06 第1話04:サヴァイブ②


「逃げるぞ、虎丸!」


「ガウッ!!」


 一人と一匹の主従の行動は早かった。来た道を戻る方向に全力で駆け出したのだ。

 後方から虎丸がたちまち主人に追いつくと首を僅かに傾けた。

 乗れ、という指示だ。

 彼は走りながら並走する馬に乗った経験はあったが、全力疾走しながら横を走る猫科の猛獣に跨った経験は勿論無い。

 それでも実行しなければならない。大男の剣を全力回避していたせいで、少年の体力は尽きる寸前だった。逃げるくらいの体力は残しておいたと思っていたが、早くも足が縺れ始めている。

 意を決して、その背に飛び乗る。僅かに跳躍が足らず、しがみつく格好となったが、虎丸の首元から肩にまで続く鬣に指を絡ませることで落下は免れた。

 その背に少年の体重を感じた虎丸は一気に速度を上げ、風のような疾走を開始する。


〈まるで松風のようだ〉


 疾風と化した虎丸に振り落とされまいとしがみつく彼はそう思った。

 後方を確認すると、小さくなった巨漢の大男が何事か叫んでいるように見えるが松籟しょうらいのような風切音で全く聞こえない。それだけの距離が開いていた。


 怒涛の勢いで目の前から逃走した少年と虎を、追い駆けるべく巨漢と痩躯が追走を開始したのは、首から上を失って盛大に血を噴き出す小男の身体が地に倒れるのと同時だった。




   ◇ ◇ ◇




 逃げ切った、と思える頃には鬣にしがみつく両の手は既に限界だった。安堵感と共に増々力が抜けて、ずり落ちそうになっていく。

 それに気付いてくれたのか、虎丸が速度を緩めて急停止にならぬように止まった直後、少年がどさりと地面に落ちた。


「ありがとう、虎丸。助かった」


 息も絶え絶えで、指一本動かすのも億劫なほど疲れてしまっていたが、これだけは伝えたかった。

 実際、自分一人では確実に殺されていた。攻撃も通じず、防戦一方で追い込まれる中、敵を何とか一人葬ってくれたのは虎丸だった。一応は作戦通りであったが、一人片付けるのに代償を払い過ぎた。体力は尽き、左肩を割られた。あのまま戦闘を続けていても自分は戦力外だった。


 幾分息が整ってきたので左肩の様子を見ると、思ったほどひどいものではなかった。

 かすり傷、とは口が裂けても言えないが、幸い、骨身には達していない。出血も大分治まっている。

 当然の如く上着の袖口が斬られていたが、これは奇妙なことに半ば以上まで裂かれていた。ここまで刃を受けているならば、肩口の傷も絶対に骨まで達している筈だろうが、余程幸運に助けられたのだろう。


 もはや肩を覆う機能を果たしていない上着の袖を引き千切り、傷を覆うようにして巻く。

 その様子を心配そうに眺めていた虎丸に告げた。


「心配いらん。それより、いくさの続きだな」


 一心不乱に逃げたため、痕跡を消すなどという面倒を行える筈も無い。確実に奴らの追撃を受けるであろうし、既にこちらに向かってきているのがわかる。

 再戦までそう時間も無い。

 正直、どう戦えばいいか、答えが出ない。

 前世で子の命を奪われた怒りから鬼と化した男と戦ったことはある。何度その身を斬り裂かれても倒れることなく、全身の血という血をすべて失って漸く倒れ伏したが、刀剣が全く効かぬ敵とは戦ったことが無かった。


〈面白いな。このちまたは〉


 いくら全盛期からは程遠いとはいえ、自分の斬撃を我が身一つでしのぐ相手など想像だにしなかった。

 だがそれが何だ。未知なる戦法、闘法などと実戦で初めて出会うことなど当たり前のことだ。

 自分の知識が世界の全てなのではないということなど承知の上だ。

 そんなことよりむしろ、まだまだ自分の知らぬことがあるものだと嬉しくなってきてしまう。まだまだ強くなることが出来るのだと確信できるのが楽しくなってしまう。

 我知らず、彼は笑っていた。こんな絶対的不利な状況の中で。


 何時の間にか失った体力が戻ってきていた。痺れたように力が入らなかった全身にも力が漲っている。

 気のせいか、先程の戦闘前よりも身体の調子がいい気がする。いい作戦も浮かんできた。

 確かに先刻彼は逃げた。しかしそれは失った体力を回復させるため、体勢を整えるための逃走だった。勝負を諦めて逃げたわけではない。


〈まだまだこれからよ。早く来い〉


 追撃者がやってくる、今しがた虎丸の背に乗って駆けてきた方角を睨む。


 状況はそれほど好転してなどいない。が、それが何だというのだ。有利不利など時の運。ここで戦況を覆せず一敗地に汚れたとしても己が死ぬだけではないか。どんなに希望に満ち溢れていても、敗れれば死ぬ。そんなことは剣を握り、刀争の世界に生きること決意した時から覚悟している。たとえ生まれ変わったとしてもそれは変わらぬものだった。その中で生を見い出すことこそ武士の、そして剣士の誉れであると彼は思っていた。


