第16話:Family

225 第16話01:アイアン・フィスト




 高台の上から眼下に蠢く獲物を見定める一対の瞳があった。

 木々と草叢の間に己を隠す視線に殺気は全く乗っていない。

 しかし、瞳の奥に宿る剣呑な炎から、意識的に自身の殺気を相手に感知されることの無いよう抑え込んでいることが解る。

 獲物の数は五。身を屈めながらも見定める眼差しは完全に狩人のそれだ。


 瞳の主たる青年の身体自体は決して大きくは無い。

 ヒト族としても、極々平均的な背丈である。しかし、額からは鋭い牛角の如き硬質な角が二本、天を衝くように伸び、着痩せした肉体は服の下にみっちりと筋肉を隠している。


 彼の名はフーゲイン=アシモフ。

 辺境領ワレンシュタインの平和を日々守り続ける防衛隊、その実動部隊が上級大将の一人を務める、鬼族の若き戦士であった。


 自身に近付く気配を感じて、彼は後ろを振り向く。

 彼より二回り以上も縦横に巨大な体躯を持ちながら、草叢を騒がせる事無く姿を現したのは、一見すると鎧を着込んだ熊であった。

 ただし、関節部に皮張りのクッションが施された如何にも高級感のある鎧と共にその身を包む濃いブラウンの毛皮の下は獣の構造ではなく、人間のそれであった。グレイヴと呼ばれる槍の様な武器を携えており、それを掴む手も五本指である。


 胸部に二つの大きな膨らみもある。

 これらはつまり、熊の獣人、その女性体であることを示していた。


「エヴァンジェリンか」


 フーゲインは現れた熊の獣人にだけ届くように言う。

 エヴァンジェリンと呼ばれた熊人の女性体はその言葉に、にっ、と笑顔を見せて応えるとフーゲインのすぐ隣に腰を下ろした。

 獣顔の表情変化は分かりにくいもので、慣れぬ者にとっては歯を剥いて威嚇しているかのように感じることも多いが、フーゲインにとっては慣れたものだ。


 彼女の名はエヴァンジェリン=エロリー。

 獣人には外見上ヒト族と殆ど変わらない者からその逆もいるが、彼女は後者だった。

 フーゲインと同じくワレンシュタイン防衛隊、上級大将が一人。つまりフーゲインの同僚にして全く同じ位を持つものである。

 ただし、今回の任務についてはフーゲインの方が僅かながら立場が上だ。

 フーゲインは今回の留守居役の任に於いて防衛隊実行部隊長の役を任されていた。つまりは全ての防衛隊実務執行に当たって、最終的な意思決定を託されたも同然と言えるのである。


「何しに来たんだよ」


 だというのに、彼の口からついて出た言葉は思春期の生意気な少年が如きであった。

 エヴァンジェリンの方がほんの少しフーゲインより年上であるということも大いに関係がある。


「何しに……って、これまたゴアイサツだねえ。加勢に来たに決まってンじゃあないか」


「……ちっ、エリオットの奴め。喋りやがったのか」


 エリオットとはフーゲイン、エヴァンジェリン共通の部下であり士官でもある犬人のことだ。

 それなりの実力者でもあるのだが、種族である犬人の特徴故か、従順で気が弱い。

 今回、その鋭い嗅覚にて、敵に先んじて相手の位置を突き止める大手柄を成し遂げている。フーゲインはそのことを暫く黙っているように頼んでおいたのだが、効果は薄かったらしい。


「挙動不審だったからねえ。でも、あのコが喋ったんじゃあないよ。アタシも鼻は利くからねえ。アンタの匂いを追い駆けてきたのさね」


 フーゲインもこれにはぎゃふんとなった。

 そういえば熊人族も犬人並みに嗅覚に優れている種族だった。


「加勢なら要らねえ。俺一人で充分だ」


「要らねえ、って……、何言ってるンだい。大将の言葉を忘れたワケじゃあないんだろ?」


 忘れることなど無い。フーゲインにとってエヴァンジェリンが大将と呼んだ人物は大恩人以上の存在だ。

 彼が居るからこそ今の己が存在している。

 自身の道標をも示してくれた人物だ。フーゲインにとって実の父親以上の存在なのである。

 しかし、だからこそ余計に、我慢が出来なかった。


 主が実の父親以上ならば、同僚は兄弟、そして守るべき領内の人々は甥や姪、つまりはフーゲインにとってワレンシュタイン領に住む者達は家族同然だった。

 大切な家族に手を出されて、頭に来ないヤツはいない。


 今は水際で食い止めているような状態である。

 死者こそ出ていないが、重症者は何名か、しかも重篤な状態に陥った者さえいる。

 住民には今のところ人的被害はゼロ。

 しかし、村の人々が丹精込めて生産した大切な食料は幾度も奪われ、しかも、子供にまで手を出されかかっている。


 連れ去られかけた子供たちが涙ながらに何度も自分達を救った防衛隊に対して、ありがとうありがとうと礼を述べていた光景を思い出すたびに、フーゲインは怒りで身体がかっかと燃え上がるかのようだった。


