240 第17話03:Fight Me!
朝早く、リィズはオルレオン城を訪れていた。
彼女にとってここは実家である。
だから、昨夜の内に父と一緒に入城することも出来た。が、所謂彼女なりのケジメにより一晩だけ仲間達と同じ宿を取り、そこに宿泊していた。
予定では明日からも寄宿学校の寮に入り、そこで寝泊まりする予定なので、父親のランバートは酷く残念がっていた。
ここに来たのは兄を始め、父以外の他の家族などの自身を良く知る人たちと、久々に直接会って帰還の報告を行う為だった。
勝手知ったる城の中、ずんずんと進むと行き交う人々と交錯し、軽くとはいえ言葉を交わし合う。
皆、彼女の顔を見て安心して顔をほころばせると共に、彼女の帰還に対して歓迎の意を示してくれた。
歓待を受けて気分の悪い人間などいない。
リィズとてご多分に漏れずだが、彼女は目的地であった政務官執務室の前で暫し身なりを整え、気を落ち着けた。
二度ほど重厚な扉をノックすると、中から入室の許可が下りる。「失礼します」と一声添えてリィズは扉を開けて部屋に入った。
「ロッシュ兄上、リィズ、只今帰還のご報告に参りました」
彼女の言葉が若干の緊張感と他人行儀さに包まれているのは理由がある。
父親を含め、殆どが彼女に駄々甘な家族や周りの人々の中で、ほぼ唯一と言っても良いくらい、昔から彼女に厳しく接してきた人物であったからだ。お陰で子供の頃は露骨に苦手意識を持っていたものだった。
が、この長兄の存在がもし無ければ、今頃自分はただの甘ったれた貴族の子息女に過ぎなかっただろうと気付いてからは、この兄に対する感謝と信頼を強く向けるようになった。それこそある意味、実の父親以上に。
「うむ。よく無事に帰ってきたな」
対して、まだ朝早いというのにビシッと仕事用の文官服に身を包んだ兄、ロッシュフォード=ワレンシュタインは、相も変わらず忙しいのか佇んだまま読み込んでいた書類の束を執務机の上に置き、リィズに相対して珍しく柔和な表情を見せた。
と思ったら少しだけ彼女に近づいて、その頭の上に手の平を乗せた。次いで撫でられる感覚にリィズは戸惑う。
「あ、兄上……?」
「報告は聞いたぞ。隣のロズフォッグ領の危機を、命懸けでお救いしたらしいな」
「は、はい。で、ですが、私だけの力ではありません。寧ろ、私は裏方で……」
「謙遜する必要は無い。お前が命の危機すら顧みずに戦いに参加した事実こそが重要なのだ。お陰でロズフォッグ伯爵家との強固な縁故を得ることが出来た。対第一王子アレス一派への対抗派閥を完成させる巨大な一歩だ」
「こ、光栄です。では、計画は前倒しに?」
「いや、それは父上も仰られたと思うが、当初の予定をなぞるつもりだ。何しろ、アレス王子一派と共に帝国が連動する可能性は依然高いのだからな。帝国の手の内はまだまだ掴みかねているのが現状だ。『キカイヘイ』なる兵科の名称も、つい最近手に入れはしたのだが詳細が判らん。追って情報を渡すので、お前はアルティナ姫様と共に、引き続き自分達の向上を目指してくれ」
「はい、了解しました」
「ふ。それにしてもこの半年間、よく頑張った。……だがな」
ここで柔和だった長兄の表情が引き締まる。所謂お小言タイムを確信し、リィズは身を固くした。
「連絡が少な過ぎるぞ。父を含め、皆がどれだけ心配したと思っている。筆不精といっても限度があるぞ。期間中一通とはどういう了見だ⁉」
「も、申し訳ありません!」
リィズとしては平謝りするしかない。確かにソーディアンでの日々は忙しかったかもしれないが、手紙を書く時間はあった。ただ、暗号文にして作成しなければいけないのが面倒で、意図的に頭の中から追い出していたのだ。
だがすぐにロッシュは柔和な表情に戻る。お小言の長いこの兄にしては珍しい事だった。
「とは言ってみたものの、今日はまだお前も長旅の疲れをのこしておるだろうし、今日はここまでとしよう。代わりに、お前に会わせたい人物がいる。入りたまえ」
「え?」
兄がパンパンと手を叩くと、執務室奥の控室の扉が開き、濃いブラウンの毛皮に身を包んだ者が現れた。
「エヴァ姉‼」
懐かしい顔を視てリィズは駆け出す。
同時にそんな彼女を迎えるべく、エヴァ姉と呼ばれた熊そっくりの獣人もまたリィズに駆け寄りつつ諸手を広げる。
やがて接触したリィズを熊の獣人はその身の内に覆い隠すかのように抱きしめた。
