204 第15話03:ロズフォッグ家




 元辺境領ロズフォッグ。

 小さいながらも領都であるトゥケイオスの街、中心に建つ領主の館。その執務室にて、筆頭政務官は久々に機嫌良く仕事に励む主、ドナテロ=ジエン=ロズフォッグの姿を見た。

 機嫌の良い理由は、筆頭政務官にも分かっている。1週間ぶりに、ドナテロの愛娘が執務を手伝ってくれているからだ。


「お父様、直ぐにご決断された方が良い事案の書類は、ここに纏めておきますね」


「おお、いつも済まないな、メグライア」


 執務机の端に重要書類の束を置く孝行娘の姿に、御領主様たるドナテロはホクホク顔だ。長年の付き合いで筆頭政務官には手に取るように分かる。ドナテロの娘であるメグライアは要領が良く、こうして手伝ってくれれば筆頭政務官としても楽になるほどに優秀だ。だから手伝って貰えて有り難いのは筆頭政務官とて同じなのだが、ドナテロの表情を崩れるほどに変化させているのはそれが主ではない。


 単純に娘に手伝ってもらえること、一緒に仕事が出来る事、いや、同じ空間に居られるということだけで嬉しがっているのだ。


 一人娘しかいない家庭の男親にはままあることだ。しかし、ドナテロの場合は根が深い。

 彼の妻はメグライアが幼き頃に若くして病でその命を失ってしまっていた。


 ある程度にまでレベルが上がると、ヒト族等は病に対する抵抗力が増し、病気には非常にかかり難くなる。さらにレベルが上昇すると、今度は罹患すること自体が全く無くなる。

 それが大体レベル15前後なのだが、故に富裕層、特に貴族の家などは子供たちのレベルを肉体の成長と共に上昇させるのが一般的である。

 しかし、中には様々な理由、矢張り経済的な理由が主ではあるが、そういったことを行えない家も稀には存在する。


 ドナテロの妻にしてメグライアの母は、そういった所謂下級貧乏貴族の出身だった。

 大恋愛の末に結ばれた妻の面影を残す一人娘に、ドナテロの愛情が集中したのは当然の流れと言える。


 こういった状況に陥ると、片親というのは簡単に溺愛と甘やかしに傾倒してしまうのが世の常だが、ドナテロは違った。亡き妻の墓前にメグライアを立派な人間に育てると涙を堪えながら誓った彼は、それを見事にやり遂げたのである。


 メグライアは明るく優しく時に逞しく、粘り強ささえ備え、素朴で、そして何より聡明に育った。

 そんな彼女を誇りに思うと共に、ドナテロは最近、目に入れても痛くないほどに増々可愛がっていた。人格形成もすっかり確立したので、もう思う存分甘やかしても良い時期となったことも関係しているのであろう。

 筆頭政務官との2人っきりの酒の席で、「彼女が幸せに生きられることが確約されるとして、もし、それに必要なのが自分の死なのであれば、俺は喜んで自分の命を差し出すね」などと言ってしまう程である。


 とはいえ、孫が産まれたばかりの筆頭政務官にも、その気持ちは良く解る。

 それでも部下には見せられない顔ではある。そろそろ仕事に気持ちを戻してもらわねばと思い、筆頭政務官は一通の報告書を差し出した。


「お館様、これを」


「ふむ……、昨日、我が領都へと訪れたアレサンドロ王子の側近と思しき二人組の経過報告書か。……何!? もう街を出たというのか!?」


「確かです」


「しかも昨日の内にか!? 一体何をしに来たというのだ?」


「不明です。人をやって調べさせてはおりますが、酒場にて何者かと会い、日が沈む前に旅行業者を雇う事無く街を出ています。その間の行動は目下調査中でございます」


「うーーむ、あれ・・の催促に来たのかとも思ったが、アテが外れたか」


「追及されなんだことは僥倖かもしれませんが、お館様に挨拶の一つもせぬままとんぼ返りとは……。てっきり一泊して身なりを整えてから面会を望んでくると思っていたのですが……、やはり帝国貴族というものは我らモーデルの民とは相容れませんな」


「全くだ。そもそもあんな乱暴な誘い文句があろうか。あれ・・では脅迫文だ」


 ドナテロが語るあれ・・とは、約半年ほど前、王都の第一王子アレサンドロ王子派閥より届いた一通の文書のことを示していた。

 彼が呆れとも怒りともつかぬ感情で脅迫文と言い切る内容、それは平たく言えば王子派閥へと加わることを勧める内容が大部分を占めていたのだが、最後に余計な一言が添えてあった。


『我らが頂くアレサンドロ王子殿下の下に馳せ参じぬということは、我らが主の意に背くことに等しい。くれぐれもお忘れなく』


 これでは挑発しているに等しい。百歩、いや、一万歩譲っても酷い檄文だ。

 存在自体が毒にしかならぬ二等貴族共はいざ知らず、王国の発展に寄与してきたと自負する誇り高き王国一等貴族達が、このような脅迫めいたものに屈するワケが無い。連中は真面目に勢力拡大を目指す気があるのかも疑わしいくらいだ。


