49 第5話07:魔を操るもの⑤




 ハークはその場から更に一歩踏み出した。

 間合いを詰めた、と言う方がしっくりくるかもしれない。

 ハークはまだ背の大太刀を抜いていない。これは万が一にも自分が戦端を開く切っ掛けにならぬよう、相手に警戒感を抱かせぬために配慮していたものだ。

 相手が明らかな戦意を見せた以上、もはやそれに意味は無いかもしれない。だが、ハークとしては相手の情報を何一つ得ずに斬り殺すのだけは避けたかった。それは後々の面倒を先延ばしする行為に似ている。誰かと戦う時はその相手の所属や背後、それらの関係を洗っておかねば思わぬところで仕返しを受けて、足をすくわれかねない。そんな経験は前世で何度もあった。


 いざ戦闘が開始すれば相手から情報を得るのは至難の業だ。べらべらとお互い喋りながら剣閃をぶつけ合う者など滅多にいない。少なくともハークの記憶の中には。

 なれば、お互いがのっぴきならぬ状況になるのを少しでも遅らせる必要があった。ハークにとって、その『のっぴきならぬ状況』というのはお互いに真剣を抜いた状態になることである。話し合って戦闘を回避することは最早敵わずとも、意思疎通の機会ぐらいはまだ残しておきたかった。これは人型の相手を斬殺するのを忌避しようとすることとは別物である。


 とはいえ、ハークは無防備、というワケでもない。ハークの腰帯には前世からの愛刀がはさまれている。居合は得手、という程に自信があるワケでもないが、前世より使い込んできたこの剛刀であるならば抜打ちも普段と変わらぬ速度で振るうことが可能である。

 先の一歩はその一振りがさらにもう一歩踏み込めば届くという間合、『一足一刀の間合』へと踏み入るものであった。

 つまり、この時既にハークは戦闘開始準備をほぼ終えている状態にいた。


 だらりと左右に垂らした両腕の内、右手はそのままに左手だけが刀の鞘を掴む。

 これは抜打ちを行う構えの最初の一動作であり、ここまでくればハークほどの経験の持ち主ではなくとも剣戟戦闘を幾度か潜り抜けた経験のある者ならば警戒と緊張感を増し、何時斬撃が来てもいいように備え始める筈である。

 だが、ラクニ族達にはそのような素振りは見られない。依然として敵意こそ前面に出し、それを隠そうとすらしていないが、相手側に今すぐにでも攻撃されるかもしれないという危機感が感じられない。


〈剣で戦う、という戦闘に馴染が無いか、素人か、どちらかだな〉


 どちらでも同じか、と思い直す。

 段階的にこちらも戦闘準備を進めていくのをゆっくりと見せていくことで緊張感を作り出し、相手が何かしら口を開くのを待つ、という作戦は全く功を奏さなかったのだから。


『仕方ないな。虎丸、奴らラクニ族に『何者だ、何故我々を襲うのか?』という意思を送ってみてくれ』


 虎丸はハークのすぐ背後に控えていた。これは虎丸が戦いの際にハークを盾にするなどと言う思惑では勿論なく、彼の横をすり抜けて後ろの人々、シアとシンや二人組の新米冒険者を万が一にも狙わせない為のものであった。言うまでもなく主人の命を完璧に履行するつもりなのだ。それでいてイザという時には主人の助けに入る心積もりでいる。

 虎丸の見立てでは、ラクニ族はレベルこそ20が2体、残りが22とハークよりもステータス的に優れていても、そんなことは相変わらずのいつもの事で、1体1ではハークの相手にすらならないであろう。2対1でも問題無い。ハークは未だ刀を抜き放っていないが、その状態からでも遜色なく攻撃が繰り出せることを彼は知っていたからだ。

