273 第18話13:空龍の牙




 すっかり戦意を失くしたその姿は、先程まで鬼気迫る勢いでハーク達を追撃していたドラゴンと、とても同じとは思えない。

 肩を落とし、眼も伏せ、雄々しく羽ばたかせていた両の翼までをもぺたりと地につけていた。肩や眼は兎も角、翼は戦意がないことを示しているのかもしれない。


『儂と虎丸をエルザルドの仇、と思って追いかけたのだね?』


 ハークが確認をすると、ガナハはこくりと頷いた。


『う、うん。『大陸間会議』の前にダコタから聞いて頭真っ白になっちゃって……。エルザルド爺ちゃんが殺されるなんて、なにかゼッタイ卑怯な手段使ったに違いないって思っちゃって……』


〈まぁ、そうであろうな〉


 生前のエルザルドを真っ正面から倒せる存在など、聞けば聞くほど、知れば知るほどいないであろう。ステータスに穴はなく、遠近両方に対応し、さらに近い未来まで見通すのだ。

 当時のハーク達はもちろん、今のハーク達でさえ対抗する術は皆無に等しい。


『儂ら以外の生命体に対して、一切傷つけようとはしなかったのは、やはり狙ってのことだったのかね?』


『うん……、とにかくまず爺ちゃんのカタキを討ちたいと思ってて……。その後のことは、あんまり考えていなかったの』


『ふむ。では、最初の時の『龍魔咆哮ブレス』でも、あの場に置いてきてしまった儂らの仲間にも被害は……』


『モチロン与えてないよ! ちょっと破片は飛んじゃったかもしれないけれど、ケガもさせてないハズ!』


 それを聞いて、シアと二人、ハークは安堵の溜息を吐く。半ば予想できていたとはいえ、確約と聞けば安心の度合いは違った。


『そうか。それならば良かった。……それで、どこまで聞いたのかね?』


『エルザルド爺ちゃんが身体を操られてしまって、人間の街を破壊するところだったのを、あなたとそこの、魔獣型の精霊種とで止めてもらった。操るのが目的か、暴れさせるだけでも良かったのかまでは分からないけれど、そっちがエルザルド爺ちゃんの本当の仇。そこまでは聞きました』


『ほう』


『あ。あと、エルザルド爺ちゃんの身体は、最後に残ったエルザルド爺ちゃんの魔力で別の場所に保管しているって』


『ああ、成程』


 ハークが未だにエルザルドの肉体を所持していること、そしてそれを保管している『古代造物アーティファクト』級と思われる『魔法袋マジックバッグ』の存在は隠しておいた方が良い、そういう意味でのエルザルドの意図であることは明白だった。既に現在の会話から、シアやヴィラデルにもこの会話が聞こえ伝わっているからであると、ハークにも理解できていた。


『ではそこから先は、儂らも説明に加わろう』


『お、お願いします』




 宣言通りハークも加わった事後の説明は、その後三十分を超えて及ぶことになった。

 エルザルドを倒すことになった直後から、ハーク達に文字通りの知恵袋としての立場で加わってくれた経緯、そしてソーディアンを出立する流れからの、真なる犯人と目される帝国の関与にまで言及し終わったところであった。


 突然、大雨が発生したかのような音が、ハークのすぐ近くより聞こえてきたのだ。

 水音といえば日毬が魔法で召喚した高波もあったのだが、枯れた川あとに沿って、皆下流へととっくに流れていってしまっていた。


 つい先程まで良い天気であったというのに、と不思議に思いハークが顔を上げると、即座に原因が分かった。

 ガナハが泣いていたのだ。紫色の瞳から止めどなく、そしてさめざめと涙を流していた。

 その量が凄まじかった。まるで湧き続ける泉から流れ落ちる滝かのように、あとからあとから溢れ続けているのである。


『ガナハ殿……』


 ハークが心配して声をかけるが、ガナハの瞳から流れ落ちる涙の量は変わらない。


『ご、ゴメンなさい。もう爺ちゃんに会えないかと思うと、止まんなくて……』


 こういう時、ある意味で念話は便利だ。ここまで落涙している状況では、声など真面に出せるはずはない。物理的に不可能であろうから。


『いや、謝ることではないよ。ガナハ殿にとってエルザルドは本当に大切な存在だったのだな。気にすることなどない』


「そうだよ! 大切なヒト……じゃあなくてドラゴンか……、でも、失った時の悲しさってのはヒトでもドラゴンでも一緒さ! 泣くのは当然だよ!」


 ハークに続き、シアが彼女らしい言葉を挟む。


『うん、ありがとう……。爺ちゃんには、ボクがまだ生まれたばかりの頃、ずっと面倒を見て貰っていたんだ……』


『そうだったのか』


『結局、恩を返せないままだなんて、思いもしなかったよ……』


 哀しそうにうつむくガナハに声をかけたのは胸元のエルザルドだった。


『もう泣くでない、ガナハ。そもそも人間種たちの単位で言うならば九千年は昔の出来事だぞ? もう良いであろうに。気に病む必要もない』


 エルザルドの言葉は表面的な額面通りに捉えるならば、少々冷たい突き放した言い様にも聞こえる。

 だが、ハークにはなんとなくエルザルドが照れているからこその言葉であると感じられた。それは、生きた年月こそ両者の間に百倍以上もの開きがあるとしても、同じ精神的な老成に一度は達した者同士の共感であると同時に、この七カ月間、虎丸に次いで様々なことを話し合ったおかげでもあった。


