354 第22話21:Take Me ABOVE




 宰相に居場所を聞いて、村はずれの丘の縁に一人立つ自らの母親にクルセルヴは一歩一歩近づいた。

 不思議なことに、進むごとに身内、自分の母親であるという実感が薄れていく。

 いいや、とっくに無かったのかも知れない。

 忍び足でも気配を殺してもいないので、自分が近寄って来ているのは分かっている筈なのに、未だ村の外へと顔も身体も向けたままこちらを振り向かないのは、相手も同じ気持ちであることを証明しているかのようでもあった。


「団長」


「クルセルヴですか」


 こちらを振り返ろうともしないその姿は、何度か見覚えがあった。その度に、以前は胸にチクリと痛む何かを感じたものだが、今は全くない。


「もう一度腹を割ってお話を」


 答えもせず、彼女は丘の下に広がる景色を眺めるままだ。

 怒っているのか、答えに窮しているのか。或いはそのどちらでもないのかは分からないが、今のクルセルヴにはいずれかであろうとも構わなかった。


「意地を張っている場合ではありません」


「意地など張っていません」


 痛いところを突けば喋る。これも変わっていなかった。


 「知ってるよ」と答えてやりたかった。母が重視しているのは意地ではなく誇りだ。名誉と言い換えてもいい。

 かつては自分もそれを追い駆け回していた。が、今はこう思う、本当にくだらない、と。


「彼らは、我らの何倍も強者です。指揮下に入るべきかと」


「あなたは! 聖騎士団の誇りを、異国で忘れたようですね!」


 ようやく彼女はグルリと振り向いた。


「忘れてなどおりません。団長の命令で敵前逃亡を選択し、モーデルに逃れた後もね」


「私をなじるつもりですか!?」


「いいえ。事実を述べたまでです」


「……どうやらモーデルでは力をつけただけでなく、くだらない言葉遊びもあなたは学んできたようですね!」


 言葉遊びをしているのはどちらだと、余程指摘してやろうかとも思ったが、クルセルヴが言い放ったのは別の台詞であった。


「私がモーデルで学んだことは、実力や結果の伴わない誇りほど無用な長物はないという事実です」


「それは……価値観の相違です」


「仲間全員の命よりも、重いとは知りませんでした」


 この上なく直接的な物言いに両者の言い合いが一度止まる。


「全滅するというのですか? 聖騎士団が? 自分を勘定に入れ忘れてはいませんか、副団長?」


「私ですか? 勿論、死力を尽くす所存ですよ。しかし、私が一体を相手している間に、聖騎士団は皆死んでしまうことでしょう。団長、あなたとて例外ではありません」


「戦場で兵士が犠牲となるのは、仕方のないことでしょう」


「減らせることができる犠牲は、『仕方のない』で済ますことはできません。少なくとも私にとっては」


「……変わりましたね。あれほど死を恐れていなかったあなたが」


「死を恐れていなかったのではありません。私はただ……」


「ただ……?」


「生きる意味を、正しく認識していなかっただけです。とある方が、私にそれを教えてくれました」


「…………」


「勇猛と蛮勇は似て非なるモノです。ここで聖騎士団の長い歴史を閉ざして良いワケがないでしょう。どうかご再考を」


「何故そんなに彼らを信用するのです?」


「それは人間的に? それとも強さ的にでしょうか? 人間的な理由は先程、軍議の場で散々語ったのでよろしいですよね。と、すると強さ的の信用ということですね?」


「え、ええ、……そうです。彼らの内、英雄辺境伯以外はあなたの方がレベルが高いのでしょう? 確かに五千という兵力は侮れませんが、総合的な兵力自体の開きは我ら聖騎士団と、数字ほどはないと私は考えています」


 クルセルヴは内心呆れてしまう。

 ハーク達ワレンシュタイン軍主力メンバーを完全にレベルでしか視ておらず、しかも四十三とクルセルヴよりレベルの数値だけでも高い虎丸を勘定に入れていない。特に、虎丸や日毬など人間種以外は付属物くらいにしか考えていないのだろう。