 不思議なことに、己の内からあとからあとから力が溢れてきて、闘志を体中に漲らせた彼を、まるで祝福するかのように、赤、青、黄、緑の様々な色をした光の粒子のようなものが舞い囲んでいたのだが、それには気付かなかった。

 それに気付いたのは、主の様子をじっと眺めていた虎丸だけだ。


 虎丸は頭が良い。人の言葉を理解するばかりか、人の心も理解できる。

 だが、虎丸自身の心の在り様は人のそれとは大きく違う。

 それでも、虎丸のこの時の心境を人間と同じように表現するなら、こう思っていた。


(主がレベルアップした)


 と。




   ◇ ◇ ◇




 大男と痩身の二人組は、一目散に逃走した一人と一匹を確実に追い詰めていると思っていた。

 あの大虎は自分たちよりも移動スピードは速いかもしれないが、逃げる方向が街へと向かう道と全く逆だ。まんまと逃げられたときは焦ったが、いつかは森の奥へと追い詰めることが出来ると楽観的に考えていた。

 一人失ったが、戦力に関してはまだまだこちらが上。

 フォレストタイガーは確かに強いが、鑑定法器を使用した結果、レベルは大男のものとほとんど変わらなかった。痩せぎすの男では勝ち目は薄いが対抗できないという程でもない。その痩せぎすとほぼ同じレベルだった小男が一撃でやられたのは、何らかの暗殺系SKILLだろう。視認する前であれば厄介だが、もはやそれは通じない。もしまた邪魔してくるのならば大男が戦う隙に少年を殺せばいい。少年のレベルは低い。自分たちにダメージを与えられる筈のないほどに。そう思っていた。


 この考えは大筋で正解であったが、小男が一撃で倒されたことについては間違いだった。

 実はエルフの少年の攻撃は地味にHPを奪っていたのである。

 彼らの常識からすればフォレストタイガーが一撃で小男を葬ったことより、少年のレベルでダメージが通っていたことのほうが予想外であった。そしてこれは大きな誤算といえた。


 先頭を走るのは槍持ちの痩身だった。

 レベルも上な大男の方がステータスで勝り、当然走るスピードも上な筈だが、坂になった山道を登っている関係で、突き出した腹が邪魔になり大きく先行を許していた。

 また、仲間を殺された怒りで猛っていたせいでもあろう、警戒がお座成りだった。


 そこを正確に突かれた。

 少年が前方の坂の上からものすごい速度で落ちてきたのである。

 投げたのは虎丸だった。

 少年の後ろ襟首をんで、追い縋る刺客目がけて放り投げたのだ。


 眼にもとまらぬ速度でカッ飛んできた少年の狙いは痩身の男、その左目。


 構えから、少年はこの痩せぎすの男が右利きであると見抜いていた。そして、多くの場合、利き腕と利き目は同方向である。利き目ならば避けられる可能性も万に一つある。

 だから左目を狙った。不可避の突撃だったその全体重を一点に載せた突きは、まさに乾坤一擲の一撃となり、左目を貫いた。


 さんざん弾かれた刀が今日初めて真面に通じた。その事実に安堵すること無く、少年は追撃を緩めない。


「ぬああっ!!」


 裂帛の気合いと共に柄の先端、柄頭に膝蹴りを叩き込む。それで左目を貫いた刃が脳にまで達した。

 痩身の男は物言わず倒れた。即死だった。


「何いっ!?」


 驚愕に大男が足を止めなければ、その後の状況は違っていたかもしれない。全身全霊、捨て身とも言える一撃で先頭の男を葬った少年は、即死した男と共にもんどりうって倒れたのだから。

 だが、勝負にもし、は無い。そこに風を撒いて虎丸が突っ込んできたのだ。

 隙だらけの少年を庇う様に襲い掛かる。爪の一撃を幅広の直剣でかろうじて受け止めたが、押されるような形で少年から距離を取らされた。坂の上部から圧し掛かられるように攻撃を受けたのもいけない。もはや、少年への攻撃は不可能だった。


 大男は歯噛みし、舌打ちした。

 子分二人を打ち取られたのもそうだが、フォレストタイガーと戦うのは全くの無駄だった。刺客たち3人の目的はエルフの少年だった。少年さえ殺せばいい楽な仕事の筈だった。

 それが何の因果か、なんでこんな手強いフォレストタイガーと戦わなければならないのか。

 冗談じゃない!と思い、逃げ腰になったのがいけなかった。

 左膝に噛み付かれたのである。


「ぐわあ!!」


 絶叫しながら、噛みつく大虎の首元目がけ直剣を振り降ろしたことでフォレストタイガーが飛び退き、お蔭で膝頭を砕かれることは免れたが、また余計なダメージを負った。

 これも全てエルフのガキのせいだと憎々しげに睨むが、逆に大男の背中に戦慄が走った。

 一見、精も根も尽きて片膝をついたままの少年もまたこちらを睨んでいたのだ。

 真ん丸の、その眼はぎらぎらと光るようで、大男には眩しかった。

 人殺し、いや、人喰いの目だと思った。

 要はびびったのである。

 人を殺した数、獣や魔物を殺した数はそれこそ星の数程ある大男であったが、全て自分より弱いものだった。安全マージンがとれた狩りだったのである。しかし、それを言うなら殆どの人間、殆どの強者がそうであった。この世界は『そういうもの』なのだから。


