217 第15話16:星よ、壮絶に物語れこの夜を




 トゥケイオスの街、その中心にある領主の館内部は、まるで戦勝祝賀会かのように沸きに沸いていた。

 約二時間後の最終戦に向け、英気を養うという意味では過剰なほどである。

 街の食堂や宿を経営する者達を中心に、女たちも炊き出しを手伝い、給仕に勤しんでいる。


 年に一度のお祭りさえもかくやという盛況っぷりである。

 無理も無い。約三百対三万という、文字通り桁が二つも違う劣勢を完全に撥ね返し、しかもトゥケイオス防衛側は犠牲者どころか大きな怪我人すらもいないという完全勝利に終わったからである。


 正に最高の結果にして、文句の付け所の無い戦果だった。

 この世界、そしてこの国の歴史に於いては数の不利を一部の強者や戦略で覆した例というのは決して少なくは無い。それでも、百倍の戦力相手にほぼ無傷での完勝というのは類を見ない程だった。

 このまま無事に終わるならば、この戦いに参加した者達の功績と名声は約束されたも同然である。確実に王国史には刻まれるであろうし、英雄譚として唄や舞台劇などの演目ともなるだろう。


 そう。あくまでも、このまま終われば、だ。

 だが、だからこそこの戦いに参加した兵士や冒険者たちはお互いの戦果を自慢し合い、給仕に訪れた女たちへ口々に殊更アピールしては会話に花を咲かせていた。

 スタンなどの娯楽に縁の有る者達は、気の早いことに、どのようなコンセプトと構成でこの物語を伝えるべきか話し合ったり、実際に目の当たりにした者達に詳しく当時の状況を訊ね回ったりと情報収集に余念がない。訊かれる方も最初こそ迷惑顔だったりするのだが、自身の承認欲求をくすぐられるかのようで気分が良いのであろう。次第に料理片手に饒舌になっていった。


 早い話が総出で浮かれていたのである。これは、シア、リィズ、アルティナらのハークの仲間達ですら同様だった。言わば、結果が良過ぎたとも言っていい。それでも緊張でふさぎ込むように陰に閉じ籠り合うよりは、余程健全ではあった。


 ほぼ全員が機嫌よく笑い合っているのである。逆に、それ以外の状態の人物はそれ故に良く目立っていた。

 それがたった二人だけであれば余計に、という訳である。


 一人はハークだった。広場の端の方に立つ良く手入れされた庭木の下で仰向けに、そして大の字となって眠りこけている。

 傍にはいつもの如く虎丸の姿もあった。こちらも同様に眠っている。行儀よく伏せの状態ではあるが。


 付近に立つ者達や近くを通る者は遠巻きに様子を眺めるか、一瞥をくれるのみでそのまま何も言わず通り過ぎていく。


 誰もが知っているからだ、彼らこそが今回の勝利を呼び込み連れ込み引き寄せた最大の功労者にして張本人であると。だから皆何も言わない。言えない。彼らの体調MPとSPが少しでも回復し、次戦に備えて貰うことこそが肝要であると誰もが解っていた。


 特に、魔法力というものは睡眠が一番にしてほぼ唯一の回復手段と言ってもいい。総量からすれば、ハークも虎丸も先の戦いで使用した分は僅かであるが、万全に出来るのであればするに越したことは無い。

 それでも僅かな時間とはいえ全力戦闘した直後に直ぐ眠れと言われて、身体が素直に言う事を聞いてくれるわけも無い。そこで、アルティナの提案により、冒険者の中から初級の水魔法使いが見繕われ、ハークに『睡眠導入スリープ』を使用して貰っていた。

 『睡眠導入スリープ』は水系統の初級魔法で、一応は状態付与の戦闘魔法だが、余程の魔導力と受け手の精神力に差が無ければ戦闘中に眠らされることはない。しかし、眠れない時や無理にでも眠らねばならぬ場合に使用する言わば睡眠導入剤のような役割を果たす生活魔法としても知られている。余談だが、一応はリラックス効果も持っていた。