「忘れるかよ。ケド、もう我慢の限界だ」


 その姿を視て、エヴァンジェリンは盛大に溜息を吐いた。


「まーた命令違反する気かい?」


「命令違反なんぞ、怖くは無い」


「今度は職を失うかも知れないよ?」


「クッ……、覚悟の上だ」


 エヴァンジェリンはもう一度、盛大に溜息を吐く。


「せめて責任者のロッシュ様に相談を持ち掛けちゃあどうだい?」


 フーゲインは即答する。


「この絶好の機会を逃す気は無い」


「馬鹿だねえ」


「分かってる。頼むよ」


 ここでフーゲインが初めて身体ごとエヴァンジェリンに向けた。

 真っ正面からの真摯な瞳に、エヴァンジェリンは困ったように頭を掻き、手に持つグレイヴを投げて寄越した。


「ちゃあんと生きて帰ってきなよ。じゃないとアタシが殺すからね」


「おう。コロセ」


 空中で、はっしと受け取るとフーゲインは立ち上がった。




 血に塗れた現場で3人の男が、木を背にして足を投げ出すように倒れ込んだフーゲインを取り囲んでいた。


 両膝には其々直剣が深々と突き刺さり、武器であるグレイヴも手放させられ地面に転がっていた。


「この野郎……、二人も殺ってくれやがって……!」


「ぐはっ!」


 両足を潰されて動けぬフーゲインの腹に悪態を吐いた男の蹴りが刺さる。周囲には男の悪態通り、首を落とされた死体と顔面を真っ二つとされた死体が転がっていた。


「もうよい、一思いに殺してやれ!」


 三人の中では一歩引いた場所に立つ初老の男が、視るに堪えぬといった様子で言い放つ。

 初老の男は残った三人の男の中で最も実力が高く、フーゲインの膝に直剣を突き刺し動きを止めたのもこの男であった。


「甘いですぞ、爺様じじさま! こいつの仲間に、一体どれだけの者が殺されたか、忘れたワケじゃあねえでしょう⁉」


「そうだ! 我らの恨みをじっくりと身体で思い知ってから死んで貰いましょうぜ! こいつらの所為で、我らの仕事は一向に進まねえし、仲間を失うばかりじゃあないですか⁉」


 仲間が同意を示したことにより最初に悪態を吐いた男が更に激発する。

 内心の激情に駆られたように再び振り上げられた足がフーゲインの顔面を蹴り上げる。


「うぐっ! ……し、仕事だと……?」


「ああそうさ! テメエらの街から子供を攫ってやるっつう、重要な仕事がよォ!」


「止せ! そこまでだ!」


 ジジ様と呼ばれた初老の男が彼の口を止めようとするが、憤懣やる方ないといった様子の若い衆二人は爆発寸前であった。

 明らかに感情を御し切れていない。

 たった今二人の仲間を殺されただけではない、鬱積したものが溜まりに溜まっているのがはっきりと表面に見て取れた。

 つつけば忽ちの内に溢れるに違いない。


「子供だと……⁉ 一体何が目的なんだ……?」


 先程の足蹴で口の端を切ったフーゲインがその血を拭いながら訊く。


「へっ! 冥途の土産に教えてやるぜ! 貴様らの子供らを攫って、特別教育を施し、我らの尖兵にしてやるのさ!」


「尖兵……?」


「まだ精神の未熟な子供を攫い、薬物と痛みで我らの忠実なしもべに作り替えるんだ。一年もすれば心も作り替えられて我らの操り人形の完成さ」


「操り……人形……だと……⁉」


「喜べ! 貴様らは自分達の子供らに後々責め滅ぼされるのだからなァ!」


 彼らがこの時、不用意にも自分らの計画を相手に吐露してしまったのは、目の前の死にかけの男に絶望を味わわせ留飲を下げようとする一方で、彼らとしても内心この任務に対する不満が積み重なっていたものを、少しでも吐き出したかったのかも知れない。

 どうせ死人に口なしなのだ。

 しかし、その言葉はフーゲイン自身が己で眠らせていた闘志に、火を灯す結果となった。


「そうか……ありがとうよ……。礼を言うぜ、お前らの真の目的を教えてくれてよ……。そして、ここまでマジにヒトを殴り殺してえって思ったのは初めてだぜ……!」


「は⁉」


「なに⁉」


 ぼそりと零したフーゲインの言葉と同時に、青白い光がうっすらと彼の全身を包んでいく。


「『竜輝発勁エンター・ザ・ドラゴン』!」


 それは、フーゲインが学び修めた武術に於いて最大のSKILLの一つ。体内で魔法とも違う第三の力『闘気オーラ』を循環させ、最大MPの内半分を消費しつつ、瞬時に自身の肉体を正常な状態へと戻す効果を持っていた。

