379 第23話11:迫る、故郷の足音
王国第三将軍レイルウォード=ウィル=ロンダイトが王都に所持する別邸は、自らが治める軍都アルヴァルニアの本邸と同じ大きさがある。
三つある国軍の内一軍を束ねる軍団長という役目上、レイルウォードは一年の大半をこの王都で過ごしている。家族も同様にこちらを生活の基盤としていた。
ただ、現在この邸宅にて生活しているのは彼らだけでなく、この国の王もであった。
彼を守護するため、個としてこの国でも非常に高い実力と知識をもつ王国筆頭魔術師ズースも、この邸宅に生活の場を移していた。
この二人と、邸宅の主が一堂に会する場で、アルゴスは片膝をつき臣下の礼の形をとっていた。ただし、その方向は本来の主である国王ではなく、その隣に座るズースに向いていた。
「私からの報告と質問は以上でございます。どうかズース様、無知蒙昧な私に知恵をお授けください」
丁度、話が終わり深く頭を下げるアルゴス。発した言葉通り、アルゴスは今、王城での第一王子との会話の内容を報告、同時にその中で得られた『ズース、或いはエルフ族は洗脳魔法に対して何らかの対抗策をもっているのではないか』との質問を行ったところである。
対するズースは、話が始まった当初から瞑目したまま、胸元近くまで伸びる銀色の髭を片手でしごくばかりだ。
髭と同じ銀色の長髪はうなじ辺りで一つにまとめられている。やせ過ぎだが、齢八百歳ということはヒト族に置き換えると八十歳を超えるにもかかわらず、肌艶を含めたその容姿は大分若々しい。精々六十前後に見えるほどだ。
今年四十二になったばかりだというのに、心労でかなり老けた印象の国王と、それほど大きな違いがあるとは思えないほどである。
ただし、そのズースの内心というか、機嫌は非常に悪い。
モーデル王国内に住む全てのアルトリーリア出身のエルフ族に対して、ほとんど強制的な帰還命令が出て皆森都へ帰っていったのだが、公式な役職を持つズースだけは別だったからだ。
元々ズースは、他の外界で暮らすエルフ族のように里の外の世界に興味を持っていたワケではない。表向きだけでも一応の臣下の形を取ってくれ、というモーデル王国初代国王ハルフォード一世との約定を守っているだけなのである。
持ち回りである数十年単位の担当期間が終われば、即座にアルトリーリアへと引っ込むつもりなのは誰の眼にも明らかだった。それゆえか、ヒト族との交流を図ろうとする素振りがほとんど無い。
今回の帰還命令も身内の行方不明が原因であったため、相当に帰りたがっていた。
それを、事態が事態だからという理由で遠慮してもらっていたのだ。言わば、ヒト族の都合で振り回された形である。
つまりはアルゴスたちのせい、というワケだった。質問を発し終わってからも、まるで無視するかのように眼を瞑って髭をしごく手を止めなくとも、文句を言えた義理ではなかった。
しかし、さすがに沈黙が十秒を超過したところで、横合いから国王ハルフォード十一世が口を挟む。
「ズース殿、どうか、お答えになってはくれませんか?」
一国の王が臣下の者に対しての言葉遣いではない。だが、周りに事情を深く知らぬ者がいない状況ではこれが平常であった。
一応の上司の言葉に、ズースはようやく閉じていた瞳を開け、国王と、未だ跪いて頭を下げたままのアルゴスを見てから大きく溜息を吐いた。
「あまり、手の内を晒すのは好みではないのだがな」
「事は国の安全にも関わります。どうか……」
そう言って国王まで頭を下げたのを見て、ようやくズースは重い口を開いた。
「仕方がないな。まず洗脳魔法を見るのはワシも初めてだ。不思議そうな顔をしているな、それで何故二度も防ぐことができたのだ、と。無論、タネがある。エルフ族の中でも限られた者が持つ『精霊視』の能力がゆえだ」
「『精霊視』……とは何ですか?」
「ふむ。口で説明するより実際に使って見せた方が早いか。陛下、君は魔法を幾つか行使できたね?」
「はい……。当然、ズース様の足元にも及びませんが……」
「下級魔法で良い。発動しようとしてくれ」
「は、はい」
よく分からないが国王ハルフォード十一世は片手をあげて魔法構築の準備をする。そして発動のための最後の一言を発した時だった。
「「『
ズースの言葉と重なった。わずかなズレも無いタイミングで。次いで部屋の端から風が起き、中央でぶつかった。
ズース以外の全員が驚き、眼を丸くする。こんなことはハルフォード十一世が発動しようとする魔法を事前に、規模や種類さえ完全に把握していなくては不可能だった。
「何故、分かったのです? まさか、相手の発動しようとする魔法を事前に感知できるのが『精霊視』の能力?」
