147 第11話14:What a HEAVY DAY!




 は確かに全てを斬り裂き、そして焼き尽くしただろう。

 そこに存在する者であれば。現世に生きるものであれば。


 手応え―――無し。


「おーー、おーーー。マジでビックリしたぜぇ!」


 今までの相も変らぬ口調で気に障る言葉を吐き続けるコーノの姿が何よりの証拠だった。


「ウソ……でしょう……」


 思わずと言った声でヴィラデルの諦念が声に漏れる。


 刻も場所も、剣も魔法も完璧だった。

 コーノの頭上から出現した火焔の渦が振り下ろすハークの『大日輪』と混ざり合い、その一撃を完全に昇華させていたのを間近でハークは感じていた。


 普通ならば、この世界のものであるのならば絶対に、滅せぬもののあるべきや、とでも言わぬばかりの威力にまで達していた。目の前の大気、その存在すらも滅するほどの斬撃にして炎撃に達していた。

 そう、ともすれば、示現流・『断岩』もかくや、と言えるほどの。


「火炎剣、いいや、『魔法剣』かァ!? カッケーなああ! 実にカッケーぜ! 本当にウザッてぇがなァアア!!」


 目の前の少年エルフに向かって攻撃を遂に加えるべく、コーノが自身の釣り針にも似た武器を振り上げる。


 ハークは動かない、動けない。一撃に賭け過ぎて上半身が大いに流れていた。刃の先が半ば地面に埋まっていた。

 それだけではない。ハークにもヴィラデルの諦念が伝染していた。


 この手の絶望というものは簡単に他人に感染するものだ。そしてヴィラデルはそれを口に出してしまった。勝負を諦めるつもりなど死の瞬間まで毛頭無いハークであっても、最早この時点での勝利は諦めざるを得なくなる程に万策尽きたこの状況では、一瞬とはいえそれに抗うことが敵わなかった。


