08 第1話06:ソーディアン

 王国東の都ソーディアン。

 今は古都と呼ばれ、150年ほど前までは王都でもあったこの都市は、王国最古の都市であるばかりか、この辺りの周辺国を含めても最も古い都であると言われている。


 その創立は神話の時代にまで遡り、とある戦の神がこの地で悪神を討ち滅ぼし、この地一帯を浄化したと伝えられる地だった。

 遥か昔、と伝えられているので勿論証拠もないし、見たことがある人物などいる筈も無い。が、街の中心部には巨大な両手剣が大地に突き立てられたかのような建造物が今も残っており、この神話が真実を物語っていると信じる学説の根拠となっていた。

 この建造物は都の名の由来にもなっており、その巨大さ故に街のどこからでもその姿を拝むことが出来る。また、戦神信仰の総本山としても有名な観光名所となっていた。


 伝説ではこの巨剣がこの地に突き刺さったお蔭で人族が安全にこの地で生きることが可能になったとも言われており、その経緯と旧王都でもあった歴史から、引退した先代国王や王族の血に連なる者が今でも余生を過ごす領地としても機能しており、整備や時代に合わせた大規模な修繕等が次々行われ、王都レ・ルゾンモーデルにも引けを取らない程魅力的な都市と言われるほどだ。

 歴史を重ねた年輪の如く、都中には創業100年を超える老舗があちらこちらに点在している。専門店、食事処、酒場、喫茶店、宿屋は言うに及ばず、王国中で有名な大商店やギルド等の発祥地や本店が存在し、その意味でも訪れる人の数は多い。

 しかし、善きものだけがその歴史を紡いでいるわけでもない。時を重ねるごとに負の側面もまた増大するのだから。



 かつての御用聞き職人街を抜け、細い小川に架かる橋を渡ると、歴史深い街並みに埋もれるように幾つもの地下酒場への入り口が現れる。

 そこはかつての御用職人たちや彼らに発注をする貴族連中が、周辺とのイザコザや個人的なトラブルを金で解決する為に訪れる相談所として機能していた。そして裏で繋がる暴力や恐喝の専門家たる集団、組織に斡旋をしていた場でもあった。

 一時期の王都時代に比べれば大きく勢力は低下しているものの、未だそういった裏の稼業を継続している店も少なくなかった。


 バー・ロストワードもそういった類の地下酒場だった。表向きは庶民的な価格で美味い酒と食事を楽しめる名店と評判ではあるが、店の奥には暴力に慣れた油断ならぬ眼光の持ち主達が客の振りをして控えている。

 鈴付きのドアが開いて涼しげな音色を置き去りに、一人の人間が入ってくる。

 非常に大柄ではあったが、今酒場に入ってきたものが女性であると、入り口近くの客から店主、店奥の用心棒達まですぐに分かった。

 何故なら、女はその魅力的な、いや、暴力的なそのボディラインを殆ど覆っていなかった。

 胸はブレストプレート、下はわずかな布を巻きつけた程度であり、それぞれ谷間と太ももを露わにしていた。

 首から上も、やや野性的ではあったが極上であり、男性客の視線はほぼ全て彼女に集中した。だが、彼女が注目される理由はその美貌と魅惑的な恰好だけではなかった。

 それは、その黒さであった。

 日焼けも勿論しているであろうが、元々地黒なのだろう、手入れの行き届いた褐色の素肌が店の照明の光を照り返し、自ら黒い光を発しているかのようだ。それが腰まで伸びるブロンドの髪と素晴らしい対比となって、異性の注目を集めずにはおかない、そんな女だった。

