148 第11話15終:What a HEAVY DAY!②




 地に倒れ伏したコーノから視線を離すことなく、ハークは虎丸へと念話を送る。


『虎丸、もう『良い』ぞ。酷な目にあわせたな』


『い、いえっ。大丈夫ッス!』


 虎丸の声音は依然慌てているかのようであった。相当な心労を掛けたとみえる。

 だが、それはハークの勘違いであった。

 虎丸の心労は現在進行形だったのである。


『ごっ、ご主人、血っ、血がっ!』


『ああ、この血糊か。かなり被ってしまったな。だが平気だよ、洗えば落ちるさ』


『そっちじゃあないッス! 脇! 左脇ッス!』


『ん? ああ、これか』


 そういえば刺されていたのだった。傷の浅さや痛みのわりにかなりボタボタと垂れている。

 脇の下というのは太い血管が幾本も通っている場所だ。そのうちの一本を傷つけられたらしい。前世であれば急いで止血せねばならないが、今世であれば焦ることなど無かった。


「『回復ヒール』」


 すぐに魔法で負傷を癒す。この水魔法は魔力効率が悪いが、レベルが上がってきた今ではそれ程気にならなくなってきた。まだまだ戦闘に必要な魔力量を考えると使う分に注意せねばならないが、今回のように極小さな傷であれば消費量は雀の涙というものだ。


『これでもう大丈夫だ、虎丸。ところでこ奴を一応『鑑定』しておくれ』


『あ、了解ッス!』


 最早ピクリとも動かず、息をしているようには全く見えない。が、最も確実な手段があるならば取るべきである。ハークはそういう男だった。


『HP0ッス。完全に死んでるッス。もう安心ッスね!』


『ふむ、そうか。ありがとう』


「ちょっと! ハーク、アナタ一体何をやったの!?」


 丁度話が一段落した時を見計らってではないだろうが、ヴィラデルが言葉を挟む。まるで質問というよりも詰問、こちらを責めるかのような口調であった。


「少し待て。かなりの返り血を貰ってしまったからな」


 ハークは肘のところまでしかない己の上着の袖で顔を拭うが上手くいかない。長さも足りなければ、拭う袖も血を受けてたっぷりと吸い込んでしまっていたからだ。

 すると、とっとっと、とハークに走り寄ってきた虎丸が右前脚を上げる。そして、人で言えば手の甲側というべきか肉球の逆側をハークに向けて押し当てようとする。己の白い毛皮で血糊を落としてやろうというのであろう。


「ふふ、止せ虎丸。気持ちはありがたいが、お主までしゃわーとやらを浴びねばならなくなるぞ」


「あーー、もう。イチャついてないでちょっと待ってなさい」


 見かねたヴィラデルがそう言うと、自らの腰布に手を伸ばす。

 彼女の身を包む衣服の中で、その腰布は身体のラインを隠す唯一のものだ。

 とはいえ、その合わせ目から覗く太ももがより扇情的に男の眼には映ることであろう。現代風に言うならばパレオに近いだろうか。

 それを真ん中よりやや下辺りから引き裂き、切り離した布をハークに渡す。


「それでさっさとお拭きなさいな」


「一応、礼を言った方が良いかな」


「要らないわ。大したものでもないし。それより、拭きながらでもいいから教えてくれないかしら?」


「うむ」


 ハークは貰った腰布の切れ端でまず顔をごしごしと拭く。

 顔だけでも拭き終わればハークも話し始めるであろうとは分かってはいたが、ヴィラデルはそこまで待ちきれずといった態で自分から話し始めた。


「それにしても本当に見事よ! 正に大金星だったわ、『ユニークスキル所持者』を倒すなんて! ねェ、どうやってアイツのスキルの謎を解いたの?」


「ん?」


 そこでとりあえず顔の部分だけは拭き終わり、髪の毛を拭うに移ったハークがぽつぽつと語り始めた。


「まず先に言っておくが、儂はあ奴の『湯肉ゆにいくスキル』とやらのカラクリを解いた訳ではないぞ」


「え? じゃあ何で、どーやって打ち破ったっていうのヨ!?」


「まぁ、落ち着け。あ奴の『湯肉ゆにいくスキル』、確か『生と死の狭間に居るもの』で弟子なんちゃらと読むものだったか。そんなものの意味や意図なぞとんと考えもつかんわ。儂が何とか解き明かしたのはあ奴の『無敵』時間、それが一時的に切り替わる瞬間。それを見極めただけだ」


