385 第23話17:森都アルトリーリアへ②




「そうだ。街道や大きな街を避けて進め。解っているだろうが、トゥケイオスやオルレオンには絶対に寄るな。もし捕まったならば、解っているな?」


「ああ……、解っているよ」


 最後通告のようなものだ。

 口調自体は、ただやるべきことをやれ、と言っただけのような実にアッサリとしたものであった。

 部下はその、いかにも何でもない事のように言われた言葉に対して、やや不貞腐れたように返す。捕まった瞬間に自決せよ、と言われているも同然なのだから、ある意味当然の反応だったのかもしれない。


 ただ、部下の男も解っていた。

 一週間ほど前から、本国との連絡が隠れ家の『長距離双方向通信法器デンワ』を使用してもできなくなってしまった。何か重大な事変が本国で起こったに違いない。

 今の自分たちに解ることは、自分たちが孤立無援の存在となった、この一点だけしかなかった。つまり、この国で捕縛されれば救いの手が差し伸べられることはまず無い、ということだけしか。


 バラバラにこうして一人ずつ逃すのはこの可能性と、一網打尽の危険性を少しでも減らすためなのだろう。

 部下の男がそう思って己を納得させていると、ボバッサが袋に入った何かを懐から取り出し、手渡そうとする。


「そいつは?」


「カネだ。道中、必要なら使え」


「おおっ、ありがたいですぜ!」


 道中完全に自分のサバイバル能力で乗り切るしかないのかと覚悟しかかっていた部下にとってはありがたい話であって、彼は即座に飛びついた。

 中身を確認することもしない。どうせ、今日の曇天、月明りも無い夜では見えやしない。

 ある程度の重さがある。すぐに懐へと流れるように収めた。


「よし、準備ができたら行け」


「了解ス。しかしよ、ボバッサさん。無事に帝国のラルに着いたとしたって、俺たちどうせ作戦失敗の責任を取らされてブッ殺されるんじゃあねえの?」


「ああ、下手をすれば陛下のエサ行きだな」


「ヒッ!? 嫌だぜ、俺、そんなのよぉ!」


 仰け反る部下の男。だが、ボバッサは冷静だ。もはや他人事かのように。


「安心しろ。宰相閣下ならばそこまで無体なことはせん」


「そ、そうか」


「良いから行け。下手にバレれば、この手がもう使えなくなるからな」


「あ、ああ、解りましたぜ。ところでボバッサさん、アンタはどーするんだい?」


「俺のことは気にするな。まだ、俺はこの国でやることがある」


 その言葉に、ボバッサがまだ何かしら一矢報いろうとしていることを悟り、部下の男は小船に乗り移ると同時に帝国式の敬礼を行う。


「解ったよ、ボバッサさん。先に帝都で待ってるゼ」


 それだけ言って、彼は暗闇の水面に向けて舟を走らせ始めた。

 見送るボバッサは手を振ることもしない。そのままオール漕ぎの小船が遠ざかっていくのを見詰め、声も届かぬ範囲外へと出る前に、一言呟いた。


「ふん。どちらにせよ、末路は変わらんがな。喰え、『バケモノ』」


 その台詞が終わると同時であった。部下の男が乗るボートのすぐそばに、音もなく何かが水面から突き出ていた。

 水上に姿を現したそれ・・は、小船と同程度の太さと尚且つ超える長さを持ち、木製のボートをその主ごと巻き込むように捉えると、瞬時に水面下へと引きずり込んでいった。


 数瞬の後、湖面に大量の血痕が浮き上がっていた。

 しかし、暗がりの中、ヒトの眼でその光景を確認できる者などいない。朝までには確実に霧散する筈であった。

 ボバッサは既に踵を返し、部下と彼の乗った小船が消えた湖に背を向け、歩き出していた。




   ◇ ◇ ◇




 デメテイルは、ここ数十年は感じたことも無いほどの気疲れを感じていた。肉体的なものではないから、同行者に気づかれる可能性は低いが、少し心配になってしまうほどだ。


 原因としては幾つかある。

 同行者の従魔、精霊獣の虎丸の脚が彼女の想像を超えてとんでもなく、体験したことのない速度を体験させられたからである。

 デメテイルは、所謂、速度恐怖症ではない。それでも、もし何かの間違いで放り出されでもしたら、絶対に助からないなと確信出来るスピードには多少の恐怖を感じずにはいられなかった。