 見惚れる者、その美しさを称賛するかのように口笛を吹く者と様々だったが、中には彼女とお近づきになろうと立ち上がって声をかけようとする者達もいる。

 しかし、素早く立ち上がった店奥の人間たちに阻まれている内に、褐色の女性は店主らしき初老の男性に一声かけ、奥の個室へと案内されていった。

 その為、彼女の両耳が異様に長く尖っていることを気に留める者はいなかった。



 個室に移動するなり、初老の男性が口を開いた。


「何か飲まれますか? それともお食事を?」


「そうね。強いものを一杯貰おうかしら。ああ、食事は結構よ。近くで食べて来たから」


 そうですか、と言い初老の男が控えていた店員に指示を出す。

 指示を受けた店員が出ていくと部屋は二人きりとなったが、どちらからも話すことはない。部屋の中央に置かれたシックな黒テーブルを挟んだソファへと男性が案内すると、褐色の女性から座るのを確認し、対面に自分も腰掛けた。

 丁度そこで注文を受けた店員が戻ってくる。片手に載せたトレイから流れるような動作でソーサーと、その上に琥珀色の液体の入ったグラスとを女性の前に置いていく。

 初老の男性の前には何も置かない。そして、そのまま部屋を後にした。

 褐色の女性はグラスを手に取ると、口を付けずにその飲み口に手の平をかざした。

 初老の男性には、その手の平のすぐ下に魔力が集まるのが視えるかのようだった。魔力が凝縮しきると、何もなかった空間に拳大より一回り小さな氷の塊が形成される。それは、そのまま琥珀の液体へと落下しグラスにぶつかって涼しげな音を発てた。


「相変わらず見事な魔力ですね」


「この程度は何でもないわ」


 男の賞賛を、謙遜するというよりも、さも当たり前というふうに女性は語り、手に持つグラスの中の氷をからんころんと回す。

 男性の組織に属する者達の中で、ここまで素早く魔法の効果を発揮できるものなどいない。最も秀でた者であっても倍の時間を要するに違いないが、実のところ、彼女は力の誇示などしたつもりはない。ただ単にこうやって飲むのが好きなだけだ。

 大体からして能力の誇示など必要ないのだ。鑑定法器を使わさせれば一目瞭然なのだから。

 褐色の女性がグラスを傾けて、琥珀色の液体を一口、口に含んでのどを潤すのを確認してから、男性が再び口を開く。


「敵対組織への返礼、お疲れ様でした。この前の鍛冶職人の交渉の謝礼と合わせて、宿の方へ運んでおきました」


 敵対組織への返礼、とは、最近力をつけてきたとある商会が、こちらの組織にちょっかいを出してきたその仕返しだ。

 以前にも手を出してきたことがあり、その際にも痛い目を見せてやったのだが、懲りずに今度は組織の倉庫を襲い、大量の食料品や酒を盗んでいった。見張りの者が昏倒させられており、その際に、敵対商会の従業員らしき服を着た者達に襲われたと証言していた。

 そして、鍛冶職人の交渉とは、交渉とは名ばかりな脅迫であった。

 元御用職人であるこの街の有力鍛冶師が、腕の良い同業者を金と暴力の力で次々に自らの傘下へと強制的に降らせているのだ。そうして目障りな同業者を一掃し、街の鍛冶部門を完全に牛耳ろうと画策していた。


「その様子だと、返礼の報告は聴いているようね」


「ええ、知らぬ存ぜぬの一点張りだったと」


「そうね。しょうがないから少し暴れさせてもらったわ。金目の物をいくつか運ばせたけど、あれで足りたかしら?」


「充分です。損失の補填としては些か過剰でしたので、そちらの分も回しておきました」


「あら、悪いわね」


「いえいえ、お気になさらず。あなたのお蔭でウチの今期の売上は上々ですから。これで、『四ツ首』の本部は売り上げでは全くの名ばかり、などと言う生意気な口も少しは減ることでしょう」


 王国中に根を張る巨大な裏組織『四ツ首』。その設立は王国の始まりと時をほぼ同じくし、それ故、当時の王都であったこの地に本部が設けられたのも必然であった。

 しかし、時の流れと共に人口も商売も政治の中心も現在の王都へと移り変わり、ここ数十年、売り上げは王都支部に次ぐばかりか3位に長らく甘んじていた。年に二度行われる国内各支部長が一堂に会する定期集会も、そろそろ王都の支部で行うのはどうか、という声も年々増えてきているのが現状だった。

