113 第10話02:Uroboros②




 何故に接近を気付かれていたのかは分からない。

 この時期、ソーディアンは天気が崩れること自体が少ない。月に1度か2度雨が降れば良い方である。雨が降ってくれれば、接近する足音すら隠してくれるだろうが、そこまでの贅沢ではなくとも月明かりも無く、条件としては悪くなかった。


 抹殺対象のターゲットであるヴィラデルディーチェの宿泊場所、つまり現場はとある老舗宿屋である。

 『剣空亭』。宿部屋からこのソーディアン最高の名所にして街の名の由来でもある『戦神様の宝剣』が拝める観光客用の宿屋だ。

 その割には料金もそこまで高いモノでもなく良心的で、庶民でもギリギリ泊まることの出来る評判の良い宿屋である。


 宿屋の主人は以前『四ツ首』に仕事を頼んだこともあり、支部長とも顔見知りであるらしく、話を付けて奇襲の為の人員配置を終えたところまでは良かった。


 突然の雷鳴、そして閃光が宿屋の中より発せられた。その直後、宿屋内から次々に聞こえる奇襲人員達の断末魔。状況の不利を悟り、追加で建物内に突っ込んでいった者達も各個撃破されているようだった。

 何しろ聞こえてくる悲鳴は皆男性の声ばかりなのだ。女の声らしきものは一つも無い。


 ダヴニルは『ボーエンキョ』を使い、窓ガラス越しにでも内部の状況を掴もうとしたが、戦いが行われているであろう周辺の窓ガラスにはべったりと返り血による血飛沫がこびり付き、中の様子を全く窺わせてくれない。


 焦れた人員が更に次々と宿屋の中に突進していくが、やがてそれも尽きた頃。


「出て来たぞ!!」


 逃走防止の為、宿屋を取り囲むように配備された後詰めの一人がそう叫んだ。

 声の方向に眼を向けると鎧を着込み武器を携えた完全武装・・・・のヴィラデルディーチェがそこに居た。

 何と堂々と正面出口から姿を現したのだ。余裕なのか笑みさえ浮かべていた。


「逃がすな! 全員で囲め!」


 後詰めの役割を任された者達が一斉に彼女の周りを取り囲む。20人以上もの人員だ。最早逃れる術は無い。だが彼女は表情を、その妖艶な笑みを崩すことは無かった。


(何故笑っていられる!? 逃げ場など無いぞ!?)


 そう考えたのは間違いだった。

 ヴィラデルディーチェは逃げる気など一片も無かったのである。


「かかれぇーーー!!」


 号令役の指示の元、各々が武器を構えて突進する。全員が突きの構えだ。最早生け捕りなど考えてもいないのだろう。正しい判断と言えた。


 ダヴニルは無数の得物によって針鼠の如く貫かれるヴィラデルディーチェを想像したが、それは現実のものとは成らなかった。


 彼女の妖艶なる笑みを形作っていた唇が動いたと思った瞬間、魔法が発動していたからだ。


「『氷の墓標アイス・トゥーム』」


 その瞬間、刻が止まったかのように『四ツ首』から放たれた刺客たちは全員動きを止めていた。まるで墓標のように出現した氷の棺に捕えられて。



 ダヴニルは震えが止まらなかった。彼も魔法の知識はある程度持っていたのだが、実際に視たことがあるのは中級までで、上級魔法を視たことが無かったのだ。


(馬鹿な、馬鹿な!? 200の人員を、これ程までに簡単に!! 魔法とはあれ程のことが出来たのか!?)


 気付かれたら自分の命も終わりであろう。

 幸い距離がある上に、月明かりの無い曇天の夜だ。流石の彼女でもこちらの存在に気付いている素振りは無い。


 ヴィラデルディーチェは戦闘の終了を確認すると、宿屋の中に声を掛けたようだった。

 やがて中より宿屋『剣空亭』の主人が出てくると、彼に何かしらを渡している。

 それが何かは影になってダヴニルからは見えなかったが、もはやどうでもいい。それよりも意識がそちらに向いていることの方が重要だ。今の内に支部長に報告しなければならない。その為に自分はここに居るのだから。


(ええと、これを上にして、紐を引くのだったな……)


 ぐいっ、と引いた瞬間、異常が起こった。何と上に向けた突起が弾け飛び、そこから火花がパシューッという音と共に夜空へ打ち上がったのだから。


(な、何だ!?)


 驚愕と動揺、そして混乱に脳を苛まれる中、まず浮かんだのは何かの誤作動を起こしたのかということと、気付かれてしまったのかということだった。

 焦りつつももう一度『ボーエンキョ』を覗く。

 そこにはこちらに視線を送りながらも、再び妖艶に微笑むヴィラデルディーチェの美しい顔があった。


(気付かれた! に、逃げなければ!)