「ええ、と……、どーいうことなの?」


『どーいう事ッスかご主人!』


 虎丸までも念話を繋げ、勢い込んできた。流石に二人分の勢いに押されかけるハークだが、髪を拭く手は止めずに気を取り直して答える。


「つまりな。コーノは常時、あ奴自身が言っていたように『無敵』状態であったようなのだ。それは虎丸も儂も、そしてヴィラデルも儂らの前にも散々っぱら魔法で試したのであろう?」


「ええ、そうね」


『そうッス! 全く掴めも殴れも出来なかったッス!』


 ヴィラデルと虎丸がほぼ同時に頷く。


「では、一体どこで、何時、そして何故、『無敵』時間を切っていたかということだ」


 またも大柄なエルフの女と白き精霊獣は同じタイミングで、今度は何度も首を縦に振る。


「結論から言ってしまえば、それはあ奴が攻撃を行う瞬間だったようだ。考えてもみよ。いつ何時も奴の身体が全ての万物悉くを擦り抜けてしまうというのならば、奴の側からも攻撃すること自体不可能であるというのが道理とは考えられなくはないか?」


「ああ、そうか! 確かにそうね! でもあの状況で、本当によく気付けたわね」


「まあな。切っ掛けは一度、あ奴の武器と儂の刀がかち合った時だ。完全に不意を突かれた後で、あの時は直ぐに気が付かなんだが、あれは儂の刀が奴の武器に初めて当たった、とも言える時だった。その後の虎丸の攻撃は透かされてしまっていたが、それで気づいたのだよ。攻撃する時だけは、あ奴も透かすことは出来ない、と」


「要は……、原理はどうとかはわからないけど、攻撃するときにまで全て透過しちゃったら何にもならない、ということね?」


『ナルホドッス!! それでご主人は、敢えてあの人間に攻撃を許したんッスね!?』


「その通りだよ、虎丸。ただ、肝心の無敵時間を切るという瞬間が、攻撃を仕掛けようと構えた瞬間からか、仕掛けようと考えた瞬間か、それとも腕を振るい出す瞬間か、或いはコーノの意思によって自由自在なのか? それは儂にも最後の最後まで判断しきれんかった。そこであ奴に、こちらがもう抵抗する意思すらも無いと思い込ませて、攻撃を仕掛けさせてやる必要があったのだ」


「それであんな行動を……」


「あれにもしコーノが乗ってくれなかったなら、何とかあ奴を挑発し、或いは激昂させて暴発させる術を考える必要があったであろうな。首尾よく成功していたとしても、更に我が身を危険に曝す必要があったに違いないわ」


 やれやれ危ないところであったわ、と嘆きつつも笑顔を見せるハークの表情に、ヴィラデルは危機を脱した男の顔を感じたものの、一方で恐怖を免れた者特有の安堵感のようなものは欠片も感じなかった。


(ふう~~~ん……)