 本部の最高責任者、すなわち本部支部長たるこの初老の男性にとって、それは看過できない問題だったのだ。

 特に、本部であるのだからこの都市に組織のボスが居てしかるべきであるのにもかかわらず、王都支部のほうに普段は居を構えているのも気に入らなかった。

 今期の売上は、このままいけば恐らくトップ。生意気な王都支部の連中の鼻を明かせられるというものだ。

 それだけに、目の前の女性は非常に貴重な人材である。実力もさることながら、何より頭が切れる。自分があれこれと指示しなくとも現場で必要なことを自ら選択してくれる。ゴロツキや盗賊上がりの男共ではこうはいかない。

 また、やり過ぎるということが無い。

 先程、少し暴れた、と言っていたが、あちらの幹部連中には手を出していない。腕に覚えのある若い連中を数名血祭りにあげただけで、心を折るだけにとどめている。

 力だけしか能の無い、あの馬鹿三人組とは比べるべくもない。彼らなら確実に皆殺しにしていただろうから。


「そう、それはよかったわ。あ、そうそう、鍛冶屋の方だけど……あれはもう、アタシに回して来ないでくれるかしら。あの爺、しつこくって下品なのよ」


「畏まりました。そのように手配します」


 支部長の男は逡巡もせず直ちに了解を示した。あの鍛冶師長は金払いも良い上客であるが、彼女の価値には及ばない。すぐに別の人間をあてがえば良い。

 それ程、男にとって彼女は必要であった。人間ではないことですら考慮の対象に上らない程に。


「それで?」


 グラスの中身をまた一口飲み乾すと褐色の女性はそれだけ尋ねた。これは次の仕事への催促であった。


「申し訳ありませんが、特に無いのですよ」


「あら、珍しい」


 本当に驚いて彼女は言った。次の仕事まで間が空くことはここ最近、彼女の有用性が認められてからは無いことであった。


「本当は例の鍛冶職人の方から再度のお願いを受けていたのですが、たった今断られてしまいましたからね」


「へえ、優遇してくれるのね。嬉しいわ」


 心にもないことを、と男性は苦笑しそうになる。彼女がそう簡単に謝意など覚えるタマではないことをよく知っているからだ。所詮はギブアンドテイクの醒めた関係だった。


 褐色の女性はまた一口グラスを傾けて咽を潤した。グラスの中で小さくなった氷が微かな音を発てる。


「それじゃあ、何か面白い情報はないかしら?」


「そうですね……龍王国と帝国との戦端がいよいよ開かれそうという話には、ご興味ないと思われますので、こんな話はどうですかね。1週間前、ここから東の村に住む木こりが、山中で巨大な影を見たと言っているそうです。姿までは確認できなかったそうですが、皮膜のある巨大な翼を見たとのことです。あと2、3日すればギルドでも調査が入ると思いますよ」