 そもそもこの一文だけでもツッコミ処満載である。

 『我らが主』とは、王家、延いては後継ぎたる第一王子のことを指したいという意図は容易に想像出来るのだが、よくよく考えるまでも無く本来の主とは無論、国王陛下のことだ。それを差し置いて自らの派閥の長を『我らが主』などと呼ぶのは、現国王ハルフォード11世陛下に対して失礼甚だしい。有り得ないがこんな文に乗せられてしまうような者は、逆に叛意を疑われて然るべきだ。


 とは言え、第一王子アレサンドロが次代の有力な後継ぎ候補であることには変わりない。

 取り敢えずの返答として、『我らが頂く主、国王陛下への意に背くなど畏れ多い』などとした内容を書いてお茶を濁しておいた。それが半年ほど前の出来事なのだが、昨日トゥケイオスの街を訪れたという第一王子の側近らしき二人組が、前述の王子派閥参加の返答を本格的に催促しに来たと勘繰るのは、このロズフォッグ領に務める者として当然の帰結であった。


 ただし、領主ドナテロは返答の内容を迷っている訳では無い。

 彼の中で答えは既に決まっている。迎合など出来るワケが無い。


 これは筆頭政務官も含めたロズフォッグ領の総意の様なものだった。

 しかしながら、このことをおいそれと伝えてしまえば自ずと対立も明確となってしまう。ギリギリまで態度を保留出来るならばそうすべきであった。


「あの……、お父様」


 ここでおずおずと、メグライアが多少遠慮がちに父親に声を掛ける。


「ん? 何だね、メグライア。何か聞きたい事があるならば、遠慮は要らないよ」


「はい、ありがとうございます。では……」


 礼を一言添え、一度頭を下げてからメグライアは改めて口を開いた。


「第一王子アレサンドロ殿下の派閥にご参加する気が皆無ということであれば、今の内に第二王女アルティナ殿下の派閥へのご参加表明を行った方が良いのではないでしょうか?」


 これは、メグライアにとっては当然の疑問であったろう。それと同時に、ドナテロにとっては最大に頭の痛い問題であった。


「そう簡単には行かぬのだよ、メグライア」


 ドナテロは少し厳しい表情を見せて、愛娘にそう伝える。


 2つの対立する派閥があり、一方には迎合する気は無く寧ろ隔意すら抱いている場合、もう一方の派閥に参加を打診しようとするのは自然な流れとすら言える。

 それが行えないという場合、そのもう一方の派閥の方にも大きな問題が山積しているか、こちら側に余程根深い事情が存在するかのどちらか、或いは両方であるが、ロズフォッグ領の場合は後者、つまりは双方に理由があった。


 まずはもう一方側の派閥、所謂『第二王女アルティナ派閥』に盟主たる王女アルティナ殿下の姿が無いからである。

 彼女は現在行方不明。生きて王国内には居るとの噂だが、行方は杳として知れない。

 これでは守るべき存在も、忠誠を誓うべき存在も居ない。集う価値すら無いと言える。

 『第二王女派閥』が今現在のところ『第一王子派閥』に対して有力な力持つ派閥と成り得ていないのは、これが主たる原因だ。どんなに優秀な頭脳の持ち主やレベルの高い戦士、魔法使いなどの戦力を整えようとも、その中心核が不在では話にならない。


 そして理由の片割れたるロズフォッグ側の問題。

 こちら側の方がより根が深かった。ロズフォッグ領、いや、元辺境領領主ロズフォッグ伯爵は、対ワレンシュタイン派閥連合の中心人物だったからだ。



 現在の辺境領を治めるワレンシュタイン伯爵家、その前身たるウィンベル家が公私に渡って王家を支えてきたのは周知の事実である。

 これは古参の家柄であればあるほど、疑いようの無い事実であると確信出来る事柄だ。


 しかし、一方で国の指導者にして貴族の長である国王との関係性を含めた距離が近すぎるものであるとして、その存在を危ぶむ声が出てくるのは、また当然の流れとも言える。

 如何に『師父』又は『国父』とすら呼ばれた初代ウィンベル卿こと赤髭卿を敬愛していようとも、それとはまた別の話である。


 早い話が目障りなのだ。

 どんなに国王陛下に親愛の情を持って尽くそうとも、ウィンベル家以上の存在にはなれない。そんな、一種嫉妬に近い感情も関係していただろう。

 そういった手合いの貴族達の纏め役が、元辺境領領主ロズフォッグ伯爵家だったのだ。


 ただし、前述の手合いの貴族達と共にウィンベル家を執拗に糾弾する、などというようなことは、いつの時代のロズフォッグ家当主も加担したことは無い。

 寧ろその逆だ。

 ロズフォッグ伯爵家、その歴代当主はそういった・・・・・種の貴族が過度の手段に及ばないよう舵取りをし、謂わば制御している立場だったのである。



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