374 第23話06:Break your way
モーデル王国の王都レ・ルゾンモーデル。知らねば海としか見えない超巨大湖のほとり、その高台にそびえるように建つ王城の中身は今、大国の最中枢とは考えられぬほどに閑散としていた。
忙しく働くメイドや、右往左往する官僚の姿も無く、一種異様なまでの静寂が支配している。
その中で、最も東に位置するサロンの一室のみが、昼間にもかかわらず煌々と灯りをともしていた。中の人物が、己の所在を他者へ伝えようとするかのように。
しかし、そもそも他者の影すら王城内に無いのでは意味も無かった。
当然である。仕事がある者は自らの安全を得る為に王国第三軍の庇護下に身を寄せ、仕事も特になくおべんちゃらと不平不満を口にするだけの無能者は、現状を理解した順に登城を拒否していた。
王国第一軍が遠巻きに囲んで守る城の中に、最早いる者は十数人程度しかいない、筈であった。しかし、広いサロンの室内、そのわざわざ中心に居座る男はたった一人であり、図体が大きい分、より目立って哀愁さと滑稽さを漂わせていた。
一カ月前と言わず、二週間の前であっても、このサロンには人が溢れていた筈であった。
しかし、この部屋の中心に座る人物にとってすれば、些細でくだらない言いがかりに脅される形で、一人また一人と集まる者の数が減って、時には何十人という数が一気にこのサロンに来なくなった。
気がつくと、城から人の気配という気配が失せていた。
だがここまでは良かった。いや、本当は絶対に良くはないのだが、彼にとってまさかの事態はまだこれからであった。
何故か一昨日から、バアル帝国から連れてきた貴族たちで構成された自身の親衛隊たちでさえ、姿を現さなくなったのだ。
(どうして……、誰も現れないのだ……)
自問自答するも、その先をまだ考えたくはなかった。どうしても最悪の想像を呼び起こしてしまうからだった。
コンコン。
その時、ドアが外から叩かれた。ノックの音だ。
彼はすぐさま入室の許可を出そうとしたのだが、咄嗟に声が出なかった。考えてみれば昨日くらいから一言も発していない。
しかし、ノックをした人物は構わず中に入ってくる。その人物の顔を見て、彼は憎々しげにようやく声を絞り出した。
「アルゴス……!」
まるで唸り声のようだった。
「おや。お一人ですか、アレス殿下」
彼、モーデル王国第一王子アレサンドロ=フェイロ=バルレゾン=ゲイル=モーデル。通称アレス王子は、いけしゃあしゃあと言う王国元宰相、アルゴス=ベクター=ドレイヴンに完全な敵意の視線を送る。
「ぬけぬけと……、よく言えたものだな!」
「は? 何のお話でしょう?」
厳めしく逞しい外見と違い、柔らかな調子のアルゴスに彼の精神は簡単にかき立てられる。
「とぼけるなっ! 貴様の差し金だろうが!」
「私が? 何の事ですか?」
「俺の親衛隊を、……どうにかしたのであろう!」
「どうにか? 具体的に仰っていただきたい」
「……う。……捕らえたか、洗脳したかしたのであろう!」
「出来る訳がないでしょう。王国第一軍が取り囲んでいるのですよ? 殿下に許可を受けた人間以外は通れません。無理に押し通ろうとすれば……戦争です。それに洗脳ですって? そんな魔法は存在しません。でしょう?」
「……ぬ……う……。そうだ、そうだな……」
アルゴスはここでチロリとアレスの様子を伺い、再び口を開く。
「それで? 親衛隊、いいや、あなたの護衛隊の皆様は一体何処へ?」
「知らん! 俺が聞きたいくらいだ!」
そこでアルゴスは強く納得したように頷いた。
「ああ、見捨てられたのですね」
「うう、キ、貴様ァア!!」
必死に考えないようにしていた事実を、遠慮も会釈もなく言い表されてアレスは激昂し、椅子から立ち上がった。
その勢いのまま、アルゴスの胸倉に掴みかかる。
しかし、アルゴスは微動だにせず受け止めた。アレスは長身だが、アルゴスはそれ以上。しかも文官服の中身はそれに似合わぬ長年鍛え上げられた鋼の肉体だ。
