282 第19話06:犬人族の拳士
ハークの様子が、おかしい。
応援席にいる仲間達のところから選手の控室へと戻ってきたシアはそう思った。
どこと訊かれたら答え辛いが、いつもとは程遠い。それだけは判る。
「ハーク、大丈夫かい?」
「勿論だよ。問題ない」
こうして話しこそしてみれば普通なのだが、何かが違う。雰囲気というか、いつもの超然とした落ち着きがない。
どこかイラついているかのようだ。ハークには実に珍しいことだった。
(緊張でもしているのかな?)
次の対戦相手が、非常にハークの仲間、リィズとそしてその兄貴分フーゲインとに縁深い関係を持つ者であるから、なのであるのかもしれない。
次の対戦相手エリオットは、ワレンシュタイン軍に所属する軍人兵士であり、今現在は謹慎中で冒険者ギルド第七寄宿学校講師を務めているが、本来、軍の上級大将たるフーゲインらの部下にして彼の直弟子。
さらには、もう一人の上級大将である熊人女性エヴァンジェリンを含めてリィズの幼馴染であり、彼女らに加えてフーゲインの三人にとっての、共通の弟分のような存在だった。
闘技場の舞台、その真ん中に立つエリオットの姿を見た時に、リィズは少なからず動揺を抱いたようであった。
「なっ、なんでエリオットが!?」
どうも彼女は、幼き頃からの友人、その最後の一人が本大会『特別武技戦技大会』に出場しているどころか、軍属となり、しかもフーゲインの直弟子となっていることすら知らなかったらしい。
会場は、舞台整備に要していた休憩時間もなんのそので大盛り上がりだ。
特に黄色い声援が多い。他に甲高い子供特有のものも。
そういう意味では先の試合で、ハークに声援を送っていた客層とモロ被りしている。
理由は、そのエリオットなる人物の容姿を一目視れば納得であった。
愛らしい少年なのである。
エリオットは犬系の獣人族ということだが、その背丈は小さくてハークと同程度くらいだ。
それもその筈で、エリオットは若干十三歳になったばかり。
本大会どころか今までの同大会において、本戦である午後の部、トーナメント戦に出場した全選手の中でぶっちぎりの最年少らしい。
遠目から視ても、ほとんど子供のようなあどけない顔をしている。
ハークの外見も非常に大きなくくりならば同系統と言えるが、その完成された内面を知れば知るほど、彼の使う武器のような鋭い美しさだけが印象に残るものだ。
それと比べると犬人の少年は本当に年相応で、お姉さま方の熱烈な応援も納得ものだ。また、年端もいかぬ子供たちは、自分達に最も年齢の近いその姿に幼いながらもごく自然に自分達を投影して声援を送っているようだった。
(そう考えると、エリオット君の方が皆の期待に応えてる、……って形になるのかねぇ)
彼は、外見的に熊そっくりであるエヴァンジェリンとは対照的に、ほぼほぼヒト族基準の姿に垂れた犬耳とふさふさの尻尾を備えており、その姿はシアですら、無意識に君付けを行ってしまうほどだった。
レベルは二十八。やはりこちらもずば抜けて低い。特にレベル三十以下で本戦出場は初らしく、女性アナウンサーが熱のこもった声で伝えていた。
武器は無し。
フーゲインの直弟子らしく、パンチとキックで戦う。ただ、彼と違ってゴツイ籠手と足甲を装備していた。
「アイツも真面目なヤツで頑張っちゃあいるが、さすがにまだマスタークラスとまではいかねえ。俺のように鉄拳とまでは無理なんで着けさせてるんだ。俺が着けたらSKILLのペナルティが発動しちまうが、当然、アイツに上位SKILLなんぞまだねえからな」
師匠からの評通り、エリオットの動きはフーゲインの動きに見慣れたシアにとっては特に何の怖さもないものであった。
試合の対戦相手はレベル三十二で、四レベル差から当初は防戦一方で全くいいところもなかったが、一度懐に飛び込んだ途端に形勢が変わった。
恐らくはフーゲインらのような超接近戦法との経験が無いのであろう。
試合は相手に恵まれたような形で、リィズが一人ハラハラと観戦する中、ギリギリではあったがエリオットが勝ちを拾っていた。
結構なダメージも貰っていた彼だが、『特別武技戦技大会』は全試合を通して一試合ごとに回復魔法師の治療を受けられる。それでも、シアにとって、ハークがエリオット相手に苦戦する未来は想像ができなかった。