「エヴァ姉! 会いたかった!」
「アタシもさ! 大きくなったねえ! 背が大分伸びたンじゃあないかい⁉」
そう言いつつ自身の胸元までしかないリィズの頭を掻き回すように撫でる。リィズも女性としては長身だが、彼女を包み込む熊の獣人の身長はシアと変わらないほどだ。オマケに横幅もある。
彼女の名はエヴァンジェリン=エロリー。
ワレンシュタイン領の平和を日々守る防衛隊の中核を担う上級大将が一人である。強く、優しく、面倒見が良く、部下からも慕われる
獣人はその血の濃さの他、様々な要因が重なってヒト族そっくりから全く逆の姿で生まれる者もいる。彼女は特に獣に偏った姿を持って生まれたが、それ故に小さな子供から大人気である。
リィズも子供の頃から良く懐き、面倒を見て貰っていた存在であった。剣の手ほどきも数回受けたことがある。
彼女もリィズを現在の真っ直ぐな性格に育てた功労者の内の一人だった。外見からは中々想像が出来ない、というより年齢が読み取れないが、こう見えてもリィズと七歳程度の年齢差しかない。つまりはまだ二十代前半である。
もう一人、同じ年頃の功労者がいて、その人物も防衛隊の上級大将なのだが、姿が見えない。当然、リィズはその疑問を口にした。
「ねぇ、エヴァ姉。フー兄は?」
リィズの言葉にエヴァンジェリンは僅かに顔を曇らせた。獣顔の獣人の表情変化はヒト族からすると難しく、判別し辛いが、長い付き合いのリィズには直ぐに解る。
「何かあったの?」
「いやね……、あの馬鹿、まぁ~~~たやらかしたンだよ」
「またぁ⁉」
「ああ、これで三度目さ。サスガにランバートの大将も今回ばかりは、ってね。……それで、ロッシュ様」
エヴァンジェリンはリィズを腕の中に抱きしめたまま、ロッシュフォードに顔だけを向ける。
「ん? どうした?」
「ロッシュ様の耳にも、一応入れておいた方が良いと思いまして……、実は、一時謹慎を申し渡されたアイツの、次の配属先なんですがね……」
その先を聞いて、ロッシュフォードとリィズは揃って「はぁ⁉」という素っ頓狂な台詞を吐く羽目になった。
その頃、冒険者ギルド支部を訪れていたリィズ以外のハーク一行は、ギルド長の執務室ではなく応接室へと通されていた。
オルレオン冒険者ギルド寄宿学校への転入許可の確認と、その後の授業予定などに関する説明を受ける為である。それだけならばシアは関係無いのかもしれないが、彼女も今日からオルレオンの冒険者ギルドに所属する身であるので、同行すべきと判断していた。
彼女も既にレベル三十四である。辺境であるが故に平均レベルの高いこの地でも充分に第一線級を堂々と張れる強さに達しているのだ。学園長と兼任もするここのギルド長と一目会って挨拶を交わすことは、お互いにとっても良い結果を生むに違いなかった。
しかし、待てどもギルド長が現れない。
出された茶を全員が飲み終わった辺りで、応接室に案内してくれた受付嬢が状況を説明に来てくれたが、彼女によると急な来客が現れ、そちらの対応に追われているらしい。
ハーク達がただの転入希望生徒ではないことを知っているのか、その受付嬢は気の毒なほどに恐縮していた。無論、アルティナがこの程度で無体な怒りを当て付けることなど無い。
四半時、この世界で言うところの三十分ほど仲間内で雑談を続けていると、ドタドタドタというけたたましい足音が廊下から響いてきたと思ったら勢い良く扉が開かれ、漸くこの街の冒険者ギルド支部ギルド長がその姿を現した。
「申し訳ない! 大変お待たせしちゃったね! アタシが当ギルド支部ギルド長を務めるルナ=ウェイバーだよ!」
焦りからか入り口付近で名乗る彼女に、アルティナ以下、ハーク達も立ち上がって挨拶を返そうとする。
冒険者ギルド支部はモーデル王国内に無数存在しているが、寄宿学校まで備えるのは七つしかなく、いずれも主要七都市にしかない。
その七つの支部の中でも、ギルド長と学園長を兼任する人物は僅か三人しかいない。オルレオン支部ギルド長ルナ=ウェイバーは、ソーディアンのジョゼフと同じくこの三人の中に名を連ねていた。
しかも七都市支部中唯一の女性であり、しかも、まだ年齢は三十に達したばかりで最年少という才女であった。
その経歴と実績にて、尊敬と特に同性からの人気と憧れを一身に集める存在である。
アルティナやシアもご多分に漏れぬようであった。
