05 第1話03:サヴァイブ


「さて、と。いつまでもここにいても仕方ない。人里の方角、街へ向かう道は分かるか、虎丸?」


「ガウッ」


 ひと鳴きして、先を歩き始める虎丸と名付けた巨大な虎。

 この子は非常に頭が良い。恐らくこちらの話す言葉を全て理解している。


 そして主人に対する忠誠心も強い。今も前方を警戒しながら、いつ襲撃があってもいいように進んでいる。何か物が飛んで来ればその身を盾にするつもりだろう。


 前世では関東から北の猟師であるマタギが犬を使って獲物を追い込み、時には不意の襲撃を警戒させていたというが、それと同じようなものだろうか。


〈いや、マタギのそれとは違うな。力が違いすぎる。親が子を守るような感じかもしれん〉


 前世の彼であれば兎も角、今の成長途中の幼さの残る体躯と、堂々たる威容を放つ大虎では歴然たる力の差があるのは誰が見てもわかる。戦力の関係では守られる側にいることは否めない。


 森は真昼でも薄暗いほどに木々が成長しきっているせいか、草はそれほど生い茂っているわけでもなく、歩くのに難儀はしない。平地ではなく山の中であったようで、虎丸について下っていく。それ程歩いたわけでもないのに水のせせらぎが僅かに届いてきた。左前方に四半時(約30分)程進めば小川が見つかることだろう。

 深い森だとばかり思っていたが、案外、人の住む街は近いのかもしれない。荷物に食料等の類が無かったのもそれであれば頷ける。


―――リーーーン!


 不意に大音響が周囲に響いた。

 聞いたことの無い音だ。あえて言うならば鈴の音に近い。

 罠であろうか?

 その後、音が鳴ったこと以外異常がないことからも警戒の罠に引っ掛かったと判断すべきだ。だが、彼はおろか虎丸も張られた糸や地に埋められた杭に当たった形跡はない。それどころか周囲に人が弄った様な跡は全くないのである。


 それでも彼は周囲を最大まで警戒して戦闘態勢を取る。見れば虎丸も彼の前方を庇う様に四肢を広げて何時でも襲撃者に対応できる体勢になっていた。


「ガウルルル……!!」


 やがて虎丸が今まで進んでいた方向の遥か先を睨んで唸る。意識を向けてみると3つの存在がこちらに向かって来るのを感知した。


「手紙にあった3人組の刺客か」


 どんな手段かはわからないが、どうやらここに網を張っていたようだ。見事に引っ掛かってしまったらしい。

 馬に乗っているのか近づいてくるスピードは速い。もはやそれほど待たずにこの場に到着するだろう。それも含めて、未知なる手段によって自分をはめた手腕は恐るべきものと思う。

 しかし、3人組は刺客としてはどうもお粗末である。

 まず、足音を隠すような備えをしていない。もうこちらの居場所は把握しているはずだから、気付かれずに接近できれば好きな方向から何時でも襲撃できるというのに、殺気も垂れ流しっ放しだ。更に、武器が周囲の金具とでもかち合っているのかガチャガチャと耳障りな音をたてているわ、移動中も仲間内で何事か大声で話しているわで遠くからでも位置がまるわかりだ

 恐らく熟睡していたとしても接近に気付いただろう。

 3人組は専門の暗殺者ではない。むしろ、ゴロツキや山賊を彼に想起させた。


 ふうむ。一考して、彼は刀を抜く。

 刃は前世と同じ、冷たい光を放っていた。軽く振えば、ひゅん!という風切音と共に足元の草を数本両断していた。


〈良し。切れ味も腕も鈍っていない〉


 多少、刀に重さを感じているが、一度死の淵まで稽古を続けていた彼にとっては問題ではない。善き刀であれば斬るのに力は必要無い、と彼は確信していた。この時までは。


〈いい機会だ。この世界での良い試金石になるだろう〉


 この世界に渡る前、阿修羅はこの世界が魑魅魍魎、悪鬼羅刹が存在し、国は荒れ、群雄割拠の状態にあると語っていたが、それがどの程度だかはわからない。彼の前世も若き頃は戦国の世だったが、戦は多い時でも数年に一度有るか無いかだ。四六時中争っていた国などほとんど無いのである。戦でなければ真剣での勝負などそうそう経験できるものではない。腕試しは早い方がいいであろう。


「虎丸よ」


 見慣れぬ武器で突然試し斬りした主人を驚いた目で見つめていた巨躯に、少年は作戦を伝え始めるのだった。



   ◇ ◇ ◇



 ガサガサとけたたましい音をたてて、3人組が現れた。想像通り、ゴロツキといった風貌である。向かって左から痩せぎすの男、縦も横も幅のある巨漢、極端な猫背で小さな背丈がより小さく見える小男。それぞれ槍、幅広の剣、小剣で武装し、服の上から鞣した皮を撒いて鎧代わりにしている。


