226 第16話02:男という生き物は
ワレンシュタイン軍を出迎えた面々は幾重もの意味で驚き、同じ数の疑問を脳裏に浮かべていた。
その筆頭たる原因こそが、軍の先頭を進む人物。辺境領ワレンシュタインを治める伯爵家当主自身にあった。
「な、何で父上がここにおられるのです⁉」
その中で最たる狼狽を表に見せていたのは、その実の娘であるリィズであった。
「お前を迎えに来たに決まっておろう! 我が娘よっ!」
嬉しそうなランバート=グラン=ワレンシュタインの言葉は、そんな娘の狼狽ぶりをさらに助長する。
「冗談はお止めください父上!」
「冗談ではないぞ、リィズ!」
「いえ、冗談です。殿」
呆れて良いのか怒って良いのか恥ずかしがって良いのか分からなくなってしまったリィズは顔を真っ赤に染めるが、そんな彼女を救うべく声を発したのは、大きくワレンシュタイン軍より先行したランバートに続く形で駆けてきた狼に似た頭部に白い体毛を持つ獣人であった。
「ベルサさん!」
「おい、本当のことではないか、ベルサ!」
「殿、場が取っ散らかっておりますのでその辺に……」
「む? そうか?」
ここで、ランバートとベルサの二人がドナテロやアルティナを始めとしたトゥケイオス側の出迎え組の目前にまで到達したので停止する。背後に続く五千の軍も、二人の動きに遅れて全軍停止していた。
「『我らが姫』、王女殿下、お久しぶりでございます。ご無事な様子で何より。そして、ロズフォッグ家ご当主ドナテロ伯爵閣下とお見受けいたします。ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ワレンシュタイン領にて家老を務めるコボルト族のベルサと申します」
「丁寧な御挨拶痛み入る。いかにも私がドナテロ=ジエン=ロズフォッグだ。早速だが軍を率いて我が領を訪れた理由を教えて頂こう。無論、予想は出来るのだが、ワレンシュタイン公の妙なお話が聞こえたのでな」
応対するドナテロの顔も引きつっている。
それも当然だった。自領内であればともかく、他者が治める領に無断で軍隊を侵入させ、私的な理由で行軍させるなど、中央に知られれば何重の罪となるか分かったものではない。
「お気遣い、かたじけない……。ご想像の通り、閣下ご在住の街を助けに参った次第です。我が領からも、ロズフォッグ領に隣接する村からこの街上空に立ち込める異常な暗雲が目視出来ました故」
「そうであったのか。上空一面が包まれていたが、そんな遠くまで……。援軍に感謝する」
「しかし……、何と言うか、戦闘が行われた気配と申しましょうか、戦闘の痕は随所に視えるのですが、敵の姿が残骸なども含めて全くございませぬが……?」
「その辺りに関しては長くなってしまうので、後にしよう。ただ、アルティナ王女殿下一行のご活躍により、当方の危機は完全に去ったと確信している。無論、貴家の姫も存分にご助力いただいた。本当に感謝に堪えん」
ドナテロの言葉を聞いて、アルティナもリィズも恐縮し、リィズはあたふたと何事か口を挟もうとしていたが、途中で閉口する。彼の話がまだ終わっていなかったからだ。
「その一方で、どうしても疑問がある。貴家の軍が猛者揃いというのは知ってはいるが、いくら何でも到着が早過ぎるように思えるのだ。最初の戦闘、あの暗雲が立ち込めた時より半日も経ってはいない筈だ」
ドナテロの言う通り、まだ空に異常が現れた時刻より十時間しか経っていない。
普通に考えれば、軍の遠征準備を整えるだけでも半日程度の時間は必要である。
人員を招集し、武具を行き渡らせ、兵糧や薬、野営などの全ての準備が整うのを考えれば、常住坐臥、国の安全を守る為の戦力を整えている軍都アルヴァルニアでさえ五時間を切ることは難しい。
無論これは時間的な早さだけを重視した場合であり、しっかりとした、不測の事態をも視越したものであれば倍の時間は必須であり、通常であればどんなに経験を積んだベテラン補給要因であっても丸一日以上の準備期間は請求するに違いないのだ。
