09 第1話07終:ソーディアン②


 思わず目の前の女を睨み付けそうになってしまうが、堪えた。

 今のハークには恨みなどないが、その前身たる少年を死に追い込んだ人物なのだ。敵意を抱かない方がおかしい、というものだ。

 敵愾心が表に現れそうになるのを抑えつけて、女を観察する。


〈それにしても派手な女だ〉


 まず肌は黒い。

 地黒なのか日焼けによるものなのかは分からないが浅黒いというというよりもはや褐色だ。対照的に腰まで伸びた頭髪は金色で、陽光を撥ね返して輝いているかのようだ。それをまとめることなく四方八方に散らしているため、歌舞伎で鬼女を表す髪型を想起させる。

 装備は一見、軽装備に見えるが、左肩からその先だけはがっちりと赤い鎧に包まれていて、あとは胸当て、右の手先を覆う籠手に両足の膝下を守る脛当てのみで、背には出刃包丁を巨大にしたような大剣を抜き身で背負っている。これは、左腕は防御で使い、あとは動きやすさを重視ということだろうか。

 しかし、流石に鎧の下地を巻いてはいるようだが、そこ以外は白の腰布で股ぐらを隠している程度で地肌を晒していた。暑がりなのかは知らないが、扇情的で非常に目の毒だ。

 髪の金、肌の褐色、布地の白に鎧の鮮烈な赤と実に目に痛い。


 それがまず彼女を派手だと感じた理由だった。


 次に、デカい。大柄な女ならば前世でも多少は見てきたが、比べ物にならぬ程だ。

 身長は6尺3寸(約1メートル90センチ)に届くほどである。これ程の体躯の持ち主は男性でも滅多にお目にかからなかった。先の3人組で親分とか呼ばれていた大男と大差ない。もっとも、縦はともかく横は大きな違いがあった。腰などぎゅっと絞られたかのようだ。その少し上と少し下はそれぞれふくよかなため、何故か瓢箪を思い出してしまう。

 また、派手で背は高く豊満である上に、女はその顔すら世にも稀な美貌を持っていた。端麗とはこのことか、とも思える程だ。

 普通なら、―――いや、前世ならば、これだけ極上の女が目の前にいれば、何とか褥を共にしようと口八丁手八丁の限りを尽くしただろう。

 だが、内から沸き起こる隔意か、敵意か、あるいはこちらを見下し切ったその態度か、自らの美しさを鼻にかけた態度か、そのいずれかもしくはその全て故か、とにかくそんな気は微塵も綺麗サッパリ全く起きなかったのである。

 そんなハークの心情など気付く筈も無く、ヴィラデルが顔を寄せてくる。


「ン? 何黙ってるの? また見とれちゃったのかしら。全く、マセた子ね」


 口調は艶やかだったが、答えを急かしていることは明らかだった。

 ハークは見とれていたのではなく、観察していたのだ。まあ、それを言っても藪蛇であろう。

 自意識過剰な女だ、とも思うが、この場で波風を立たせたくもない。素直に先程の質問に返答する。


「僕は知らない」


 しかし、真実も言わない。言って意味がある相手とも思えないし、無用な騒動を生むに決まっている。

 それに嘘でもない。ヴィラデルのいうデブとハゲとチビの3つの金魚のフンが、先程、森で殺し合いをした刺客3人組のことを指した言葉だとは、今のハークは知らないのである。


『虎丸。この女が言ったデブとハゲとチビの3つの金魚のフンって、儂とお主が森で殺した3人の刺客か?』


『そうッスよ、ご主人』


 今、知ったが。


「ふーん……」


 信じているのか信じていないのか、微妙な反応だったが、ヴィラデルは言葉を続ける。


「その傷はどうしたの?」


 そう言って、ハークの左肩に視線を送る。大男に斬られた傷があるところだ。

 今は不思議な頭陀袋に入っていた包帯を巻いている。袖の切れ端から交換した際に、改めて傷を見たが、既に大分塞がっていた。今のこの身体はどうも回復力が尋常でないらしい。