今のシアは、前述の諸々の事情と出来事を全てハークに伝えたのは、まずかったのではないのかと思い始めていた。
ハークは身内に甘いところがある。加えて子供に優しい。
そんな彼が、これから戦う相手とはいえ、リィズと幼い頃からの友人であるとの関係を知ってしまえば、過度に傷つけることを恐れて刀を振るう腕が縮こまってしまうのではないか。
これに対して、緊張に似たものを感じているではないか、と想像してしまう。
シアは今更、不安になっていた。
無論、彼女の不安は的外れなものである。だが、直前にクルセルヴと接触し、挑発的な言葉を送られたことなど知る由もないシアにとっては、仕方のない勘違いでもあった。
それに、話を聞いて、間違っても斬ることはまかりならぬとハークが自身の肝に銘じていたことから、あながち影響無しとは言い切れない状態でもある。
しかし、この時ハークは、クルセルヴによって抱かされた、彼に対する怒りを頭の隅へと押し込めようと躍起になっていたのである。
ハークにとって、怒りや憎悪などという
そういった感情は執着となり、動きに制限を与えてしまう原因になる可能性が高いからだ。
私怨で戦う場合であっても、必ずハークはそれとは分けて戦いに臨んでいることが多かった。
ただし、そういった感情一切が、全て戦いに不必要であるとはハークも考えていない。時に怒りと憎悪は、己を窮地からも奮い立たせる大きな要因となるからだ。
とはいえ、いくら何でも次の対戦相手ではなく、勝ち抜いたとしても二戦先の相手に対する感情など、邪魔以外の何物でもないであろう。相手にも失礼だ。
ハークの調子が、シアから視ていつもと若干に違いがあったのはそういう事情である。
ところが、まさかシアも、現状の予測こそ外してはいたものの、結果的にハークが己の予想通りの心情に、後に陥るなどと想像の外であった。
◇ ◇ ◇
ベスト三十二の試合を全て消化し、大会は遂に選ばれた十六名の試合へと移る。
にも拘らず、試合会場には見るからに二人の子供が対峙していた。その、ある意味特異な、そして稀有なる光景に、観客たちは怒号の様な歓声で彼らを迎える。
「さぁ、いよいよ始まります! 天才少年同士の対決が早くも実現! 片や、『カタナ』なる最新武器を携え颯爽と出現した英雄剣士!! 片や、ワレンシュタイン軍新人兵士ながら、愚直に戦い傷つきつつもここまで上り詰めた努力の拳士!! 両雄が並び立ち、いよいよぶつかるのです!!」
女性アナウンサーの客を
準備は整ったと試合開始の合図を待つエルフの少年に、もう一人の少年が歓声に掻き消されないように大声で語りかけた。
「あなたがハークさんですね! 今日まで我らが希望、リィズ様をお守りいただきありがとうございます!」
「ぬ?」
そしてぺこりと頭を下げた。次いで犬人族の拳士は顔を上げると、いつ試合開始の合図が告げられても良いように構えを取る。
「ですが! この勝利は僕がいただきます! そして、リィズねえちゃんの守護騎士の座も、僕がもらいます!」
彼は高らかに宣言した。歓声が邪魔で、間違っても客席まで届くような状態では無かったが、向かい合うエルフの少年の耳にはしっかりと届いていた。
そしてハークの特別の眼には視える。エリオット少年の構える腕に隠れて彼の顔が、ほんのりと朱に染まっていることに。
恐らく大仰な台詞を盛大に披露して、今更ながら恥ずかしくなったといったところであろうか。
〈実に、初々しいのう〉
ハークから視て、エリオットは聞いていたよりもずっと子供だと思った。
ハークの感覚からすると、女の子のようですらある。正に紅顔の美少年というヤツだ。自分の様な紛い物ではなく。
犬人族の証だという垂れた耳と尾っぽが更にその印象を助長していた。
ただ、その中にも凛々しさはしっかりと感じ取れる。それはつまり、彼の中の強靭な意志を現すかのようでもあった。
一言でいえば、その印象は
〈うーーーーむ。これは参ったな〉
試合開始の合図がアナウンスにて流れた頃、ハークの闘志はゼロに近かった。
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