56 第6話05:アシスタンス
『虎丸、頼む!!』
「ガウア!!」
最早声を上げるのももどかしく、ハークは虎丸に念話を送った。
言葉少なな主人の意図を虎丸は正確に読み解き、勝負に割って入った卑劣な急襲者が今まさにジョゼフに対してトドメを刺そうと剣を突き降ろそうとしているのを止めるべく、全速全力で突進する。
疾風となった虎丸は150メートルはある距離を、奸賊が突き降ろした剣がジョゼフの身体に到達する前に踏破しきった。これぐらいの距離は虎丸にとって何程のこともない。
「ぎゃあっ!?」
虎丸の爪が急襲者の肩口を深く薙ぐ。朱の飛沫が飛び散ったが傷自体は深くはなかった。
虎丸は今敵を倒すために矢のように襲い掛かったのではない。ジョゼフを救うためだ。即ち、ダメージを与えるのは二の次で、兎にも角にも急襲者の追撃を阻止するのが目的であった。
ハークの命令、というより願いを確実に叶えるために虎丸が選んだのは、最短距離を突っ切った後、今まさに振り降ろされようとしている剣よりも先に急襲者の左肩に爪を突き立て、引っ掻けたまま力任せに投げ飛ばす、といったものだった。
要は、人に例えるならば突き飛ばすという行為をより暴力的に、そして確実に行ったようなものであった。
故に急襲者は後方に大きく吹っ飛ばされようとも、人体の内で一二を争うほど丈夫な肩を傷つけられた程度でダメージも少なく、武器を取り落としも転倒もしなかったが、爪に引っ掛かった上着を無理引っ張られでもされたせいか、左上半身の服が派手に破れて左肩から腹部に掛けて露出、左の乳房を露わにしてしまった。
〈女!?〉
急襲者も直ぐに気が付いたらしく左手で素早く隠した。
ハークは虎丸に続きジョゼフの元に走りながらも驚いてしまった。
それは戦闘集団の中に女性が居た、からではない。前世と違ってこの世界は性別というのはそれ程問題とならないようだと既にハークも気付いている。冒険者ギルド本部の建物内でもたくさんの女性冒険者の姿を見たし、ハークのパーティー仲間であるシアも女性だ。まだ戦っているところをしっかりと見た訳でもないが、テルセウスとアルテオも隠しているだけで女性である。レベルとステイタスが存在するこの世界では、女性が戦うということも忌避感がないのであろう。
だが、明らかに暗殺用と思われる戦闘集団に女が所属しているというのはハークにとって小さな驚愕では済まされない出来事だった。
何を言う、戦国時代だって女の忍びを表す『くの一』がいたじゃあないか、と現代人なら言うかもしれない。確かに女の忍びというのは各地に居た。しかし、実際の戦闘や暗殺に携わる女忍びというのは完全に後年の創作で、実際の彼女たちは美貌や色香で男を惑わし情報を入手する、いわば諜報員や産学スパイの役割を担っていたのだ。
戦いに男女は無い、との考えはハークがこの世界に転ずる前から持っていたものだ。だが、自らや家族、仲間や生活の為にではなく、為政者や国の都合で敵対者の命を奪わねばならない暗殺という昏い稼業に、本来命を生み育むべき女性が従事しているのは何かが間違っている気がした。
とはいえ今はそのようなことに余り構っている時間は無い。ジョゼフの元に到達したハークは、壮年の襲撃者にも女性の急襲者にも構うことなく、倒れたままのジョゼフを診察し始めた。
「ジョゼフ殿! しっかりしろ!」
「うっ……ぐっ…」
返事があった、まだ息がある。
背中の傷は右腰骨の少し上から左肩口付近まで達する非常に範囲の広いものであった。
後から後から真っ赤な血が溢れてくるので、どの深さまで傷が到達しているかは正確には掴めなかったが、
それでもこれだけの広範囲を斬りつけられているのだ。傷が浅い筈など無い。恐らく背骨をやられている。
前世では心構えとして『背中の傷は剣士の恥』などと侍が教わることも多かったらしいが、これは敵に背を向けるような、敵前逃亡を選択するような性根になるなという思惑と共に、背中に斬撃を受けると一撃で戦闘不能に陥りかねない事態も想定した上での忠言だったのだろう。
背骨を傷つけられると猛烈な痛みと共に体の一部が動かせなくなってしまう、と聞いている。ハークは残念ながら、それとも幸いにか、経験という実体験が無いので判らないのだ。
兎に角、今この場ではハークがどうにかするしかなかった。戦塵のど真ん中で魔力切れに成りかねない愚は避けたかったというのが本音だが、ジョゼフを見殺しにするという選択もまた無かった。
「『
静かに魔法を唱える。相変わらず効率の悪い魔法だ。奥義・『大日輪』や一刀流抜刀術奥義・『神風』のスキルを産み出した今なら、尚更にそう思う。
一気に魔法力を持っていかれる感覚。
この場に来るまではハークは全体魔法力の内7割近くを残していたのだが、今の発動だけで半分を切る寸前にまで陥ってしまった。
それでも何とか背骨を治療する事だけは完了した。先程まで激痛に苛まれて満足に行えていなかったジョゼフの呼吸が、急に安定したものに変わったのがその証拠だ。