「ハハッ! ヨーヤク諦めがついたのかよォオ!」


『ご主人!』


 コーノの武器が振り下ろされる直前、虎丸からの念話がハークに届いた。


『応よ!』


 絶望に捉われたのは上半身だけであった。足はまだハークの闘志を宿していた。残った力を籠めてハークは危険域を脱出する。

 後方へと跳んだのだ。まるで体を丸めた海老の如く。


 だがコーノがここぞとばかりに追い縋りつつ武器を振るう。ハークの気力が萎えかけていることに明らかに気付いていた。


「クッ!?」


 後方に逃げるだけでは凌ぎきれない。足捌きだけでは逃れきれない。だが、どうすればいい。攻撃は何とか躱しながらも、迷いが流石のハークからでも反攻の力を奪っていた。


「逃げてんじゃあねえぞ! ザコ野郎め! いいからさっさと死ねやあ!」


 歪んだ形相で奇妙な刃を振り回しながらコーノはハークを追い駆ける。腐っても彼はレベル34である。直線の速度では敵わない。


 だがここでハークの腕に力が蘇る。


五月蠅うるさいわ!〉


 切っ掛けは反発心からだった。しかしそこでハークの心血が再び滾り蘇る。呼び起こされた闘気が応える。この勝負の勝ちを譲るのと命を諦めるのとは別問題だと。

 そしてハークには意地でも生き残る理由があった。そして約束も。

 ハークは嘘も韜晦も詐称とすら言われるであろう行為も前世から幾度となく行ってきたが、約束は己から破ったことなど一度も無かった。

 それは今世であっても、変わることは無い。


〈こんなところで萎えてられるか! また弾き返してくれる!〉


 先の、ほんの少しだけ気を抜いた瞬間に襲われた時のように。

 あの時は凌いだだけだったが、今度は我からという事である。いつもの力を取り戻した全身で戦闘態勢を、構えを取りつつ足を止める。


〈すっ飛ばして、無様な姿を拝見してくれようぞ!〉


 そこまで思った時、心の中で待ったが入った。


〈待て。らどうする?〉


 と。

 それと同時に、コーノも止まる。足元の砂塵を巻き上げてまで。

 急ブレーキである。


「チッ! 足掻きやがってメンドくせえッ! さっさと諦めろっつってんだろうが!」


 明らかな苛つきを吐き出しながら、先程までと同じように動きを止める。

 内面の発奮を遠慮なく吐露しながらも、自分からは決して仕掛けてこないこの姿を、先程までのハークならば、狡猾、老獪と断じていただろう。

 つまりは大いに戦闘経験を持つ油断ならぬ相手だと。


 だが、その判断が間違っているのではないか。

 何かが引っ掛かる。違和感がある。

 そもそも、何故今、この瞬間に攻勢を止めるのか。コーノは足を止めたのか。


 自分であれば、もしコーノの立場であれば、ハークならば一気呵成に攻めに攻め入る筈の局面だ。

 相手は気力を取り戻したとはいえ、それだけだ。既に一度『死に体』に陥っている。その気を逃さず叩くべきなのだ。徹底的に。

 相手は最後の力を振り絞って悪足掻きをしているだけなのである。風前の灯火だ。


 攻撃を迎撃しようとするところを透かし、憐れにも身体が流れ盛大に隙を曝した無様な相手に一撃叩き込んでやればいい。実に簡単な作業だ。致命傷になどならずとも良い。軽く肉に食い込むだけでもいいのだ。それで相手が急場で立て直した心はまた折れ、今度は立て直すことなど出来ず、それで終わる。


 それが機を視る、ということだ。


 だが、そもそもそれが出来ない、とすればどうか。


 今までの行動から鑑みるに、コーノという男は恐るべき能力を持ちながらも、それだけではない多くの戦いの経験から学んだ狡猾さも持っていると思っていた。

 だが、短い実戦中の間でさえ得た断片を一つ一つ繋ぎ合わせて視ると別の側面が現れてくる。


 それは、元々彼は『暴力』には慣れていても、『戦い』そのものに慣れているとは決して言えないのではないか、という事象であった。


 そもそも『強さ』とは、ちっぽけな餓鬼の頃から己の弱さを恥じ、それを何度も何度も実感させられつつも試行錯誤と努力の果てに一つ一つを乗り越えていこうとし、幾重にも幾重にも丹念に積み重ねていくことで成立するものだ。これを幾つになろうとも、大人になろうとも積み重ね続けていくことが肝要なのである。まるで大木の年輪の如くに。

 これは、一般的に言う『剣の強さ』だけに留まらない。交渉術や料理、商い、勉学、果ては盗賊の道に至ろうとも全く同じなのだ。ハークは前世からずっとそれを視てきた。

 その積み重ねの『厚み』こそが、その人物の価値と同義である、と。


 そう考えれば、目の前の男のそれは明らかに、どう考えても『薄い』。

 経験の足りない子供が必死に背伸びをして大人に反抗する様子が何故か眼に浮かぶ。

 いや、それよりもが無い。


 我を見よ。我を見よ。

 我、斯様な力をば得たり。

 我を見よ。我を見よ。

 我こそは神仏が具現なり。


 そんな阿呆な語りが聴こえてくるようだ。自身は特別な生を受けた人間であると。


 目の前の男は明らかに苛ついて爆発寸前だ。なのに止まった。

 これは老獪などではない。

 からだとしたら。


〈そもそも、だ。何故あの時に奴の刃を凌げた? こちらから攻撃した際には服であろうが手に携えた武器であろうが何ほどにも手応えなど無かったが、何故にあの時だけ? 今まで奴が、こちらが攻撃する際はただ突っ立ったまま余裕たっぷりに笑みを浮かべながら口汚く罵るのみだというのを、コーノの狡猾さ故、そしてこちらが絶望に陥るのを楽しんでいるからだと思っていたが、そうではないとしたら?〉