 とは言え、3体同時、ということであればあのハークであっても不利な状況に陥る可能性は流石にあるだろうと思っている。そういったことも踏まえてのこの位置であった。


『了解ッス。……………………………。ご主人、送信完了ッス』


 果してラクニ族達に反応があった。虎丸が『念話』を送ったと思われる瞬間、3体が3体ともぴくりと明らかな反応を示したのである。

 特に真ん中の、腰に『ククリ』らしき粗末な短刀を携えた他の2体に比べると大柄な1体は一瞬片目を大きく見開くなど、顕著な反応を表した。大柄と言ってもハークより大きく、シンよりは小さいくらいである。

 その1体が口を開いた。


「ギィイイグガ!」


 またも吠える様な声。

 それと同時に片手をかざす。何かをけしかけるような仕草であったが、他の2体のラクニ族に一切襲ってくるような動きは見られなかった。


『ご主人、生憎オイラに対する返答の意思ではなかったので、何を言ったのかまでは判らなかったッス。けど、今のはインビジブルハウンド達に攻撃開始を指示したものだと思うッス。その証拠にあの魔犬共が後ろの2人組・・・・・・に近付こうとしているッスね』


『うむ、こちらでも感知した』


 まるで中央のラクニ族が掲げた手の平から細い魔力で束ねられた繰糸がいんびじの2体まで伸び、その意識を支配しているのを幻視するかのようであった。呪いの様な波動を感じていることすら、気の所為ではないのではないかとも思えてきてしまう。

 魔犬共が狙う2人組の主従の前にはそれぞれシアとシンが立ちはだかった。

 先程の結果から考えれば彼らを排除し、その奥のテルセウスとアルテオに迫ることなど奇跡に近い出来事でもない限りは不可能だと判りそうなものである。

 それは畜生であっても、いや、逆に畜生であるからこそ、野生では考えられない行動と言える。

 自らの死をも顧みない戦意。そこに僅かな逡巡や叛意さえハークには掴みとれない。そこに何よりも『意のままに操られた』という事実を感じ、ハークは苛立つ。

 何故か腹が立った。


『最早、問答無用…、いや、とっくにそうか。こちらも行くぞ虎丸。儂は右、お主は左を頼む。真ん中のは残せ』


『はいッス!』


 念話終わるが早いか一人と一匹は前に出る。すいっ、と。あくまで軽やかに、そして迅速に。


 電光石火の動きとはそういうものだ。

 虎丸は優れたステータス、プラス障害物が多い場所で機動力が向上するSKILL『森林の王者キングオブフォレスト』の効果発動故に、ハークは前世で散々鍛え、実戦の場で練り上げてきた進攻歩法によって、必殺の間境を超え、ハークは抜打ちの一閃で首を薙ぎ、虎丸はすれ違いざまに右前脚の爪をその横面へと叩き込んだ。


 一瞬で胴体から下に別れを告げた頭部が、斬られたことに今更気づいたかの如くゆっくりと地面へと向かう。

 一方で、気付く間すら与えられることなく虎丸の研ぎ澄まされた刃さながらの爪に刺し貫かれた頭部は、骨の砕ける嫌な音とともにその形を微妙に変形させたが、それでも勢いを緩めるには至らず頸部から千切れてしまう。そのまま保持するつもりの無い白き虎の爪から解放された首から上が、放物線を描いて飛翔し、こちらもまた地面へと向かっていった。


 瞬く間も無くHPをゼロにさせられたラクニ族達、その頭部を奪われた瞬間も、その頭部が地面に達するのも全くの同時というのは奇妙な偶然だった。


 一拍遅れて首から下の身体が力なく崩れ落ちた。

 残された中央のラクニ族はまるで悪夢に囚われたかのようだ。

 呆けた表情で倒れ伏した同族の遺体を右に左にと見遣みやるのみである。


 次いで恐慌が訪れたようだった。表情には表れないがハークにはそれが判った。

 当然であろう。気が付いたら己とほぼ同じ実力の者達二人が屠られ地に伏しているのである。残されたのは己独り。どんな剛毅の士であろうと自らに勝ち目が無いどころか、生き残ることすら難しいことを実感せねばならない状況と言えた。