 そしてきっかり一時間後、ハークはぱちりと目を覚ました。

 隣の虎丸もその直後にむくりと身体を起こすのだから、流石と言える。

 ハークは上半身を起こし、頭を二、三度振る。

 その様子を視て付近の者達がほんの少し騒めく中、一人の小さな少女が手に果実水の入った器を持ち駆け寄った。歳の頃は、外見だけを視ればヒトの眼でハークとそう変わらない。


「あ、あの……これ、どうじょ・・


 緊張で噛んでしまい頬を染める少女の手から果実水の器を受け取ると、ハークはぐいっと一気に呷り、にこりと笑いかける。


「ありがとう、助かったよ」


 その言葉を聞いて少女は増々顔を赤らめ一瞬顔を俯けるが、空になった器を受け取ると意を決したように顔を上げた。


「あの、お腹空いていませんか? 何か軽く持ってきます」


「ン? ああ、そいつは有り難い、頼めるかね」


 少女はパッと笑顔を見せる。


「ハイッ! スグに持ってきますね!」


 その背に、慌ててハークは語りかける。


「ああ、急がずと良いよ。名は何と申す?」


「あ、えっと……ラティナです。この街の、宿屋の娘です、英雄サマ」


「はは……、英雄とはまた大層だな。だが、光栄が過ぎるよ。ハークと呼んでくれ」


「はい! あ、あの、ハーク様」


「ん? 何だね?」


「この街をお救い下さって、ありがとうございました!」


 がばりと腰を折り礼を示すと、それきり彼女は走って行ってしまった。呆けたような表情のハークはその背を眼で追うのみであった。

 やがて、横の虎丸の視線に気付き、自嘲の様な笑顔を見せると一言だけ呟いた。


「これが、英雄の気持ちとやらか……」


 悪くない、暖かな気持ちだった。何かが身体の底から湧き上がるかのような。

 こんな気持ちには、前世の六十余年に於いて、一度の経験も無かった。



 もう一人の例外たる表情をした人物はメグライアだった。

 丁度横を通りかかったシアが話し掛ける。物怖じしない面倒見の良さは彼女の数多い美徳の一つであった。


「メグライアさんじゃあないか。どうかしたのかい? 誰かを探しているようだったけど」


「あ、スウェシアさん、でしたね」


「シアで良いよ」


「ドナテロさんなら東側の物見の塔あたりにいたと思いますよ」


 共に居たアルティナも話に加わる。無論、リィズも右隣に控えていた。


「いえ……、違うのです。父ではなく、私用で、その……」


 メグライアの珍しく歯切れの悪い感じに三人が怪訝な表情になる。即座にシアが助け舟を出す。


「人探しかい。手伝うよ」


「いえ、そんな⁉ 皆さんお疲れのところでしょうに」


 言葉こそ普通の固辞であったが、顔を真っ赤にして両手を振る様子にぴんとくるものがあったのか、アルティナが一歩踏み込む。


「もしかして……、探していらっしゃるのは恋人サンですか⁉」


 年頃の女の子というものは、この手の話題に対しては異常なほどに敏感であり、察しが良い。アルティナもそういう面では御多分に漏れなかった。

 仮にも王女という立場の人間に嘘を吐くことが出来ずに、メグライアは咄嗟に白状してしまった。


「は、はい、その、実はそうなんです」


 色めき立つ女子たち。こういうところはシアであってもリィズであっても常なる女性と何ら変わりはしない。

 だがそこに、盛り上がった場に差し水を与える存在が訪れた。


「失礼。お話し中恐れ入ります」


「あら、ドルトンさん」


 実に丁寧な口調で割って入って来たのは、一見口調に似つかわしくない強面の中年男性だった。

 シアには及ばぬとしても、身体が大きく腕も首も太い。若干やや毛深い所為か、熊を連想させるような男である。身体つきだけを視れば、冒険者や衛兵のような肉体労働系にも見えるが、服装からそうはでないことが一目瞭然だった。エプロンを首から下げていたのだから。