 ヴィラデルの口調は、怪しんだり、訝しんでという感じではなく、あくまでも世間話のような感じだったが、勿論、油断など出来る筈も無い。


「最近鍛えているんだ。その時ひっかけただけ」


 我ながら子供のような言い訳だが、剣で斬られた傷とバレたとしても、それがあの3人組を返り討ちにした証拠には成り得ない。

 実際、ヴィラデルもそれ以上追及せず、あら、そう、とすぐに興味を無くしたようだった。


「ま、いいわ。ところでアンタ、故郷に帰ったんじゃなかったの? なんでこの街に戻って来たのよ?」


 この質問が本命だったのだろう。ヴィラデルの眼光が少し鋭くなっている。威圧感も増していた。


〈何故、そんなことを聞いてくる。刺客を送るような輩が聞くことか〉


 答えるのが当然という態度に、むかっ腹が立った。大体、そんなことこちらの自由の筈だ、その想いが口に出た。


「別にいいだろう」


「別によくないわ。アンタに付きまとわれるとメイワクなのよ。…はぁ、夢見てないでさっさと森都に帰りなさい。アタシとアンタは同族かもしれないけれど、故郷も違うしお仲間でもないし、ましてや血縁でもない。アタシにアンタの面倒をみる義理なんてない、縁もゆかりもない赤の他人なのよ。ここはアンタみたいな子供が一人でいられる場所じゃあないわ。どうなってもアタシは知らないわよ!?」


 ついにヴィラデルが年長者の仮面を外して、イラつきを抑えることなく言い放つ。幾分、大きさを増したその声に、いくら夕暮れの人通りの少ない場所であっても自然と衆目が集まった。通りに並ぶ店舗からも、何事かと出てくる者さえいる。


 この女は厄介の種だ、とハークは思った。

 そもそも、巨大な虎を連れた少年と大柄でとびきりの美女が往来で話し込んでいる時点で充分目立ち過ぎているのである。前世から目立つのは嫌いではなく、むしろ好きな方であったが、これは悪い目立ち方だ。

 おまけにこちらは既に命を狙われるという実害を被っているのだ。迷惑なのはこちらの方だった。


 この女とは関係を断つべきだ。しっかりと係わりを断念、いや、拒絶する意思を伝えなければならぬ。


「心配せんでも、もうお主に関わる気は無い。赤の他人らしく、話しかけもせん。この街も用が済むまでいるだけだ。終わったら出て行こう。これでいいか?」


「…な…? ……に?」


 茫漠と一気に言い放つと、ヴィラデルが一瞬呆けた隙にハークは踵を返して歩き出した。

 突然の少年からの関係拒絶の言葉に理解が追い付かず、固まってしまったのだろう。言い返すべき相手も時運も失って、二の句が継げぬまま立ち尽くす女を背中に感じる。

 自然と早足になった。


 突然、背後で闘気が爆発した。

 何かが砕けたかのような音が聞こえた瞬間、恐ろしい速度でハークに追い縋ってくる物体があった。その速度は、森で戦った巨漢の刺客に優るとも劣らないもの。

 ヴィラデルであった。


「!」


 後ろを確認することなくハークは反転し、全力で逆袈裟の抜き打ちを放った。

 ハークは抜刀術の達者ではない。だが、数多の死闘を潜り抜けた経験と、研鑽に研鑽を重ねた日々が、その時、完全完璧な抜刀斬りを生んだ。

 この世界の強さの根源たる『ステータス』の恩恵を超えた剣の頂点たる理合。そこに辿り着くはじめての一歩、その一撃。

 だからこそ止められなかった。


 背後から背に負う大剣を打ち下ろす、この時のヴィラデルの攻撃が、もし本気・・であったなら、いくらこの時のハークの抜き打ちが『ステータス』を超えた剣閃だったとしても、良くて防ぎ切れたのみで終わっていたことだろう。悪ければ刀を砕かれていたかもしれない。

 だが、この時のヴィラデルの攻撃は、全くの虚像、威嚇の一撃だった。

 驚いて振り向いたハークの眼前で刃を止め、生意気な台詞を口にしたガキに身の程を教えようとしたのである。物騒な意地悪には違いないが、少年に攻撃を当てる意思は無かった。


 だからこそ、殺気の感じられない攻撃であったことにハークが気付くのは、振り終わった後のことだった。


―――ガッギイイイィィン!!


