107 第9話08: Terrible Trouble②




 『松葉簪マツバカンザシ』の意図を正確に理解したハークは、まずは割って入ろうとするリードに礼を伝える。


「助太刀感謝する。『松葉簪マツバカンザシ』のリード殿でしたな」


「おお!? 名前を憶えてくれるとは光栄だ、エルフ殿! 出来れば呼び捨てで呼んでくれ」


「承知した。なれば儂のこともハークと呼んで頂きたい」


「オーケー、ハークだな! それじゃあハーク、一人は俺に回してくれ!」


 武器こそ抜いていないが、リード氏はかなり前のめりだ。血の気が多い。

 一見、挑発的で今すぐ戦端が開かれることを期待するかのようにも視えなくもない。穏便な展開を望んでの行動を展開中の同パーティー内女性陣とはえらい違いだ。


 しかしながら、一端いっぱしの冒険者として、ハークとは違い分かり易い程の強者の雰囲気を纏わせた彼の言葉に無頼漢共も流石に怯み、口を噤む。


 それを視てハークも、リード氏の行動の理由に気が付いた。


〈……ああ、成程。こやつ等は我らを子供と侮り、すこし脅すだけで何の抵抗も無く事が済むと考えておったのか……。流石にギルド寄宿学校こんなところで刃傷沙汰を起こす覚悟までは持っていなかった、ということだろうが、随分と都合の良い甘い考えな上に、儂等を舐め過ぎであるな……〉


 一瞬、本当にぶった斬って現実を教えてやりたくなる衝動に駆られる。が、静かに深呼吸をして堪えた。

 自分から戦端を開くことだけは避けねばならない。一度会ったきりの、ほぼ見ず知らずの人間に協力までしてもらっているというのに自分からご破算など出来るものではない。

 とは言え、前世にてある程度の地位を得る前の一介の剣客時代の己であれば、全てをぶち壊しにしてでも無礼者共を叩き斬っていたに違いないであろうが。


 あの頃は、名を上げることや舐められぬことが第一であり、それ以外のことは二の次三の次以下であった。

 そうすることでしか名声は得られずに仕官など叶わぬ、と思い込んでいたからだ。その思い込みはある意味正しく、結果として大いなる間違いも孕んでいたことに後で気付かされることにもなった。


 目の前の朕珍野郎の取り巻きたる巨漢どもは、そんな昔の自分に比べるとまだ大人の様だ。

 気圧されたということも勿論あるのだろうが、この場で本当に戦うようなことになっても良いのか逡巡しているかのような様子が垣間見れる。主に判断を求めているようだ。


 だがその主は、逡巡などと言う言葉すら知らぬ程に、大人ではなかった様だ。


「やれやれ、朕の言葉に素直に従わぬ愚劣な亜人種に味方する者が出てくるとはな……。それがまさか人間種とは思わなかった。朕の偉大さを人間種で知らぬとは、愚か過ぎるな」


 挑発的な物言いであるが、悪い意味で悪意を感じさせない語り口でシュバルが言う。

 「あまりにも愚かで気の毒に……」とすら続きそうな口調だ。先程の台詞は何一つ偽りの無い彼の本心からだったのだろう。


「おいおい、そんな口きいて良いのかよ? 俺はお前達新入生の講師も務めるンだぜ」


「何……?」


 先の発言には一切取り合わず、リードが冷静に放った一言に眼を見開き、逆に反応を示したのは小太り貴公子の方であった。


 だが、反応せざるを得なかったのはシュバルだけではなかった。

 周りを囲む野次馬は勿論のこと、テルセウスとアルテオのみならず、ハークすらも一瞬眼を剥いた。


「馬鹿な。ふざけた世迷言を。朕を謀ってこの場を切り抜けようとしたのだろうが、そうはいかぬ! 職員であれば先程全員準備に向かった筈だ!」


 自らの迷いを払うようにシュバルは声を上げる。


 対して、『松葉簪マツバカンザシ』のリードはあくまで冷静に言い放つ。


「ああ、その通り。確かにお前の言う通り、俺はギルドの職員じゃあ無ぇよ。だが、ギルド長のオッチャンに頼まれてな。所謂、実技担当の期間限定非常勤講師ってヤツだ」


 その言葉を聞いて、眼に視えてシュバルに動揺が奔る。

 一見、傍若無人極まる態度を取っていた彼も、講師と新入生では立場的にこの場で対抗する術など無いことに気が付いたらしい。


 だが、一度振り上げた拳を素直に降ろすことは、プライドが邪魔して彼には出来なかったようだ。


「ええい! 黙れ黙れぇ! 俺を担ごうとしたって無駄だ、その手には乗らん! お前達、構うことはない! あの愚か者共をやってしまえ!」


 癇癪を起したように声を荒げる。そして、地が出ていた。


〈ちっ……。時間稼ぎもここまでか〉


 ハークはそう思いながら、即座に柄と鞘に手を掛ける。

 今すぐに戦端が開かれ襲い掛かられてもおかしくない。これ以上は時間の引き延ばしも難しいようだ。


 だが、ハークが即座に虎丸に向かって迎撃態勢の指示を念話で飛ばそうとしたその時、野次馬の群集の中から突如声が上がった。


「やめろ!!」


 やや上ずってはいたが、しっかりとした声だった。

 その言葉と同時にやや遠巻きな位置から事の成り行きを見守っていた群衆の中から一人の青年が歩み出てくる。


 視ればシンと同じくらいの年頃の青年である。ただ、服装こそ丈夫で動きやすそうだが、仕立てが完全に庶民のそれとは違う上物だ。身分を隠しているテルセウスやアルテオよりも自重する必要も無いであろうから一目瞭然であった。