「東、ねえ…」


「ちなみに、目撃した木こり自身はドラゴンだ、ワイバーンだなどと騒いでいたそうですが……」


「そんな方角からドラゴンやワイバーンが来る筈ないわね。ジャイアントバットを見間違えたのがいいトコ、なんじゃないかしら?」


 苦笑しつつ支部長が頷く。その可能性が高いと認めたということだった。

 それきり、女性はその話題に興味を無くしてしまったらしく、グラスの中身の残りをぐいっと飲み乾した。それはこの会談の終わりを意味していた。

 立ち上がりかけた彼女を制するように支部長が口を開く。


「ああ、最後に一つお願いが…。もし、ダリュドたちとお会いしましたら、私のもとに出頭するよう伝えてください」


「何? あのバカ共、仕事サボっているの?」


「ええ、そのバカ共です。3日前に、ヤボ用がある、とか言ってから行方が知れません。戻ってきたらイの一番にあなたに会いに行くでしょうから、その時はお願いしますよ」


 褐色女性の顔が嫌そうに歪められた。ダリュド達3バカが下心をもって彼女に引っ付いていたのは周知の事実であった。

 溜息を吐きそうになりながらも、今度こそ女性は立ち上がった。


「わかったわ。約束はできないけどね。それと、新しい仕事が入ったら、いつものように宿屋に使いをお願いね」


 早くも出て行こうとする女性の背に、座ったまま、わかりました、と答えた支配人がさらに言葉を続ける。


「あっと、そういえばあの少年、戻ってきているようですよ。先程、見張りから報告がありました」


「少年?」


 肩口に振り向いた女性に向かって、支部長の口からその少年の名が紡がれた。




   ◇ ◇ ◇




 古都ソーディアンの中心部に続く大通りを一人と一匹が連れ立って歩いていた。

 一人は少年で、可愛らしさと美しさを両方兼ね備えた危うい美を放っていた。横に長く伸びた耳がヒトではないことを示していたが、その美貌を邪魔するものではない。

 一方の一匹は巨大な魔獣で、威風堂々、覇は辺りを払わんばかりといった様子だ。フォレストタイガーに似ているが毛皮の色が違う。

 神々しささえ漂う白い毛皮を持つその魔獣を、見る人が見れば精霊獣と呼ばれる伝説にも近しい種であると見抜いたであろうが、この往来の中にそんな人物はいなかった。

 とはいえ、そんな絵になる一人と一匹が人通りの多いメインストリートを歩いていれば、嫌でも衆目が集まるに決まっている。

 そんな中を、彼らは黙々と静かに歩いていたが、実際は頭の中で、やかましい程に『念話』のやり取りを繰り返していた。



『ふうむ、しかし、信じられん。あの門番が儂よりも強いとはな…』


『ご主人はあの痩せっぽっちを倒してたッスから、戦ったら勝てないワケじゃないと思うッス! でも、単純な力比べとか、足の速さとかを比べたら絶対勝てないッスよ』


『ふむ…、その、お主のいう『すていたす』というヤツか。面妖な。だが、面白い』


 何とか三人組の刺客を退けてから後、二とき(4時間)も経たぬうちに少年達は最寄の都市ソーディアンに到達していた。


 あの森の中で少年は、周囲に全く人の手が入った形跡がないことから、あの場が人里から大分離れた場所であると、当初は予想していた。その予想はある意味正解であり、普通であれば1日半かかる道程であった。

 普通でなかったのは虎丸だった。進化して白虎の姿となった虎丸の踏破力は凄まじいばかりで、地を疾る速度は風すらも超え、木々の枝を次々跳び渡っていく様は飛行していると、その背に跨る少年に勘違いさせるほどであった。

 その道中、虎丸の背で彼は様々なことを教わった。

 その一つが今現在交信しあっている『念話』であった。


 『念話』の価値に気が付いたのは少年の方だった。

 実は『念話』のSKILL自体は、白虎の姿になる前のずっと以前から取得していたものであった。

 それは主人と言葉を交わしたいという純粋な想いからだったが、残念なことに当時の虎丸には意味ある言葉を紡ぐだけの脳力がなかったのである。それが今回の進化で劇的に向上し、人間と同じように物を考える力を獲得したことで晴れて会話が可能となった訳だ。

 虎丸の『念話』に対し、少年は普通に口で喋れば会話は出来る筈であるが、少年も念話で喋ることが出来れば、目の前に敵がいる状況であっても意思の疎通が可能になる。

 そう言って少年は虎丸に教えを請うたのだが、結果として僅かな時間で習得することが出来た。

 念話が行われる際、虎丸と少年の間には細い線のようなものが形成されていた感覚があった。それを少年の方からも伸ばしていって、それを虎丸が捕まえてくれれば念話ができた。しかし、逆に虎丸が伸ばした念話の糸を少年が捕まえることは出来なかった。

 これはつまり、虎丸が常にアンテナを張っている状態で、そこに少年がコンタクトを取っていることになる。逆に少年がアンテナを張ることは出来ず、今のところ少年は虎丸としか念話出来ない。

