234 第16話10:トゥケイオスの街、その救い手にお別れを②
街の中心部からそれ程離れていないその酒場は、いつもの喧騒からは想像すら出来ない程に静かであった。
これは、街がとんでもない数の不死の軍勢に襲われるという未聞の惨事に見舞われ、御領主の館に住民の全てが避難を余儀なくされた翌日の夜であるから、というだけではなかった。
現に住民の殆どは普段の生活と落ち着きを早くも取り戻しつつある。これは完全に、この街を守護するロズフォッグ家とそこに仕える衛兵隊やこの街に所属する冒険者達の献身もさることながら、たまたま偶然に街に立ち寄っていたというアルティナ第二王女一行の獅子奮迅の働きによって、街の建物は被害をほぼ皆無に抑えられていたことが起因となっており、住民たちは誰もが感謝と共にこれを理解していた。
故にドルトンの酒場も一夜開けて開店した当初は、普段に比べれば多少は少ないものの、数多くの客が訪れていた。
この酒場は値段が安い割には美味い料理を出す店として街の住民には有名な店だ。
特に、収入の低い者にとっては数少ない憩いの場でもある。店の主の人柄も手伝ってその手の人間、トレジャーハンター達が多く訪れるのはもはや通例だった。
本日も開店当初は盛況であった。
しかし、来店者こそ多いものの、皆、長居する気にはどうしてもなれず、一人、一組と店を後にしていく。
最後に残った古くからのこの店の常連、トレジャーハンターの二人組も同様であった。
「そっか……。デュランの奴、可哀想にな……」
「あんなカワイイ彼女が出来たってのに、残念によォ……」
「……」
原因は、本日開店以来幾度重ねられたも分からない同様の会話だった。
常連たちがいつもと違う様子の店主に、どうかしたのかと話を訊く。いつもは底抜けかと思うくらいに明るく饒舌だというのに、今日に限って言葉少なめな上に表情も暗いのだから、店主の人柄を知っている者であれば尋ねざるを得なかった。
そして店主の口から語られる理由、それはこの店の常連の一人にして、その中でも知らぬ者のいないある意味有名人でもあるデュラン、彼の死の真相であった。
彼が死んだこと自体は、実は誰もが知っていた。
昨夜遅く、未曽有の事態解決の報告と共に、領主であるドナテロ=ジエン=ロズフォッグから、この街を命を賭して守護した英雄の一人として大々的に発表されていたからだった。
二人組の常連は酒も呑み干し、食事も既に平らげ終わっていたことから、普段なら店主や周りと楽し気に会話するのだが、今日の状況ではそれも叶わずに大人しく代金をバーカウンターに置いて席を立ち上がった。
「じゃあな、おやっさん。こんな事言っても気休めにすらならねえが、元気出してくれや」
「そうだぜ。ここが無くなっちまったら、俺らトレジャーハンターは呑む店が無くなっちまうからな!」
「ああ……。ありがとうよ」
彼らが店を出ると、店内を静寂が支配する。本来は一番店の中が騒がしい時間帯の筈だった。それが尚一層の寂しさを齎していた。
水を発生させる法器を備えた洗い場で、店主が皿とグラスを黙々と洗い始める。
暫くはその食器洗いの音が続くが、終わればまた店は音を失った。
誰憚ることなく、店主は溜息を吐く。
普段からは想像も出来ぬ程に落ち込む店主を苛むのは、昨日死して英雄となったデュランのことであった。
トレジャーハンターとは未来の無い職業である、というのはこの街ではもはや通説のようなところがある。
故に、死したとはいえ、英雄となりこの街が続く限り語り継がれる立場にまで達したことは、寧ろデュランの人生に於いては良かったのではないかと好意的に捉える人間が多少はあった。
だがその考えを口にするのは、デュランをよく知らぬ人間からばかりである。
彼は成功を掴みかけていたからだ。昔からの仮説ではあれども、それを裏付ける証拠を確定しかけていたのだ。
だからこそ、この店の常連たちは皆、彼の死を本当に残念なものと悼む。
店主も同じだが、彼の場合それだけではなかった。
店主は自身の行動により、デュランの死を後押ししてしまっていたのである。