 ヴィラデルはゆっくりと、まるで猫が近寄るかのように腰を揺らしてハークに近寄り、自らにも返り血が付着するであろうことにも厭わず彼にしな垂れかかろうとする。


「なんだ? 近づき過ぎだぞ、貴様にも血が付く」


「拭いてあげようかと思って。ホラ、首の後ろとか。貸して」


「要らぬお世話だ。自分で拭ける。ン? どうした虎丸、急に歯を剥いて威嚇などして」


 獣の勘でヴィラデルが仕掛けようとしているのかを気付いた虎丸が威嚇のため唸り出す。が、ハークがそちらへ振り向き逆効果であった。

 その隙にヴィラデルはハークの首に手を回すことに成功する。手拭い代わりの布切れメイン武器を奪う事は適わなかったが。


「おい、引っ付くな」


 胸も当てようとしたが、するりと抜けられてしまった。思わず漏れそうになった舌打ちを我慢したところに、彼女だけに念話が届く。


『貴様! 次やったら噛む!』


『あら、何を怒っているのかしら? アタシはアナタのご主人様の返り血を拭ってあげようとしただけよ? アナタじゃあ出来ないから』


『ぐぬぬぬぬぬぬぬぬうううう!!』


「ね~~え、ハーク。お願いがあるんだけどォ~」


 そう語りかけながら、ヴィラデルは性懲りも無くハークの肩に手をかける。


「ええい、手をかけるな。体重をかけてくるな、重い」


「も~、そんなこと言わないでさあ」


「猫撫で声を出すでないわ、気持ち悪い。で、願いとはなんだ? 聞くだけなら聞いてやるぞ?」


「ガルルルルルルル!」


「どうしたというに、虎丸? なんぞ危機でもあるのか? うん? あれは……」


 虎丸が遂に威嚇音まで出し始めたことに異常を感じたハークが周囲を眺め回すと、冒険者ギルドの方角からたった今降りてきたばかりであろうと思われるテルセウスとアルテオの二人が猛烈な勢いで土煙を巻き上げながらこちらに駆けて来るのが見えた。その後方に姿が見えるジョゼフを完全に置き去りにして。


「どうしたのだ、あの二人? おい、ヴィラデル! 引っ付くなと言っておるであろう、暑い!」


「あ~ん、もうそんなイジワル言わないでサ、ねえ、ハークぅ、アタシにもアナタの剣を教えてくれないかしら?」


『貴様、もう噛む!』


「おい、虎丸、一体どうしたというのだ? ヴィラデルに襲い掛かろうとして……、何!? 儂に剣を教えろだと!? 貴様に!?」


「「ダメ(だ!)です!」」


 既に目前にまで近寄ってきていたテルセウスとアルテオの二人が同時に叫んだその顔は、これまでに視たことが無いほどに必死の形相で、ハークに先の戦いの最中にも抱かせることも無かった恐怖というものを、ほんの少しだけ思い出させた。


 傍で聞いていたジョゼフが笑いを堪えて吹き出し漏れた破裂音は、突如としてハークの周りで勃発した喧騒に掻き消されて、彼の耳には届くことなく星空に吸い込まれていくのであった。




   ◇ ◇ ◇




 暗闇の中に彼はいた。

 まるで水の中に居るような感覚だった。


 上下左右が、方角が全く分からない。ヒントにもなるものが全く見当たらない。

 やがて、何かが己に巻き付き引き上げていくように感じた。


 物のごとく吊り上げられようとされるかのような、屈辱的な状況に彼は憤怒を感じ、抵抗を試みようとしたが全くといって身体に力が入らない。


 腕を振ろうにも腕が、足をバタつかせようとも足が、全く存在を感じられないのだ。まるで失ったかのように。流れに逆らうのを拒ませるかのように。


 漸く、その吊り上げられる流れが止まる。頂点に達したのであろうか。


 そして急に、何かが眼前に現れ出でた。まるで暗闇から染み出るかのように出現したそれは、暗闇よりもより黒く、光すら届かぬ暗黒すら嘲笑うかの如くに闇の中により暗くより黒く浮かび上がった。


 そうだ。俺はコイツを知っている。


「どうだ……。思い出したか……?」


 野太く重い、へばり付くかのような老人にも似た声だった。美しいとは真逆の感性を呼び起こすこの声を、彼は思い出した。


「テメエは!? いや、アンタは!?」


 何故か声を発することが出来た。先程までは口の感覚すら感じなかったというのに。いつの間にか顔面の感覚が感じ取れる。


「ここは……!? そうだ……! 俺は以前にもここに……!?」


「そうだ、君が一度目の死を拒んだときだよ。完全に思い出したか?」


 その存在が語る通りに、彼の記憶は呼び起こされていた。今まで全く記憶の端にも登らなかったものが急速に流れ込むかのように思い起こされてくる。そう、まるで逆流するかのように。


(だとすると! もしかすると、俺は! また!? また死んだのか!? 何でだ!? なんでオレ様が死ななきゃあならねえ!? しかも二度も!!)


