10 幕間① ハークの手記


 儂の名はハーキュリース=ヴァン=アルトリーリア=クルーガー、らしい。

 他にも沢山名を持っていた気がするが、もう忘れた。


 らしい、というのは儂自身がこの名を知ったのがごく最近であるからだ。長いのでハークと縮めるらしい。正直この名にまだ慣れぬ。


 慣れぬといえば、己の容姿にもだ。年端もいかぬ子供とはいえ、若く健康な身体はありがたいが、女子と見紛うばかりの容姿では、姿見の鏡や窓に嵌められたビイドロ(ガラスのこと)に映りし己が、まさしく自身の姿であるとも認識し難い。

 まあ、どちらも追々慣れていくしかあるまい。



 それにしてもこの巷は豊かなものだ。

 前世では大名の屋敷でも滅多にお目にかかれなかったビイドロが、庶民の家にも普通に使われているのにも驚いたが、その家自体も石造り乃至煉瓦造りなのにはもっと驚いた。

 恐らく火事予防なのであろう。江戸や大坂を数多く悩ませた大火事もこれならば起こるまい。

 通りは石畳が敷かれており、その石で模様まで描く有様だ。前世では、冬場によく大きな街で砂塵が舞っていたが、これならばその心配も少ないだろう。


 メシも美味い。あのパンとかいうものだけは、表面は堅いくせに中身はスカスカで、食ったんだか食ってないんだかイマイチわからんものであったが、それ以外はどれもなかなかイケる。特に、夕食ゆうげで食した野菜やら獣の肉やらを煮込んだ赤い汁は絶品だった。


 肉は贅沢品だ。

 薩摩ではまま(米)ほど食うというが、肉を常時食えるというのは強兵を育てる条件だという。見れば、この国の人間は体のデカい者が多い。ヴィラデルという女は特別デカいとは思ったが、あそこまではいかなくとも六尺(180センチ)に届きそうな女もちらほらいた。

 肉というのは猟師が獣を狩ってきてくれねば食せない。これほど多くの人間が肉を日常的に食えるということは、農業に従事しなくともよい狩人の数を相当数揃えておるに違いない。


 これは本当に、国力によほどの余裕があるのだろう。何より驚きなのは、道行く人々がこれらを見ても別段珍しそうにしていないことだ。それはつまり、この光景がこの国中ではありふれたものであることを示していると言える。


 服装や現地産の武具を見た際には、文化形態は異なるが水準としては前世とほぼ同じかやや劣るのではないか、とも思ったのだが、これは劣るなどとは冗談ではない、大きく先を往かれていた。


 その最大の要因の一つが、虎丸の話通りであるのならば、『魔法』という技術の恩恵である。

 始めに話を聞いた時、儂は妖術や陰陽術の類を思い出した。

 それらは大体が目の錯覚を利用した手品であり、あとはそれが出来たとしてそれが果して何の役に立つのか、という首を傾げるようなものばかりだった。

 しかし、『魔法』はそういった見せかけだけのものとはまるで違う。確かにこの世界に存在し、揺るぎ無い一つの技術となっているのだ。

 例えば、儂が身体を受け継ぐことになったこの少年の持ち物に『魔法の袋』マジックバッグというものがある。今も勿論使わせてもらっているが、昨夜、宿を取ってから中身を一度、全部部屋に出してみて驚いた。恐らく二週間は楽に旅ができる程の物量だったのだ。これを前世で持ち歩こうとしたら、馬の一頭でも借りねばならぬ。それが、古びた年代物の頭陀袋に全て収まり、重さも、何もいれていない時と寸分変わりないのである。


 この世界では物を運ぶのに力が要らないのかもしれない。これは大きく意味のあることであろう。荷運びの人足や馬車の御者などに人手を割く必要が無いのだから。


 虎丸の話では何もないところから水や氷を生み出す魔法を使うことのできる者もいるらしい。また、作物の成長を魔法で促進するなどということもでき、実際に農業に利用しているところも少なくないとのことだ。

 儂、というかこの身体の元々の持ち主の故郷でも行われているらしい。まさに『魔法』とは神秘の力であるようだ。


 また、『魔法』は、炎の塊を作り出して投げつけたり、氷柱を作り出して撃ち放ったり、突風を発生させて吹き飛ばしたり、雷を浴びせたり、と攻撃、いわば軍事にも転用できる。


 強力な『魔法』使いになると炎の塊の攻撃で敵を一撃のもとに葬れる威力を出せる者も少なくないとのことだ。であるならば、前世での種子島(火縄銃のこと)に相当するとも言えるのではないだろうか。しかも、弾と火薬の要らない種子島だ。


 そういえば街の鍛冶屋街で弓を扱っているような店は見当たらなかったように思う。もしかしたら、別の場所で生産、販売されているのかもしれんが、下手をすると武器として廃れてしまっているのかもしれない。