 念話習得の際、覚えの早さを虎丸は才能があると誉めたが、少年がその言葉を疑っているのはこうしたワケだった。


 それ以降、念話で様々なことを教わった。この世界のこと、簡単な地理歴史、そしてステータスとレベル。

 特にこの世界に来て特有の2点については理解の範疇外であり、納得いくものでもないが、つい先程、武術の心得すら全く見られぬ人間から人外の身体能力を振るわれ、我が身を痛めて体験したばかりである。信じる他なかった。


 その2点の内容を掻い摘んで語ればつまり、本人が努力することにより伸ばすことが可能なのが『ステータス』で、敵を倒すことにより得られる経験値なるもので上昇するのが『レベル』ということらしい。この二つは老化や、時間の無為な浪費、つまりはサボりなどで減少することは無く、つまり強くなろうと努力すればするほど、戦えば戦う程、強くなれることを示していた。

 何て世界に渡ってきてしまったのだと頭では思う一方、心はうきうきと湧き立ってしまう。それはつまり集団に優る個となる可能性を彼に示していた。


 前世では、日ノ本一の兵と称されていても、二言目には、とはいえ所詮は数には敵わぬ、と続くのが定番であった。その言を否定するために幾度も馬鹿をやらかしたが、ついに否定しきることなく生を終えた。

 10や20は楽に斬ってみせよう、しかしながら、それではいくさの大勢に影響などないのである。

 全盛期には50や100に囲まれたとしても生き残る自信があった。

 しかし、それではいくさに勝利をもたらせることは出来ないのだ。

 関ヶ原がそうであったように。


 それがこの世界では『ステータス』と『レベル』により、思い描いた一騎当千たる理想像に到達することが可能なのかもしれないのだ。彼の心が沸き立つのは当然と言えた。


 ちなみに虎丸によると『ステータス』を努力で上げるよりも、『レベル』を上げるほうが効率は良いらしい。『ステータス』は『レベル』を上げた分だけ加算されるためだ。


『レベルが5以上差があると、よほど相性が良くない限り勝てない、ってのがジョーシキッス。10差があると逃げるのも不可能かもって感じッスね。ご主人の今のレベルが9なので、さっきの門番のレベル13に比べると、普通に考えれば無謀ってトコッス』


 今、虎丸と少年が語り合っているのは、先程彼らが通過してきた北の門を守る衛士のことである。

 北にあるのは森と山だけであるため、普段はほとんど通行人のいない北門を守るのはたった一人の衛兵のみであり、そこを通過するにはお金が必要だと知った少年が、気付かれぬよう背後から急襲して昏倒させてしまおうと提案しだしたのだ。

 それを聞いた途端、虎丸は慌てて金ならある、と荷物を改めて確認するように言い出したのである。

 少年には手荷物はなく、あるのはせいぜい虎丸の胴体に括り付けられた鞄のみである。

 中には先程読んだ少年の遺書代わりである手紙が一通と、えらく年代物の頭陀袋のみだ。金に相当するものがもし入っているのだとしたら頭陀袋だろうが、彼は一度この鞄を開けた際に、頭陀袋に触って中に何かが入っている形跡がないことを確認していた。

 だが、虎丸の主張によるとその中にこそ金が入っているらしい。

 訝しみながらも開けてみると、その頭陀袋の中身は、その外見の何倍もの容量が内包されており、確かに虎丸の言う通りに銅貨に銀貨、金貨までが確かに入っていた。他にも様々な雑貨や薬品、食料品の類や外套まで内に含んでいる。

 魔法という技術らしい。不思議な技術だが、その時はそれより大切なことがあった。

 銅貨を数枚渡して事なきを得て、―――しかも、虎丸に関して何かを言われることもなく―――無事、都市に入ることが出来たのだが、その時の門番は彼の目から見て、明らかに只の怠惰な役人然としていて、決して強者の雰囲気を漂わせたような男ではなかった。


『ううむ、やはりそうなると、儂では相手の強さを測ることは無理ということか……』


『そうなるッスね。まあ、それはオイラに任せて欲しいッス。その為に『鑑定』のSKILLを習得したんスから。オイラが相手のレベルを『鑑定』して、ご主人に念話で伝えればバッチリッスよね!』


