222 第15話21:He is the Guardian Hero.②




 遂に進むべき方角を見定めた直後、漸く虎丸の鼻が見知らぬヒト族の血の匂い、雫一滴ですらない飛沫一つ、しかも乾ききった微量なそれを捉えた。

 奔りながら虎丸はハークに念話を飛ばす。


『ご主人! 漸くッス! 漸く、『宝珠』に付着したと思われる匂いが特定出来たッス! 遅くなって申し訳無いッス!』


『いいや! よくぞ! よくやったぞ、虎丸! 何の匂いだ⁉』


『知らん人間の血の匂いッス! もしかすると、さっき通り過ぎたスケルトンの……⁉』


『かもしれん! 兎も角ここで決めねばならんぞ!』


『了解ッス! ただ、ご主人! 血の匂いが微量過ぎて断続的にしか感じられないッス!』


『問題無い! 彼奴が伸ばす魔力の糸が絡まり合っていようとも大体の方角を示してくれておる! 進むべき方角ならば儂の眼に映っておる! 儂とお主ならやれる! 方向は儂、距離はお主だ! 追い詰めるぞ!』


『はいッス! ……ム⁉ これは⁉』


 ハークと虎丸が揃って探し回った王手を確信した瞬間、虎丸の鼻が異常を感知する。


『どうかしたか、虎丸⁉』


『相手が移動し始めたッス! あっちもオイラ達を感知したのかも知れないッス! オイラ達から離れようとしているッス!』


 相手を認識出来るというのは大抵が、逆に自分も相手からの認識を受ける距離でもある。覗き込む時、相手もまた、というヤツだ。

 己に近付く敵意を持った存在を『黒き宝珠』もまた感知したのかも知れなかった。


『ちいっ、往生際が悪い野郎め! ……虎丸、全速を頼む!』


『ご、ご主人⁉』


 虎丸が驚いたのも無理は無い。ハークはつい最近、二十八にまでレベルが到達したことにより、漸くと虎丸の背に跨りながらも『斬魔刀』を振るう事が可能となった。しかし、それでも虎丸の全速、そして全力からすれば七~八割程度というところである。最大戦速からすれば程遠いし、移動という一点だけで視ても空気の壁を貫くほどではない。


 虎丸の全速力というものがどういうものであるかはハークとて身をもって知っていた。それも一度や二度ではない。だが、その時はいずれも虎丸に身を全て預けるようにしてしがみ付いていただけだった。

 あれでは乗ったとも言えない。風の抵抗を抑えるように引っ付いていただけで、眼も真面に開けられていなかった。


 跨りながらなど以ての外。下手をすれば疾走中の虎丸から振り落とされ、前世では体験したことも無い速度で地面に叩きつけられる可能性がある。それは如何にここまでの人外の能力値を得た上で、更に『魔布襦袢』の加護を得たハークであっても、命を落とす危険性は決して低くない筈であった。


『無茶ッス、ご主人! 危険過ぎるッスよ!』


『覚悟の上だ! 皆が皆、己の命を懸けてこの街を守る為戦っておる! あの小さな日毬もだ!』


 ハークはふと視線を上げる。今や日毬の身体を包む陽光の如き光の強さは、当初の半分以下となっていた。


『そんな中で儂だけが安全策などと悠長なことを言っておられようか⁉ 頼む虎丸! 耐えてみせる! やってくれ!』


『わ、分かったッス、ご主人! 行くッスよ! 振り落とされないようにして欲しいッス!』


『応! ぬぐっ!』


 直後、ハークの身体にかかる負荷がこれまでとは比べ物にならぬ程に増大する。

 しかし、この程度は虎丸の超加速にとっては前準備の段階でしかない。ハークもそれは重々承知していた。


〈ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐうっ!〉


 増々加速するにつれ、過負荷は更に倍増する。腹を中心に上半身に力を籠めて、内臓を圧し潰そうとする力に筋肉の力で抵抗する。顔面が後ろに持っていかれる。眼を見開き、歯を喰い絞めて首を折ろうとする暴風に立ち向かう。そんな状況であっても呼吸を忘れてはならない。