「おう! いたいた! 観念したようだな、エルフの坊主!」


 下卑た笑いを浮かべながら隠す気の全くない殺気で威圧してくる中央の男。

 少し息が乱れているようだ。恐らく乗ってきたであろう馬などの姿は見えない。走ってきたとは思えなかった。ここまでの移動速度はとても人に出せるものではなく、ましてや猪に似たこの巨漢が出せるとは到底思えないものだった。

 胡坐をかいて座っていた少年は、彼らがその場に現れても立ち上がることもなく、3人の様子を眺めていた。

 足運び、重心の置き方、得物を握る力の入れ様、その全てをそれぞれに観察する。結果、彼らは暴力には慣れていても、武芸に関しては全くの素人であると断定できた。


〈それでも油断はせぬが、試しとしては微妙か〉


 3人組は武器も酷い。手入れをマトモにした形跡が無かった。特に左の痩せぎすの男が持つ槍は刃こぼれが多数、ここからでも見受けられる。


「森に入られた時は焦ったが、もう逃げられんぜ! なあ、アニキ!」


 その槍持ちの痩せ男が同じく笑いながら叫ぶように言う。アニキと呼んだ中央の巨漢とは似ても似つかないから本物の兄弟ではなく、ヤクザ者とかがやる義兄弟というやつだろう。


「良かったっすね、親分! チェックメイトっすわ!」


 右端の小男が下っ端口調で訳の分からん単語を吐く。こいつは一番下品な笑いを浮かべつつ、眼つきが異常だ。何か背中にぞわりと来るものがある。


「どうやらあの馬鹿でかいフォレストタイガーとも逸れたみてえっすよ!?ウヒャヒャヒャヒャハ!」


「アレはやっかいだからな。まあ、アニキがいれば負けることは無えですが」


「当たり前だ! だが、確かにいねえに越したことはねえな!」


 次々と男たちがのたまう。しかし中には気になる単語もあった。


〈ほう、虎丸はふぉれすとたいがーなる種なのか〉


 そして、男達が言う様に少年の周囲にはそのフォレストタイガーの姿はない。……ように見えるが、実際には少年の後ろ3m程の木の陰にその身を隠していた。こんな至近距離で存在を掴ませないのだから、大した陰伏の術だった。

 勿論、少年からの指示である。合図を出したら飛び出してくるようにと言い含めてある。

 作戦としてはこうだ。

 3人の内、誰か一人を虎丸が潜む大木に誘き寄せ、虎丸の奇襲でその一人を倒す乃至、最低でも戦闘不能に追い込めば、2対2となり数的不利を解消できるという、極めて単純明快なものであった。


 だらだらと3人組の刺客が近づいてきたところで、少年はいよいよ立ち上がり刀を抜く。


「ケッ、抵抗しようってのか!? まあ、いい。お前ぇをブッ殺せばあの女に貸しが出来るってもんだぜ。まあ、すぐに体で返してもらうつもりだがな。へっへっへ」


 先程、猪のようだと思ったが、間違いだった。豚のような男だ。


「アニキ! その時は是非、俺も交ぜて下せえ!」


「こんなガキ俺一人で充分っす。親分たちがやるまでもねえ、俺が殺るっすよ! このガキの白い肌! 切刻んでやれると思うとゾクゾクすらあ!ヒャハハハハハ!」


 小男を見て悪寒が走った理由が分かった。こいつは異常者の変態だ。

 その変態が一歩歩み出てきた。


「まあいいだろう。さっさとしやがれよ!」


 逆に大男たち二人は一歩下がる。後詰に回られたとはいえ、3人で一気に襲い掛かってくるとばかり思っていた少年には少々拍子抜けだった。

 案外、それほど悪い奴等ではないのかもしれない、などと思ってしまう。

 もっとも、いっぺんに掛かられても対処のしようはある。

 数的不利を起こさないように動き、1対1で戦えるように動けばいいのだ。幸いここには森の中で障害物は沢山ある。そういう立ち回りは前世から大の得意だった。


 少年がだらりと刀を持つ腕を下げ、足を肩幅程度まで開いた。

 新陰流にいう『無行の位』と似ているが、刀を両手で持つ『無行の位』とは違い、片手でしかも真下へと垂らすこの構えこそが、彼の前世からの必勝の構えであった。


 対して、小男は腰を落とし両足を前後に開いて、古くからの返り血で黒ずんだ小剣を構える。

 明らかに刺突の構えだ。

 切刻む、などと言っていたが、いきなり致命傷を与える気らしい。


「しゃあっ!!」


 奇声と共に小男が突進してきた。

 その速度は、事前に相手の足運びや構えから予想したものよりずっと速かった。

 相手の力量を見誤ったことなど何時以来か思い出せぬほど無いことだったが、対応できぬ程の速度でもない。


 刺突を左に避けて、真一文字に刃を走らせ胴を裂く。

『胴抜き』とも呼ばれる技だ。

 水平に腹を割られ、臓腑を撒き散らしながら絶命する。小男の変態もそうなる筈であった。


 ―――が、


〈斬れていない!?〉


 完璧な角度と速度で吸い込まれるように小男の腹を裂いたはずの刃が、何か分厚くて硬くて弾力に富んだもので撥ね返された。

 少年は最初、服の下に外からでは分からぬよう防具でも仕込んでいたのかと思った。しかし、斬り裂いた小男の服の間から覗くのは生身の腹である。うっすらと刀が当たった箇所には赤い線が走っており、血が滲んでいた。