 前世では歩き方、刀の手入れ具合、重心の位置、構え、握り方など様々な要素で相手の実力を測ることが出来た。今日の柔道家が道着の着方、帯の締め方で相手の実力を探るのと同じようなものである。

 特に彼は前世でそういうのが得意だった。重心の置き方を見ただけで相手の得意武器を見抜いたこともある。しかし、この世界では、『レベル』と『ステータス』なるものが判らなければ相手の実力は判然としないのだ。

 己の実力を高めるために実戦は何よりの良薬だが、何の勝算もないまま挑むのは無謀の極みというヤツだ。その手段があるのなら、迷わず活用して然るべしなのである。


『確かにそうだな。しかし、『すきる』…か。それも覚えねばならんな…。お前には面倒をかけてすまない』


『いえいえ! 気にしないで欲しいッス! それにしてもご主人、ホントに色々忘れちゃったんスね』


 虎丸は、自らの主人たる少年が多くの知識を無くし、言動なども大きく変化したことを、殆ど気にしていなかった。

 自らの寿命が尽きる寸前に異なる世界から魂だか意識だかをこの少年の中に移してもらった、などと言えるわけなどない。それこそ狂人の戯言であろう。ならばどう説明したらいいかと内心焦っていたにもかかわらず、やや拍子抜けだが、虎丸はこの主人の変化を、高所から落ちて頭を打ったせいだと勝手に思い込んでいるのである。

 特に人格が変貌したことについてはむしろ好意的に受け止めている節があった。以前のご主人は優しいけど見ていて危なっかしくて、正直、心配が尽きなかったッス! とは、虎丸の言である。



 そんな話を続けながら、少年たちは何時しか大通りを外れ、軒先に展示用の武器が立ち並ぶ、武器職人店街へと足を踏み入れていた。

 そろそろ日も傾き始めていた上に、もともと人通りの多い場所ではない。

 行き交う通行人も無く、人影もまばらとなった頃だった。


「ハーク」


 後ろから人を呼ぶ声がする。女の声だった。


「ちょっと、ハーク!」


 今度はより近くから、先程より大声だ。うるさいな、と思いつつ歩みを続ける。


「無視しないでこちらを向きなさい、ハーク!」


 ほとんど真後ろから声をかけられて、彼は立ち止った。

 周囲に人影はいなくなっていた。ということは自分を呼んでいるのだ。

 この身体の名を思い出したのは、後ろを振り返ったその後だった。


〈ああ、そういえばこの少年の名はハーキュリース=ヴァン=……何ちゃらだったな。ハーキュリースが、ハーク…か。そうか。そういう略し方があるのだな…〉


 漸く呼ばれた名が自らを指すものだと悟った。呼んだのは大柄な女で、こちらを威圧するように見下ろしている。


「アタシを無視するなんて、生意気な真似をしてくれるわね」


 話す、というより、威嚇だ、と少年は思った。横にいた虎丸が警戒のために前に出ようとするのも無理からぬものだった。

 ぽんぽん、と叩いて虎丸を止める。


「考え事をしていたんだ」


 まさか自分の略称だとは知らなかった、などと答えられる筈も無い。

 いい関係ではなさそうだが、どうもこの女と自分、いや、前の自分とは知り合いらしい。だとしたら、下手に訝しがられるような言動は避けるべきだ。

 誤魔化し切れたか、それとも興味を無くしたか、大柄な女は吐き捨てるように言う。


「相変わらず腑抜た子ね。まあいいわ。ところで、アンタんとこにデブとハゲとチビの三人組が来てないかしら?ほら、よくアタシの後ろを金魚のフンみたいについて来てたヤツらよ」


 その言葉でピン、ときた。

 この女がヴィラデルディーチェ。

 ヴィラデルディーチェ=ヴィラル=トルファン=ヴェアトリクス。

 この身体の元々の持ち主であった少年の想い人であり、そして、刺客を放って彼を自殺に追い込ませた女であった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る