だが、縦はともかく横の変化はどうだ。

 無論のこと、肥満ではない。元々エルフは体質的に太れない。

 そういう変化ではなく、筋肉がつき、ガッチリとしたのだ。

 それこそ兵士仲間連中でたまに見られるガチムチ系とは全く違うけれど、男のコとして逞しいと表現せざるを得ない程にまでなっていた。


 所謂、細マッチョ系統の範疇なので、むしろ着痩せしていて服に包まれた下は想像することしかできないにしても、時折、服の合わせ目から覗く厚い胸板にデメテイルの視線は自然と引き付けられてしまう。


 オマケにこの一年、野外での活動が非常に多かったことを示すかのように、適度に日焼けもしていて、間違っても不健康そうな生白さなどは微塵も感じられない。


 元々、デメテイルがエルフの里を飛び出し、外界での生活を選択した背景には、あまりにもな毎日の刺激の少なさが原因であった。

 特に大きいのは異性面、恋愛面である。

 エルフは同じ種族間、共同体内での仲間意識が非常に高い。ただ、高過ぎて、仲間意識というより家族意識に近くなってしまう。

 森都アルトリーリアは特に、であるようだ。血のつながりは一応考えるものの、相手によっては遠慮会釈もなく身内扱いを受けるし、デメテイルもそうしてきた。

 ズースなどはその典型で、未だに娘や姪扱いである。


 同年代は兄弟姉妹と同等であり、当然未だに仲が良い。

 だが、その仲の良さがデメテイルの場合は問題だった。

 物心ついた頃から互いを知る歳の近い兄や弟同然に思ってきた相手に対し、デメテイルはどうしても恋愛感情を抱けなかったのだ。実はこれは、森都アルトリーリアに住むエルフ族にとって、非常に重要で一般的な問題であった。


 さらには、森都アルトリーリアの男達は一様にヒョロヒョロ過ぎる。

 骨と皮だけみたいなほどに不健康な者はいなかったが、さすがにもう少し肉づきが欲しいところである。

 そういう意味で、外の世界は逞しい男性も多かった。ところが逆に、首から上の方が受け入れ難かった。


 というのも、エルフ族がそれはもう例外なく美形ばかりだからなのである。子供の頃から見慣れていると、基準がどうしても偏ってしまうものだ。ヒト族基準からすれば平均以上でも、デメテイルの眼からすれば基準点を大きく下回って見えてしまうのである。


 また、さらに内面的な問題もあった。

 精神面で噛み合わないのである。エルフ以外の人間種は、大抵が表面上落ち着きがあるように見えても、ふとした弾みで激昂したり、仲が良かった筈の相手とケンカや仲違いを起こすことがよくあるのだ。

 デメテイルからすると、なんでそんな程度のことで、と首を傾げてしまうことも少なくなかった。平たく言えば、子供に見えてしまうのである。この違いは中々に大きなものであった。


 しかし、ハークは違う。

 やる時はやる、という熱い火花のような刃を、常に心の中に隠し持ってはいるものの、それは普段、堅牢な鞘に納められ、更に強固な箱の中に入れられて厳重な鍵まで蓋にかかっている。

 ちょっとやそっとではビクともしないという安心感があった。それでいて思慮深く、物静かで穏やかであった。


 正直に言って、理想のタイプなのである。

 内も外も、だ。

 只一点、若過ぎるというのが唯一つのネックだった。そのため、どう考えてもデメテイルの側から手を出すワケにはいかない。

 それでも、二十年後、四十年後が楽しみ過ぎる。あの砂都トルファン出身のおねーさんも同じに違いない。ツバをつけておく、というほどでもないが、この旅で少しでも印象を良くし、関係性を縮めておきたかった。

