106 第9話07:Terrible Trouble




 エルフ族というのは人間とは少し違った亜人種に属する種族である。

 旧態依然の、所謂情報伝達の遅れた地域では未だに亜人種が差別の対象に上ることも少なくないらしいが、そのような場所にあってもエルフだけは別というように聞いていた。


 というのも、この世界の豊かさを支える魔法の道具『法器』、これの唯一無二にして一大生産地がエルフたちの出身地であるウッドエルフの里、森都アルトリーリアであるのだ。

 森『都』というには人口はわずか数百人程度で、国家というよりは村落に近く、それ故特に人間の国々からは里という呼ばれ方が一般的ではあるようだが、その実態は、世界を支える程の法器生産能力を誇る一大工業技術独立国家なのである。

 何しろ西大陸の覇者と呼ばれて久しい我が国モーデルでさえ森都アルトリーリアを実効支配することはせず、自治を認め、対等な同盟関係を対外的には従属に視える形で締結しているほどなのだ。


 これに関しては如何に広大な版図と国力を持つモーデル王国としても致し方ないところであろう。

 いや、良識的な智者や賢者たちに言わせれば寧ろ英断と呼ぶべきものだと評価すらされているらしい。

 何しろウッドエルフの里である森都アルトリーリアに何かあれば、もう新しき法器が世に出回らなくなる可能性があるのだ。

 それは正に世界の損失となるだろう。簡単な構造の法器であれば人間族にもある程度の生産者はいるし、単純な修理であれば行える技術者も数多くいる。しかし複雑な構造を持つ所謂高級法器は新しく生産されることがなくなってしまうかもしれない。


 故にエルフ族に対して侮蔑を投げかけたり、ましてや喧嘩を吹っ掛ける者など殆どいない。居れば愚者として後ろ指刺されること請け合いだ。何しろ下手に森都アルトリーリアと対立すれば新しき技術品がもう入ってこなくなってしまうかもしれないからだ。


 そしてその愚者が目の前にいる。

 ロンは止めようとして前に出ようとする。が、その肩を掴んで止める者がいた。

 親友シェイダン=ラムゼーであった。


「待て、ロン! お前あいつがどういう男か知ってるのか!?」


 知っている、と即座に答えようとしてロンは、ハッと気が付いた。その男は社交界の鼻つまみ者であることは確かだが、その父は王家の血に・・・・・連なる者・・・・として鼻つまみ者であったのだ。

 見ればエルフの少年に暴言を吐いた小太りの青年の周囲にはその父であるゲルトリウスの姿はなく、代わりに身体のデカい威圧的な外見の、どう見ても裏稼業の男たちが4人付き従う様に侍っていた。



 何だこの馬鹿は、とハークは思った。

 反応して振り向くのさえ気が進まぬほどの台詞を投げかけられた気がする。

 これ程の雑音は久しく記憶にない。特に、この世界に渡って来てからは初めてのことではないだろうか。


 要求もおかしい。自身の耳が正常に働いておるならば、虎丸をまるで物か何かの用に献上せよと言われた気がする。

 冗談ではない。親友にして大事な相棒を渡せるものか。


 そもそも従魔とは申せ、ハーク自身に虎丸を従えているという認識はない。

 何処の世界に自身の命を何度と無く救ってくれた恩人、虎丸は人ではないので仮に恩獣とでも呼ぼうか、その恩獣を配下などにする恥知らずがいるであろうか。

 立場的に下手に出ることなど出来ぬ不自由な立場であればまだ分かるが、ハークはそんな自らの意思を尊重出来得ぬ身分でもないのだ。

 虎丸を従魔とあえて呼んでいるのは、そうでないと人間世界では無用な混乱が起きると予想してのことだ。


 これはまだ虎丸自身にすらも話していないが、ハークとしてはもし虎丸が自分を守護する事よりも大切な何かを見つけ、それを追い求め追い駆けるが故にハークとの別れを選択するようなことがあれば笑って見送る心積もりは出来ていた。その時、己が冷静でいられるかどうかは正直分からなかったが。


