176 第13話10:Get My RAGE!!




「そ、そ、そ、そっ! そんな馬鹿なああっ!?」


 驚愕の声を上げたのは当然ゲルトリウスである。

 だが、それ以外のほぼ全ての人々は声も出せない。


 それ程に信じられぬ光景だったからだ。

 今確かに己の眼で見たとしても尚信じられぬ。

 この場に居ない、誰に話したとて到底信じてはもらえず、寧ろ正気を疑われることは確実と言えた。

 何しろ、30トンは超えようかという体躯の魔獣、その突進を、どう見繕うとも60キロに満たぬであろうエルフの少年がその場から動かずに受け止めて押し返してしまうなど、荒唐無稽極まりないと詰られても何らおかしくはないのだから。

 それは明敏な頭脳と豪胆な精神を併せ持つゼーラトゥースやジョゼフをしても同じ事であった。


 が、ハークの仲間達にとっては日常茶飯事、とまでは言えぬでも、信じられぬ程に無茶苦茶な現実ではない。

 何しろハークの攻撃力を表すステータス数値は『斬魔刀』使用時に限り、レベル39の虎丸すら超えて、今や古都ソーディアンの圧倒的な第一位の座に輝いているのだ。


「すうっ、すっっげええええ! やっぱすっげえよ、ハークさんはよォオ!!」


「何だい、今の!? またトンデモないSKILLを創っちまったねえ、ハークは!!」


「流石です! 流石ですわーー!」


「有り得ない! 有り得ないことです! ケド、お師匠であれば! お師匠の刀であれば有り得るのです! これこそが、お師匠ハーク殿が刀技なのです!」


 静まり返る会場とは裏腹に、大盛り上がりを見せるハークの仲間達。

 その叫び声を煩わしいと思いながらも、ゲルトリウスの心は焦燥に支配され、視線はエルフの少年の方へと固定される。

 眼を放すことは出来ない。そんな彼の視線に気付き、ハークがゲルトリウスに向かって言う。


「おいおい、儂の方ばかりを見とってよろしいのかね?」


 そして、左の人差し指で目前に佇む巨獣ドレイクマンモスの先を示す。

 ハッとして視線を移動させた先、そこには血達磨となり、力無く地に倒れ伏す5人の男達の姿があった。

 どう視ても既に事切れている。

 5人の男ではなく、既に5体の躯。その傍らには、これ見よがしに欠伸をかます白き魔獣の姿があった。


 ゲルトリウスは、全身から汗が吹き出すのを感じていた。



 勿論、ハークは充分な確実性と自信をもって、先の一撃、奥義・『朧穿』にてドレイクマンモスの『牙突進タスクチャージ』を退けたのであったが、危険な行為には違いはなかった。


 ハークのレベルは今や24だ。

 しかし、相対するドレイクマンモスはレベル40、しかも肉弾戦闘能力は魔獣種でも随一の能力を誇る種族である。古都第一位という破格の攻撃力数値を、『斬魔刀』装備時に限り発揮できるハークでさえ、ステイタス数値上では僅かに下回る。

 その差を刀の妙技にて強引に埋めたようなものである。結果的に相殺どころか跳ね返すことが出来たとはいえ、両者の間に存在する体重差は如何ともし難い。


 先程のように押し潰すかのような突進であれば何度来ても問題はない。だが、接触の寸前にでもカチ上げる動作をされたとしたら、踏ん張りが効かず、相手にとっては小石にすら等しいハークの体重では遥か上空にまで吹っ飛ばされかねない。


〈ま、やってくるとは思えんがな〉


 これが正気の相手であれば、先の一当てでの手応えにて前述の戦法に思い至るかもしれない。一度だけでは難しくとも、二度三度と回を重ねれば確実に気付くだろう。

 が、目の前のドレイクマンモスは自己の意識は保っていても、それを自身の肉体に伝えることの出来ない憐れな存在だ。

 現在、その肉体を操ることが出来るのは、呪物によって彼を支配するゲルトリウス元伯爵だけである。だから、本来はゲルトリウスが気付かねばならない事であるのだが、予想通りそんな素振りはない。明らかに実戦経験が足りていないことが垣間見える。


 それでも、ハークは無論、油断などしない。

 寧ろ、逆に気を引き締めなおす。ここからが、策の本番であるからだ。


 ゲルトリウスを驚愕させ、戦慄させることには成功した。これで、己の身が決して安全な位置で守られたものではないと、下手に判断を誤れば命の危機がすぐ傍まで迫ることを実感したことであろう。