「メグライア、さま、ご領主様のご息女とも知らず、こ、これまでの無礼を平にご容赦……」


「ドルトンさん、何を仰ってるんです。今まで通りに接してください。父は関係ありませんよ、私はただの歴史好きの女、メグです」


「そ、そうですかい?」


「そうですよ。それにしても、ドルトンさんの口からそんな丁寧な言葉が出てくるんですね。ちょっと驚きました」


「はは、自分でも驚いてまさぁ」


 ドルトンと呼ばれた大男はすっかりいつもの調子を取り戻したメグライアにたじたじな様子である。禿げ上がった自身の頭をカリコリと人差し指で掻いていた。


「敬語も必要ありませんよ。いつもの調子になってください。皆様、この方はこの街で一番安くて美味しい酒場の店主さんなのですよ」


「メグ! その紹介の仕方じゃあ俺が安酒売ってるようとしか聞こえねえだろ」


 すっかりこっちもいつもの調子を取り戻したであろう酒場の店主の様子にメグライアもころころと笑う。


「それで、どうかなさいましたか?」


「ああ、お前さんが、どうも人を探し歩いているようだと聞いてな。……デュランのことなんだろ?」


 言いながら、ドルトンは表情を引き締め直す。


「ええ、そうなんです。全然見掛けないものですから……。何処にいるかご存知でしょうか?」


「いや……、今いる場所は分からねえ。だが、そのことでお前さんの耳に入れておこうと思ってな……」


「え?」


「昨日のことだ。アレス第一王子の名代みょうだいを名乗る奴らがデュランを訊ねてきたんだ。貴族みてえな奴らだったから引き合わせちまったんだが……」


「……え?」


 メグライアは全身から血の気が失せるのを感じていた。

 彼女の後ろで会話を聞いていたシア達三人の脳裏にも、最悪のシナリオが浮かんでいた。



「……そうか……」


 最後の作戦開始三十分前になって、東の物見の塔最上階に集まった面々の中に、領主の娘ことメグライアの姿が無い理由を伝えられたハークは沈痛な想いでそう応えた。

 酒場の店主から齎された情報により最悪の事態を想像したメグライアと同じ想定を、これまでに事情を聴いた仲間達やドナテロらと全く同様に、ハークも思い浮かべていた。


『恐らく、そのデュランというヒト族の男性が『黒き宝珠』のトリガーとされたのであろう』


 エルザルドが予測する通りなのであろう。メグライアの恋人であったデュランというその男は、無理矢理生贄に捧げられたのだ。

 ハークは音がするほどに奥歯を噛み締める。こんなことであるならば、クロウ=フジメイキとグレイヴン=ブッホとやらをあんなにもアッサリと斬り捨てるべきではなかったとすら思えた。


「勝手な事であるとは重々承知しているが……、今の娘の精神状態では今作戦に携わるには負担が大きすぎる。部屋で休ませることとしたよ。代わりの者はこちらだ」


「ウィレムです! 微力ながら、皆様を手伝わせていただきます!」


 敬礼し、自己紹介したのはこの街の西門で助けた衛兵隊の西部門長であった。

 ハークは一息「ふうっ」と息を吐くと、気持ちを切り替える。


「いや、確かにドナテロ殿の仰る通りだろう。賢明な判断だ。ウィレム殿はここで全体の状況を……」


「出てきました! 敵の軍勢です! しかし……、これは!?」


 外を監視していた衛兵長が叫んだ。どうやら時間の様である。

 素早く窓辺に集まる戦士たちであったが、眼下の光景に皆、一様に声を失う。


 そこには街の外を、遥か地平線まで埋める白骨の軍勢の姿があった。

 何百万、いや、何千万という不死の軍勢の数に、流石のハークも息を呑んだ。




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