「はっ、そんな限定的な能力ではない。精霊そのものが見える能力だ」
「……精霊、ですか……?」
「見えぬ君らにとって精霊は概念だけの存在かね? だとしたら認識を改めるべきだな。精霊はこの世の森羅万象を司っている。先の大道芸は、その精霊たちの動きを見て風の属性魔法『
ここでアルゴスが敢えて会話に加わった。
「エルフ族が『魔導の申し子』と呼ばれる理由を、改めて聞かせていただいた思いです。その『精霊視』の能力で、洗脳魔法を看破されたので?」
「先も言ったようにそんな大それた魔法とは分からなかったが、あまりに気持ちの悪い精霊の色であったのでな」
「色、ですか。どんな色だったのです?」
「ドス黒い色でハッキリと見えた。通常、精霊というのはほんのりと輝いて見えるのだが、まるで警戒色のようであったわ。あんな色と輝きの精霊は初めて見た」
「……成程。一年前のレイルウォード様ご子息の件はいかがでしょうか?」
部屋の端にいるレイルウォードの表情が微妙に変わった。彼の長男ロウシェンは実際に洗脳魔法を受けた被害者である。気になるのは当然だったが、ズースは言下に言い放った。
「見当もつかん」
「そう仰られずに」
「本当のことだ。遠目にだが洗脳魔法をかけられたという第一軍将軍のルーカーの姿を見たことはあったが、異常は見受けられなかった」
「では、何か偶発的な出来事が作用したと?」
「それを考えるのはワシの仕事ではない。だが、ヴィラデルディーチェの嬢ちゃんを呼んで話を聞いた方が早いのではないか? 何ならワシからでも構わんぞ」
「面識があるのですか?」
「一応な。アルトリーリアとて、昔は他のエルフの里とも交流を持っていた。ただ、彼女は成人後すぐに里を出ているから、子供の頃に一度会ったきりだ。利発な可愛い子だったよ」
「可愛い、ですか」
人となりを伝え聞いているアルゴスからすると中々イメージにそぐわない。
一方で、もう一人の可愛いとは間違っても思えないエルフのことも想起し、彼についても話し合わねばならない必要性に思い至ったアルゴスは、ズース以外の二人に目配せをした。即座に二人も、了解の意を表して目を瞑る。
「ありがとうございます。大変参考になりました。改めて感謝いたします、ズース様。それで……、今のことについてより詳しく深く協議し、対策を煮詰めたいと思うのですが……」
「あ~、
そう言うと、ズースは席を立ち、そそくさと部屋を出ていく。このエルフの老人はいつもこうだった。
職務に不真面目でも不誠実でもないし、むしろキッチリとそつなくこなすが、それ以上のことは、自らの分を超えた仕事は絶対にやらない。頼み込んでも無駄なことが多かった。唯一と言ってもいい例外が、先のように
最初期の頃、彼は自分のことを『パートタイマー』と称していた。知識に関してはかなり自信のあるアルゴスでも聞いたことが無い言葉だった。エルフ独特の言葉なのだろうか。
そんなことを考えながら、アルゴスはそっと防音処理の効いた扉を閉めるズースを見送った。
そして事態はその扉の外で進行することとなる。
いかに防音処理が効いた部屋とて、エルフ特別製の耳を壁にピタリとくっつければ、中で何事かを話しているかくらいは解ろうものだが、肝心のズースにその興味は無い。
外界のことは外界の者で解決すれば良いのだ。
世が移り変わろうと、森都アルトリーリアがモーデルの一部となろうとも、ズースのこの考えが変わることはない。
きっと死ぬまで変わることはないだろう。
割り当てられた自室に戻ろうとしたところで、彼の鋭敏な耳が逆方向、階下からの階段を上る何者かの足音を複数捉える。
このタイミングでは遭遇することは避けられぬと悟り、休む前に軽微とはいえもう一仕事の予感にズースの機嫌は悪い方へ傾いた。しかし、この館の主であるレイルウォードの副官としてよく出入りして顔を憶えているヒト族に続いて現れた、生まれた時より知る同郷同族の顔に、ズースは傾いた機嫌を途端に逆方向へと急速に回復させた。
「おお、デメテイル嬢ちゃんや! コッチに来ておったのかい!?」
「ズース様! お元気でしたか!?」
ズースは小走りに自ら同族の年少者のもとへと近寄っていく。表情は満面の笑みだ。普段の仏頂面からは考えられないほどであった。
「勿論、元気だったぞ! デメテイル嬢ちゃんはこの館の主の軍に勤めておったな。彼に用かね?」
「うん! レイルウォード様にも話さなきゃいけないことがあるんだけど、ズース様にもあるの! 実はね……!」
こうして事態は坂道を転がり落ちるように、急速に動き出していく。
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