更にワレンシュタイン領が本来、軍を置くべき領都オルレオンはトゥケイオスからは直線距離であっても一千キロ以上離れている。
常識で考えるならば、五千もの兵を率いて十時間で到達するなど夢物語もいいところだと断言出来るのである。
「それがまた、我が殿が最初に言った『冗談ではない』の言葉に繋がりましてな……」
「ふむ?」
少々言い難そうにベルサが頭を掻く。
言い難いならば俺が言う、とばかりにベルサの主であるランバートが話の続きを奪った。
「古都の先王様から『
成程確かに隣接する村からであれば距離は五百キロ程度だ。
軍の方も既に準備万端であれば、急げば間に合う時間なのかもしれない。
それでも、ツッコミ処はまだまだ数多く残されていた。
「それを当主である御身自ら率いてきたのかね? ランバート殿」
ドナテロは半分呆れた様子で訊ねたが、ランバートはどこ吹く風である。
「おう。俺は元々戦い以外じゃあモノの役には立たぬからなぁ」
言葉面は自嘲するかのようであるが、表情や態度には全く表れていない。
その様子に今まで黙っていたリィズが思わずといった様子でじろりとランバートを睨み口を挟む。
「だからと言って、またロッシュ兄上に全部丸投げしてきたのではありませんよね?」
ところが、不思議なことに今まで飄々と立ち回っていたランバートが、まるで降参とばかりに諸手を上げた。
「オイオイ、我が娘よ、そんなおっかない顔をしては可愛い顔が台無しではないか」
「余計なお世話です! 質問にお答えください、お父様!」
「わかったわかった。大丈夫だ、領外に出立する前に『
父の言葉を聞くと同時に、リィズはくるんと視線を回してベルサの方を向く。それは、まるで遠回しに「あなたは信用し切れない!」と言っているかのようだ。
しかも、その後にベルサがしっかりと頷くのを見てからホッと胸を撫で下ろす仕草をするのだから尚更だ。
「信用が無いなあ、父は悲しいぞ。あ、そうだ。ドナテロ殿、早速だが我が領都オルレオンより息子から『
「む⁉ そうか、しまった……! 今の今まで人員に余剰など全く無い状態であったからな……」
今やモーデル王国の主要都市だけではなく、その国土を治め管理する立場の者、その居住地は城や館を問わず『
それは突発的に発生するであろう緊急事態の把握をタイムラグ無しで伝え合うことを可能とするためだが、その為には常に『
ロズフォッグ領とて、交代でそれらに備える立場の人間がいるのだが、今回の、不死の軍勢に襲われるという未知にして不測の事態に全員一丸とならねばならず、上記を怠っていたというより、頭に登ることすら無いほど失念していたのである。
「今頃、館の深部では着信を示すランプの赤い光が幾つも点灯しているというところか。部下のウッドエルフ達に聞いたのだが、森都アルトリーリアでは新しい長距離通信法器の開発が進んでいるらしい。ま、あいつらも森都から急な呼び出しを喰らって一度里帰りさせているがな。何でも、書いた文章や図を相手へ瞬時に送る法器だそうで、誰かがその場に詰めている必要は無いのだそうだ。既に試作品も完成したとのことだが、購入を検討してみちゃあどうだい? 確か名前は……ファ……ファッ……」
「……父上……。もしや卑猥な言葉を発したりしようとは思っておりませんよね……?」
冷ややかなリィズの言葉にランバートは一瞬、身を震わせる。
「心外だぞ、我が娘よ!」
「『
家老のベルサが見かねた様子で助け舟を出す。
「おう! それだそれ! どうだね、ドナテロ殿?」
「ふうむ。全く初めて耳にしたので、直ぐには答えられんが、検討する価値はありそうだな。とにかく、貴君らの援軍には多大な感謝を申し上げる」
そう言って頭を下げるドナテロの姿に、ランバートは照れて頬を掻く。
「はは、感謝されるのは良いが、戦う相手もいないのであっては、どうもそちらを騒がせてしまっただけのようですな」
「それはあくまでも結果としては、だ。其方の
ドナテロが横に立つアルティナに視線を送ると彼女は頷いた。
