272 第18話12:SUDDEN FLOOD②




 初級の氷魔法であるにもかかわらず、籠められるだけヴィラデルが魔力を籠めた魔法は、季節と緯度を完全に無視、そして超越した細氷さいひょう、ダイヤモンドダストを形成する。

 きらきらと輝き、増幅され、乱反射の数々が降り注ぐ陽光を痛烈な目潰しへと変化させる。

 如何に優秀な嗅覚という感覚を備えていても、目標を目視できるならば、視覚を第一に頼るのは生命体の常だ。その他の感覚は、強く意識していなければ自然と補助に切り替えられる。


 これは、ハークや虎丸でも同じ事だった。そして、目の前の空龍も。


「グゥウアッ!!」


 最高速に加え、攻撃に移る直前だったこともあり、最も不安定な状況であったガナハは大きく体勢を崩した。無論、その完璧に近いタイミングをヴィラデルは狙っていたのである。

 ここで頂点の一柱たる身体能力を発揮し、全力で翼をはためかせた空龍は、地面への墜落だけは回避、その余波でヴィラデルが造り出した『氷の霧アイスヘイズ』も彼方へと拡散させる。

 しかし、僅かな時間とはいえ龍を足止め、いや、その空間に留めておくことができ、両者の差が開く。虎丸にはそれで充分だった。


『目的の場所が見えたぞヴィラデル!』


 ラストスパートとばかりに虎丸は更なる加速を見せる。三十一レベルになり、ハークもフル装備かつ短時間であれば虎丸の全力疾走を耐え得るようになっていた。彼よりもステータス数値が高いシアとヴィラデルにも気を遣う必要はない。


 一行は、虎丸が言った通り木々の少ない、森の中で幾分か開けた場所に出た。落ち葉の積み重なりが若干、底の深さを誤魔化してはいたが、かなり堀の深い窪地であることは明白だった。春の暖かき日に、一斉に冬の間に降り積もった雪が融けて鉄砲水が発生し、その勢いにて削られた地形のようである。


『最高の場所よ! 全員、虎丸ちゃんにしがみついて!』


 今この瞬間だとばかりに念話を飛ばした後、ヴィラデルは胸元に抱えたままだった日毬を飛び立たせる。


『今よ、日毬ちゃん! 全力全開で加減なくぶちかましちゃいなさい! 『大濁流召喚タイダルウェイヴ』!!』


「キューーーーン!!」


『なぬ!?』


『ゲッ!?』


 ずどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどどど!!!


「なななななんだい、ありゃあああああ!?」


『あ~~~……、これは予想通り・・・・予想を超えたわネ……』


 たった今、日毬が発動した水属性の上級魔法『大濁流召喚タイダルウェイヴ』は大量の水を任意の場に突如発生させ、超がつく高波を陸地であろうとも出現させる魔法である。

 ただでさえ・・・・・加減は全く効かず、発動させる場所の条件などによっては被害が拡大する上に、仲間や自分を巻き込んだりするなど非常に使い勝手が悪い。ただし、条件が整えばどのような相手であろうとも防ぐ術はない代物だ。


 実際、ハーク達の目前には、ブルーを基調としてはいても落ち葉やら土砂やらを飲み込んで様々な色を腹に宿した水壁が、聳え立つように出現していた。


 内陸育ちゆえに高波すら拝んだ経験のないシアが悲鳴を上げるのは当然だった。

 そして水の嫌いな虎丸も、必然であった。


「ヒャアアアアアアアアーーーーン!?」


『虎丸! 地面に前足を突き刺せ! 身を低くして踏ん張るんだ! 全員虎丸にしがみつけ!』


 それでも主の言葉に反応したのが、虎丸の虎丸たる所以なのかもしれなかった。指示通り、両の前脚を地に突き刺し、腹もつけるように身を低くする。そして体重が軽いがゆえに空へとヴィラデルが逃がした日毬以外、全員が虎丸の胴に覆い被さりしがみついた。水への恐怖心のせいか逆立った毛がチクチクと痛いが、我慢するしかない。


 ドッパァァアアン!!


