第8話:Lovely Days on the old city.

80 第8話01:Abandoned person




 夜も更け、そろそろ日付も変わろうという時刻。バー・ロストワードの最奥にあるオーナー室に柔らかな明かりが灯っていた。


 それはこの店全体の主であるオーナーがこんな時間にその場にいる、ということを示している。この店のオーナー、ひいては裏組織『四ツ首』の古都ソーディアン支部長の自室にオーナー以外の人間が入ることはまず無いに等しい。彼は用心深く慎重で、従業員ですらその部屋の存在を知らぬ程なのだから。


 完全防音の室内で彼は物静かに酒を呑んでいた。その様は思案に耽っているようにも見える。

 しかし、普段は彼の内面を表すかのように整然とした室内が、今日だけは何故か荒れ放題であった。壁際に沿って無数の砕け散ったガラスが散乱しており、中に入っていたと思しき液体も飛び散っていた。


 彼は不意に立ち上がると、手に持っていたグラスを中に残っていた高級蒸留酒ごと壁に向かって投げつけた。

 当然のことながら壁に激突させられたグラスは、派手な音を立てながら砕け散り中身を撒き散らす。

 部屋の惨憺たる状況はこれだった。

 普段彼は冷静沈着な男である。物にあたるなど普段の彼を知る者からすれば、そして彼自身ですらも、信じられない程の非生産的行為であった。


 そうでもしなければ気が狂いそうであった。

 それ程までに彼の心は乱れに乱れていた。

 その理由が再び脳裏に思い浮び、彼は青筋をヒクつかせる。が、もはや周囲に投げられる物もなくなった彼は、代わりに有らん限りの大声で叫んだ。


「……あのっ、恩知らずのっ、クソアマがぁーーーー!!」


 彼の脳裏には先程の詰問相手、ヴィラデルディーチェの美しい顔が浮かんでいた。



 ドラゴンの襲撃がこの街を襲ってから一週間余り。

 彼女はこのバーに姿を現さなくなっていた。それどころか街中に配置された『四ツ首』所有の建物ですら近付かない。

 そして、あろうことか先日、この街の領主である先王の側近と談笑していたところを目撃したものがいるという。どういうことかと部下を使って呼び出そうとするが、今は本業で忙しいと断られるのみであった。

 ふざけるな、何が本業か!? と、彼でなくとも言いたくはなるだろう。

 彼女の本業は冒険者だ。冒険者が街から出ずにどんな本業をこなしているというのか。

 遂には招喚状を送り付け、応じなければ粛清対象とした。


 約束の時間。何と彼女は現れた。

 まさか素直に現れるとはこちらも予想していなかった。散々っぱら遅れてからふてぶてしく現れるものとばかり彼も思っていた。

 だから、時間通りピッタリに姿を現したヴィラデルディーチェを見て、殊勝な態度で連絡の不備と称し許しを乞う姿勢でも見せるか、或いは徹底的に媚び、その美貌と色香で周囲の男共を惑わしに掛かろうとしてくるのではないか、そう彼が思ったのも無理は無かった。

 だが、彼女がとった態度はそれとは正反対の、椅子の上で足を組み、頬杖をつき、ニヤニヤ笑いでこちらの様子を眺める傲岸不遜そのものだった。詰問を始められてもその姿勢を崩さず、媚びも詫びもせずに質問にははぐらかすような答えを返すのみ。


 遂にはその場で一番のレベルを誇る馬鹿が激発するのも当然だった。

 もしもの時を考えて、彼女の据わる椅子の真後ろに陣取らせて配置していたが、襲い掛かろうとした瞬間、巨大な氷の氷柱が出現し、そこに閉じ込められた。


 正に瞬間氷漬け。ヴィラデルディーチェの魔法であることは誰が見ても確実であったが、その場に居た誰もが魔法の発動兆候を捉えることが出来なかった。


 そして一言、彼女は言った。


「先に手を出したのは、あなた達よ?」


 と。それは決別であり、宣戦布告にも聞こえた。

 それきり彼女は何も言わず、椅子を立ち去って行った。

 氷漬けにされた男は巨大な氷柱が尋常ではない程に固く、助け出すまでに1時間以上掛かってしまった。男は既に死んでいた。



「お、の、れェェエ!!!」


 もう一度、有らん限りの叫びを上げもはや周囲に当たり散らす物すら無くなった彼は、今度は床に向かって蹴りを入れる。何度も。

 それは冷静な人間であれば地団駄という行為であるとすぐに気付くものなのだが、激昂した彼の精神では思い至ることは無かった。


 稚拙ちせつに通じる行為をひとしきり行って、2割ほどSPスタミナポイントを消費した彼が、息を切らして疲労感に見舞われたことで、漸く冷静さを幾分だけ取り戻した。


 そして、そんな彼の脳裏に次に浮かぶのはこれからの事。組織の、つまりは『四ツ首』ソーディアン支部をこれからどうやって運営していくかだ。


(まずい……非常にまずい!)


 馬鹿が死んだのは大したことではない。あの場ではヴィラデルディーチェに次いでレベルが高かったが、アレは替えの効く馬鹿だ。あれぐらいの実力であればまだまだ手駒は控えている。

 問題はあの馬鹿がヴィラデルディーチェに止める間も無く手を出そうとしたことだ。組織に忠誠でも示そうとしたのか、彼女のあの外見に劣情でも刺激されて暴発したかは最早定かではないし、それはどうでもいい事だが、あの馬鹿の最悪の行動によってヴィラデルディーチェと完全に切れてしまった。


 ヴィラデルディーチェは全く替えの効かない人材だった。

 古都3強と名高い戦闘力もさることながら、頭脳明晰で機転が利き、何より美しい。また、属性上級魔法を多岐に渡って操ることが出来る万能性で、常に客の要望に応え続けてきた。

 彼女を指名する客は数多い。その半分以上が下心目的ではあろうが。


 今期の売上は彼が古都ソーディアンの支部長になってからの最高益に達する見込みだった。しかし、稼ぎ頭を失ったことで一転してそんな明るい展望は描けなくなってしまった。

 ヴィラデルディーチェは一人で売上全体の3割強、いや、4割近くを担っていたのだ。余りにも有能かつ万能なので任せっきりな仕事もある程である。そこに丸っきり穴が開いてしまうということは、今期はまだ良くても来期の大幅な落ち込みは避けられない。


 重大な仕事をほぼ全て彼女に回してきたツケであった。人材が育っていないのである。下手なヤツに行かせれば上客を複数失うことになりかねない。


 問題はそれだけではない、重要な仕事を複数担当していた、ということは組織にとって重大な秘密も複数得ていることになる。これが王都支部にいるボスの耳に万が一入れば責任問題どころか、粛清対象になるかもしれない。


 始末しなければならない。それも早急に。

 だが、こちらも人材がいない。彼はその事実に蒼白となった。


 前はダリュドがいた。

 人を殺すだけが能の単純な殺し屋であったが、彼はヴィラデルディーチェに対する万が一の対抗手段だった。

 ヴィラデルディーチェと同じく古都3強に名を連ねるダリュドは、彼女が裏切った場合の、彼女を殺し得る言わばもしもの時の安全装置だったのである。

 しかしダリュドもあのドラゴン襲撃事件の前後から姿を現さない。

 ダリュドはああ見えて組織への忠誠は在るヤツだ。人殺ししか能の無い男がこの『四ツ首』以外で生きていけるワケが無いからだ。今まではどんなに顔を見せなくても3日程度である筈だった。

 何かやって、逮捕投獄されている線は有り得ない。それならば衛士にも協力者ぐらいはいるし、情報も入って来る筈なのだ。


 恐らく既にヴィラデルディーチェによって殺されているのだろう。

 彼女は既に入念に準備を済ませていたのだ。

 だからこそ、先王の側近などと接触したのだ。


「おのれえ……。あの性悪女め……! 俺を見下しやがってええ!」


 またしても彼の中でどうしようもなく膨れ上がる怒りの炎をせき止めたのは、ドア外からのノックだった。


「何だ!? この忙しいときに!!」


 いつもならば、部下を無用に委縮させるとか考えて自らを落ち着けていた筈だが、それすらも頭には昇らず、当たり散らすような大声で言った。


「す、すいません、ボス! しかしッ、お客様が来ております!」


 部下の声が上ずったのを聞いて、彼は漸く自分が拙い対応をしたのだと悟った。ドアを開けると自分の側近の姿があった。

 この部屋の場所を知っているものはこの男ぐらいしかいない。


「怒鳴ってすまんな。重要な考え事をしていたのだ。こんな時間にお客だと?」


 努めて冷静に、いつもの口調を意識して言った。

 その様子に部下も一応は安堵した様子を見せた。


「はい、ゲルトリウス=デリュウド=バレソン=モーデル伯爵が御入店され、ボスにお取次ぎをするようにと……」


「伯爵が?」


 彼は胡散臭そうに声を上げた。普通、貴族からの案件は報酬の面や、後の活動にとって有利な人脈形成に役立つ上物の依頼が多い。その分厄介な仕事という側面もあるが、それを補って余りあるのが大半だった。が、その名はいただけなかった。


「金なんかアイツにもう無いだろう。追い返せ」


 彼はにべも無く部下に言い放った。


 ゲルトリウス=デリュウド=バレソン=モーデル伯爵。かつてはこの街の支配者だった男だ。この男が領主だった頃から付き合いがあり、何度か依頼を受けた仲である。

 しかし、当時から金払いが悪く、そのくせ態度が横柄で、持ちこむ依頼もくだらない厄介なだけのモノが多かった。

 今の状態で会いたくなどない。かつては人脈の面だけは役には立ったが、それももはや過去の話だ。奴は領主の座を失うと同時に、地位も名誉も金になる財産も全て失ったのだから。


「……それが、チップ代わりにこれを渡されまして」


 しかし、部下が懐から取り出した物はそんな彼の認識を変え得るものだった。

 青白く輝く結構な大きさの宝石。どんなに安く見積もっても金貨5枚は下らないであろう。

 こんなものをチップ代わりにしたというのか。


「会おう」


 一言告げると彼は歩きながら髪と服を整え出した。





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