 ご主人だって、魔法使えた筈ッスよ、とは虎丸の言葉である。

 虎丸の中では、儂はそういうものを全部忘れた存在となっているらしい。この子は頭は良いくせに深く考えない性質なのか、それともひどく楽天的なのかはわからんがそれでもう納得してしまったようで追及というものをしてこない。

 正直、このことについては追及されたとしても上手く説明できる自信が全く無いので、虎丸の野放図さはある意味有り難いものなのだが。



 この虎丸も不可思議な存在だ。

 人の言葉を理解するどころか、念で会話すら可能な虎など聞いたことも無い。そもそもこんなデカい虎がいるワケが無い。

 おまけに森の中で脱皮のような真似をして『進化』をした。

 虎丸は自分の種族を魔獣種と語ったが、その魔獣種の生態なのかと問うと、その通りらしい。

 長く生き、尚且つ一定の『レベル』まで達することが条件だと語っていた。歳経た猫は尻尾が二股になり化け猫になるというが、虎の場合は白虎になるのであろうか。

 ひょっとしたら阿修羅殿が語っていた魑魅魍魎とは魔獣種のことなのであろうか。虎丸からは邪悪な気配は全くしないが、同じような存在で性邪悪なものがいればそれはとても厄介な代物に違いない。

 因みに、森の中で虎丸が脱皮した際に残った全身毛皮は、これまた不思議なことに破れた筈の背中部分も綺麗に修復されていたため、虎丸の腰に巻きつける形で運んできた。捨て置くには忍びなくて持ってきたものの、虎丸が、出来れば売らないで欲しいッス!、と訴えるので、金に困らぬ限りは売らぬと決めた。とはいえ、デカすぎて用途に困る。とりあえず、『魔法の袋』マジックバッグに放り込んでおいた。



 話を『魔法』に戻そう。

 実は、今の儂にも魔法が使えた。

 『回復』ヒール。身体の怪我を癒す魔法らしい。

 念話習得の時に掴んだ身体から細い糸を伸ばすような感覚。それを今度は太い糸にして手の平の前に集めればいいということだった。

 丁度、左肩を負傷していたので、包帯を解いてやってみた。

 患部に手の平から発した太い糸のようなものを当てて、文言を唱えるらしい。左肩が暖かく、痛みが幾分引くような感じがあった。行けるような気がした。

 虎丸の指示するままに、『回復』ヒール、と唱えてみた。

 成功だった。傷はみるみる塞がっていった。

 完治まではしなかったが、もはや痛みは無い。無理さえしなければ傷が開くことはもう無いであろう。


 しかし、直後に強烈な眩暈に襲われた。

 『魔法』を使うと体内の『魔力』を消費するということだが、その魔力を消費しすぎるとそうなるらしい。

 これでは戦闘中に大怪我を負ったとしても、おいそれとは使えないなと思う。集中力を持っていかれるような気がするのだ。

 実戦の最中に集中を欠くのは致命的だろう。


 この『魔力』も『ステータス』の中身らしい。虎丸は『えむぴい』と人間は言ってるッス、とか言っていた。

 だから、高い『レベル』の持ち主は眩暈を起こすことなく魔法を連発できるらしい。『えむぴい』の総量が増えているからだ。

 虎丸が、『レベル』が5離れれば勝てるとは思わない方がいいと言っていた理由がわかった気がした。確かに『レベル』が高ければ高い方が有利過ぎる。

 例えばこの『回復』ヒールを眩暈なしに幾度も使えるような敵が相手だとする。そいつは何度致命傷を与えたとしても、その度に傷を戦闘中に塞いで立ち向かってくるであろう。勝負をつけるには一撃で相手の命を奪う力が必要になってくる。



 儂の『レベル』は虎丸によるとまだ九。

 一般人のレベルらしい。衛士などある程度の強さが求められる職業の人間でレベル十台半ば、冒険者や騎士など戦いを生業とするもので十台後半から二十。一部の強者は三十とかもいるらしい。つい先日戦った大男もレベル三十前半だったそうだ。


 それぐらい離れると攻撃など一切効かない筈、ということだったが、森での戦闘だけでいえば前半はともかく後半は皮一枚でも傷つけることが出来ていた。


 そう考えると前世で培った刀技も十全に役に立ったということだろう。勿論、前世から持ち込んだ剛刀圧重が故、でもあるに違いないが、最後の大男の片腕を貫けたのは紛れも無く長き鍛錬の成果がもたらしてくれたものだった。


 とはいえ、『レベル』は上げねばならぬだろう。

 まだまだこの世界では儂は弱い。

 刀の理合たる頂点を極める、というのも大事だがまずは最強を目指さねばならぬ。


 『レベル上げ』をする、ということに虎丸も大いに賛成のようだったし、傷が完全に治ったら本格的に動こうと思う。その前に虎丸と相談して効率のいい方法を模索せんとなるまい。何事も要領よくやらねばいかん。


 さて、夜も既に深けた。まだまだ儂が覚えねばならぬことは山ほどあろうが、あまり詰め込み過ぎてもいかん。

 そろそろ寝るとしよう。

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