 残されたラクニ族は、ごくり、と唾を飲み込んだ。喉の動きから判別出来る。


 そんな彼からハークは数歩後退し、距離を少し開ける。

 何事かと訝しげに見る彼の眼に、その背後で2体のインビジブルハウンドが横たわっていたのが映った。


 ハークには背後で行われていた戦闘がとっくに終了していることを眼に見ずとも気付いていた。


 シアは今回SKILLを使用しなかった所為か一噛み貰っていた。とはいえ上手に鎧の部分で受けており、貫通されてもいないから、ダメージも無い。逆に動きが止まったところをしこたま殴りつけて勝負を決めている。


 シンは、正確にはシンとテルセウスとアルテオは3人で協力し、1匹を撃破していた。シンが多少引っ掻きなどの攻撃を受けていたようだが、テルセウスが魔法か何かで援護し、アルテオとシンの二人掛かりで一気にトドメを刺したらしい。


 戦い終えたシアとシンがハーク達の元に近付いてくる。アルテオはその背に続こうとしたが、テルセウスが魔力切れで蹲ったのを見て介抱の為にその場に残った。



 進退窮まったとは正にこのことか。

 ただ一人生き残ったラクニ族の心境を表すのにこれほど的確な表現は無かった。大勢どころか勝てる見込みなど皆無、さりとて逃げることすらできない。背を向ければその瞬間殺されると判っていた。

 そんな彼に再度念話が届く。


『もう一度だけ聞く。貴様等は何処の何者で何の目的がある? 答えぬならば斬る。逃げても斬る。と、我が主が言っている』


 白き獣の冷たき台詞が響いた。見れば金毛のエルフが腰を落としつつ腰帯に挟まれた棒のような武器の先端に右手を掛けていた。


 その光景を視て白き獣の問いに応えたくなる衝動に駆られた彼であったが、それも一瞬の事であった。

 ラクニに捕囚、捕虜、ましてや奴隷になる者はいない。自分達は奴隷を使役するものであって、使役させられる方では断じてない。それこそがラクニの誇りであり、戦士の誓いであった。その誓いを立てたからこそ、戦士の証を自らの腰に佩くことを許されたのだ。

 戦士の証を撫で、自らの勇気を奮い立たせた瞬間、まるでその機先を制するかのように、またも念話が届いた。


『ヤル気になるのも結構だが、こちらは容赦しない。たった今思い付いた新しい技の実験台代わりにさせて貰う。それでも構わぬならかかって来い。と、我が主は言っている。語るのはこれが最後になる、とも』


 何の感情も感じ得ない、冷たい口調だった。

 答える代りに彼は走った。白き獣が我が主と呼ぶ金毛のエルフに向かって突き進んだ。声すら上げてやらなかった。



 それを視て、ハークは迎撃せねばならぬことを悟った。

 想定内の行動ではあったが、一縷の望みも叶わなかったのは素直に残念に思う。だからこそ斬ることに躊躇いは無かった。

 そして先程、虎丸に告げた言葉通り、『たった今思い付いたばかりの新技』を実践すべく、居合の体勢から刀全体に魔力を注ぐ。


 そう、刀全体。つまりは刀身のみではなく、鞘にも。


「一刀流抜刀術……」


 技名を祝詞の如く唱え始めつつ自らの残り魔法力4分の1程を注ぎ込む。既に消費した分を除外すると、全魔法力の内およそ5分の1を消費した計算になる。

 ラクニが迫る中、引き伸ばされた感覚の中でハークは焦らず丁寧に魔力を鞘の中・・・に充填していった。かなりの量だ。もはや鞘の内部はハークの魔力で満ち満ちており、破裂の危険すらあった。