「オイ! オレは! オレ様はまさか死んだのか!? なぜ!? 誰にだ!?」


「君は負けたのだよ。あのエルフに斬られてな。我が『無敵』の権能を所持しながらも。何たる無様なことか」


 これが現実世界であるならば、青筋が浮かび眼が血走ったであろう。が、この世界ではそんな変化は起こり得ることはない。


「何だとテメエエエ! オレが! オレが、無様だと言いやがったのか!? 負けたのはオレじゃあねえ! テメエが与えた使えねえスキルの所為だろおがあああ!」


 これが現実世界であれば、彼は悶え狂い、暴れていたことだろう。だが、この世界では何物も波打たせることは出来なかった。目の前の存在以外は。


「失態だよ。誰よりも死を理解していると豪語した君に、現世と死の世界の狭間に存在する権利を与えたというのに。あの場に居れば命持つ者の攻撃は効かず、既に死した亡者共の攻撃でも足りぬというのにね……。普通に考えるなら負けることなど有り得ないことなのだよ」


「あァああ!? それが使えねえって言ってるんだよ! 攻撃する時に何で『無敵』時間が切れなきゃあいけねえんだ!?」


「当然だろう。狭間に居たままでは現世に干渉しきれる筈ないと君も理解していた筈だ。……矢張り狂気に捉われただけで、向上心も能力も乏しい者であっては、どんな権能であっても満足に活かし切ることはできないか」


 惰弱低能と言われ、彼は全身の血が沸騰するのを感じる。血も無ければ身体など何処にもないというのに。


「うるっせええ! 黙れテメエええ! 今からあの場にオレ様を返しやがれえ! あのガキぶっ殺してやるあああアア!」


「そういう訳にはいかないのだよ。もう君に用は無い。権能も返して貰おう。ああ、ちょっとばかり地獄の苦しみで、魂が砕けるであろうが仕方無いよね。無能な君も納得してくれるだろう?」


 ごく自然、そして当然と言った口調だった。

 突然の目の前のどす黒い存在から告げられた最後通告に彼は無い背筋を凍らせる。


「な……。オイ、待て、魂が砕けたらどうな、るうぁぁぁあああああギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


 その存在は初めて目を見開いた。暗闇の中に現れる二つの瞳はただただ不気味であった。


「あガガガガガガガガガガガガアガアアアアアア!? ガッ!?」


「煩いね」


 それだけで口が消失した。だが、痛みと苦しみが消えることはない。果てしなく続いていく。


「ああ、魂が砕けたらどうなる? だったね。存在が消える事になるよ、勿論ね。未来永劫、最早どの次元にも、君という存在はなくなるのさ。別にいいだろ? 君の存在に価値などないしね」


 それっきり、彼の視界は閉ざされた。依然として苦痛を受け続けながら。叫ぶことも、助けを求める声すら上げられずに。


「今回も失敗か。矢張り適性があるだけでは混沌を引き起こし切れないようだな。だが、まさか今度もあの男を誘き出すことが出来ないとは思わなかった。結構良い『ユニークスキル』を形成したと思ったのだけれどね。まさか一般人に斬り殺されるほどの低能だとは……。まあいい、また代わりを探すとしよう」


 そして瞳がまた閉じられると同時に、その存在も掻き消えた。そしてその世界に残された者もまた、暗闇へと消えていくのだった。消える瞬間、何かがひび割れた音を残して。




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