 だが、断じてこの目の前にいる緩んだ顔の小太り男に渡す為ではない。

 見ればすぐ横で虎丸は歯すら剥いて今にも威嚇の体勢に入りそうだ。

 すかさずハークは虎丸を宥めにかかる。こんな人の多い場所で虎丸が本気の咆哮を上げたら何人が卒倒し、何人が恐慌に陥るか分かったものではない。


 優しくその肩に手を置いて落ち着かせるようにハークは撫でた。

 それで恐らく危険域であった虎丸の機嫌が安全圏まで戻ってくる。入学初日での大事件を回避する為、今の内に退散させるべくハークは口を開きかけたが、そこに機先を制する者があった。


「あなたはゲルトリウス=デリュウド=バレソン=モーデル伯爵が御子息、シュバル=セィル=バレソン=モーデル様ですね? この方はエルフ族のお方ですよ。そのような物言いをしていいような相手ではございません」


 ハークと虎丸を庇う様に前に出て言い放ったのはテルセウスだ。


 恐らくその言葉が適切な応対だったのだろう。周りの反応が、この騒動がどう収束するのかと見守る興味本位的な雰囲気から、やや残念でありながらも安堵感も含むモノへと変化したからだ。


 が、事は大方の予想とは逆方向に推移していった。


「ほう、ちんのことを知っているとは、そのみすぼらしい服に似合わず高貴な生まれであるらしいな。だが、朕には敵わぬ。そもそもエルフだからとて何だというのだ。我が国に跪く矮小な種族であることに変わりなど無い」


 うわっ、コイツ真正の馬鹿だ、と、この場に居る見物人の殆どがそう思ったに違いない。

 突っ込み処が幾つも有る。有り過ぎとすら言える。


 まず、自分を高貴な身分であると嘯きたいワケであるのだろうが、高貴な身分であればある程国家間や種族間での微妙な問題には精通し、配慮せねばならないのが普通である。

 前述の通り、エルフの問題は重要かつ難題であるというのに、一般庶民すら精通している問題を知らぬとは一体どんな教育を受けて来たのか、お里が知れるというものである。

 その時点で、例え高貴な生まれであったとしても、それは生まれだけの実益には関わらぬ無役の家柄であると判る。

 更にテルセウスのことを『みすぼらしい服』などと言ったが、彼女の服装は男物であるが、相当に仕立ての良い高級品であることは一目瞭然だ。

 それに対してシュバルと呼ばれた小太りの青年の服装は確かに非の打ち所がない程に高級なものであったが、複数の薄い布地を幾重にも重ねた動き難い式典用と言えるものであり、通常の入学式であれば問題は無いが、これから冒険者を目指す雛達の服装としては全くそぐわないものであった。

 現にそのような恰好をしている者は新入学生の中には一人もいないのだ。皆、もっと丈夫で動きやすそうな軽装でいる。

 それが冒険者を目指すものとして当然の振舞いといえた。故に他の新入学生の中でそのような非戦闘的な豪華な服装に身を包む者は1人も居ない。小太りの青年だけ完全に浮いてしまっている、と言っても良い。つまりは場違いな勘違い野郎だ。


 まるで前世の公家のようだな、とハークは思った。


 お互いだけの狭い世界に自ら閉じ籠り、外界を野蛮な下界と切り捨て、どんな場所や場合に於いても周りに迎合することなく、見習うことも無く、自分らの常識を押し付ける。


〈やはりこういう勘違いの徒、というか妙な輩というのはどこの世界にも居るものなのだなぁ……〉


 これが第一の感情であった。

 明け透けに言ってしまえば、こういう人種とは付き合いたくない。話が通じないのだ。


 ハーク自身も、前世で京に滞在していた僅かな期間に公家と交流を持ったことがあった。

 いや、正確に言えば交流ではなく、相手の姿もおぼろげにしか視えぬ暖簾のようなモノ越しに、一方的に暗殺の依頼を申し込まれただけであったが。

 ハークが、自分は一介の剣客であり暗殺業に身をやつすような者ではない、と断っても、そのような台詞は朕の望む言葉ではない、などとしつこく食い下がられ、結局は配下の者共を嗾けられる破目に陥っている。


