127 第10話16:Honest Eyes
自らの側頭部を断続的に襲う鈍痛でロウシェンは目覚めた。
普通、頭痛で起きるなど最悪のケースの一つだが、何故か気分は実に晴れやかだ。
こんなにいい気分の目覚めは本当に何日ぶりであろうか。ロウシェン自体にも昨今記憶にない。まるで何かから解放されたような気分だ。
だが、起き上がろうと両腕に力を込めたところで強烈な痛みに襲われ、気分は台無しとなった。
「あ痛っつつ!!」
「おう、目が覚めたか。だが、無理して起き上がろうとするな。両腕の骨が綺麗に3分割になっていたのだからな」
「あ、あなたは……」
ロウシェンの目の前に座していたのは、あの完璧に近い美を備えたエルフであった。残念ながら、いや本当に残念なことに背丈だけがロウシェンの理想より若干低い。それさえ満たせば正にロウシェンにとっての生きた理想、その具現である。あと何年か経てばもしかすると……、そう期待せざるを得ない。
しかし、今の現状であってもロウシェンの顔を熱くさせ、呼吸を早めるには充分な破壊力を秘めている。特にこんな至近距離で見つめられていては。
「あ……、あ、あの……」
「さ、兄上」
「おお、ロジェットか」
腕が痛くて、というよりも両腕が固定されていて自由に起き上がることの出来ぬ無様な自分をロジェットが後ろから助け起こしてくれる。
「すまんな、ありがとう」
素直に礼を伝えると何故かロジェットが不思議そうな顔をする。こんなことはいつものことであろうに一体どうしたというのだろうか。
(ん? いつも? その割には実に久々に礼を言った気がするな……。恐らくこの痛み、頭を強く打ったが故か、最近の記憶が曖昧になっておる。……そもそも俺は何故気絶していたのだ?)
「さ、兄上、『回復薬』です。これをお飲みになってください」
「う、うむ」
ロジェットの勧めるままに回復薬を口に含む。回復薬は高級になればなるほど独特の粘性を持つに至るが、かなり長時間気絶したままだったロウシェンの喉には丁度良かった。
ごくりと喉を鳴らして飲み干せば体中の痛みが薄れ、やがて消えて無くなっていく。やはり大した効き目だ。頭痛も腕の鋭い痛みも吹き飛んでいく。
それはそうだ。この日のためにロウシェンたちが用意した回復薬は、現在の王都にて金で手に入る部類の回復薬では最高級のものだ。下手な冒険者では一生お目に掛ることのないほどの代物である。
「どうだ、体中の痛みは治まったかね? 特に腕の痛みは」
「あ、う……だ、だいじょうぶ……です」
またも見詰めながら問われ、顔が紅潮するのを止められない。返事が出来たのも辛うじて、である。
だがその言葉を聞いて天上の美を持つエルフ殿は安心したかのように笑いかけてくれる。この俺を心配してくれていたというのか。
「そうか。それは良かった。矢張り外傷以外は回復薬の服用が良く効くようだな。教わった通りだ。だが、何処か未だ痛むところがあれば遠慮なく言ってくれ」
もはや自分はカクカクと首を縦に振るのみである。声すら出ない。
当然であろう。怪我の経過確認とはいえ両腕をニギニギ触られているのだ。
だが、幸せな時間はそこまでであった。
「ふむ、流石の効き目のようだな。経過は良好だ。ロン、では後を頼む」
「了解です。ハークさん、後はお任せください」
「……ロン、お前か」
美しきエルフ殿の代わりに自分の前に出てきたのは、自分と跡目を相争うもう一人の弟であった。彼は何も言わず、腕を固定していた布の結び目を力任せに引き裂いて腕を添え木から解放してくれている。
「ロン、俺に何があったのだ」
「何も覚えていないのですか?」
「ああ、
「自分も人づてに聞いた話ですが、ロジェット兄上をお庇いになられたと聞いております」
「俺が……ロジェットを?」
「ええ。大変に……ご立派です」
「それで重傷を負って他の者の足を引っ張ってしまっては、どう仕様も無いな」
「……それでも、ロウシェン兄上が庇っていなければロジェット兄上は死んでいたでしょう。これは僕だけでなく、冒険者の先輩方も皆同じ意見です」
「因みに俺は何とぶつかったんだ?」
「ジャイアントシェルクラブです」
「何!?」
「レベルは恐らく20半ば。その突進を魔法職であるロジェット兄上がもし受けていたら、即死だったでしょう」
「確かにそうだな。逆によく俺は無事だったな」
「幼き頃より鍛えてきた頑健なお身体のお陰ですよ。まあ、ご無事とまでは言えませんでしたが。それで……、本当にまだ身体のどこかに痛みは残っておりませんか?」
「ああ、いたって快調だ。……なぁ、ロン。お前とは随分久しぶりにマトモな会話をした気がするな……」
「……ええ、確かにそうですね」
本当に久々だ。ロンがソーディアンのギルド寄宿学校に入学すると聞いた時も、出発の際に王都を離れる時も互いに言葉を交わすことは無かった。
瞑目するように目を閉じ、ロウシェンは再度尋ねる。
「俺を、我々を捕えに来たか」
「……ええ、すいません」
「謝ることなどない。俺がお前の立場であったとしても、同じことを選択したであろうよ」
ロウシェンの覚悟は既に決まっていた。さぁ、やれ、と言わんばかりの意思を態度で示したつもりだった。
「ですが兄上、もうその必要はございません。お腹もお空きになったでしょう? どうぞこちらへ」
「な、何?」
ロンの言葉にぱちりと眼を開くと、誘導されるがままについていく。
すると開けた場所で輪になって座る一団があり、その中心地から煙と湯気が立ち上っていた。
「おう、起きたかハネっ返り」
片手をあげてチョイチョイと手招きしているのは誰だったか。確か平民の先輩冒険者だった筈だ。
だが名を思い出す前にすることがある。
「み、皆様。大変なご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした!」
そう言って頭を下げた。
「平民相手に非を認め、頭を下げるなど貴族の行いではない!」などと、あの王子ならば言語道断の勢いで言うだろうが、ここはモーデル王国だ。非があるのなら貴族でも平民でも関係無い。ここはそういう土地であり、それがこの国の貴族たる矜持なのだから。
だというのに、誰も言葉を返してくれない。
(むう! やはり言葉だけでは足りぬか!)