「いえ! お初にお目にかかります、アルティナ=フェイク=バレソン=ディーナ=モーデルです! 宜しくお願い致します!」
「こちらこそヨロシクだよ」
「スウェシアといいます。シアと呼んで下さい。モーデル一の才女と呼ばれるあなたに会えて光栄です」
シアは些か緊張してさえいるようである。彼女のそんな姿を視るのは、ハークにとっても少ないことであった。
「ジョゼフさんから聞いてるよ。新進気鋭の凄腕鍛冶職人だそうじゃあないか。この街でもその面で存分に腕を振るってもらいたいね!」
「え? ギルド長があたしのことを?」
このギルド長とは当然、ソーディアンの、ということであろう。
「まぁね! こっちも昔、あの人には随分とお世話になったクチさ。言わばあんたと同門ってワケだよ! ジョゼフさんからの紹介状を持っている人はいるかい?」
「こちらに」
ハークは、ソーディアンを出立する前にジョゼフから預かった紹介状を懐より取り出して手渡した。
ルナ女史はそれを受け取るとすぐに封を開放し、軽く眼を通すと一頷きして口を開いた。
「うん! じゃあ、今日からお三人方は我がオルレオン冒険者ギルド第七寄宿学校への転入を認める! ようこそ我が校へ! 歓迎するよ!」
ヤケにあっさりとしたものである。望み通りの展開になったとはいえ、ハーク達の方が不安になってしまうくらいだ。
「本当によろしいのですかね?」
ハークとしても、確認を思わず口にしてしまう。
「モチロンさ! 超優秀な生徒を三名も頂けるなんてありがたい限りだよ! リィズさんは既に親御さんに転入の許可を伝えてるから問題無いし、後にでも直接会うから大丈夫さ。こいつはしっかりと後で読ませてもらうつもりだしね」
そう言ってルナはジョゼフからの紹介状を懐に仕舞う。
「そ、そうか。まぁ、こちらとしても面倒な手続きなど無いというのであれば幸いですな。儂だけまだ名乗っておりませんでしたので、改めて。ハーキュリース=ヴァン=アルトリーリア=クルーガーです、ハークとお呼びくだされ」
「ナニィイ⁉」
ハークの自己紹介が終わった直後、急に廊下の方から大声が響いた。途端、ズダダダダと廊下を走る足音が急速に近づいて来たかと思うと、扉が壊れるかという勢いで開かれた。
現れたのは額から二本の角が生えた青年であった。
誰もが突然のことに驚いて声も出なかったが、ハークは驚愕というより別の事に気を取られていた。
〈おおっ、これが鬼族か。角はあるが、赤くも青くもないな〉
前世では『鬼の様な強さとしぶとさ』を見せた男には何度か会ったことがあるが、実際に伝承通りの姿をした存在とは遭遇したことは無かった。前世に描かれた鬼はどれも恐ろしげな表情に身体は大きく肌は奇怪な色をしていたが、現れた青年はこの世界のヒト族に、ただ角が付いただけにしかその外見からは視えない。
彼は部屋の中を見回し、ハークの長い耳を見つけると血相を変えて叫んだ。
「テッメェが、俺の可愛いリィズをォ‼‼」
そして殺気丸出しで狭い部屋の中飛び上がった。天井すれすれを飛ぶ彼の着地地点はハークのいる場所だった。
「ぬおっ⁉」
『ご主人、危ないッス!』
「きゅんっ!」
本物の鬼を視てそちらに意識を持っていかれていたハークは、完全な予想外の襲撃に対応が遅れ、つい本気の抜き討ちを腰の剛刀にて放ってしまった。
その刃が到達する寸前に、ハークを庇おうと横合いから飛び出した虎丸の体当たりと、ハークの左肩にとまっていた日毬が咄嗟に全力で発動した『
だが、それで鬼族の青年の身が無事に済む訳は無かった。吹っ飛ばされてギルドの外壁すら貫通した彼の身体は人通りの多い表通りのど真ん中、石畳の上に放り出されることとなった。
「おおぉお、これがハーク殿の精霊種の力か……」
意識を失い、路地上で大の字に寝る男に通行人が人だかりを作り始める光景を視ながら、ルナはやや暢気にも別の事に関心を示していた。
ハークの刀は虎丸や日毬のお陰で肉を深く斬り裂くことこそなかったが、薄く表面と当然上着を斬り裂いていたので、男は上半身が丸出しの憐れな姿ともなっている。
「あちゃあ~……」
「だ、誰だったのでしょう……?」
シアとアルティナが漸く言葉を絞り出した頃、下から良く知る者の慌てた声が聞こえてきた。
「フ、フーー兄ぃ‼」
それは、リィズの声であった。
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