 彼は隣に立つ彼と同じくらいと歳背格好が良く似た、恐らく友人であろう人物の手を振り払い、こちらに、と言うより、ハークに向かって近づいてくる。


 多少、緊張で顔を強張らせながら、彼は堂々たる足取りで子供たち及び冒険者一人を囲む荒くれ者の止める間も無くその脇を抜けて一直線にハークの元まで辿り着き、その少年エルフを庇うかのようにその前方に立って、覚悟を決めたように胸を張り言い放った。


「いい加減にしろ、シュバル=セィル=バレソン=モーデル! これ以上の傍若無人に加え、衆人環視の中で乱暴狼藉まで働くつもりか!? 我が国の恥をこれ以上晒すなっ!!」


 一気に、そして堂々と言い切った。若々しくも、鍛えられた者特有の太く響く声だった。


 一方、さらに邪魔者が己の前に出現したシュバルは、我慢の限界を既に臨界突破し切っていた。


「何だ貴様は!? 俺に向かって偉そうに! 名を名乗れぇ!!」


 こめかみに青筋をハッキリと浮かべた小太りの青年は甲高い悲鳴のような声で、突然現れた闖入者に誰何する。


「俺はロン=ロンダイトだ!」


 逡巡も無く名乗った言葉に周囲の見物人達から一瞬驚いたような声が上がる。

 ハークは全く知らないがどうも有名人か有名な家柄であるらしい。テルセウスとアルテオも意外な人物だったようで驚愕の表情で眼を見開いている。テルセウスの方は上品にも口の前に両手を当てていた。


 だが、シュバルなる青年は吐き捨てるように言う。頭に完全に血が昇っているようだ。


「知らんな! 木端貴族ごときが俺に向かって偉そうに吠えよって! ……何だ!?」


 言葉の途中でゴロツキ共の中で最も体の大きい親玉格の男が慌てた様子で駆け寄る。そして、シュバルの耳元で何事か囁く内に、シュバルの青筋の浮かんだ表情に見る見る変化が訪れた。


「きっ、貴様! 将軍家の者か!?」


 その言葉に最も反応を示したのはハークだった。ハークの生きた前世の世界では『将軍家』とは格別の意味を持つ。


 とはいえ、この世界のこの国、モーデル王国は王国制だ。

 将軍家というのも3つある王国直属軍団の内の一つに過ぎない。勿論責任ある立場ではあれども支配者という立場には程遠いのだ。それはハークもこの時点で知識として、何となくだが得ていることであった。

 だが、それでもかなりの力を持つ家柄には違いない。

 大国の武を司る3つの機関の内一つの長を務め上げる家柄なのだ。いくら歴史ある地方都市に住まう貴族であっても立場的に同等か、それ以下なのかもしれない。


 ハークは乏しい現世への知識から、偶然に近くも正確に事態を把握していた。

 事実、周りで見物していた殆どの人間は、これにてこの厄介なる事態も漸く収束に至ると確信していた者が多かったほどだ。


 しかし、良識のある人間がそう簡単に他人とのトラブルなど起こさぬように、それ・・が無い人間であるからこそのこの状況である。

 既に冷静な判断力など残してもいないシュバルが矛を納めることはなく、寧ろ暴走を助長させる結果となった。


「ええい! だが、ロンなどという名前は俺の記憶にない! ということは当主や長男などではない筈だ! どうせ、あちらも我が家の権勢の前には大事など出来よう筈がない! 我らはモーデル家! 王家の一端なのだからな! 構わん! 王位継承権すら持つこの俺に逆らう愚者どもに天誅を与えよっ!」


 この時のハークには分からなかったが、先のシュバルの台詞には幾つもの相違点と齟齬と虚偽を含んでいた。

 それでもいよいよの戦端が開かれるに相違ない言葉ではあった筈である。


 だがしかし、相手側のゴロツキ達が主の命令に即座に反応しない。それだけではなく、ハーク達にも動きは無かった。

 一見、未だ戦闘を迷っているのかとも取れる行動ではある。巨漢たちは一様にシュバルの方向に顔を向けながら動きを止めていたからだ。そしてそれはハーク達も傍から視れば同様であった。

 ところが、少なくともハークはシュバルを視ていたのではなかった。その後ろを視ていたのだ。そして、ハークはそれを視て、自分らの時間稼ぎが徒労に終わらなかったことを悟っていた。


 シュバルの背後から、ぬっ、と現れた影が言う。


「……このクサレバカガキ共が……ッ!」


 まるで地の底から響くかの如き言葉を発しながら、その人物は右手を己の頭上に掲げ、拳を作った。


 シュバルは背後から響いた声が自分に向けられたものであると最初は気が付けなかったかもしれない。

 だが、紛う事無き殺気に当てられて後ろを振り向かざるを得なかった。

 振り向いた先に居た者。それはギルド長であり、この学校の長を務めるジョゼフ=オルデルステイン、その人であった。


 次の瞬間、掲げられた拳が唸りを上げてシュバルの脳天に振り降ろされた。


 ドゴンッ!!


 人間の頭を叩いたとはとても思えぬ音が周囲に響く。レベル30を超えた強者の一撃が全力で振り降ろされたのだ。

 ハークは一瞬、死んだか!? とすら思ったほどだ。シュバルの頭蓋が歪んだのを幻視したくらいである。

 現に彼はもんどりうって顔面から地面に倒れ伏した。

 明らかに加減無しの一撃である。


 泡吹きながら地面に接吻する姿は、実に憐れであった。



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