367 幕間㉒ SS:とある真冬の夜の夢(後編)


※このお話は、333 幕間㉒ SS:とある真冬の夜の夢(前編)の続きとなります




 リン=カールサワーは、今から言えば・・・・・・戦時中に、相手国であるバアル帝国から恭順した者たちの長を務めていた女性である。

 長い黒髪を頭の後ろでまとめた、すらりと背の高いヒト族の美女だ。その髪のまとめ方が、エリオットの恩人でもある、とあるエルフの英雄とそっくりだった。あやかっているのだろうか、とも思ったことがある。興味はあれど聞いたことが無い。

 ちょっと怖いからだった。


 そう。エリオットは彼女が苦手であった。その、無表情かつどこか高圧的な態度もさることながら、匂いがほとんど無いのだ。

 エリオットの経験上、ヒト族の女性は男性に比べて雑多で複雑な匂いを放っていることが多く、彼からすれば非常に感知し易い。

 誤解なきよう述べておくが、決して臭いワケではない。あくまでも個人を特定する際や探し当てる時に楽かどうか、それだけだ。


 しかし、リンにはまるでそういったものがない。一族の秘術だそうだが、それが尚一層、彼女の得体のなさのようなものを引き立ててくる気がするのである。


「あ、……あの」


「なんですか? はっきり喋りなさい」


 ぴしゃりと言われ、エリオットの意気地はさらにしぼむ。


「い……いえ、なんでもないです……」


「……やれやれ、大将となってもお変わりありませんね、あなたは。あなたの方がもう遥かに上官なのですから、シャキッとしてくださらないと困ります」


「は、はぁ……」


 そうは言われても彼女はエリオットの所属する軍組織とは別系統に所属している。彼女への命令権などをエリオットは持ち得てなどいない。それで上官などと言われても、正にお飾りだ。


「それで? 私も暇ではありません。そろそろ最初の質問に答えてください。こんな所で何をしておられるのです?」


「え……えと、道に、迷っていました……」


 また盛大に溜息でも吐かれるのだろうと思っていたが、彼女は何故か両の眼を見開いて動きを止めていた。

 次いで懐から一枚の紙を出すと、サラサラと何事か書いてからそれを寄越した。


「?」


「それならそうと早く言ってください。目的地までの道順を記しました。これに従いお進みください」


「え? えッ!?」


 エリオットは渡されたばかりの紙切れに視線を落とす。そこには分かり易く、且つ詳細に『ケイサツ』本部の建物、『ケイサツショ』への道順が示してあった。


「あっ、ありがっ……! ……あれ?」


 エリオットが顔を上げて礼を述べようとした時には、もう目の前に彼女の姿は無かった。見回しても、周囲に誰もいない。


(またかぁ……)


 エリオットは諦めの溜息を吐く。恐らく彼女は主のもとへと帰ったのであろう。

 リンはこちらの国へと恭順してからしばらくして、自分を現在の状況へと促した人物を強烈に慕って、その人物のために働くようになった。頼まれなくとも情報を集めてきたりするようだ。

 今回の『ケイサツ』設立にも諜報面で関わっていると聞いている。


 今の、いきなり現れてはエリオットを驚かした後に消える行動は、彼女にとってはいつものことだった。ワレンシュタイン領都オルレオンでも日常茶飯事の出来事であったのだから。

 ただ、最近になって何かしら手助けをしてくれたり、何かをくれたり、困っていることを聞いてくれることが多くなっていた。前回は冷たい飲み物を渡して貰った記憶がある。一体何なのだろうか、彼女についてはサッパリ分からない。からかわれているだけなのだろうか、それが一番正解に近いようにエリオットは思う。


(もしくは……、あの方に『一日一善』をせよ、とか命じられたのかも……)


 何となくそんな気もした。

 『一日一善』とは、この国で最も信奉者の多い昔の偉人が嘗て提唱した、一番続けることが困難で最も尊い、と称した行いであるという。そう考えると増々有り得そうだ。




 曲がりくねった道を幾つも通り、曲がっては進み曲がっては進み、三十分後、ようやくエリオットは目的の『ケイサツショ』前に立っていた。

 思っていたのよりもずっと巨大な建物である。新設であるがゆえに予算がまだあまり下りないであろう機関に、という注釈をつければ尚の事だ。

 実家近くのショッピング複合施設が丁度これぐらいの大きさだった。


(うわぁ……、またキンチョーしてきた……)


 見るからに新しい建物だというのに、出たり入ったりする人々の数がまた多い。その誰もが忙しそうにしているのが、エリオットの緊張により拍車をかけた。


「ご、ごめんくださ……い?」


 ドキドキしながら扉を開けて中にはいるとイキナリ壁にぶつかった。

 いや、違う。どこに服着た壁があるものか。誰かの背中だった。


「ご、ゴメンナサ……」


「ん~~~?」


 ぶつかったことをすぐさま謝ろうとすると、その人物が振り返った。その顔を視て、エリオットは身体を硬直させてしまう。


(う、うわぁ、コワイっ!?)