 盛大な火花の後に見えたのは、刀を斬り上げきった体勢で固まるハークと、自慢の大剣をカチ上げられて後ろによろめくヴィラデルの姿だった。

 周囲から嘆声が上がった。それは2人の様子を眺めていた見物人達のものだった。彼らの目には、ヴィラデルの奇襲を少年が見事に凌ぎきった姿として映っていた。それは紛れも無く、格下が格上を圧倒する姿に他ならなかった。


 だが、真実は違う。ハークは全く実の籠っていない、挑発の意味合いしか持たぬ攻撃に、本気の一撃を放ってしまったのだ。戯れに全身全霊で対抗する、それはハークにとって勝負に負けたようなものだった。見れば虎丸も、ハークの横で身構えつつもそれ以上は動こうとしていない。彼女の攻撃が虚のものであると途中で見抜いたのであろう。


「すまぬ」


 一言いうと、ヴィラデルに再び背を向け歩き出した。

 自分だけ真剣であったことに気恥ずかしさが込み上げてくる。前世含めて過去最高の抜き打ちを放ったことなど頭から消えていた。


『いいんスか?』


 後ろを気にしながらハークについてくる虎丸が念話を飛ばしてくる。


『良いも悪いもない。さっさと行くぞ』


『いや、…でも……』


『どうしたんだ。はっきり言え』


 いいからこっちはこの場からさっさと去りたいのだ。


『いえね、あの女はご主人の好きな女ッスよね? あのままでいいんスか?』


『ああ、そっちか』


 言われて、虎丸が何に逡巡していたかに気付く。そういえばこの身体の前の持ち主がそうだったな、と今更思い出した。


『大丈夫だ。そっち・・・も忘れたからな』


『あ、なーーーるほどッス。了解ッス!エヘヘ、待ってほしいッス、ご主人!』


 ぽん、と握り拳を掌に置く動作をしそうなほど納得すると、虎丸は何が楽しいのかとても嬉しそうに追い駆けてきた。




   ◇ ◇ ◇




 夕日に去る一人と一匹を、ずっと目で追う2つの人影があった。


「どう?」


 問われた方の人影は問うた方より若干背が高い。右手に宝石が中心部にはめ込まれた手帳大の書物を持っていた。それを開くと驚愕に目を見開いた。


「レベル……9、とあります」


「え、本当? 本当にレベル9? 法器の故障ではなくて?」


「故障ではありません。現にあの女冒険者はレベル33と出ていました。彼女がヴィラデルディーチェ=ヴィラル=トルファン=ヴェアトリクスであるならば、事前の情報と一致します。この都市の冒険者、3強の内の一人……」


「確かに、女冒険者の方はそれに見合った動きだったわ。でも、あのコの斬撃は…私には全く見えなかった…。気が付いたら、女冒険者の方の剣が大きく撥ね上げられていたもの。あなたはどう?」


「私にも見えませんでした。私には一瞬、あの女冒険者が斬られたようにすら見えました」


「あなたにそうまで見せるような攻撃だったのね…。でも、どういうことかしら? レベル一桁であの動きが出来るなんて、どう考えてもおかしいわ。聞いたこと無いけれど、レベルを偽れる法器でもあるのかしら?」


「もしくは何かのSKILLかもしれませんし、種族特有の特殊能力かもしれません。どうなさいますか? あの少年に協力を依頼するというのも一つの手かもしれません」


 今度は問われる側になった、背の小さな方の人影がうつむき、考え込む。そして、10秒ほどで顔を上げた。


「やはり当初の予定通りいきましょう。無用なリスクは出来る限り避けたほうがいいわ。少なくとも地力をつけるまでは、ね」


「そうですね。了解しました」


「さあ、戻りましょう。明日からは忙しくなるわ」


「はっ!」


 2つの人影は互いに頷き合い、徐々に空を包む宵闇の中、街を見守るかのように突き立った巨大な剣を目印に、中心部に向かって歩き出した。




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