366 第22話33終:彼らが為に鐘は鳴る




 たとえ完勝に近い結果であったとしても、味方の損害はどうしても発生する。それが戦争というものだ。

 戻ってきたランバートにもたらされた報告は、正にこのことを強く実感させられるものだった。


「負傷者、千八百。その内、死傷者は八十八名もの数に上ります」


「損耗率三割超か……。死人が三桁いかなかったのはまだ良かったな……。死んじまった奴らには慰めにもならんが」


「ですが、あの大盾を事前に準備できていなければ、被害規模はこんなものでは済まなかったでしょう」


 ベルサ直属の部下である報告官の言葉に、ランバートは強く肯く。


「そうだな。あの大盾を製作し、配備を進めてくれたシア殿に感謝するしかねえ」


「彼女には、このまま我が軍の武装面を正式に担当していただきたい。そう進言いたします」


「俺もだ。まぁ、そりゃあちょっと難しいだろうがな。負傷者の方はどうだ?」


「残念ながら、回復薬の残存が切れました。回復班の魔法力もそろそろ限界かと……」


「聖騎士団の方に少しでも在庫を提供してもらえないか、確かめてみるか」


「あ、既にいただいております。新団長クルセルヴ殿から」


「新団長? あ~、まぁいい。とにかく応急でもいいから、これ以上の死者を出さぬよう努めさせてくれ。必要とあれば俺もやろう」


「は、はい!」


 ランバートは所持する上位クラス専用SKILL『英雄騎士の証ピース・キーパー・エンブレム』の効果ゆえに、土属性の回復魔法『回帰リカバー』を使用することができる。

 彼はワレンシュタイン軍のトップにして最終戦力でもあるため、滅多に使われることはないが、その気になれば百人単位の人間を癒す事が可能であった。今は戦闘によって消費されており、さすがに十人程度が良いところであろう。


 報告することは一応終了したのか、一度口を噤んだ報告官を見て、ランバートは別の気になった事を訊こうとする。


「ところで、ベルサの奴はどうした?」


「戦闘で負傷いたしました……。飛んできたキカイヘイの腕部にやられて……腹を。ただ、ご本人は軽傷と申されております。実際、すぐに血は止まっておりました」


「そ、そうか」


 少し安心するランバート。しかし、胸騒ぎが収まらない。それを象徴するかのようにこちらへ全力で駆けて来る新たな報告官の姿があった。

 彼は顔面蒼白であった。ランバートの胸の奥が早鐘と鳴らす。思わず地の大声で言った。


「何があった!? 挨拶は要らん! 報告せよ!」


「べ……ベルサ様が……!」


 喘ぐような声を聴くだけでもう充分であった。




 現場に到着したランバートは、まず力無く倒れるベルサの胴からブレストプレートを半ば強引に引っぺがした。

 途端に、ランバートの双眸が限界まで押し広げられる。


「こ、この、馬鹿野郎が!」


 その頃には異常事態は全体に波及、虎丸の背に乗り地形も無視したハーク達もベルサのもとへと集結していた。遅れて到着しようとしているクルセルヴ率いる聖騎士団の集団もあった。

 虎丸の背を飛び降り、ランバートの隣に着陸したハークにも見えた。右脇腹がほぼ抉られて無くなっており、薄桃色の内臓まで露出していた。


「ベルサ殿……こ、これはひどい!」


 しかし、一目では不可思議であった。患部から一滴も血が流れていないのだ。これだけの深手であれば、血は止めどなく噴出して然るべきである。

 疑問は、患部にそっと触れたランバートの手が解決してくれた。


「こ、こいつ! 傷ついた箇所を全部凍らせてやがる!? 攻撃を貰ってすぐに、この地の雪にでも押しつけやがったか!?」


 恐るべき行為であった。自ら進んで凍傷をこさえるようなものである。地獄の苦しみであったことだろう。それだけに、失血死を多少なりとも遅らせられる効果はある。


「……ム……大将……、それにハーク殿……。戦は、どうなりました……か……?」


 気がついて、眼を開けたはいいものの、ベルサは明らかに息も絶え絶えだった。


「心配するんじゃあねえ、完勝だこの野郎! それよりこんな無茶苦茶しやがって馬鹿野郎が! 今回復してやるぜ、『リカ……!」


「待って……!!」


 誰もが冷静になれぬ中、ランバートを止める声があった。皆、その方向へと視線を向ける。ハークとて例外ではなかった。

 そこにいたのは、魔力切れを起こし、奥で休んでいる筈のヴィラデルの姿があった。


「ヴィラデル殿、何故止める!?」


 泡を喰ったように言うランバートの言葉に、ヴィラデルはふらつきながらも気丈に返す。


「落ち着いてよく診て、大将サン。それだけの大怪我をしていれば、普通、臓器の一つや二つ欠損していてもおかしくはないワ。ほとんどの臓器は『回帰リカバー』で対処することはできないのよ」