 そして、虎丸は風を超える一点へと達する。


〈———来た!〉


 まるで高所の崖から落下して海面に叩きつけられたかのような衝撃がハークに襲い掛かる。それでも耐えた。


 ぴっ。


 何かが左眼の中で弾けたような感覚があった。一気に左の視界が真っ赤に染まっていく。


〈たかが片目を失った程度で!〉


 実際には左眼内の毛細血管が切れて血が広がってしまっただけかもしれない。しかし、この状況では確認する術も無い。

 ハークは増々全身に力を籠めた。

 喰いしばり過ぎて口の中に鉄の味が広がっている。呼吸も苦しい。肺が潰されつつあるからだ。


 それでも、遂に。


『見えたッスよぉおお、ご主人んん‼』


『儂もだ‼』


 名の通り、夜の深淵に潜むように漆黒をその身に写したかのような宝珠が、昏き深紫色の魔力を纏いながら宙を只一個舞っていた。

 ハークの右の瞳には、纏う闇の魔力が笑う髑髏しゃれこうべを形作るかのようにも映っていた。


 あれを、斬らねばならない。絶対に。


 ハークは手綱代わりに掴んでいた虎丸の首元の毛を放す。バランスを取る為か、彼は両腕を一瞬羽ばたくかのように広げた。


 本来、不可能な体勢であった筈だった。忽ち後方に吹き飛ばされるであろう。

 だが、ハークのその背を、在りし日のように色鮮やかな精霊が光となって集まり、後押ししていた。


 左眼からは血が溢れ、後方に赤き線を残していく。

 白き魔獣に跨り、血のように赤い光を後に残しながら、剣を構え闇に突撃する戦天使。

 ただ一体だけ地上に残っていたスケルトンの、残り一つの瞳にはそう見えていた。


 がっしりとハークは『斬魔刀』の柄、その先端を左手で握る。


「一意専心———!」


 構えるは八相。一撃に正しきと己が信じた心と、守りたいと願う自分の全てを、惜しみなく籠める。


「一芯同体———!」


 脳裏にぎる仲間達、ドナテロ、メグライア、衛兵隊とこの領を守る者達、冒険者、そしてハークに飲み物を差し出してくれた少女の姿、最後に隻眼のスケルトン。

 全ての想いと願いが『斬魔刀』に吸い込まれていくのを感じる。


「示現流———!」


 ハークの背に宿っていた光の粒子も刀身へと集まり、刃は尚一層の輝きを放ちだす。後押しを失う形でもあったが、既にハークは『斬魔刀』の一部と化していた。

 宝珠の周りに漂う深き闇色で形成された髑髏が一瞬、恐怖に慄くような表情を見せたがハークの右眼は、もうそんな物を映してはいなかった。


「———奥義‼」


 今、真に『魔』を『斬』る『刀』と化す時が来た。


「『断っっ岩』‼‼」


「ガアァアアウゥウオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼」


 虎丸の特大咆哮と共に、刃が解き放たれた。


「チェエエエエエエエエエエエエエエストオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼」


 裂帛の気合い。雲耀にまで達した刀は虎丸の疾駆を加えて光に至る。


 その邂逅を防げる道理無し。



 背に跨るハークの脚から力が失せたのを感じ、瞬時に虎丸はその速度を緩める。急停止にならぬよう心掛けた虎丸の甲斐あって、当初の半分ほどにまで速度が緩むまではその背に抱えられるように居たハークも、草叢に身を投げ出す形となった。


 砂糖に群がるアリの如く、力無く草の上に転がるエルフの少年に殺到しようとする星の数ほどの骸骨兵。

 しかし、その動きは地に向かうが如くに勢い良く倒れ伏す。元々物理的には繋がってもいなかった関節からばらばらと地面に転がり、砂となり、粉となり、灰となり、僅かな風に散っていった。

 大地を埋めるほどに周囲を包んでいた白骨の化物が、まるで元から居なかったかのように、その存在を失っていく。闇に操られた末路。夢幻の様でもあった。


『ご主人! 大丈夫ッスか⁉』


 駆け寄った虎丸がそう念話を送ると、未だ刀を手放してはいなかったハークはごろりと仰向けになり、刀を握っていない方の左手を、拳を握って天に突き出した。


「やったな……、虎丸っ……!」


 そして、にっ、と笑う。

 赤く染まった左眼や、喰いしばり過ぎた口元には血が流れていたし、転がった拍子に草塗れでもあったが、紛れも無い勝利宣言。

 虎丸は涙さえ堪えながら首を何度も縦に振っていた。


 彼らが通って来た道筋には、二つと分断された真球が、最早何者にも危機を抱かせぬなりで地に落ちていた。





「……まさか……デュランなの……?」


 ボロボロの態で虎丸と共にトゥケイオスの東門に到着したハークを迎えに来た仲間達とロズフォッグ領の重鎮たちを含めた一団が遭遇した際、彼らの後ろに力無く続くスケルトンの姿を視て全員が驚き、中には戦闘態勢を取る者もいた。

 だが、一人の女性が震える声でそう語った瞬間、全員が全員動きを止め、道を開けた。


 メグライアだった。


 たどたどしい足取りで片目だけが赤い光を宿すスケルトンに近付こうとしても、誰も止めようとする者はいなかった。父親であるドナテロだけが、その後に気遣うように続いていくのみであった。


 隻眼のスケルトンの方も、手に持つ鉄棒を手放して、一歩一歩揺れながら前に進む。

 それは、最早限界であると見る者に悟らせる動きだった。


「彼のお陰で、儂は『黒き宝珠』を斬ることが出来た」


 虎丸に支えられたハークが、一言だけ添えるように伝える。


 メグライアは口を両手で抑え無言だった。何かしら言葉を発すれば、忽ちの内に堰を切って涙が溢れるに違いなかったからであった。


 隻眼のスケルトンは、気丈にも涙を堪えつつも震える彼女の手にそっと己の手を重ね、口を少しだけ動かした。


 元気で。そして、幸せに……。


 メグライアにはそう聴こえた気がした。


 そしてそこまでが、彼の存在の限界であった。

 運命へ懸命に抗った彼でさえ、闇の精霊と関わったモノの末路からは逃れられない。


 崩れ往く骨、いや、彼を抱きしめようと手を伸ばすメグライアだが、風に溶けたその身は霞のようで、もう触れることすら叶わなかった。

 代わりに手の平に残る僅かな灰屑。


 声も出す事すら出来ず、大地に膝をつく愛娘の肩に、優しくドナテロが手を置いて言った。


「彼は、偉大な男だった」


 メグライアはまるで弾かれるように父を見た。父は言葉を続ける。


「お前の愛した男は……、確かにお前とこの街を守ったのだよ……。彼は英雄、この街の守護神だ」


 もはやメグライアの双眸から迸るそれを止める術は、彼女には無かった。


「う、う、う、うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……‼」


 彼女は泣いた。身を揉んで泣いた。隠すように父親が抱きしめ、その胸の中でもう会えぬ恋人を想い、ただ泣いた。




 一つの悲劇が終わりを見せた。

 しかし、今回の事態における悲劇はまだ残っていた。


「日毬……! 死ぬな! 死なんでくれ……!」


 ハークの両手の平の上には、始めは人の子ほどの大きさであった日毬が、前世の蝶と変わらぬまでに縮み、力無く横たわっていた。





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