 その回復スピードは超高級回復薬すら凌駕する。自身にしか効果を発揮することは出来ないが、フーゲインの肉体は見る見るうちに再生し、膝の関節部まで貫いていた直剣の刃を体外へと押し出した。

 しかし、それを待たずにフーゲインは両腕の力だけで跳ね起きる。


「うおっ⁉」


「あたッ!」


 敵の目前に立ち上がると同時にストレートリードを繰り出す。

 ストレートリードとは、牽制ジャブの鋭さでもって大砲ストレートの重さを実現させた恐るべき拳である。その極意は目標に対して振りかぶることなく最も最短距離で拳を走らせつつも、全体重を拳に乗せることにある。

 重さと速度。一見矛盾した二種の目的を実現させるのは、要所で行う脱力にあった。


 容赦の無い流体なる一撃が男の顔面を弾け飛ばす。

 貫いたのではない。

 まるで蜜の詰まった果実を威力の高過ぎる攻撃にて破壊すると内部から破裂して四散するように、爆ぜたのである。


「キ、貴様ァア!」


「ほアッたぁあッ‼」


 激昂したもう一人の若い衆がフーゲインの後ろから襲い掛かった。

 突然の状況変化に戸惑うよりも先に攻撃へと出ようとするのは厳しい戦闘訓練を乗り越えてきた証でもあったが、同時に放たれたフーゲインの上段蹴りにより顔面を潰されてしまう。


 先程のストレートリード同様、目標にまでシンプルに最短距離を突っ走らせる攻撃であった。

 通常の蹴り技は、まず膝を出してから振るう遠心力を利用した二段構えの動きが一般的であり、それにて威力と正確さを得るが、十二分に体重を乗せた一撃はフーゲイン本来のステータスも伴い一撃必殺の打撃と化していた。


 一瞬にして生命を絶たれた二つの肉体がゆっくりと後方に倒れる。片方は血飛沫を上げながら。


「馬鹿な……、一撃だと……? 先程とは比べ物にならぬほどに強い……⁉ だが……、加減をしていたようには、全く感じなかったぞ⁉」


「当然さ、ちゃんと本気でやってたさ。さっきのが俺の武器を持った時の全力だ。俺は『功夫達人クンフー・マスター』なんでな」


「何⁉」


「どうやら東にゃあその手・・・の使い手が全くいねえと聞いちゃあいたが、マジらしいな」


 フーゲインと同じように素手系の戦い方を極めたクラスの多くは、そのクラス専用SKILL故に素手時の攻撃力や防御力等が凄まじく上昇する一方、武器を装備するとペナルティが発生し、逆に大きく戦闘力を減少させられてしまう。


 大昔から代々伝承された技術であるとも、勇者が伝えた技術であるとも言われ、東大陸では使い手の姿が全く見られないことから後者の説が有力とされている。とは言え、西大陸でも使い手の少ない、マイナーなクラスであることに違いは無く、その特色を理解する者も限られていた。


「さて、観念しな。お前は……」


「『帝国にハイル……!」


「! させんッ! アチャッ!」


 自爆のSKILLを発動させようとした初老の男ではあったが、既にフーゲインがそのSKILLの知識を得ていたことが仇となった。

 一部中指を突き出しつつ親指で下から押さえ、周囲の人差し指と薬指でロックして拳を尖らせた一撃を喉に喰らわせる。

 声を潰せばSKILLを簡単に発動することは出来ない。高等SKILLであれば尚更だ。

 喉を抑える初老の男に間合いを詰めつつ、フーゲインは拳を男の腹部に殆ど密着させた。


「『零距離打ワン・インチ』、あーッたァッ‼」


 ごぼんっ、という痛烈な打撃音と共に、男は崩れ落ちる。

 俯せに倒れ伏した男の首に手を当てて、フーゲインは脈を確認した。

 先の『零距離打ワン・インチ』を始めとしてフーゲインの技は加減の難しいものが多い。

 どうやらまだ生きているようでフーゲインは安心したように一息つくと、男の口の中に詰め物を入れつつ彼をふん縛るのだった。


「これで良し。留守役のロッシュさんに良い土産ができたってモンだ。大将、やっぱ怒るかなァ……」


 自分と同じ程度の体躯を軽々と担ぎ上げながら帰路に向かうフーゲインは、一度だけブルリと身を震わせた。




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