 彼女の言う通りだった。ハークもギルドの寄宿学校で習った。土属性の『回帰リカバー』は、ハークの使える『回復ヒール』と違い、魔力効率が良い代わりに、その種族が持つ自然回復能力を超える治癒はできない。

 『回帰リカバー』は、あくまでもそのものが持つ自然回復能力を爆発的にとはいえ上昇させるだけなのだ。失った血液もそうだが、水を物質変換して傷を治す『回復ヒール』とは違って、欠損した部位を再生する事はできない。人間族のほとんどの臓器は、自然治癒では再生することはないのだ。


「そうか!? そうだった! クソッ! この様子だと二つ三つはやられてる! 回復班!」


 ランバートがすぐ近くに控える魔導士然とした人物に呼びかけたが、彼は無念そうに首を横に振って答えた。


「……再生回復魔法持ちの魔力は……既に使用尽くされております……!」


 歯軋りすら聞こえてきそうな声であった。その返答を受け、ランバートは動きを止める。まるで固まったかのように。


「ハーク、アナタ残りの魔法力は?」


 代わりに、訊いたのはヴィラデルだった。


「残り、三割ほどだ」


「……一応訊くわ……。治せる?」


「……無理だ……!」


 血を吐くが如く、ハークは言うしかなかった。ハークも再生回復魔法持ちであるが、範囲が届かない。最大の魔法力値を持つ状態であったとしても、ハークでは人の肘から先に届かぬ程度なのだ。三割では拳大にも届かない。悲痛な事実に、半ば予想していたとはいえ、ヴィラデルも顔を俯かせた。