一先ず危機は脱した。次は応急措置だ。最低でも血を止めねばならない。
ハークはもう一度、意識を集中して『
ゲンバは表情にこそ出さないが、軽く混乱していた。自分と、自分の最も信頼する部下との必勝の連携が決まり、首尾よくこの街のギルド長を討ち取れたと確信した瞬間、白き魔獣が眼にも留まらぬ速度で間に入ったのである。それはいきなりその場に出現し、攻撃を既に当てていたと表現しても過言ではなく、実際にそうとしかゲンバの眼にも映らなかったのだが、白き魔獣が移動してきたと思われる方向から一拍遅れで届く衝撃音と微風に、それが瞬間移動SKILLの類ではないことを教えられた。
白き魔獣はそのまま倒れているギルド長ジョゼフを庇う様に立ち、自分達を2人同時に牽制している。その姿は恐るべき実力を有していると見受けるしかない。
ジョゼフの従魔か? とも思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。遅ればせながらジョゼフの元に一人の金髪の少年が辿り着くと当然のように場所を空け、その少年を護衛しやすい場所へ移動することからそれが判る。
金髪の少年が白き魔獣の主なのだ。
少年はジョゼフに一声かけると、まるでこちらを警戒する素振りすら見せずにギルド長の治療を始めた。最初はあまりの事態に思考が追い付かず、非戦闘員の子供が状況も判らず飛びだして来たのか、とも思ったが、直ぐにそれが考え違いであると気付かされた。
少年は魔獣の実力を信じ切っているのだ。魔獣が傍に居ればゲンバたち如きに自分が害されることなどないと確信し切っていたのだ。
(おのれ。生意気な真似を……!)
仕留めたと確信した獲物を横から掻っ攫い、しかもこちらに気にも留めないとは何事か。
そう思い、攻撃用魔法SKILLを発動しかけた。
だが、魔法構築を始める寸前に白き魔獣からギロリと睨まれ、発動停止を余儀なくされた。先の横槍の攻撃で相当な実力差を痛感してはいたが、攻撃の兆候すら見極められてしまっているのは致命的と言えた。
ちらりと見ると、部下も下手に動くことが出来ないでいる。それでいい、と思った。無駄に命を捨てる必要などないのだ。だが、口惜しいのには変わりない。
(ギルド長暗殺は不可能と諦める他ない。どうせ行きがけの駄賃と目していたものだ。計画通り奴らの眼を引き付けることには成功している。あとは別働隊の戦果に期待するしかないか。……だが、その前に)
少年によるジョゼフの治療は既に終わりに近づいている。
それを視ながら、ゲンバは懐からとある法器を取り出した。一見古びた手帳にも似た、これ程の高級品を一族の中でも所持出来るのは自分くらいしかいない。しかもこれは貸与されたものだ、彼らの主から。
それは他人のレベルとステータスを見極めることが出来る『鑑定法器』であった。
丁度、ジョゼフの血も止まり、傷の応急処置が一段落着いたところで、ハークは強烈な視線と小さな波に晒されたような感覚を受け、視線を上げざるを得なかった。
覚えのある感覚のような気もしたが、見ると壮年の男が小ぶりな本を開いて中身を確認している。
こんな時に読書か? と思わぬでもなかったが、どこか既視感を感じる光景であると思い出す。
〈確か、アルテオ殿が先程同じようなことをしておったな……。何の意味があるのだ?〉
そう思って注意深く視てみると壮年の男の両目がどんどん見開かれていく。下半分が頭巾に覆われて見えないが、たぶん驚愕の表情をしているのだろう。
それに増々好奇心を刺激されたハークが、思い切って直接聞いてはどうか、と思い始めたところで、ここよりも町の中心部にほど近い一画で爆発が起こった。
「なにっ!?」
この驚愕に染められた声を発したのはハークではなく、壮年の男の方だった。その事実を訝しむ暇も無く、第2、第3の轟音が轟く。
ただしそれは、1度目の大量の火薬が爆ぜたかのような爆発音ではなく、2度目は何か巨大なものが突き刺さったような音で、3度目は雷がすぐ近場に落ちたような音に似ていた。
壮年の男が動きを見せた。戦闘再開、ではなく後方に大きく跳び距離をとったのだ。明らかに戦闘中断の意思表示だった。見れば他の襲撃者も一様に相手との距離をとっていた。
彼らの意識は皆、3度の爆音が轟いた一画に集中していた。
『ご主人、爆破音が上がった場所から5人の男がこちらに向かって来るッス。全員手負いでこの街の人間じゃないッス』
『……なるほど、そうか判ったぞ。陽動だ』
『ヨードウ…ッスか?』
『ああ、予め部隊を2つに分け、一方に敵の注意を引き付けさせておいて、もう一方で本命を急襲する。戦術の基本だ。つまりはこの場所にギルド長を含めた主な戦力を集結させ、その間に街の奥深くまで侵入する手筈だったのだろう』
『おお!? 成る程……ッス?』
虎丸は良く解っていない感じだ。後でもう一度噛み砕いて教える必要があるだろう。
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