アレスは多感な時期に過ごした帝国による
「お戯れはお止めください」
「……ぐ……う……!」
アレスがどれだけ押そうが引こうがびくともしない。
「やれやれ……。これでは話ができませんね」
対してアルゴスは片手一本で簡単にアレスの手を外し、手近な椅子に座らせた。
「……うう……! お、俺は、見捨てられてなどいない!」
「何故そんな風に思えるのです? 守るべき対象である殿下を、いくら王城内といえどお一人にさせる親衛隊や護衛隊がいますか。……いつから姿が見えぬのです?」
「……一昨日からだっ……!」
吐き捨てるように言った。既に心はどうにでもなれ、という投げやりなものになっていた。
「となると既に王城を脱出し、帝国へと向かっている可能性もありますか。殿下がお認めになった者は、基本的にフリーパスですからね。王都を現在取り囲んでいる軍勢も、民間の通行を妨げているワケではありませんし」
「そんなワケがない! あいつらと俺は一蓮托生だったハズなんだ!」
「そう思っていたのはあなただけだったようですね。彼らはあなたの親衛隊や防衛隊である前に帝国の貴族なのです。ハッキリ言いましょう。今回の事態とて、王国出身の人間を傍に置いていれば未然に防げた筈です。ロッシュ様さえいれば……」
「あいつのことは言うなっ! 不愉快だ!」
アルゴスの言うロッシュとは、ワレンシュタインで今や重鎮の立場にいるランバート自慢の息子であり、そしてリィズの頼れる兄ロッシュフォードのことである。
幼少の頃からアレスと付き合いがあり、お互い幼い頃には毎日共に遊び、共に学んだ仲であった。丁度、アルティナとリィズの関係そのままであったのだ。
しかし、アレスがバアル帝国に留学した時から全てが変わってしまった。留学なので当然帝国にその身柄を預けることになるワケだが、その頃既に押しも押されぬ大貴族となっていたワレンシュタイン家の長子ロッシュフォードまで、たとえ今まで護衛役も兼ねていたとしても、帝国まで同行させるのは無理な話だったからだ。
王子と共に二人揃って人質に捕られる可能性があったからである。
当時のアルゴスも、二人を共に行かせるという案には反対せざるを得なかった。
あの時、帝国にまでロッシュフォードが同行していれば、こんな事にはならなかった、のかも知れない。
ただし、ロッシュフォードまで今のアレスのように帝国の価値観を植え付けられていた可能性もあるので、今の状態もまた最善である、という可能性があった。所詮は結果論なのである。
だからアルゴスに後悔はない。今の自分も、あの時の自分と同じ選択、主張をすると断言できる。
しかし、ロッシュフォードと眼の前のアレスに対しては負い目があった。
「いいえ。今更ながらではありますが、敢えて今訊かせていただきます。何故、ロッシュ様を遠ざけたのです?」
「あいつはっ! 煩わしい事ばかりを言った! ずうっとな! 鬱陶しいヤツだったのだ! そして最後には俺を殴った! この俺、第一王子アレサンドロをだぞ!?」
「こうなることが、分かっていたからでしょう。殴ってでも、今日この日を変えたかったのです」
「な……!? う……」
「あなたは結局途中で歴史の講義に興味を失いましたが、かつての赤髭卿はこう言いました。『良薬は口に苦し、それと同じように、自身を真に思う親や友人、臣下からの諫言、忠言というのは大抵が耳に痛いものだ』とね。ロッシュ様がもし今もあなたの傍にいれば、少なくとも『連座制』を持ち出す、などという愚行は犯さなかったでしょう」
「愚行!? 愚行と言ったか貴様!?」
またも激昂しかけるアレスだったが、アルゴスは冷ややかに返した。
「こんな状況になって、まさかまだ愚行だとお気づきになっていないのですか?」
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