「そっ、そんなっ!? な、なんとかっ! なんとかならねえのかよぉおー!?」


 涙声でそう叫んだのはフーゲインだった。


「……無理を、言うでない、フー坊……」


 ベルサの声だった。


「ベルサさん! でも、でもよぉ!!」


「……戦場で、兵士が死ぬのは、当然の事じゃ……。……それが今回は、たまたまワシであった、それだけの事……」


「ンなこと言ってもよぉ! ベルサさん! あんたが死ぬなんてさぁ!!」


「……悪くない話さ。お前は強くなったなァ、フー坊よ……。そんなお前たち若いモンを守って死ねる……。……老いぼれの死に様としちゃあ、出来過ぎて笑えてくるわい……」


「……何っ、勝手なこと言ってやがる!」


 拳を地に叩きつつ言ったのはランバートだった。驚いたのだろうか、日毬が鳴き声を上げた。


「勝手に諦めるんじゃあねえ! 言っただろうが! お前をこんなとこで死なせたら、俺らは全員、リィズの奴に殺されちまうぞ!」


 ベルサがふっ、と笑った。彼は獣顔だが、ランバートには良く分かった。彼は続ける。


「お前には、この先のアイツを支えるっつう仕事も残っているんだ! まだ引退とか絶対許さねえぞ! 全員考えろ! なんかねえか!?」


 その時だった。


「日毬、それは本当か!?」


 ハークの声だった。縋るように全員の視線が集まるのは当然の事だった。


「どうした!? 何かあるのかハーク!?」


「待ってくれ」


 再び無言になる空間。その中で、千単位の注目を一身に受けながらも、恥ずかしそうに日毬はもう一度、小さな囀りを上げた。


「ハーク。声が小さくて、アタシにも日毬ちゃんが何言ってるか聞き取れないわ。アナタには分かった?」


「ああ。日毬がこれから、残った魔力を儂に分け与えてくれるらしい」


「何ですって!? そんな事ができるの!?」


「日毬の話では、一度やったことがあるらしい。その時は、他者から魔力を譲り受けただけだったようだが」


「受け取ることもできるの!? 日毬ちゃんの残存魔力は!?」


『二割五分といったところだ』


 答えたのは虎丸であった。無論、念話である。その残存割合はハークのものよりも低いが、実際の魔力量は倍に近い。


「では、他の人の魔力も事前に受け取っておいた方が良いのではないかしら!? 成功確率もきっと上がるわ!」


「そうなのか!? なけなしだが、俺も提供さしてくれ!」


 いの一番に叫んだのはフーゲインだった。彼に続こうとする者は何人もいたが、ハークはそれを制する。


「駄目だ……。受け渡しが可能なのは、日毬によると、儂のように縁深き者同士からではないといかんらしい……」


「そんな!? く、くそっ!」


 悪態を吐くフーゲインの気持ちがよく分かった。

 しかし、こればかりは仕方がない。魔力の他者間での受け渡しなど、魔法の専門家であるヴィラデルですら聞いたこともない能力である。

 使えるだけ僥倖の筈だった。そう思った時である。


『ふむ。ならば日毬。オイラの分を持っていくッス』


 虎丸であった。


 驚いて視線を向かわせたのはハークだった。確かに虎丸ならば、日毬との縁の深さは主人である自分とほとんど変わることはない。ハークが可能ならば虎丸も道理の筈である。

 しかし、その事を虎丸が自分から提案をしたことが、何よりハークを驚かせていた。


「良いのか、虎丸?」


 肯く虎丸。


『モチロンッス。オイラのMPは、まだ半分は残っているッス。それに、このままじゃあ、なんか悔しいッス』


 迷いなく、虎丸はそう返す。

 虎丸にとって、一番大事なのはハークの安全である。最近はこれに日毬の保護も加わったが、それ以外は基本的にハークが頼むからで行うに等しい。シアなどの仲間に対してもそうだった。

 これは、虎丸が特別薄情であるとか、そういうことではない。その精神構造自体が、どうしても人のそれとは別であるからだ。ものに対する考え方が根本から違うのである。特に死生観だった。


 しかし、今、虎丸は明確にこの状況を否定した。そこに、相棒の確かな成長をハークは確信せざるを得なかった。


「よおし! 良く言った虎丸! 頼むぞ日毬! 虎丸より魔力を吸収、その後、儂に受け渡してくれ!」


「きゅんっ!」


 ハークが屈みこみ、ベルサの傷に触れて、彼の表情が一瞬だけ苦痛に歪む。

 エルフの少年の小さな左肩に、虎丸の大きな右前脚が乗せられる。その前脚に、少年の左肩にとまったままの日毬が触れた。


「いくぞ、ベルサ殿! 儂の再生魔法は一瞬とはいかん! 少しの間苦しいが、耐えるのだぞ!」


「……了解いたしました。……ただ、もし失敗されたとしても、ご自分を責めることのないように……」


「何を弱気なことを申される! ランバート殿の言うように、リィズを悲しませて良いと思われるのか!?」


「……そうですな。……どうか、お願いいたしまする……」


「うむ! やるぞ! 『回復ヒール』!!」




   ◇ ◇ ◇




 凍土国オランストレイシア、首都シルヴァーナ。

 キカイヘイ軍団を打ち破った激戦の後、ワレンシュタイン軍は聖騎士団の生き残りたちと共に再びこの地に足を踏み入れたのは五日後のことであった。


 行きの二日に比べ、倍以上かかったのは他でもない。主力組が全員魔力切れで動きようが無かったからだ。丸一日は、聖騎士団の生き残りたちが潜伏していたあの村の建物を借り、強制的にでも休ませる必要があった。

 そこから負傷者を運びつつ、ゆっくりと移動を開始した。回復班も主力組と同じく魔力切れであったため、それ以上悪化することがないところまでは事前に治しておいたが、当然に全く不完全である。回復薬も品切れなので、回復班の魔力が回復したところで新たに回復魔法を施し、治療を進めてまた魔力の回復を待つ、そういった流れの繰り返しとなる。

 ただし、途上でオランストレイシア宰相フェルゼが事前に敷いていた補給にて得られた回復薬により、王都に到着する頃には全員がほぼ全快とはなっていた。


 王都シルヴァーナに入るところでまたぞろ問題が起こるのではと思われたのだが、結果的にこの国の宰相フェルゼと、何より生き残っていた聖騎士団のおかげで問題なく入れることとなった。

 どうやらこの国の聖騎士団は、特別な権限こそ持ち得ないが、その行動を阻むことができるのは女王だけであるらしい。宰相も、命令権こそ持ち合わせてはいるが、これも女王より貸与されたものであるという。この国では、聖騎士団は特別な存在なのだ。