 同行者の少年ハーキュリース、通称ハークは、普通ならば二十日はかかる森都アルトリーリアまでの道程を三日で踏破すると豪語していたが、あながち不可能な話でもないのだろう。

 日が沈み、本日の野営と決めた地点で既に、予定路の三分の一に達していたからだ。

 しかも、それでも全速力ではなく、ほどほどに流した範囲であるらしい。


 次に、この広いモーデルの国を東西に分断する大河を、そのまま渡ったからであった。

 通常ならば近くの宿場町などに寄り、船をチャーターするのが当たり前であるが、ハークと虎丸が最短距離を選択したからだ。


 そんな、常識的に考えれば無茶としか言いようのない選択を可能としたのが、ハークのもう一体の従魔、日毬である。

 既に二百年近く生きているデメテイルにとっても、見たことはおろか聞いたこともない精霊種である日毬は、水の初級魔法『超表面張力ハイパー・サーフィステンション』にて、キロを超える川幅の水面に虎丸が走行できる橋を造り出してしまったのだ。


 『超表面張力ハイパー・サーフィステンション』とは、名の通り、水面の表面張力を超強化し、その反発力を利用して、一時的にその上に乗る物体を水面下に沈ませぬようにする魔法である。

 だが、初級の魔法とはいえ、対象物の重さによっては魔力の作用範囲を限定せねばならず、難易度は跳ね上がる。

 『水魔法の達者リバースターター』のスキルを持つデメテイルは、それが良く解っていた。人間種としては軽い方でもエルフ二人を乗せた虎丸を支えるならば、百メートル程度が自分では限界であったろう。


 しかし、日毬は易々とキロ単位を超える川幅を渡してみせた。ここまでの事を行って、最大MPの十分の一にも満たない消費量であるという。自分が三人分、もしくは五人分いて、それで全てのMPを使い切ったとしても到底不可能な話だった。正に、虎丸と同じ規格外の存在であると確信するしかない。


 ただし、懸念もあった。強い魔力で水に対して影響を与えた場合、一時的に水流を強く掻き回す関係で、水の中に潜む魔物を呼び寄せてしまう場合があるのだ。

 彼女の懸念通り、襲ってきたのは二体の水生モンスター、ツーヘッドクロコダイルであった。


 これが、デメテイルにとっての、次の精神的な疲れの原因となった。

 ツーヘッドクロコダイルとは、成長と共に片腕が肥大、やがてもう一つの頭のそっくりに変化する異様な姿のワニ型モンスターである。生物としての弱点である頭部の擬態とも言えるが、噛む能力においては全く遜色はない。

 また、水中戦にも充分な訓練、もしくは元から活動可能な種族的能力を持ち合わせていない限り、水生のモンスターは陸生の生物たちにとって等しく強敵である。水の中に引きずり込まれては、陸生生物側はかなり戦闘の手段が限られて、不利に陥ってしまう。しかも、ツーヘッドクロコダイルは水生モンスターの中でも強力な部類だ。単純に、二つある頭部の内、どちらを警戒し、どちらを攻撃すればいいか判断が難しいからだった。


 そんなものが突然二体も水中を飛び出し襲いかかってきたのである。さすがに恐怖感も募ろうというものだった。

 だが、ハークは虎丸に乗ったまま、瞬時にその頭部、しめて四つを掻っ捌いていた。


「奇妙な蜥蜴だなァ」


 それだけを、言ってのけただけだった。


 このハークが、デメテイルにとって最後の要因、精神的な気疲れというよりも、強い緊張感をもたらすことになる原因となっていた。




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