「ええ、そうですね。最後は思わぬ援護もありましたから、持たせられた可能性もあります。ですが、確実に犠牲者は増えていたことでしょう。それは、私たちも例外ではありません」
「ですな。おお、そうだ。貴君らが率いてくれた軍であるが、本来ならば街の中へと迎え入れるべきところであるが、あいにく場所が無い。我が館は今、街の者達の避難所となっている故……」
「ああ、それなら問題無い。こちらで何とかするよ。急いで出立はしたが野営の道具は準備してきたからな。お疲れであるというのにそちらの手は煩わせては本末転倒というものよ。しかし、何か仕事は残っていないのか? まぁ、見たところ火の手の上がった様子も無く街の被害も軽微のようだが」
「うむ、不幸中の幸いと言おうか。街の被害はゼロに近い。そこの東門も扉が壊されただけであるし、館の防護壁が一部崩されたが、明日、土木作業兵を多少お貸しいただければ……。……っと、そうであった、負傷者が何名か残されていたのだ。いずれも命に別条がないところまでは回復させられたのだが、薬や回復魔法士たちの魔法力がそこで尽きてしまってな。特に再生魔法の使い手がおると助かる。今回の戦で最も戦果を挙げてくれた王女殿下一行の一人、エルフの剣士殿が左眼を傷付けてしまったのだ」
「了解した。直ぐに派遣させよう。大丈夫、再生魔法使いも何名か揃えている。ベルサ! 指示を頼む、見繕ってやってくれ!」
「承知致しました!」
ベルサが軍隊の列に戻って、二、三言葉をかけるだけですぐに五十人近くの魔法士然とした人員が集まった。
その光景を視て、アルティナとリィズが揃って胸を撫で下ろした。
眼球の場合、もし失明していれば普通の回復魔法では治すことは出来ない。そこまでではなくとも、通常の回復魔法だと眼球内に血栓が残されてしまい、場合によっては視力に影響してしまう。再生魔法の使い手がいるのであれば再生魔法にて治療を行うのが眼球の場合には一般的であった。
再生魔法はハークも使用可能なのであるが、今はMP、SP共に尽きてしまっている。
そのこともあっての二人の反応であったのだが、ランバートは訝し気に双方へと視線を巡らすと、何かを思い出したようで口を開いた。
「……んん? その反応……、もしやその『エルフの剣士』とやらはリィズの手紙に載っていた人物、いや、男か?」
「ええ、私たち揃ってとてもお世話になっている方です! この街をお救い出来たのもその方のお力によって……!」
「……よし、俺も行こう」
「……は⁉」
「リィズたちのリーダーを務めるという男と一度ハナシをつけねばと思っていたところだ。丁度良い!」
「やめて下さい、お父様! 師匠は今とってもお疲れなんです!」
「し、師匠だと⁉」
「あ」
「あ」
因みに二個目の「あ」はアルティナのものである。
「な、なんてこった⁉ リィズが俺以外を師匠などと呼ぶとは⁉ しかもその初めての相手が男だとおおおおおおおおお⁉」
「あああああああ、もう鬱陶しい!」
ランバートは突然頭を抱えては空を仰ぎ、しきりに何度も虚空に向かって怨嗟の声をぶちまけ始めた。
そして、錯乱にしか視えぬ状態の父を必死に宥めようと娘は奮闘を開始するのだった。
ドタバタと暴れ回る両者の姿を視て、ドナテロはあんぐりと口を開け、アルティナは小さく溜息を吐いた後、クスリと笑った。
「ふふっ、相変わらずのお二人ですね……」
「うーーーーむ。やれやれ、話には聞いていたが、まさか話以上であったか……」
モーデル王国に所属する貴族、その中でも重要な任を担う者達のみの間で伝わる話にこんなものがある。
我が国の英雄にして最強の騎士である辺境伯ランバート=グラン=ワレンシュタイン、その
そんな彼唯一の弱点にして、頭の上がらぬ天敵がただ一人だけいるという。
それこそが、実の娘たるリィズ。
「すこーーーし眼を離したばっかりにーー! チックショーーーーーー!」
「うるさい!」
娘の渾身の右ストレートが決まった。
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