 そう思いながらも、ダヴニルは『ボーエンキョ』内のヴィラデルディーチェから目が離せなかった。彼女はその視界の中でますますその笑みを深め、濡れたような唇を動かし始めたからだ。


「……―――こ?」


 離れた自分にも分かるように、敢えて大仰に彼女は唇を動かしていた。その表情にコケティッシュな魅力があり、ダヴニルは不思議と眼を離すことが出来なくなった。


「……―――の?」


 我知らず、ダヴニルは唇の形から読んだ言葉を口に出していた。


「……―――の、―――ぞ、―――き、―――まぁ?」


 この、覗き魔? そこまで読んだ直後、一層ニコリと微笑んだ彼女の唇が突然高速で何かを呟やきだした。

 それも読唇したい、と眼を凝らしたダヴニルだったが、その時点で彼の意識は暗闇の中に落ちた。


 ダヴニルの身体は床から発生した氷の棺の中に捕えられていた。




   ◇ ◇ ◇




「ボス、『合図』を確認致しました……」


「―――そうか……」


 側近である部下の、『構成員全滅による抹殺失敗』の報を聞いても、支部長は机に肘を付き手を眼前で組みながら微動だにしなかった。

 が、それは震えぬように力一杯歯を喰いしばった姿を見せぬ為のポーズに過ぎない。

 ここはバー『ロストワード』の更に奥の抜け道を通った支部長の自室『オーナー室』だ。言わば『本部』の中の『本部』である。

 存在自体すら自分の他は目の前の側近ぐらいしか知らない。ここならば安全な筈であった。

 それでも体が勝手に震え出しそうになるのを無理矢理押さえ付けるしかない。

 それ程の恐怖。

 最早形振りなど構っていられない。借りを作ろうとも、ペナルティを受けようとも、打つべき手を打つしかない。

 覚悟を決めるしかなかった。


「『長距離双方向通信法器デンワ』を使う」


 側近はその言葉を予想していたようであった。


「やはり、そうですか」


「ああ、直ぐに起動の用意をしろ」


「はい、畏まりました」


 側近が部屋の最奥へと移動し、隠し扉を開ける操作をする。壁が奥へと移動し、側近が新しく出来た通路に消える。


 程無くして戻って来た側近が、準備の完了を告げる。


「ボス、準備完了です」


「うむ」


 隠し扉の奥には10メートルほどの通路が隠されており、その先には更にこじんまりとした部屋があった。そこには支部長の身長すら超える大きな箱型の法器が鎮座していた。

 当然の如く支部長はこれが何か分かっていたが、今この時に眼にすると目の前の箱が自らの墓に入れる棺のような気がしてきてしまう。

 頭を振り、そんな考えを追い出すと、彼はシャワーヘッドのような受話器を取り横にあるノズルを捻ってダイヤルを回した。ランプが点灯し、送信中であることがわかる。

 1分程の待ち時間であったが支部長にとってはその何十倍もの時間に感じられた。

 ガチャリッ、と音がして通話状態になったことを示した。


「ソーディアンの支部長かい? 何だい、こんな朝に」


 少しハスキーな女性の声が響く。酒焼けしたかのような声だ。


「済まない、寝ていたか」


「まぁね。何時だと思っているんだい。それで? 要件は?」


 まるで急かすようだが、これはいつもの事であり、仕方のないことでもあった。『長距離双方向通信法器デンワ』は使用するととにかく金がかかるからだ。レベル30以上のモンスターから採取された高級魔晶石でしか起動できず、しかもそれ程の魔晶石内に貯蔵されている魔法力を僅か数回で消費し切ってしまうのだ。長話をしている余裕は無かった。


「アチューキ=コーノを寄越してくれ」


 支部長が返答すると、通話が途切れたように一瞬沈黙が訪れる。意地悪などという低俗な意図など無い。相手側にも衝撃を受け止める時間が必要なのだ。


「相当困ってるようだね。『勇者』をご所望とは」


 生意気な口調である。『長距離双方向通信法器デンワ』で繋がっている向こうの相手はソーディアン支部長より10は年下だ。だが文句など唱えることは出来ない。それでも言い返せずにはいられなかった。


「その言い様は禁止されている筈だ」


「いいじゃあないか、アタシとアンタの仲だろう? 『ユニークスキル所持者』なんて呼び難くってサ」


 どんな仲だと言ってやりたかったが、支部長はぐっと堪える。


「それで、どうなのだ?」


 再び訪れる沈黙。僅か10秒にも満たないものであったが、支部長にとっては針のむしろだった。


「100だね」


 これは金貨100枚ということであろう。

 先程ヴィラデルを仕留めた者に渡すと宣言した報酬額の2倍もの金額である。これ程の高額を庶民が実際に眼にすることは皆無に等しく、地方都市の有力者であっても簡単に用意の出来る額ではなかった。


「安いな」


 だが支部長の口から出たのはこの言葉であった。

 もっと高額だと予想していたからだ。しかしそれも支部長の早合点だった。


「早とちりすンじゃあないよ。そいつは仲介料さ」


「何!?」


「まあ、渡航費もそいつで工面してやるよ。感謝するンだね」


「待て! 幾らなんでも……!」


「10日前後でソーディアンそちらに着くさ。それまで金を準備しておくンだね。アイツは吹っかけてくるよ、アタシ以上にね」


 足元を見過ぎだろうがと紡ごうとしたが、既に通話は終了していた。


「吹っ掛けてくる? 貴様が言うな……」


 最早既に届かぬとは分かっていても、口に出さざるを得なかった言葉は闇へと溶けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る