画期的な証拠を遺跡の中に発見したデュランに、中央の王都から二人の貴族らしき人物が、国の第一王子アレスの名代として彼を訪ねてきたのは一昨日の事だった。
これでアイツの苦労も報われると、デュランと付き合いの長かった店主は嬉々として彼らと引き合わせてしまった。その貴族らしき二人組の真なる目的が遺跡に関しての事ではなく、デュランをその遺跡の地下で死者の軍勢を目覚めさせる為の生贄とすることであるなど知る由もなく。
つまり、店主は後に英雄となるほどの人物を間接的にとはいえ、死に追い込んだ人物と言えるのだった。
無論、只の酒場の店主にそこまでの流れを予想しろという方が無体であることは言うまでもないだろう。
故にデュランの恋人でさえも、店主に対して責めるような、恨みがましい言葉は一言すら発することなく、店に訪れて裏の事情を初めて聴いた常連たちも皆、「気にし過ぎるな」もしくは店主の所為ではない、などの暖かい言葉を次々掛けていってくれたのだが、店主の心は一向に晴れず寧ろ沈む一方だった。
このままではいかんと思ってはいても、人間そう簡単に気持ちを入れ替えることなど出来はしない。
(今日はもう駄目だな、これは)
そう思い、もう一度溜息を吐く。今日のところは店仕舞いを決意する。それでも気分は向上しない。
(いっその事、この店自体を辞めちまった方が良いのかもしれねえな。オルレオンかコエド辺りででも一からやり直すか……)
そんな自暴自棄な考えが頭を
いつもなら威勢良く、いらっしゃいの声を掛けるのが通例の店主だったが、今は顔を上げる元気も無く、俯いたまま今入店してきた客にギリギリ届く音量で来店の断りを伝えるのが精一杯であった。
「済まねえが、今日は店仕舞いなんだ。ワリイが……」
「えッ⁉ 材料でも無くなっちゃったの、ドルトンさん?」
ドルトンと呼ばれた声に、彼はがばりと顔を上げた。
視線の先、店の入り口には、ドルトンの予想通りの人物が、いつも通りの可憐な姿で立っていた。
「メ、メグ⁉」
英雄となって手の届かぬ存在となったデュランの恋人で、この街を治める領主ロズフォッグ家の一人娘でもある。
つまり本名はメグライア=ロズフォッグ。
昨日まではそんな御大層な身分だとは知りもしなかったのだが、間違ってもこんな場末の酒場に来て良い存在ではない。
「材料なら私が何とかするから、お願い出来ないかしら? お客様をお連れしてしまったの」
「い、いや、大丈夫だ、材料ならまだ余ってる!」
「良かった! さぁ、皆さん、こちらです!」
勢いに押されて、ついつい安請け合いをしてしまった。そう一瞬後悔したドルトンであったが、後に続いて現れた集団を視てそのような気分など空の彼方に吹っ飛んでしまった。
「メ、メグ! そいつら、いや! その方達は‼」
今日この街で、メグライアの後に続いて現れた一団に見覚えの無い者は一人としていないに違いない。
ドルトンは出来ることなら後退りしたい心持ちであったが、狭いカウンター内の厨房では彼の、熊にすら例えられる大きな身体では到底不可能だった。
そんなドルトンに、メグライアは明るく紹介する。
「はい! この街を不死の軍団からお救い下さったアルティナ姫様に、ワレンシュタイン家のご息女リィズさん、高レベル冒険者にて新進気鋭の鍛冶師シアさんに、リーダーの剣士ハークさんとその従魔さんですよ!」
ドルトンからすれば
「客って、オイまさか、そ、その……⁉」
「ええ、そうですよ! お願いします!」
「バ、バカ! ガチの英雄サマを俺のとこに連れてきてどうする⁉ あ⁉」
思わずいつもの調子で罵るような言葉を発してしまい、口を噤むが、メグライアは微笑んだままだ。寧ろ笑みが深まり、悪戯っぽい表情に変わっている。
「だって、皆様もう明日にはワレンシュタイン領に向けて出立するというお話なんです。その前に、少しはこの街らしい店で、この街らしい美味しい料理を食べていただきたいじゃあないですか」
「そういうのはもっと……クソ高え店でやるモンだろうが! ウチは安さで売ってる店だぞ⁉」
「でも、そういうのって、
「あ……。まぁ、そうだろうな。って、そうじゃあねぇよ! そういう問題じゃあ……!」
