111 幕間⑨ ハークの手記③





 あっという間にギルド寄宿学校初日が終了した。

 とは言っても本格的な授業は明日からで、本日行われたのは寮室の割り当てや荷物の運び込み、講義への選択期間やギルド施設の各種説明並びに注意事項、更には年間の予定日程告知などが主だったらしい。


 らしい、というのは儂自身、実に不覚と申せばいいか『松葉簪マツバカンザシ』の方々とのあの歓談後、碌に職員の方々の話を記憶しておらず、正に耳から反対側の耳へ筒抜けたの如くであったようである。

 儂の異常を察し、虎丸が気を利かせて内容を記憶しておいてくれなかったら、随分と間の抜けた失態に発展したかも知れぬところであった。本当に有能な相棒である。どうも心ここに有らず、といった状態に視えたらしい。

 とはいっても、その内容は事前にテルセウスやアルテオ、そして『松葉簪マツバカンザシ』の方々から教わった事柄が殆どだったようだ。つまりは受講する科目を自分自身で選ぶとか、その為に選択期間を最初の一週間に設けている、とかである。事前に詳しく拝聴させてもらっていたのが功を奏した。持つべきものは友人と先達、と言ったところか。


 なのでこの日に新しく聞いた話は、学生寮の規則及び罰則、そして学園の年間『すけじゅうる』についてだけであった。『すけじゅうる』、とは虎丸によると予定やら日程を指す言葉らしい。


 学生寮の規則及び罰則には問題無かった。所謂公序良俗に従えばよいもので、前世で言えば勉学修行の為に寺に入ったと思えばいい。

 外泊は絶対に不可能らしいが、門限さえ厳守すれば外で食事を行っても構わず、更には我々は冒険者並びにその雛であるので、何らかの依頼達成の為に必要な事であれば、事前申請の上に一日のみの外泊も認められる。ただし、本日からではなく、一か月後に行われる試験が終わってかららしいが。


 重要な説明は寧ろもう片方の『すけじゅうる』の方にあった。


 不思議なことにこの世界では七日に一度、授業の一つも無い休息日が設けられており、学生はその日思い思いに過ごすことが許可される。

 また、その前日も授業は普段の半分まで、つまりは正午までであり、その後は学生の己が儘であるらしい。

 奇妙な習慣とは申せ、これも風習というものなのであろう。


 もっとも、学生に暇など無い。

 ソーディアンのギルド寄宿学校へと入学したものの、その授業料を事前に全額払い収めた我々の様な輩は寧ろ少数派だ。

 殆どの者はこれからの学費を己の手で稼がねばならない。半休、及び休息日はそれに当てられる。

 富める者や尊き者はその時間を復習や鍛錬に費やし自己研鑽に勤しむことも出来るであろうが、それも全体から見ればごく僅かに過ぎず、また我らはさらに例外たる僥倖な者たちであったのだ。

 これもえにしにより次から次へと割りの良い依頼を回してくれたジョゼフ殿のお蔭、とも言えなくもないであろうが、元を正せばそもそも虎丸がいてくれるからこそでもあったとも言え、自らの幸運と我が相棒に感謝を送るしか方が無い。


 七日中、他の五日間は朝から日の沈むまで講義及び訓練等を行ってくれるそうだが、それらが終わってから作業場や飯屋の給仕、大工仕事などの奉公に出る者も少なくはないらしい。

 彼らの多くが毎日の食費含む生活費にも困る所持金水準だからだそうだ。それ故、まかないが出る飯屋への奉公はいつも争奪戦となるのだそうだ。我ら担当のギルド職員は、あぶれたら紹介出来るところが数件あるから相談しなさいと言っていたらしい。何というか、その気の利き方が面倒見の良いジョゼフの影響を強く感じさせるものがある。