 そもそも、今回も楽な狩りの筈だったのだ。フォレストタイガーは強力な魔獣で、王国東の都ソーディアンでは三強に入る自分と同程度のレベルだった。だが、その主であるエルフのガキは一般人のレベル。実力者とは言えないかもしれないが子分二人とのレベル差ですら歴然。

 比べるべくもない過剰戦力だったはずなのだ。

 それが二度の奇襲で二人揃って打ち倒され戦力差は逆転。

 なんて使えない屑共だ。俺はなんて不運で不幸なのだ。そう思った。

 逃げるしかない。何とか生き延びて街に戻れればいい。街に戻れさえすれば、今回の何倍もの人数を集めるなり、フォレストタイガーからガキが離れた瞬間を狙って暗殺するなり方法はいくらでもある。


 大男は兎にも角にも生き残ろうと必死の抵抗を見せるも、焦燥感と死への恐怖心に囚われている上に逃げ腰では攻撃など当たろう筈がない。

 おまけに、大男は知らぬことであったが、フォレストタイガーは人間種に比べステータスの平均が高かった。

 そもそも魔獣と人間種では魔獣の方がステータスが高い、人間種は武器を持つことで漸く魔獣と対等、もしくはそれ以上になれるのだが、その中でもフォレストタイガーの魔獣としての格はかなり高く、それはつまり高い能力に加え、特殊能力も備えているということだった。これを考慮すれば、虎丸との戦力差は、実は大男が思う程拮抗していなかったのである。

 例えば、大男の剣が掠めた程度では虎丸が傷つくことはない。

 これは大型の四足型魔獣種の一部が持つ特殊能力『魔獣の剛毛皮』ワイルドペレイジの効果である。全身の毛が強靭になり、生半可な斬撃を弾いてしまうのだ。

 さらに、フォレストタイガーのみが持つ特殊能力『森林の悪魔』フォレストランペイジで、森林の戦闘時は機動力が向上しており、この二つの特殊能力の効果によって、攻撃力はともかく、虎丸は防御力とスピードに於いて非常に優位に立っていたのである。


 虎丸はそれをよくわかっていた。

 先程から虎丸は、大男と常に一定距離を保ちながら、その周囲に円を描くように走り回り攻撃を繰り返している。

 スピードで負けている大男では虎丸の動きを捉え切れず、まぐれ当たりした程度では斬撃も剛毛を貫けぬままと、ほぼ無傷の虎丸に対し、巨漢はその本能に助けられた攻撃の前に、次々と傷を増やしていた。

 無数の爪痕を躰中に受けつつも見た目ほど大男はダメージを受けてはいなかったが、彼の剣撃は追い詰められていく焦りのせいか、どんどん精彩を欠いていく。


「畜生!!」


 悪態をつきながら、間合を離すべく振り払うように直剣を薙ぐ大男。

 苦し紛れの攻撃になど当たることなく、不用意な攻撃で体が流れた隙を見逃さず、虎丸が右腕に噛み付いた。


「ぎっ!」


 噛まれたのは剣を握る方の腕だったため、左手で拳を繰り出す。

 悲鳴を上げつつも、反撃が出来るのは流石と言えた。ゴチン、という音と共に左拳が大虎の顎にめり込み牙が離れた。


(畜生! 畜生!!)


 心の内でもう一度毒づく。そして、彼自らが元凶と思いこむ人物へともう一度視線を巡らせた。

 貴様のせいだ、と、視線で人を害せるなら殺したいほど少年を睨むために。


 が、その視界に映ったのは絶望の光景だった。

 依然として片膝をついた姿勢のまま動けなかった少年の周りを、色鮮やかな小さな光の粒が踊っていたのである。


(レベルが上がりやがったか!?)


 信じられない気持ちだった。少年のレベルアップに、ではない。

 少年のレベルアップは当然のことだった。奴は配下の男を殺しているのだ。少年と槍持ちの男とのレベル差は相当なものだったから、たった一人とはいえレベルが上がらないとは思えない。信じられなかったのは、それ・・が既に定着するほどに、時間が経過していることであった。

 少年の体力はとっくに限界であったようだが、レベルが上がれば増えた分だけ加算される。底を尽いたSPも、レベルの上がり様によっては、4分の1、もしくはそれ以上まで回復しているかもしれない。


(逃げなければ)


 フォレストタイガーだけですら、じりじりと追い詰められているというのに、ステータスまで上がったエルフの少年にまで戦線に加わられたら戦況は絶望的である。そう判断し、本格的に逃走を開始しようと振り返ると、大虎が、待ってました、とばかりに立ち塞がり、そして、背後に少年が立ち上がるのを感じた。



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