 次は、逆に安心させてやることだ。

 事前に己が楽天的に想像した結果が、直ぐ手の届くところに存在すると思わせてやらねばならぬ。


 そうすれば、確実に奴は策に乗る。

 生命の危機を強く感じた際、男は本能的に子孫を残そうと考える。

 これは悲しいかな男のさがとも言えることだ。前世で多くの武将や大名が大事な合戦をその時最も気に入っていた愛妾連れで臨んだり、逆に衆道がまかり通ったのもこれが遠因である。


 その手の欲望は危機が去ったと確信した後、安心を得た時に、抑えようも無く膨張する。

 その時にもし目の前にとびきりの美女がいて、それが手の届く可能性が高いと知れば、手を出さずにおれぬ男はそうは居ない。ゲルトリウスのように抑制の効かぬ性格であれば尚更だろう。


 だからこそ、ハークは彼を安心させてやる。奴の油断を誘うのだ。

 こういう事に関しては、ハークは大いに自信があった。

 前世から大得意な事なのである。

 相手の油断を誘うのは接待に似ている。相手の望むもの光景を見せ、与えてやればいいのだ。

 その為にハークは虎丸と共に逃げ回る。反撃を一切控え、ギリギリに視えるようにドレイクマンモスの突進を避け続ける。


 シンやシアには悪いが心配そうに叫ぶ声援も良い援護になっている。果たして、またゲルトリウスが調子に乗り出し、激しく指示と檄を飛ばし始める。


『上々だ。もう少しだぞ、頑張れ』


 ハークは虎丸に念話を繋いでもらいながら、目の前で暴れ回るドレイクマンモスにそう伝える。


 彼には人語は理解できないであろうから、虎丸の場合のように完全には理解出来ないかもしれない。それでも伝えたいことの半分でも伝わってくれれば良かった。


『そうだ、抵抗するな。身を委ねるんだ。もう君が苦しむ必要などない』


 健気にもドレイクマンモスは先程から何度も何度も命令に抗おうとしていた。その度に堪え難い激痛が魂へと刻まれるというのに。

 懸命に。懸命に。

 そんなドレイクマンモスに、ハークは虎丸と同じくらいのいじらしさ、愛おしさを感じた。そして誇りも。


〈それを取り戻す!〉


 ハークがこの戦いで己に課したことは2つ。


 一つはドレイクマンモスを出来るだけ傷付けることなく、安らかなる死を与えてやること。

 そして、もう一つはその前に必ずゲルトリウスを殺すこと。制御が外れ、暴れさせてしまう危険性は孕んでいたが、彼の尊厳を取り戻す為に必須なことだった。


『待ってろ。死を与える事でしか出来ないが、君を救うよ。せめて安らかに』


 ハークの意思が伝わったのか、もうドレイクマンモスが命令に逆らうことはしなかった。

 その真ん丸とした大きな瞳が、少しだけ潤んだ気がした。



「そうだ! そこだ、行け! 潰せ! 何をやっている、追い詰めろ!」


 あらん限りの声でゲルトリウスは指示を飛ばす。


 最初は驚かされてしまったが、今や相手は逃げ回るばかり。

 きっと、ドレイクマンモスの突進を止めた一撃は全MPを殆ど消費するぐらいのとっておきの攻撃手段だったに違いない。何しろ今は従魔と共に手も足も出ない有様なのだから。

 実に勇壮なものだ、我が従魔は。ここのところささくれ立ち、イラつかされ放題だった心が癒されるかの如く爽快だった。砂漠に水が染み込むが如きである。


 やはり自分の目に狂いなど無かった、と思ったところで、鼻孔をくすぐる甘い匂いに気が付いた。


「あらあら。実に勇壮な光景でございますわね」


 自分のすぐ近くから聞こえてきた聞き覚えの無い美しい声に、ゲルトリウスは思わず振り返り、危うく感嘆の声を上げそうになった。

 そこには極上の美を持った貴婦人が佇み、こちらににこやかな笑顔を向けていた。

 王国では珍しい艶やかな黒髪、エキゾチックな肌の色、宝珠のような瞳、整った鼻筋に濡れたように光る唇。

 美しい。しかしそれだけではない。首から下も絶妙だった。肌の色とは対照的に淡い白銀のドレスは胸元に大きな切りこみがあり、内から押し上げるたわわな双丘の谷間を目立たせている。

 苦労してその下に眼を這わせると腰元は折れそうに締まっているが腰骨から下にかけて急速に膨らむ曲線を描いていた。背中はそのラインを強調するかのように大きくスリットが入り、その全貌を演出しているかのようである。

 首元や手首には豪華で洒脱ではあるが主張し過ぎることの無いアクセサリーを無数に身に纏っており、彼女の格と財力と趣味の良さを感じさせる。


(どこかの貴族の女性か。こんな場所に来るとは武門の子女か? だが、実に美しい……。肌や髪の色からして南方の出身か、その子孫だな)