 先程、一か月後試験と書いたが、それは毎月毎、定期的に行われるのだそうだ。

 不合格となっても退学にはならないが、どんどん卒業するのが遅くなるらしい。補習授業を受け再試験に挑戦し見事合格すれば挽回も可能とのことだ。

 普通は一年で卒業だが、逆に優秀な成績をおさめ続ければ最短で半年後にも卒業が出来るらしい。これは優秀な人材を学園にとどめておく理由はないからだそうだ。

 もっとも、本人が希望するならば入学より一年経つまでは寄宿学校に通い続けることもできるし、その後も専門分野の研究員として学園に残ることも可能である。毎年、数人はそういった者が出るらしく、先日我らと共に現サイデ村開村前の周辺魔物調査任務に赴いたエタンニ=ニイルセンは前述とほぼ同様の経緯を経て研究職である現在の地位に着いたとのことだ。



 以上の重要な説明を儂はほぼ虎丸から伝え聞く形になってしまっている。

 全くもって我が有能な相棒に対して感謝すればいいのか己の不覚を恥じればいいのか難しいところだ。


 儂がここまで前後不覚に陥った原因、それは新しき今世でのエルフという種族の圧巻とすら言える程の長寿命、そしてそこから導き出される大凡おおよその我が現年齢にあった。


 今までもエルフが長き命を持つ種である、ということはさんざん聞かされてきた。

 それでもせいぜい人間よりも良くて二~三十上程度だろうと考えておったのだが、まさか最低でも五百年もの長きにわたって時を生きる可能性を持った種族であろうとは想像の埒外極まりないと言う他ない。

 儂が生きた前世で言えば五百年前とは……。学の無い己を恥じ入るばかりであるが、確か鎌倉の幕府すら存在し得ぬ頃であろうか? と、なると平安の世か。平安の世から戦国の終わりまで生きるとしたら、それは果してどのような心持になるのであろうな。今の儂では想像すらもつかぬ。

 とは申せ、これだけは分かる。それだけの長き生を生き抜くことが出来得たならば、其の者は膨大なる知識と経験を身に潜めることが可能であろう。


 二度目の生を得て、幸運にも儂は漸くつるぎの頂点たる理合へと至るか細き糸を掴む機会に恵まれたと思った。


 それはあの日、夢幻の中に垣間見た光明だ。


 それは力ではない。

 それは技ではない。

 そして心でもない。

 ただ、そのどれでもないにもかかわらず、多分にそれらを含みつつ尚足りぬ欠片。


 光源も判らぬひとすじの光明を追い、狭き狭き道を往き長い旅路の果てにとて漸くそれ・・に至る保証など無く、今世を得ても尚僅かな可能性を得たに過ぎぬものと心得ていた。


 それが五百年。五百年である。


 ただ長き刻があれば良いというわけでは無い。十年以上修行の日々を送ろうとも得られなかったものが、僅か四半時の実戦の後に閃くこともある。それが剣の理合というものだ。

 その一方、数多き機会に恵まれる時間を得たことは決して無駄になることもない。その意味でも、今世にてこの少年の身体を賜ったということに感謝申し上げねばならない。


 いや、ひょっとすると阿修羅様は全てご存知の上でこの身体を選定成されたのかも知れぬ。

 というのも儂が前世で病床の元今まさに臨終せんという歳と、『松葉簪マツバカンザシ』ジーナ殿の見立てによる我が肉体の年齢にほぼほぼ違いが無いのである。これには本当に驚かされたものだ。

 今まで儂が前世通りの喋り方で通して来ても、不遜だとか生意気だとかいう中傷を受けることは無かったが、それはこういう故があったのだろう。これまで通りで口調を変える必要と理由が無くなったというのは素直にありがたい。