 音と最初の衝撃は凄まじいものがあった。しかし、既に窪地を通り抜けかけ、その淵に到達していたハーク達が被る水の量と直撃する、つまりは通過する時間の長さは僅かと言えた。それでも、虎丸を含めた全員が、大波の勢いに身体を持っていかれまいと懸命に耐える必要はあったが。


 反対に、ハーク達を追いかけ窪地の真ン中に、空中とはいえ地面スレスレに位置していたガナハは全く逆の結果となり、うねる激流と逆巻く濁流に抵抗する暇なく沈んだ。




 受けたダメージは皆無に等しかった。

 だが、この時ガナハが受けた心の衝撃は、数千年単位で並ぶもののないほどであった。


「ガボボッ!」


 レベルにして九十九のステータスを持つガナハにとっても、逆らう術のない量と勢い。精度は兎も角でも、出力の面で無類に加えて魔導力超特化である日毬が、その総力を全開で発動させたものなのだ。


 空の上、空気とそして風の中であれば、『空龍』の異名通りガナハにはいくらでも対処の術があったことだろう。

 だが、水の中では勝手が異なる。この結果は激怒の炎に心を染めていたガナハに、文字通り冷や水をかける効果となった。


 苦しくはない。普段から超々高度を移動するガナハにとって、酸素とは極微量でも身体の内に残っていれば充分であるからだ。

 それでも充分に冷静さを取り戻させられた彼女は、右手を握るようにして爪と爪をぶつけ合う。

 硬質な衝突音と衝撃波が水中で発生し、一種のアクティブソナーの役目を果たすことで、天地其々の向きを渦の中で確信したガナハは、泳ぐというより力いっぱい大仰に羽ばたいて、荒れ狂う濁流を弾き飛ばすかのように空中に脱出していた。


 ずぶ濡れの姿で水から上がったガナハは、まとわりつく水滴にも構わずに周囲の状況をまず確認する。

 ほとんど正面に本来の目標、エルザルド爺の血の匂いをごく微量に漂わせた小さな人間種と魔獣の姿を視認する。瞬間、またも怒りで頭が沸騰しそうになるが、落ち着けと己に言い聞かせて更に周囲を観察した。


(あそこにいる者達じゃあない)


 見事に呑み込まれてしまった『大濁流召喚タイダルウェイヴ』を放った者のことである。

 今、自分の正面にいる者達の中に、あれほどまでの使い手はいないと彼女は判断した。

 エルフは相当なる魔導の手練れとはいえ、それはあくまでも人間種の中ではの話。魔導力に対して、超がつくほどに特化型の種でなくてはおかしい。でなければ、レベル的には少なくとも五十五を超えていなくては、計算が合わないほどだった。


 ふと、なにかを感じて彼女は視線を上げ、眼を見開いた。


(あれは!?)


 そこには金色の光を基調とした七色をまといし存在がいた。

 だが、間違いない。その姿形は、ガナハがまだ若き頃、空を自在に飛ぶ夢を密かに抱きし時に偶然遭遇し、こう飛行すれば良いと教えてくれた、いわば彼女の飛び方の師匠そのままであった。

 種族名は魔蟲種『グレイトシルクモス』。

 当時から、調べ物が苦手で嫌いだったガナハが自力で解き明かした存在であった。ゆえにその内面に至るまでもよく憶えている。争いごとが本当に嫌いで、間違っても悪に味方する存在ではなかった。


「キュウウウウーーーン!」


 美しくも勇ましい鳴き声が周囲に響いた。全ての受信を切っていたガナハにも、不思議と相手の伝えたい言葉が理解できた。「もうやめて」と「これ以上はやらせない」という、幼いながらも強靭な意志が届いた。


 眼の前の種はハネの模様と、まとう光が単色ではない点から、かつて見た『グレイトシルクモス』自身でないのは勿論のこと、同種ですらなく恐らくはその派生種だろう。しかし、その内面が大きく異なる訳はない。


(なにかが……間違って、いる、のかな……?)


 一瞬、脳裏に今感じた幼さゆえに目の前の存在が、後ろの人間種の誰かに誑かされているのでは、とも疑った。ところが、騙され自分の力を利用されているような存在が、あのような朗らかで健やかな囀りを上げられるのだろうか。

 そう思うことで充分であった。


 近距離の受信許可をオンに操作すると同時に、その声が脳内に飛び込んできたのである。


『ガナハ! 応答せんか! ガナハ!』


『エルザルド爺ちゃん!?』


 彼女にとって、なによりも聞きたい声であった。




 ハークは先程まで、自分達の前に壁として立ちはだかろうとの意思と行動を見せる日毬に、逃げるなりこっちに戻ってこいといった内容の念話を、虎丸と共に強くひっきりなしに発信し続けていたのだが、水から上がってしばらくした空龍の瞳からだんだんと剣呑な光が失われ、雰囲気も落ち着いたものに変わっていくのを感じていた。

 何より、今の今まで叩きつけられるかのように向けられていた殺気が、全くに霧散していたのだ。


『もう大丈夫だ、ハーク殿』


 幾分かホッとしたようなエルザルドの声に続き、その声は脳裏に美しく響いた。


『あの……事情はエルザルド爺ちゃんから聞きました。襲ったりして、ゴメンなさい』


 まるで少女の様な声音だと、ハークは感じた。




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