 裏切り行為を働いたであろう侍従長キュバリエへの訴追も、彼らが率先して行うと約束してくれた。ちなみにワレンシュタイン軍はランバートを始め、これ以上関わる気は一切無い。結構色々とこの国で暴れもしたが、今更だとしても内政干渉だけはいただけないからだ。


 そんな彼らは今、前にこの都市に訪れた時と同じ、暖かい兵舎を提供され、そこに居座っている。ただし、前回と違い、この国ならではの豪勢な食事と酒が、ひっきりなしに運ばれていた。

 彼らは、この国でも英雄となったからだ。


 そんな英雄の休む一室に、その軍団を束ねる大英雄が入室してきた。


「おう、また飯持ってきたぞ!」


 ノックもなしに入ってきたのは、当然ランバートである。


「さっきも食ったではありませんか、殿」


 やや辟易した声を出したのは、ベッドの上に寝かされた白い毛皮持つ獣人、ベルサであった。


「もう三時間経ったぞ! ベルサ、お前はまだ血が足らねえんだ。胃の機能は完全に回復している筈だから食え食え! ……と、主治医殿ハークが仰っていたぞ」


「やれやれですなぁ……。この国の食べ物は正直油が多くて、量を食べるのがキツく感じますわい。味も濃いですからなぁ」


「そう思って、ホレ! 主治医殿のお手製だ! 消化にも良いらしいぞ!」


 食事用のテーブルに、ランバートは持ってきたどんぶりを置く。中には赤い汁で煮込まれた米の料理が浮かんでいた。細かに切られた野菜もたっぷりと入っている。


「おおぉお!? 良い匂いですなぁ!」


「だろ? 俺も一口貰ったが、美味いぞ。元気も出る」


 備えられた匙を掴むと、我慢できぬとばかりに彼は一口含んだ。


「うう、美味いぃ! あ~~、染みますなぁ~。本当に彼には、これで尚一層頭が上がりませぬ……」


「ああ。俺なんか、娘の分と併せて負債が溜まってく一方だぜ。いくら本人から気にするなと言われてもよォ。国に帰ったら、何とかせんとなぁ」


「全くで、はむ、ございますわ、はむ」


 答えながらも、ベルサは食事の手が止まることはない。邪魔してはいかんと、ランバートはしばし無言となった。

 すると、扉が二度ノックされる。ベルサの代わりにランバートが入室を許可すると、ドアを開けて顔を見せたのはフーゲインだった。


「あれ? 大将もここに居たのか」


「おう、なんだフーゲイン。俺と同じで見舞か?」


「いや、……まァその気持ちも無くはねえんだけど、五日前に放ったスカイホークが戻ってきたんだ。大将宛の手紙が携えられてた」


「おう、そうだったか! 貸してくれ、読む!」


 ワレンシュタイン軍では伝令に従魔のスカイホークを使うことが多い。正確性も高く、何より速いからだ。

 フーゲインの言う通り、五日目の戦闘が終わってから数時間後に使い手の連絡員が放ったが、もう戻ってきているのだ。


 フーゲインから手渡された手紙を、ランバートは即座に開封し、眼を通す。しかし、最初は柔和だったその表情が、どんどんと険しい、真剣なものへと変わっていく。

 ベルサも食事の手を止めて、訊かざるを得なかった。


「殿、いかがなされましたか?」


「ベルサ、すまねえが、お前の回復を悠長に待つことは、どうやらできんらしい。明日には立つぞ。フーゲイン、ワリイがこのことをハーク達や全軍へと伝えてくれ」


「本国で、何かあったのか!?」


「こいつだ」


 ランバートはフーゲインへと文をそのまま寄越す。彼が読む間もなく、ランバートがそこに書かれた内容を語りだした。


「あのバカ王子がまたやりやがった。第二王女派閥側が、挙兵せざるを得なくなったらしい」


「はぁ!? 何だってそんな事態に!?」


「殿、もしや王族の不当な権力の行使に対する、我ら貴族の抵抗権、及び挙兵権、でございますか?」


「おう、その通りだ。後でお前も読め。バカ王子もこれで終わりだ。しかし、派閥の盟主たるアルティナ様が、今回ばかりは姿を現さねえことには始まらねえ。リィズと共に一足先に向かったそうだ。俺たちも追いつくぞ」


 苦々しげに彼は言う。

 どうやら英雄と呼ばれる者達が集まると、ひと時の休息さえ、許されなくなるようだ。







第22話:NO WAY OUT完

次話、第23話より第四幕:モーデル王国編、開幕


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