「お願いします、ドルトンさん! ここが良いんです!」
メグライアが珍しく強い口調で言葉を挟んだ。少しだけ、寂しげな表情で。
「ここが良いんです。デュランの、彼の愛した店、なんですから……」
「メグ……」
その時、未だメグライアの後ろに立ったままの一団の中で、頭一つどころか二つ図抜けて大きい女性が口を開いた。ただし、背こそドルトンよりも高いが顔は美しいし、プロポーションも完璧だ。確かシアと紹介されていた。
「ここがこの街の英雄さんが大好きだった店なんだろう? 皆で楽しみにして来たのさ! 早くその腕振るってくれないかね、大将!」
「え⁉ ……う」
「私からも頼みます。私もこの街の美味しい郷土料理を早く食してみたいですわ」
昨夜の決戦の前に演説を行った第二王女からも頼まれる。大国の王女から直接話を賜ることなんて二度と無いだろうなと頭の何処かで思いつつ、今度はワレンシュタイン伯爵家のご令嬢からも話し掛けられた。
「お金の事なら心配ありません! 何しろ、御領主のドナテロ様と、我が父の奢りなのですから。ね、ハーク殿!」
「ああ。食い放題、そして飲み放題だと聞いている。よろしく頼むよ、店主殿」
最後に、一番背丈は小さく、年齢も下にしか視えないエルフの少年が最も落ち着いた口調で話す。しかし、無理している様子は一切なく、むしろ不思議なほどにサマになっていた。
全員一致で頼まれては仕方が無い。
こうまで言われて無下にしては男が廃るというものだ。
ドルトンは、一瞬メグライアと視線を通わせると大きく頷き、次いで大きく宣言した。
「よぉし! そこまで言われちゃあ仕方無え! 存分に腕を奮ってやるぜ! 今日はあんたらの貸し切りだ! 材料が無くなるまで、朝までだって作り続けてやるよ!」
英雄たちへの最後の饗宴は、こうして開宴した。
店主ドルトンの作り出す数々の料理に、彼らは舌鼓を打ち、そしてシアは酒も呑んだ。店主は安酒だと恥ずかしがっていたが、元々シアは高い酒などほぼ呑んだことが無いので丁度良かった。
店内には笑い声が木霊し、宴会は結局本当に朝まで続いた。
メグライアは、ちょっとだけ泣いた。
ドルトンもだった。
だが二人共、最後は泣き笑いとなった。
後の話だが、ドルトンの店は英雄が愛し、行きつけとした店として大いに有名となり、この街の観光名所となる。
理由は多岐にわたる。料理は美味いし、酒も安い。しかし、一番の理由は街の中心の広場に建てられた英雄像の台座に貼られた金属製のプレートに、この店の記載が詳細に刻まれてあることであろう。
常連だったというその英雄のことを尋ねれば、気さくな店主はいつでも快く答えてくれる。
ただ、話が長いというのも玉に瑕だとして、そちらもまた有名となるのだった。
朝。
ハーク達の出立を見届ける為に数多くの人々が、修理が終わったばかりの東門に集まっていた。
非番どころか勤務中の人間ですら構わず訪れている感じであった。街中の老若男女が殆ど集結しかかっていると言っても過言ではない人数にまで、結局最後は膨れ上がってしまった。
建物の屋根にまで登って見送りに参加しようとする観衆に囲まれる中、ドナテロとランバートは拳を打ち交わせ合い、アルティナとメグライアは瞳を僅かに潤ませながらも手と手を絡ませ合う。
一方、ハークやシア、リィズらは市民達から送られる花束を、感謝と別れと旅の安全を祈る言葉と共に次々と受け取っていた。特にハークは小さな子供から手ずから渡されることが多い。
やがて、スタンの客馬車の後部が括り付けられた花でいっぱいになる頃、彼らはたくさんの笑顔とホンの少しの涙を後に、二千の兵に続いて出発した。
花馬車は走る、舞う花弁と共に。
一路、辺境領ワレンシュタインへ。
※SPIRIT BRINGERの、SPIRITの元の言葉であるラテン語Spiritusには勇気などの意味も含まれています。そして、BRINGERは『もたらす者』。つまりはそういう事です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます