68 第7話02:御見舞
昨夜遅くにハークと虎丸が街に戻ると、シア達も既にソーディアン防衛陣側に合流していた。
どうやらシアは倒れたジョゼフを見て少なからず取り乱したらしく、ハーク達が姿を見せるとシンは明らかにホッとしていた。
「やれやれ。強くなったなぁ、シア」
とは先程ハークと虎丸がジョゼフを救った際に、いの一番で駆け付けてお礼を捲し立てた大男の弁である。
どうやら彼はギルド長ジョゼフ直接の教え子の一人であるらしく、同じような立場であるらしいシアとも兄弟弟子に似た間柄であったようだ。ハークが戻って来た時は、まだその浅黒い顔にほんのりと朱が残った状態のシアとしきりに話し合っていた。
古都南東角の警戒や街中に侵入したままかもしれない敵の探索は未だ続けられており、負傷したジョゼフに代わり冒険者達の陣頭指揮を執っていたマーガレットによると、少なくとも明日までは続けるそうである。
虎丸の感知能力であればこの一角に少なくとも余所者が潜んでいることはないのだが、それを確固たる事実として信じ切れるのはハークの他にシアとシンぐらいである。ハークはとりあえずマーガレットには伝えたが、参考程度の情報として扱われるであろうと予想していた。
夜半から雨が降り始めた。
その頃にはジョゼフ含め負傷者の治療も一段落していたので、彼らの体温低下を防ぐ意味もあり、警備と探索要員を除いた全員でギルドの建物へと移動することになった。本来ならばせめて警備ぐらいは衛兵隊が引き継ぐべきであろうが、襲撃者達のレベルの高さを踏まえ、冒険者達が主な要員として働かねばならぬ状況であり、結局のところ、その状態は数日続くことになった。
ギルドの建物に到着して、ギルド長を含めた負傷者を全員ベッドに押し込んだところで職員と高レベル回復要員以外は解散となった。
◇ ◇ ◇
普段、朝の早いハークにしては珍しく、この日の彼は太陽が空の頂点に近付く頃に目を覚ました。
『ご主人、そろそろ昼ッスよ』
目を覚ました、というより、虎丸の硬い肉球に起こされた、と言った方が正しいが。
ハークは別に自堕落な生活に鞍替えしたワケではない。無理にでも睡眠を摂る必要に駆られたからだ。
一昨日に街を出て1泊2日。その間、まず一日目でジャイアントホーンボアと1戦、2日目で主たる討伐目的であるトロール戦を行い、その後インビジブルハウンド14匹と、更にラクニ族3人とインビジブルハウンドの残党2匹とも2連戦、目的地までの行軍も行いながら合計で都合4戦である。ハーク、シア、シンのパーティーメンバーに疲れが残るのも当然の話であった。
特にハークはその後のゲンバとの真剣勝負も合わせると5戦目。驚異の一日4連戦である。おまけに目の前で一度死にかけたギルド長ジョゼフを救うために、魔力効率の極めて悪い『
昨夜未明、街に帰り着いてシア達と合流した時、ハークのMPは残り2割を切っていた。
その後、ギルド組合の建物で漸く解散となった頃には夜も明け始め、空も白み始めていた。
身体の疲れは気合で無理させれば(ハークは)2~3日ぐらい平気だろうが、休める状況なら無論休むべきであり、何より魔力値は睡眠でしかちゃんとした回復は見込めない。
なので、ハーク達はギルド組合の建物で昼頃にまた集合することにし、それまで各々休息を取ることとしたのだ。
任務達成の報告や素材の納品、ギルド長の容態など、やらなければならない事と気になる事項は数多く残っていた。が、どれも早々に報告、確認出来得る状況にはない。現況が一先ず落ち着くまでは暫くの時間を置く必要があった。
何しろ、ドラゴンの襲撃に街が曝されてから、一週間足らずでまたも未曾有の襲撃に襲われてしまったのだ。
ギルドは正式な政府機関ではないらしいが、街の有力な武装組織でもある。関係各所との連携、協議は早々に片が付くものでもあるまい。しかも今は最高責任者であるギルド長の動きがとれぬ状態だ。
落ち着くまでに最低でも数時間は必要な筈、というのがハークの見解であった。
『お早う虎丸。儂のえむぴぃはどうだ?』
『8割方回復、といったところッスね』
欠伸を噛み殺しながら、ハークは虎丸に念話で自分の体調を訊いた。虎丸は医師ではないが、『鑑定』のお蔭でハーク自身よりも正確に彼自身の状態を測ることが出来る。
結果はまあまあと言ったところだ。
倦怠感はまだ残っているが、意識しなければ気になる程でもなかった。
その時、部屋の外からコンコンとノックがあった。かなり低い位置からだ。ドアを叩いた人物の背丈はハークとそれ程変わらないだろう。
「ハークおにいちゃん。起きてる?」
ノックのあとに可愛らしい少女の声が続く。
「セリュか。今身支度をする。ちょっと待ってくれ」
セリュというのはハークの宿泊するこの宿の娘である。歳の頃は11~12歳程度。
外見年齢だけで見ればハークと同程度か少し下くらいだ。この宿は親子三代と若干名の雇い人で運営しているようだが、セリュはそんな家族を積極的に助け、甲斐甲斐しく働く孝行娘だ。
見た目の年齢が近い為かハークによく懐いてくれた。それ故か、食事に呼びに来るなどハークに用がある時は彼女が尋ねてくることが多い。
ハークは手早く髪を整え、顔を洗う。
前世は大変だった。月代や髭を剃らねばならないし、おまけに前世のハークは剛毛で、一度寝ぐせがつくと中々に整えるのに時間が掛かった。
それに比べると今のハークの髪は柔らかく、手でぱさぱさとやればある程度は整うし、纏めて頭の後ろで結ぶのも簡単だ。自分の髪でありながら上質な絹のようである。前世ならば結構な高値で売れるかもしれない。
髭もまだ生えていないので剃る必要も無い。法器から流れ出てくる水で顔を濡らすと、僅かに残った眠気と倦怠感が少し解消される。
この法器は、正式名称は虎丸も知らなかったが、どうも水源から水を自動で汲み上げる能力があるらしい。この世界では安くはないが、割と一般的な設備とのことだ。
ギルド組合の建物で使わせて貰ったシャワーというものにも驚いたが、これを便所にも応用するという発想には驚いた。水洗、というものらしい。大小にかかわらず流せ、というのだからこの街は相当に水が豊富なのだろう。
この水を汲み上げる法器と水洗便所(この世界ではトイレというらしい)、この二つがハークの部屋には備え付けられている。
便所は水洗でも共用、という宿も多いらしく、この宿は料金も割かし高い。セリュによると、ウチは中の上くらいだよ、ということらしい。
もっと上の、例えば貴族御用達の宿では、ギルドにもあったシャワーが完備されているところすらある。それどころか風呂すら備えた宿もあるとのことだ。それも魅力的だとも思えたが、ハークはこの宿から移る気は無かった。理由はこの店のメニューにある。
この店のおかみさんであるセリュの母親の作る料理はどれも美味だが、この店には何と米があるのだ。
エルフ米、というらしい。その名の通りエルフの里から齎された穀物で、この国でも栽培が盛んに行われる地方があるという。
セリュの父親の実家がそのエルフ米を栽培している地方で、毎年定期的に仕入れているらしいのだが、この国の主食はパンというものであまり米は食されない。仕入れ値もあり、お高めの値段でしか出せないので余り気味だったところをハークがほぼ毎回頼むので助かっているらしい。白飯は流石に無く、醤油や何か紅い汁で炊いたものしかなかったが、ハークの口にもとても合い、今やすっかり好物である。
セリュによるとハークは上客であるらしい。金払いが良く、物静かで、他の客と揉め事を起こしたりすることの無いことが主な理由であろうが、虎丸がいることも大いに関係しているとハークは思っている。
何しろこの都市は2度も、大きな襲撃に曝されている。しかもきわめて短い期間に、だ。住民が不安に感じるのも当然である。
昨夜、というか、もはや今日の朝方だが、この店は夜通し戦ってきた冒険者達の為に無料で炊き出しを行っていた。
ハークや虎丸も特製の炊き込みの握り飯をいただいた。またこれが実に美味であったし、流石に腹も減っていたので一気に喰ってしまったのだが、食べ終わるのとほぼ同時に近所の住民達に話しかけられた。
訊かれるのは当然、現場の状況だ。侵入したのが人であり、既に冒険者と衛兵が協力して追い返したと説明すると、幾分か安心した様子で帰って行ったが、やはり不安なのだろう。ここは街の中心に近く、2度に渡って未曾有の襲撃を受けた南東の一角とは距離があるにしても、この街に住む以上、彼らにとっても眠れぬ夜だったのだ。
そんな状況で、魔獣とはいえ高レベルの客が宿泊しているのは宿としても安心感につながるに違いない。ハークは上客という言葉をそういうふうにも捉えていた。
ふわふわの手拭いで顔を拭くと、上着を着てドアを開けた。セリュが笑顔になる。
「お待たせした、セリュ。儂に何用かな?」
努めて優しく言うとセリュは増々笑顔を深める。前世では体がデカい上に、長年の外歩きと鍛錬故か顔が怖いと子供には怖がられることが多かったから、こうして懐いてくれるのは素直に嬉しいことだった。子供に対して怖がらせないように意識して優しく話すのは前世からの癖でもある。
ハークが急かさず返答を待っていると、セリュがゆっくりと訪問の理由を言った。
「ハークおにいちゃんに、お客さんだよ」
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