 つまり、彼女はその方面・・・・によって強い緊張感を持っていた。

 デメテイルにとって、この三日はチャンス期間だったのである。




 眼の前で、夕餉を供に食す年上の女性がそんなことを考えているとは露知らず、ハークは食事を次々と口に運ぶ。

 共同で造り上げた鍋料理であったが、味つけは彼女が行った。

 実に美味く、匙が止まらない。所謂、この世界一般のよく眼にした食材しか入れてない筈なのだが、ひどく懐かしい感じを受ける。


「とても美味しい。これは何を?」


「……」


 デメテイル嬢は答えない。視線はこっちを向いているのだが、何故かぼうっとしているようだ。考え事であろうか。


「デメテイル殿?」


「え? あ、ああ! 何!? どうかした!?」


「どうかなされたのはデメテイル殿の方だ。考え事をされていたようだが、……それともお疲れか?」


「あっ、ああ、大丈夫大丈夫! ごめんなさい、気にしないで。それより、何か質問かしら?」


「ふむ、やたらと美味いのだが、これは何か秘密が? 食材の中には特に珍しいものは無いように見受けられるのだが」


「へぇ、料理に興味があるのね」


「それはまぁ、儂とて冒険者でありますから。野営も時々は行いまする。美味いものを食せた方が良いのは道理でありましょう」


「それはそうよね。使ったのは海運都市のコエドで仕入れた海藻の粉末よ」


「海藻の、……粉末?」


「ええ。凍らせてから乾燥させるの。エルフ族伝統の製法よ。少量でも良いダシが出るの。少し分けてあげるね」


 デメテイルはそう言うと懐から『魔法袋マジックバッグ』を取り出し、その中より手の平大の蓋つき筒状の容器を二つ引き出して、片方の中身をもう片方へと半分程移してから差し出した。

 半ば強引に受け渡された容器は、どうも大きさ的に印籠を思い出してしまう。


「よろしいのですか?」


「気にしないで。知り合いから伝手をもらったから私は定期的に仕入れることもできるものだしね」


「有り難く頂戴しまする」


 ぱかりと蓋を開けて中身を見る。焚き火の炎に照らされて粉の色は確認できないが、匂いは鼻を近づけるまでもなく漂ってきた。


「懐かしき香りです」


 ハークは正直に言う。


「あら、記憶を失くしても、そういうものは憶えているのね」


「そうかも知れません」


「ところでハーク君は、随分と古風な喋り方をするけれど、それは古い本とかで戦い方を学んだ所為なのかしら?」


「む。憶えておりませぬ」


「そうだったわよね。まさか『ファイブリングス』とかじゃあないでしょうけど。ちょっと気になったものだから」


「この口調、耳障りでございましょうか?」


 デメテイルはぶんぶんと首を振る。


「いえ! いいえぇ! そんなことはないわ! 良く似合ってると思うわよ! 落ち着いたハーク君の雰囲気によく合ってるわ」


「そうでございますか」


 ここでハークは食事に戻ろうと視線を手元に移しかけたが、遠慮がちに再び話し出したデメテイルの声に顔を上げる。


「あ、あのさ、ハーク君」


「何でございましょうか?」


「えっと、さ。あの、ヴィラデルディーチェさんとは、どんな関係なの?」


「ぬ? どんな関係、でございますか……」


 ハークはやや俯くように考え込む。眼の前の女性の心臓が早鐘のように鳴り続けていることにも気づかないままに。


「今のところ……、戦友、でございますな」


「え? 戦友、なの?」


 実にあっさりとしたハークの答えに、デメテイルは内心驚いていた。

 一方で、心の底から安堵もしている。憧れの人、や大好きな人、などというパワーワードがハークの口から出てきたらどうしようという思いがあっただけに、一安心である。

 しかし、多少踏み込みたくもなってしまう。


「もっと、その……大切な仲間とかじゃあないの?」


「ふうむ、そうですな……」


 ハークはデメテイルの言葉を受けて、もう少しだけしっかりと考えてみた。が、結果は変わらない。


 最初は互いに邪魔な存在、次は一時的に利害の一致したその場しのぎの共闘者。

 しばらくして貸し借りの関係、さらに好敵手とすら言えるようにもなった。

 しかし、ハークからすれば前世からの己の業を、今更ながらに見せつけられるようでもあり、どうしても鼻につく存在、という認識が心の奥底にずっとあったものである。


 それが、いつしかやわらいだのが最近。背中を預けても違和感を抱かぬようになっていた。

 恐らく、向こうも同じだろう。だからこその『今は戦友』。それ以上でも以下でもなかった。


「やはり、戦友、という言葉が適確ですな。ぱーてぃー仲間でもありませぬ故」


「え!? パーティーを組んでいるワケじゃあないの?」


「はい」


 しっかりと肯いたハークの姿に、デメテイルの心の内で希望の炎が猛然と燃え上がったのだが、それが目前の少年にまで伝わることはなかった。




 かくして王都目前の地より出発してから三日が過ぎた日の朝、ハークは彼を背に乗せる虎丸、そして、日毬やデメテイルと共に森都アルトリーリアをその内に内包する森の入り口に、予定通り到着していた。

 己の知らぬ、自身の故郷へ繋がる森へと。




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