〈やれやれ、こういう難儀の徒には下手に関わらん方がいいのだが……〉


 ハークは当初の怒りはどこへやら、かなりげんなりとした気分を味わい早々にこの場から去ろうとした。

 当然仲間達も連れてではあるが、どうもテルセウスが悔しがって少々逡巡しているようである。

 それはそうだろう。先程、この騒動を穏便に収めるべく矢面に立ち語ったにも拘らず、全くその言葉が先方に届くことなく終わってしまったからだ。

 それで彼女も気付いたのであろう。彼のような馬鹿を止めるには、より強い権力を持つ者でなければならない、と。


 テルセウスはその力を持っている。彼女の正体は王位継承権さえ持つ王国第二王女、アルティナ=フェイク=バレソン=ディーナ=モーデルその人なのである。

 だが、これまた当然にこんな衆人環視の中で名乗るわけにもいかない。彼女は身分を隠してのお忍び中なのだ。

 その正体を明らかにするのが一番穏便にこの事態を収拾出来得る手段でありながら、最も後々厄介の種になる手段なのは明明白白と言えた。彼女の護衛任務を請け負ったハークにとってはそっちの方が困る。


 ハークは逡巡するテルセウスの肩を掴んで首を横に振ると、この場を移動しようとする。

 が、その行く手を直ぐに阻む輩が現れる。シュバルとやらの取り巻き共であった。


「おおっとぉ! 何処に行こうってんだ、ガキ共! 坊ちゃんの話はまだ終わってねぇぞ!」


 一番身体のデカい男がその身体に見合った大声と共に道を塞ぐ。2メートルは超えるだろうか。この世界は本当にデカい者が多い。


『ご主人、こいつら大したこと無いッス! レベルは20台前半しかないッス! ぶっ飛ばして良いッスか!?』


 虎丸は既にヤル気満々だ。実はハークも既に戦闘への覚悟を決めている。

 こんな目出度い場を血で汚すのは正直気が引けるのだが、降りかかる火の粉を払う必要がある。しかも、稚拙極まりなくもあるが、一応テルセウスとアルテオへの新たな刺客という線もある。血の気が多いとの批判は呑み込むしかないが、戦う以外に穏便・・に解決する手段はもう考えつかない。


 ただ、4人という人数が厄介だった。何故か自分らと同じくヤル気になっているアルテオを諌め、テルセウスの護りに専念させる。

 虎丸になら2人程余裕で任せられるだろうが不殺では3人は難しいだろう。同様に加減無く斬れればハークも20台前半程度のレベルであれば2人くらい瞬殺することは容易であろうが、そうでなければ1人抑えるのが関の山に違いない。

 そうすると受け持つ者が1人足りない。

 アルテオに任せる、という手も当然考えられるだろうが、彼女では所謂レベルが足りない。

 まだ18レベルなのだ。新武器を真面目に努力中であり、着実に実力を伸ばしてはいるが、レベルの壁を突破できるほどにはまだまだ遠い。

 ハークと同じく加減無しで戦えるならまだマシだが、そうでなければ傷を被ることを承知で相手させねばならない。アルテオを守ることもハークの任務なのだ。そんなことは出来ない。


 これは正直ハークも困った。寄宿学校入学初日で斬殺を成した者としての汚名を被ることも覚悟せねばならぬか、と思い至った時、見物人の集団から一人の冒険者風の男が歩み出て来たのが見えた。


「大の大人が大人数で子供を囲みやがって……。見ちゃいらんねえな! 俺も助太刀させてもらうぜ、エルフ殿!」


 堂々たる推参の名乗りを上げた男性にハークは見覚えがあった。


〈あの時の冒険者か〉


 それは暴れるヒュージドラゴンから何とかスラムの民達を逃がす為、危険極まる時間稼ぎを行っていた際にもハーク達に助太刀してくれた冒険者パーティー『松葉簪マツバカンザシ』の一人だった。

 確か後にジョゼフから教えられた名はリード。


 そう言えばあと2人ほど『松葉簪マツバカンザシ』には女性がいた筈である。一緒ではないのであろうかと少しだけ視線を巡らせると、とある方向に向かって一目散に駆ける彼女たちの姿が見えた。


〈成程……。そういうことか〉


 その姿を見て、ハークはまだ穏便に解決できる道が残されていたことに気が付いた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る