「九千年!?」


 一方で、途方もない年月の単位にシアが驚く。ハークは既に聞いていたため、今更驚愕することはないが、気持ちはよく理解できた。


『まぁ、そうだな。エルザルドの言う通りかもしれん。そろそろ話を進めんとな。よろしいか、ガナハ殿?』


『う、うん。もう大丈夫だよ』


 ガナハは一度、明後日の方角を向いてから首から上をぶるぶると振るうようにして涙を払った。おかげで雫がハーク達を襲うこともない。まだぐじゅぐじゅ言ってはいるが、話を続けられぬ程ではなかった。


『それで、ガナハ殿はこれからどうする?』


『帝国に行って、本当の仇を探す! ……って言いたいけど、それはやっぱり難しいかな……』


『そうだろうな。その相手がどのような方法でエルザルドを『しゅ』にかけたかも判然としない以上、匂いでどうこう、というのは無理があるだろう。向かっても無駄骨となるに違いない』


『そうだね……。でも、なにもしないっていうのも……』


『いや、その方が良いのだ。エルザルドの意思を奪った方法は未だ判然としておらぬ。もう一度同じ事をやれるかどうかも分かりはしないが、もしできるようであれば、誰がどのような方法で、というのくらいは突き止めておかねば、いくらガナハ殿であっても警戒をすることすら困難を極めることだろう』


「ハークの言う通りだと思うよ、ガナハさん! ガナハさんまで操られることになったら目も当てられないよ!」


『シア殿の言う通りだな、ガナハ。むしろ、帝国には極力近づいてはならん。他の龍達にも情報伝達をして貰う必要がある。共有してもらい、龍種から儂のような犠牲者を二度も出さぬように……』


『ちょっと待って、少しいいかしら……!』


 まとめにかかろうとするエルザルドの言葉を遮って割り込んだのは、ここまで聞き役に徹していたヴィラデルであった。


『どうかしたかね、ヴィラデル殿?』


『思ったのだけれど……、そのエルザルドさんに『しゅ』をかけた相手って、本当に帝国所属の人間なのかしら?』


『む? 確かにヴィラデルの言う通り、現状では状況証拠に過ぎないが、エルザルドの行動によって帝国が常に利益を得ていることから考えても、ほぼ間違いないと予測できるのだが?』


 ハークが即座に返すが、ヴィラデルも思いつきで言った訳ではなかった。


『そうね。帝国の関与には、アタシも賛成できるワ。でも、人間種ごとき・・・が龍族の頂点たる最古龍をどうにかできるとは、アタシにはとても思えないの』


 確かに、と今のハークには特に頷ける話であった。

 ハーク、シア、ヴィラデル、この三人が怒れる最古龍たるガナハに対して成す術がないというか、ほとんど手を出さぬ方がいい状況にまでなっていたのである。ある意味通用したのは、虎丸と日毬の突出した速度能力乃至ないし、魔導力だった。


『だが、魔族とやらの関与もまた考えられぬのだろう? 魔族の住まう半島に対する封印は、既に完成して久しいと聞くぞ?』


『ええ、知っているワ。でも、知られている呪物の内で最大の効果を持つ『ラクニの白き髪針』ですら、対象の額に直接は突き刺す必要があるのよ? 怒りにだけ対象の精神を捉える効果であっても、自意識すら混濁させるほどに『しゅ』を最古龍に通じさせるには、直接相手に触れる機会でもなければ不可能だとアタシは考えるワ』


『それって、つまり……?』


 ここでガナハが表情を変える。苦味を含んだ嫌そうな顔をしたのだ。

 明らかな人外でありながら、ガナハの表情変化は割と分かり易い。言わば人間よりだ。


「ヴィラデルさん、もしかして……最古龍に触れるには同じ最古龍でなければ不可能……ってことを言いたいのかい?」


 まるで、失礼じゃあないか、とでも続きそうなシアの言葉だった。確かに他種族、この場合は龍族への侮辱と取られても、仕方のないヴィラデルの台詞ではある。


「そこまで言うつもりはないワ。ただ、人間種が最古龍に対してどうにかできるっていうのは前提条件として、アタシは考え難いと思っているの。だとすると消去法で、魔族が考えられないというのなら、龍族がなんらかの形で関与していると考えるのが、寧ろ自然じゃあないのかしら?」


 ヴィラデルは、強調するためなのか、わざわざ声に出して言う。


〈ひょっとすると、その通りなのかも知れん〉


 妙な説得力があった。状況的な証拠は全て帝国側に向いているが、確かに本気になった最古龍相手に人間種という身で挑むには無理があり過ぎる。

 それこそ、あの『キカイヘイ』を何百どころではなく、何千と消費する気でかからねば不可能とすら思えた。


『で、でも! 龍族同士でケンカや、多少の争いごとは昔あったって聞くけど、龍族同士の殺し合いにまで発展したことは、今まで一度もないんだよ!?』


「それでも、ケンカや争いごとくらいはあったんでしょう?」


『そ、それは……!?』


『いや、ガナハ。ヴィラデル殿の言う通りかも知れん。……いや、寧ろ思い至るに然るべき事柄でもあった』


『エルザルド爺ちゃんまで!?』




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