 この新技は先刻シアが見せた『連撃』を彼なりに改造、昇華させる技であった。


 定着するかは判らない。だが、試してみる価値はあった。

 『連撃』は面白い技だ。魔力を籠めるのではなく魔力で包み込んだ武器のすぐ後ろで、その魔力を爆発させるかのように噴射させ攻撃の速度を引き上げる効果をもたらす。何処の誰が考えついたのかは知らないが発想が斬新であった。

 しかし、惜しむらくはその速度向上が攻撃力の向上に殆どつながっていない。また、その所為で魔力効率も悪い。


 ハークの改善案は速度向上を攻撃力に昇華させるために一撃に寄せることであった。


 ラクニがさらに迫って来ていた。もはや目の前、踏み出せば手の届く位置。一足一刀の間境を越えていた。


「……奥義!」


 まるで撃鉄を弾くかのように左の親指でつばを押し、鯉口を切るとその瞬間、鞘の内部に溜まりに溜まっていた魔力が爆発した。


 いや、させた、と言うべきか。文字通り爆発の勢いで射出されたそれ・・・・・・・を、速度を全く損なうことなく振るった。


 こんな無茶な使用法をすれば、当然の如く刀と鞘の損耗は本来計り知れない筈である。爆破の瞬間に双方砕け散っていても何ら不思議ではない。

 しかし、刀だけでなく鞘にまでしっかりと纏わせた魔力コーティングのお蔭で、どちらにも傷は全く見受けられず、更には攻撃力の向上にも貢献していた。


 刀を振るう己自身にも感知しきれぬほどの速度の中で、それでも確かに、ハークは手応え有りと感じていた。


 刃の軌跡は恐らく、相手の右腰元から左肩までを逆袈裟に斬り裂いた筈である。

 そしてそれが描いた軌跡を逆に辿るかのように、時を戻すかのように鞘へと戻す。勿論、振るった時の腕や刀のしなり、関節の伸びを考慮すれば全くの同じ道筋とはいかないが、その躰に刻み込まれた通りの動きを出来得る限り脳内で逆再生していった。


「『神風』」


 技名の最後を発しつつ、ぱちり、と小気味良い音を立てて刀身が全て鞘へと納まった。ハークの意識上ではここまでが全部・・・・・・・技の動きという認識であった。


 やがて、ズルリと胴体を斜めに斬り裂かれたラクニ族の身体が、血煙を上げながら地に伏す。一刀流抜刀術奥義・『神風』は、ハークの狙い通りの軌道を描いていた。



 一部始終、技の発動からずっとハークの動きを間近で視ていた筈の一行であったが、何が起こったのかを正確に把握出来ていたものは殆どいなかった。最もレベルの低いテルセウスなどは、ハークの手元が、ちかっ、と一瞬光ったと思ったら既に刀が鞘に収められていて、刀身が抜き放たれたことすら判らず、ぽかあんと口を開いて呆けたように見詰めるしか方が無かった。


 他の面々も似たり寄ったりの表情ではあったが、虎丸ですら大きく目を見開いたままで固まっていた。

 虎丸は37という高レベルもあって、この中では一線を画す圧倒的な速度能力を備えている。それ故、動体視力も他を圧倒するほどに優秀でありながら、先程のハークの剣閃を抜刀の一瞬見逃した。それは、速度の概念に於いて、ヒトの最高速度を優に超克したことを示していた。


(ご主人のカタナは、一つの究極を達成したッス)


 虎丸はそう思った。


「ふうっ…。虎丸よ、新しいすきるは定着しておるか?」


 一息吐いてハークは虎丸に問い掛ける。呆けていた虎丸は慌ててハークのステータスを確認し、こくこくと首を縦に振った。


「うむ、重畳、重畳よ」


 満足気に頷くハークに、最も早く呆気に取られていた状態から脱した者の声が上がった。


「ハークさん! やっぱり俺にカタナを教えてくれッ!!」


 シンだった。

 ハークにとって、頭の痛い問題が再燃した。



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