 コーノはこちらの諦念を誘発、つまりは絶望へと追い遣ろうとした発言が実に多かった。

 そう考えると別の側面が浮かび出て来る。


 一つの仮説から断片の繋ぎ方を並べ替え、また新たな仮説を導く。


 何かが頭に導かれる。天啓の如く。

 人、それを閃くという。


 ハークは慎重に『念話』の糸を繋ぎ直し、虎丸だけに意思を繋げる。


『虎丸よ。命令、いや、友として頼みがある』


『ご主人、なんッスか? 命令なら何でもオイラ従うッスよ!?』


『違う、お主にとっては少し酷な命になるかもしれん。だからこその頼みだ』


『ご主人……』


『ホンの暫くの間だ。ホンの暫く間、その間だけ儂を見捨てろ。儂が何をしても、何をされても、良いというまで決して動くな。何もするな』


『そんな!? 無理ッスよご主人! 見捨てろだなんて、無理ッス!』


『分かっておる。だからだ、だからこそだ。……だからこそ、友として、頼む!』


『…………ご主人』


 まるで泣いているかのような声音だった。

 念話は送り手の心情をそのままに、分かり易く言うならばダイレクトに繋がってしまうものなのである。


『心配するな。儂は死なぬ。あの約束、憶えておるか? 共に生きると』


『!!』


『儂は約束を絶対に守る! 儂を信じろ!』


『……りょ、了解ッスウ!! オイラ、辛くても、動かないッス!』


『応! それでこそ我が相棒よ!』


 虎丸の力強い宣言を受け取ったハークは、内面に強い意志を漲らせながらも、全くそれを表に出すことなく、構えを解いた。

 次いで茫漠とした表情で大太刀を投げ捨てる。明後日の方角へと。

 ここからしばらくは腕っぷしの勝負ではない。騙し合い、化かし合いの勝負だ。


「何のつもりだァア?」


 コーノが間延びした口調で、本当に不思議そうに尋ねる。


「お主の言う通り、だと思ってな」


 言いながらハークは顔を僅かに俯かせる。


「あぁん?」


「諦めたのだよ。お主には敵わん」


 そして腰も僅かに落とす。膝もほんの少し折り曲げる。完全に顔を伏せるかのように。


「な、何考えてんのよ、ハーク!!」


 明らかに焦燥状態へと陥ったヴィラデルの叫びが響く。

 その音量と声音により、ハークは先程の精緻に組んだ念話の送信がヴィラデルの眼に僅かにすらも止まらなかったことを確信する。それによる期待通りの反応に至ったことも。


「ハッ! ハハハハハアハハハハハッ! 遂に! 遂に諦めやがったか! 折れやがったか! 手こずらせてくれやがって! 足掻きやがってくれやがってよォオ! だがよォオ! このオレをよォオ! ここまでイラつかせておいてよォオ! 簡単に! 楽に死ねるとは思っていたりしねぇええよなァアア~~!?」


 ハークの視線は最早地面しか見えていない。が、コーノが有らん限りの声を張り上げつつ、のっしのっしと大股でこちらに近付いてきているのは判っていた。


〈まだだ。まだ〉


 気を落ち着ける。諦念に捉われ、絶望に身を委ねて、見せる。

 顔は、表情は誤魔化せる。誤魔化せることが出来る。

 だが、眼は、瞳の奥に光る鋼の意思だけは無理だ。生くるうちに、それがハークの瞳から消え去ることなど無い。が、今この場ではそれがアダと成り得る。だからこそ、瞳を見せてはいけない。万が一でも、未だ気力と闘志を瞳に宿らせたままであると、奴に気付かれてはならない。

 だからこそ、顔を伏せねばならない。そしてそれは、非常に危険な行為だった。


 大股ではあれども、コーノの速度はゆっくりだ。それはこの期に及んでも警戒感を忘れぬためではない。

 単なる優越感、勝ったという喜びに浸りたいが為だ。今ならばハークにも判る。

 正直、ハークにとって理解の、沙汰の外であるが、そういう人格である、と心で感じた。最早ただの勘働きにも近い。


 コーノの心はハークの予想通り、喜悦に浸っていた。

 そしてこれから聞くことになるであろう美少女と美女の甘美な血と絶望の美声に酔いしれ、想像の中で愉悦に達した。


 正に平和と安寧と寛容と放置が齎した人外の化生、いや落成しきった屑の成れの果て。ハークの生きた時代には一人として存在すら有り得なかった者。


 遂にその者がハークの目前に立った。足元だけが見える。

 コーノの顔は見えない。見えないが、あの歪み切った笑みを浮かべていることだけは判る。

 実際には、ハークでは想像もし得ぬほどに歪み切り、快楽に堕ちきった、成す術無くこの場を見つめるヴィラデルの背筋すら凍らせるほどの笑みを見せていたのだが、それは最早関係無かった。