 実にけしからん、いや、たまらない身体だった。顔の左右に長く美しい髪を纏めて団子状にしている。奇妙な髪型ではあるが、彼女の美しさを邪魔するものではない。


 またも彼女が笑いかける。我知らずゴクリと唾を飲み込んでしまった。


「どうかなさいました?」


 しまった、無様に見過ぎてしまったかもしれない。咄嗟にゲルトリウスは口を開く。こういう時の対応には自信があった。


「いやいや、これは失礼! 貴方の様なお美しいお嬢さんがこんな場所に居るのが不思議に思えてしまいましてねえ! 不躾な視線をお許しください!」


 その言葉を聞くと、美しいその女性は途端に顔を赤らめる。


「アラ、お上手ですこと。ウフフ、でもワタクシ、お嬢さんなんて呼ばれる歳ではありませんよ? こういう場所が好きなのです。殿方の勇壮なご様子を眺めるのが好きなのです」


 麗しく、艶めかしいその様子に彼は増々劣情を募らせた。


(そう言えば、南方の血を引く女性は味わったことが無いな)


 腹の下を滾らせながら、彼は表面上務めて紳士的に語りかける。


「ほお! それは高尚なご趣味をお持ちですな! ならばこの私が、先程の不躾な行為のお詫びと替えましても、貴方のエスコートをさせていただきましょう! 何を隠そう、あの大きくも勇壮な魔獣の主こそ、この私なのです!」


 ゲルトリウスの言葉に、貴婦人は目を輝かせた。


「まあ、素晴らしいワ。あんなに大きくて猛々しいなんて。主人に似てらっしゃるのね。それでいて紳士でいらっしゃいますのネ」


「ハッハッハ! 勿論ですとも!」


 そこで彼女は、甘えるような口調で言う。


「ねェ、私もっと近くで視たいワ。ご一緒していただけませんこと?」


 彼女が示したのは最前列の客席であった。

 確かにあの場所であればこの上なく戦いの様子が良く見える事であろう。だが、近すぎる。ドレイクマンモスの巨大さでは流れ弾に巻き込まれる可能性もあるし、エルフの小僧がどさくさに紛れて遠距離攻撃を仕掛けてくることも考えられた。


 だが、ゲルトリウスは僅かな逡巡もこの麗しい貴婦人相手に見せたくはなかった。

 男としての度量を示さねばならないし、この面倒な決闘が終わった後に、彼女とベッドで楽しむ可能性を捨てたくは無かった。


「勿論でございますよ! さァ、参りましょう!」



 意気揚々と最前列へと移動したゲルトリウスは相変わらずの戦況を、半分以上気もそぞろに眺めていた。

 隣に座る女性は決闘の様子にまだまだご執心だ。一挙手一投足に身体を揺らして楽しんでいるが、その度に見事な胸の双丘が弾む。

 さっさと彼女を褥に誘いたいがここで焦ってはいけない。女性とはそういうものだ。せめて部屋に連れ込むまでは紳士的な態度を崩してはいけない。


 しかし長い。既にもう10分近くエルフの小僧は避け続けていた。

 それでも漸く限界が訪れたのだろう。

 観戦するゲルトリウスたちの眼の前でガクリと膝から崩れた。汗だくだ。SPが尽きたことであろう。

 勝機だ。すかさず彼は指示を飛ばす。雄々しく、余裕たっぷりに。


「ハハハハ! 勝負あったな! 行け、ドレイクマンモス! 最大級の『牙突進タスクチャージ』だ! 潰してしまえ!」


 ドレイクマンモスが命令を受領した証に咆哮一つ上げる。

 さて、移動しなければならない。エルフの小僧はゲルトリウスのすぐ目の前に蹲っている。両者の間には客席を守る分厚い石壁が存在しているが、ドレイクマンモスのパワーでは万が一もある。

 小僧の仲間達が悲痛な声を上げているが最早これで決着だ。

 実に良い気分である。


 この後の一仕事という名の情事に想いを馳せ、立ち上がりながら隣の女性に声を掛けようとした瞬間、彼は異変に気が付いた。


 立ち上がることが出来ないのだ。

 足が動かない。それどころか腰を浮かせることが出来ない。


(な、何が起こった!?)


 視線を向けると驚くべきことが起きていた。足元、そして腰元が凍りつき、床に、そして座席にぴったりとくっついてしまっていたのだ。


 驚愕と焦りに思考が染まる中、ゲルトリウスは「フフッ」という鈴の音の様な笑い声を耳にした。

 顔を上げると、にこやかに笑う彼女の顔があった。しかし徐々に離れていく。


「待って……」


 女に向かって手を伸ばすが、その手が伸び切る前に彼の意識は激痛と共に暗闇に包まれ、次いで水気をたっぷりと含んだ肉が潰される音が周囲に響いた。




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