 いや、これも阿修羅様の思し召しであるのだろうか。

 儂の畏れ多くもこれら見識が的を射たものでもしあるならば、阿修羅様は当初儂が考えたよりも余程の神通力をお持ちでいらっしゃるかもしれん。


 未だその前段階でもある『最強』を目指す過程に於いても途上たる己ではあるが、五百年という途方もない刻があれば、それはもうもしや、どころではない。

 必ずやあの光明を捉えてみせよう、と宣言するしかないであろう。阿修羅様にもお誓いするのみである。

 その為にも絶対に、虎丸と共に生きて生き抜かなくてはならぬな。



 ところで初日は結局式典と説明会しか行われなかった印象があった。


 だが、それもさもありなんと言うところか。

 何しろ遠方から来る生徒の数が多いのである。引越しさながらに家具や調度品の類を何点も持ち込む者も少なくないようだ。


 先程、我らが失礼な輩に絡まれた際に手助けを申し出てくれたあの青年、ロン=ロンダイトなる同級生もその内の一人であるようだ。

 最も初めに寮室への案内を済まされていたにもかかわらず、最後に呼ばれた我らがそれぞれの自室となる寮室の準備を整えた後も、未だ、シェイダン=ラムゼーと呼ばれていた彼の友人らしき人物と共に数多くの荷物を運びこんでいる最中であった。


 その後は寮の門限までは自由行動であったので、テルセウスとアルテオの両名と共に皆で儂が今まで宿泊していたセリュの宿屋へと夕食に向かった。


 この前の炊き出しの一件以来人気店へと成り上がった宿の食堂は混んでいて、少し待たされたが商売繁盛なのは良い事だ。


 料理が供されるまでの間、我らは先の歓談の件を振り返り、先達である『松葉簪マツバカンザシ』に倣う事を決定した。

 例の、受講する講義を仲間内で分け合い共有していこう、と言う話だ。

 これから先ずっと冒険者として活動していく、いかないに限らず、この方法が有益であることは火を見るより明らかである。


 ただし、我らは『松葉簪マツバカンザシ』の皆様方とは違い、三課目中二課目は己で選定し、一課目のみ皆と協議の上に分け合って担当することに決めた。

 先の話の後半で、リードが「さすがに分担二課目は時間的にキツくて、一年の最後の方なんかは冒険者活動が全く出来ずに全員揃って金欠になった」との経験談を拝聴してのことだ。

 これこそまさに貴重な経験談というものだ。我々は冒険者である。先を見据えて情報を集め勉学に勤しむことも大切であろうが、まずは強くならねばならない。儂も含めテルセウスとアルテオもそれは切迫した条件だ。

 そういえば最近、己のレベル上げを行えていない。やはり降りかかる火の粉と言えども、何の恨みつらみも無いただ愚かなだけの輩をレベル上げとやらの糧だけにするのは儂であっても忍びない。こちらを殺し得る人の世に仇なす獣・・・・・・・・であれば別であるのだがな。


 因みに科目の分担に今日ここに居ないシンも含めるかどうかはシン本人の意思に任せることにした。あやつが我らと同じ余裕を持った時間を費やせるのかどうか不明なためだ。

 「シンさんには新しく出来た村のこともありますからね」との意見を供出してくれたのはテルセウスだ。流石によく考えてくれる。


 食事中、食事後と誰が何の教科を受講するのか現時点で話し合ってみたのだが、軽くのつもりがついつい長引いてしまい、寮に戻ったのは指定された門限までそれ程時も無い時刻にまでなってしまった。結論も決まらず、結局誰が何を受けるかは選択科目の準備期間内に適時話し合おうということに落ち着いた。


 その帰りの途で初めてこの世界での満月を視た。今までこの都市内に居る間は日が沈めば外出などしなかったし、数少ない街の外での野宿は森の中で、今までこの世界に来てから月を視てはいなかったのだ。

 満月はこの世でも美しいものである。煌びやかさは前世と変わりがない。だが、ほんの少しではあるが前世のものより小さく視える。それは今世の世界であるこの地が日ノ本の海を隔てた先にあるわけでは無く、全くの異なる世であるという事の証明であるかのようだった。


 さて、明日からの選択科目準備期間は儂自身だけではなく、我らにとってもより重要な日々となる。

 後に後悔することの無いよう、虎丸、エルザルドの知恵と知識も借り受ける所存だ。

 寝不足などという不手際を取ることの無いようにそろそろ就寝の床へ就き、明日からの授業に備えることとしよう。




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