 ハークは少しだけ顔を、視線を上げる。無論、コーノの表情を眺めるためではない。

 腰元まで視線を上げたところで止める。コーノが右手に携える奇妙な形状の武器が見えた。


「俺は『無敵』なんだよォ。誰も俺を傷付ける事なんかデキやしねえ。何モンであろうともよォオオ!!」


 一層に笑みを濃くしたコーノが右手を振り上げる。そう、振りかぶったのではない。武器を振り上げたのだ。


 その切っ先が狙うは頭部か。心の臓か。喉か。

 いいや、左脇だ。

 あの時のヴィラデルと同じようにしてやろうというのである。

 この瞬間、ハークは賭けに勝利したことを確信し、腰元の武器に魔力を送る。


 ハークはこのためもあって腰と膝を僅かに落としたのである。同時に右手で腰帯に差したままの剛刀の柄を握り、左手で保持する。


「一刀流抜刀術―――」


「あァあ?」


 ハークがぼそりと言った言葉にコーノは反応を示したが、攻撃を繰り出す右手は止まらない。

 刃の先端が、つぷりと左脇に刺さるのを感じた。


 痛みが奔る。だがそれが合図だった。


「―――奥義っ!!」


 この戦いで初めて解き放たれた剣線がきらりと一閃する。鞘の中で爆裂し撃ち出される勢いのままに振るわれし剛刀は、確かなハークの意思を載せてを斬った。


「―――『神風』……」


 そして何事も無かったかのように、刃は元の鞘へと戻っていた。

 かちん、という小さな納刀の音を残して。


「はァ?」


 コーノには、ハークが何事かを喋ったことには気が付いていたが、何かをしたのか、何を行ったかは全く視えていなかった。攻撃をされたことすら、斬撃を放たれたことすら視えていなかった。


 ブシャアッ。


 粘度の高い液体が大量に漏れ出た音が鳴る。彼の大好きな朱色の液体の噴き出た音だった。だが、見ると発生元である筈の相手の左脇下に刺した刃は、まだ僅かにその先端がホンのチョッピリ刺さり込んだだけに過ぎなかった。


 おかしいな、と思いもっと奥まで捻じ込んでやろうと右手に力を籠める。

 だが、右手が動かない。それ以上に押し込むことが出来なかった。


「あァああ~?」


 その言葉が引き金かのようだった。自身の眼下から、大量の血が漏れ出たのである。


「な、何、が、ゲバアァア!?」


 言葉の途中で声ではなく生暖かい液体が口から漏れ出た。何かが起こっていることに気が付いたが、何が起こっているのかがコーノには分からなかった。

 そのまま視界がぐるりと反転する。その瞳には最後に映った光景が焼き付いていた。吐き出された大量の血に塗れた己の姿が。


 血と臓物をその場に吐き落としながら、コーノは膝を折り、そこから上は仰向けに地に倒れた。

 ハークの放った一刀流抜刀術奥義・『神風』によるその名の通り神速の抜き打ちは、コーノの右脇腹、腰骨の僅か上から入り、左肩にまで抜けた一撃となり、深さは背骨すら断ち斬るほどにまで達しているという、ほぼ両断とまで言っても良いほどの斬撃となっていた。


「ふうっ」


 返り血に塗れながら、少しだけ息を吐くハークを視て、ヴィラデルは何が起こったのか正確には判らぬままに、その姿に見惚れて不覚にもこう思った。


 美しい、と。





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