 ある意味、憐れんでしまうほどに母は大きな目算違いをしている。クルセルヴの認識では、恐らく自分は個人としての戦闘力でも五指以内に入れないというのに。

 これはプライドや自負が足りないという話ではなかった。正確な認識をするかしないか、現実を見つめるか眼を逸らすかの問題だと、今のクルセルヴには分かる。


 更に、ワレンシュタイン軍五千の兵も粒ぞろいの猛者たちだった。

 聖騎士団はオランストレイシア中の実力者を上から集めたような集団であるため、レベルの上では二~三程度高いことだろう。しかし、練度と装備では格段にあちらが上である。

 これも母が気づく由もないことであろう。


 自分とて、オランストレイシアからモーデルへと渡り、色々と経験せねば分からないし、認めようとすらしなかったのかもしれない。

 この時クルセルヴは、自分が以前、いかに小さな世界に閉じこもっていたのかを実感させられていた。


 彼は首を振りながら、言い含めるようにできるだけ優しく言う。


「団長。我ら聖騎士団とワレンシュタイン軍全体の戦力的な兵力差は数値上そのままです」


 これでもかなり聖騎士団よりの評価である。しかし、そうと知らぬ母は即座に反論しようとする。


「何を言いますか。レベル上では……」


「団長。今気がつきましたが、私はもう一つモーデルで学ばせて貰ったことがあったようです。レベル至上主義と実力主義は全くの別物です」


 彼女はようやく一時とはいえ黙り込んだ。少しは納得してくれたかとクルセルヴも思ったのだが、実際には全く違うことを彼女は考えていたのだと、クルセルヴは思い知らされる。


「クルセルヴ。その盾は何です」


「は!?」


 クルセルヴの盾は元々、功勲としてオランストレイシアから貸与されたものであった。しかし、訓練中に割れてしまい、今ではより強力なものに変えていた。是非使ってくれとワレンシュタイン軍上級大将で留守居役のエヴァンジェリンから快く授けられたものだった。


 今の話題に全くといって関係など無いが、クルセルヴが一応とはいえ軽く説明すると、母である団長は途端に激昂し、捲し立て始めた。


「どこかあなたの言動がおかしく感じてはいましたが、クルセルヴ、あなたはモーデルに鞍替えしたのですね!」


 クルセルヴは一瞬絶句した。何がどうなったらそんな論理となるのかが、全く分からなかったからだ。

 しかし、彼の母である団長は、この絶句を息子が図星を突かれたからだと受け取り言葉を続ける。


「見損ないましたよ、クルセルヴ! 私は息子のあなたを誇りに思っていたというのに!」


「何を言っているのですか! 私の心は常に祖国に在りましたよ、異国にあっても! 大体、盾が何だというのです!」


「黙りなさい! あなたの盾は聖騎士団全体の誇りでもあったのですよ!」


「話をすり替えないでいただきたい! 今は来るべき戦いのための話をしているんです! いざ戦闘に入ってからでは遅いのですよ!? せめて協力体制を取るべきです!」


「あなたの口車に乗って、他国の軍に頭を垂れるとでも思っているのですか!? 私に、歴史上初めての他国に指揮権を引き渡した将になれというのですか!!?」


 この時、ようやくクルセルヴは何故ここまで母が頑なであるのか思い至った。

 しかし、彼が言葉を返す前に、母の眼が据わってきていた。

 何度か見覚えがあった。団長としての母は普段、理知的な人物だが、こうなると最早口での説得は不可能となってしまう。


「団長」


「もう良いです、クルセルヴ。この戦いが終わったら、あなたの聖騎士団副団長の任を解きます」


 それは、事実上の絶縁宣言にクルセルヴには聞こえた。




 一人ワレンシュタイン軍主要人物たちが待機する場所に戻るクルセルヴに、気遣うかのように近づくのは三人の男たちだった。

 聖騎士団が潜伏するこの村の入り口で、今日の見張り番をしていたあの青年と、先程の軍議でも団長の補佐として参加していた比較的年長な二人であった。


「カロン。フリックにジャンも、か」


「大丈夫か? クルセルヴ」


 代表して最も歳の近いカロンが口を開く。


「ああ、俺は大丈夫さ、心配ない。三人共、もしかして聞こえていたか?」


「あ、ああ。殆ど最後だけだが。……申し訳ねえ」


 クルセルヴと団長の話し合いは、最後は大声での応酬となってしまった。誰に聞こえても仕方のないことである。


「いや、気にすることはないよ。しかし聞こえていたならば話は早い。三人共手伝ってくれ」


「え? おい、何をする気だ。これ以上勝手に何かしたらまずいぞ! ホントにクビになっちまうだろ!?」


「そうだ、クルセルヴ、落ち着いた方が良い」


「俺たちも団長にお前の解任を考え直すよう進言する」


「ありがとう三人共。だがいいんだ、もう吹っ切れたよ。それより君らの被害を少しでも減らすことが重要だ。何か言われたら、副団長命令だと返してくれればいい」


 そう言ってクルセルヴは、実に清々しく、本当に吹っ切れた笑みを見せた。




 同じ頃、ハークは聖騎士団の村から遥かに南下した山の岩肌に引っ付いた虎丸の背に跨りながら、敵の集団を遂に発見していた。


「見つけたぞ」


 数キロ先の眼下にて進行を続ける異様なる『キカイヘイ』三百の集団を見つめながら、ハークは呟いた。




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