そう思い、不躾と叱責を受ける覚悟で頭を下ろしたままチラリと上目で様子を窺う。すると、どうも様子が違う。全員が全員、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をして、事前にロウシェンが予想した自分達の責任を追及しようとするような雰囲気は全く無かった。それを視て、ロウシェンは逆に戸惑ってしまう。
「まあ、その話はもういいわ。アンタも相当痛い目見たんだから、もう言いっコ無しでいいでしょ、ねえ?」
その言葉にすぐ隣に座る一番の年長者に視える男が頷く。
「え!? いや、そういうワケには……」
「もー良いんだよ、ロウシェン。先輩がそう言ったらもう良いのさ。さあ、とにかくココ座れや」
今日の朝まで一校で講師をしていたスレンダーな方の女性と、青年がそう優しく言ってくれる。散々っぱら失礼な態度を取り続けた記憶があるというのに、なんて大らかなのか。
確か名はジーナ先生とリード先生といったか。お陰で二の句が継げぬようになってしまった。
リード先生が座れと勧めてくれた場所は彼とロジェットの間であり、自分が座るに充分なスペースが空いていた。そのロジェットの隣にはロンが、そして更にその隣には例のエルフ殿が座っている。正直、ロンそこを代われと言いたかったが、今の状況で口が裂けてもそんな我儘を口に出来る訳が無い。大人しく腰を落ち着けさせてもらう。
それを視て年長者が口を開く。ムスッとした表情をしているが、何処か機嫌の良い時の父を思い出させるモノがあった。名はパルガだった筈だ。
「うっし、これで全員揃ったようだな。そいじゃあ飯にしようか。頼むぜエルフ殿」
「うむ」
パルガの言葉を合図に例のエルフ殿がデカい鍋の蓋を開ける。途端に大量の湯気と美味そうな匂いが周囲を包んだ。
おお~~、と誰が唸ったか分からない、或いは全員の声が交じり合ったような溜息のようなものが漏れ聞こえる。鍋の中は無数の野菜などと共に大振りなジャイアントシェルクラブの肉とエルフ米が赤い汁で煮込まれていた。何だか分からないがとてつもなく良い匂いがする。使っている食材からして、もしやエルフの郷土料理であろうか。もしやそうなるとするとあのエルフ殿お手製の手料理ということになるのか。
脳がぐるぐると無駄に回り混乱しそうになってくる。だが、何はともあれ腹の虫が喚きそうだ。
ぐう~~~~~!
そんなことを考えていたら、隣から盛大な腹の虫が鳴く音が聞こえた。ロジェットである。
その証拠に彼は腹を抑え、真っ赤な顔をして俯いている。
それもその筈だった。彼ら兄弟は一刻も早く魔獣の領域にてレベル上げを行う為に、授業が終わった後、昼食も食べずに寄宿学校から出発している。つまり朝食後からずっと何も腹に入れていないことになる。
魔物の領域は洞窟内の迷宮と同じと思えと事前に教えられていたが、それでも僅かながらの木漏れ日もあった。しかし、今はそれすらも見当たらない。
だとすると、現時刻は結構な夜なのだろう。自らの腹の空き具合から逆算してもかなりの時間が経っていると予想出来る。おまけにロジェットは成長期の食べ盛り、どう考えても自分より辛いハズであった。
「しっ、失礼! 申し訳ない、弟には朝以来何も食わせていないもので、こうなってしまったのも予想していなかった自分の責任です!」
「あ、兄上!?」
「あ~~~、構わん構わん、腹が減ったら万国共通腹が鳴るのは当然の話よ。そこに貴賎も何もないさ。っていうかマジで腹減ったぜ。早く食おうや!」
パルガのその言葉で、ロウシェンは自分の所為で夕餉の時間を遅らせていたことを悟り、申し訳なさが臨界点を超え弟と同じように俯いてしまう。
が、場は年長者の一言で笑いが起き、そして、食事の開始を告げる挨拶の合唱が続くのであった。
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