 振り返った人物は二メートルを軽く超える巨体で、しかも超がつくほどに強面であった。ワレンシュタイン軍でのエリオットの直接の上司も、時々随分な強面となる瞬間があったが、この眼の前の人物は比較にならない。

 きっと捕まったばかりの凶悪殺人犯なのではないかと、エリオットは思ってしまう。


 その時、別の人物からの叱責が飛んできた。


「おう、弟よ! そんな入り口の真ん前にクソデケエ身体で突っ立ってんじゃあねえ! 他の人様が入れねえだろうが!」


「あ。しまったぜ」


 弟と呼ばれた強面の人物はそう言うと、すぐにその大きな身体を脇へとどけてくれる。

 しかし、彼を叱責した恐らくは彼の兄であろう人物も、弟に負けず劣らずの巨漢だった。オマケに強面なのも同じである。と、いうより非常によく似ていている。全く同じ服装なので見分けがつかないくらいだ。違いは兄が口髭で、弟が顎鬚を生やしているところくらいだろう。


 そんなことを考えていると、顎鬚の方が腰を折り、膝を折って顔を近づけてきた。


「ごめんなぁ、おっちゃんぶつかっちまってよォ。嬢ちゃん……いや、坊ちゃんかな? お詫びの印に飴をあげような」


 そう言って、にこやかに懐から出した棒付きキャンディーを差し出してくる。全然優しいヒトだとエリオットは悟り、心の中で、強面という容姿だけで凶悪殺人犯などと予想してしまった自分を恥じた。

 ちなみに子供と勘違いされたことに関しては何とも思ったりはしない。自分の容姿では、犬人族の事情に特別詳しくない限り見分けは不可能だと思っている。


「い、いえ、こちらこそ……」


 そう返して思わず受け取りそうになった瞬間だった。


「おい! ズィモット兄弟はいるか!?」


「「へ、ヘイッ! ここに!」」


 突然に、更に奥から聞こえた声に大きな身体を持つ兄弟二人は、一瞬に直立不動の体勢へと変わる。その速度に驚きながらも、エリオットは別のことへ頭を巡らしていた。


(ズィモット兄弟! 知ってる! 知っているぞ!)


 高名な古都ソーディアン出身の冒険者である。依頼理由さえ伴えば、額が伴わなくとも受けるという奇特なパーティーのメンバーだった筈だ。


 高レベル冒険者が不足したある時期に、突然に頭角を現して名を上げた集団の一つである。率いるリーダーの名は確か……。


「おお、ここに居たか!」


 ドタドタドタ、とけたたましくも一人のヒト族の青年が駆けてきた。


「どしたんスか、何か用スか親分!?」


 ビシッと背筋を伸ばしたまま、顎鬚の方が応える。その頭をベシャッ、と口髭が叩いた。


「あいたぁ!?」


「バカヤロウ! 親分なんて呼んじゃあいけねえって言われたろうが! 俺らはもうお気楽な冒険者じゃあねえんだぞ!」


「あ、ああ、そうだったっけか? んじゃあ、なんて呼びゃあ良いんだ?」


「あ~~~、そうだなァ。大将?」


 訊かれた青年は呆れたような困ったような、少し疲れたような表情を見せた。

 それを見て、更に彼らの会話をすぐ横で聞いていたエリオットは確信する。


(き、きっとこの兄弟の所属してたパーティーのリーダーだ! じゃあ、このヒトがシン=オルデルステイン!? 強いだけじゃあなくあんまりにも有能だったから、ソーディアンのギルド長が自分の後釜にするべくわざわざ養子にしたっていう人物だ! その手腕を見込まれて、旧知の仲でもあった長官が頼み込んで四年の限定で副長官の地位を引き受けたんだよね。つ、つまりは今日から僕の直接の上司……!)


 そんな彼が、一息吐いてすぐに気を取り直したのか、再度口を開く。


「まぁ、呼び名は何でも良いが……後で決めた方が良さそうだな。それより頼まれてくれないか」


「「アイっす」」


「よし。今日、ウチにまた新人が来てくれることになっているんだが、どうやらもうこの王都に到着しているようなんだ。衛兵隊が報告してくれたんだが、もうそれから一時間近く経っている。きっと道に迷ってるんだ」


「おお、そいつは大変スな!」


 口髭が応える。すぐ横で聞きながら、エリオットは、それってもしかして……、などと考えていた。


「だろ? ワリイが周辺を探してきてくれ」


「了解す!」


 動き出そうとする顎鬚。


「待て、弟よ! まだどんな人相だかも聞いてねえだろ!?」


「あ! そか!」


「新人は獣人さんらしくてな、犬人族で垂れた耳とふさふさの尻尾を持ってるらしい。それに犬人族は特殊らしくて、成人しても子供の背丈までなんだ。一目瞭然だろ?」


「「え? んん~~?」」


 またも兄弟の声がハモって横を向く。


「確か、名は……」


「あ、あの~~~……」


 いたたまれなくなり、彼は自分から声を掛けた。


「ん? 君は」


「ワレンシュタイン軍所属、エリオット=フリューゲルです! すみません、到着が遅くなりました! これからよろしくお願いします!」


 これが、王都の住民たちの平和を守るため常々奔走する日々をこれから送ることになる、一人の『お巡りさん』の着任初日の出来事であった。






 最初に語った通り、これはとある獣人族の少年が、たまたま真冬の夜に視た夢に過ぎない。

 だがこれを、決して確定している未来の姿ではなかろうとも、起こり得る未来は別であると断定し否定することもできない。

 現時点では決して……。





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