〈信じられん! 筋肉で撥ね返したというのか!?〉


 動揺し思考の海に沈みそうになるが、流石に相手もそこまで甘くは無い。


「痛えなこの野郎!!」


 今度は少年の顔を狙って水平に小剣を振ってきた。

 振り払うような一撃を、僅かに後ろへ仰け反ることによって躱し、その手首を斬り上げる。


 ガチィッッ!!


 人の肉を斬り裂いたとは思えぬ音が響く。

 先程は力が足りなかったかと今度は両手で斬ったにもかかわらず、本来ならば手首から先を素っ飛ばすその一撃は、皮一枚を斬り裂いただけで受け止められていた。恐るべき頑強さだ。


「チッ! 鬱陶しいぞ、さっさと死ね! どうせ手前ぇのレベルじゃ俺たちは倒せねえ! ステータスが足りねえんだよ!」


 少年の攻撃は1撃目2撃目共に申し分ない一撃だったにもかかわらず、意にも介さずに攻撃を仕掛けてくる小男の癇癪を起こしたような攻撃から思わず距離を取る。そのせいで虎丸が潜む木の幹から離れてしまうが、彼の意識は今戦っている相手が言い放った言葉に向けられていた。


〈れべる…?? すていたす……?? 何のことだ?〉


 考えに意識を割いていても、小剣が届くことはない。小男の動きに目が慣れてきたのだ。

 だが、こちらも痛撃を与える手段が無い。


「そこまでだ、代われ! 俺様がブッ殺してやる!」


 当たらない展開に苛立ったのか、豚面の親分が進み出てきた。小男は一瞬口惜しそうな顔をするが、逆らう気は無いらしく素直に道を譲った。


 この時、少年は幾分かホッとしていた。ほぼ見切ったとはいえ、絶対に当たることの許されない攻撃を次々と避け続けているのだ。徐々に息も上がってきていた。

 巨漢の大男は肥満と言っていい体型だ。恐らく力自慢で、小男の動きより遅いはず。

 躱すのに苦労はしないだろう。

 そう思った。

 が、その予想が全くの的外れであったことに気づいたのは、土煙を巻き上げながら巨漢が迫って来た時だった。


〈速っ!?〉


 咄嗟に転がって左に避けた。

 危ないところだった。

 巨漢の素早さは小男以上。人では有り得ない速度でカッ飛んできた。

 そのせいで虎丸からまた離れてしまったが、少しでも躊躇していれば、頭蓋を真っ二つ割られていたに違いない。

 だが、少年とてやられっ放しではなかった。

 上手く体を捻って虎丸が潜む大木とは別の大木の幹に背中を預ける。


「ぬぅわ!!」


 追い駆ける巨漢の分厚い直剣が迫る。少年はその一撃を横っ飛びでギリギリ躱した。

 当然の如く巨漢の直剣は今まで少年が背を寄せていた木の幹に吸い込まれていき、


 そして、そのまま両断した。


「うわっ!?」


 今度こそは少年も驚愕の声を上げるのを我慢できなかった。


 生木を一刀のもとに斬り裂くのはそれほど難しくないにしても、刀身とほぼ同じ直径の幹を持つ生木を斬り裂くのは容易なことではない。

 彼自身、前世にも全盛期でならば試し斬りにて成功した経験こそあれど、その成功率は3割に届かなかった。

 この3人組のように、剣の素養のない人間ではまず無理な芸当の筈である。

 だからこそ木の幹に剣が突き刺さって動きが止まるだろうと、わざわざギリギリまで引きつけて攻撃を回避したのだが、なんとこの大男は力のみで大木を斬り倒してしまった。


〈何という膂力だ!? 化け物か!?〉


 両断された大木が隣の木々の枝を盛大に巻き込みながら倒れる。

 派手に土煙が巻き上げられて互いの姿を覆い隠したが、大男は構わず少年に突進してきた。


〈舐めるな、流石にそれは悪手だ!〉


 大男は少年の位置を正確に把握することも無いまま、適当に当たりを付けての言わば特攻を仕掛けてきたのだ。反撃の備えなど全くないままに。

 流石に同じ場所にいつまでも留まってなどいるわけもなく、見当違いな方向へと突進した無防備なその喉元目がけて渾身の突きを放った。相手の勢いをも利用した確実に命を奪う攻撃であった。

 しかし、その念を入れた攻撃すら、小男の場合と同様にアッサリと撥ね返されてしまった。しかも、この大男相手では皮一枚すら突破することも敵わず、何の痛痒も与えていない。


 渾身の突きをいとも容易く弾き返された少年は、当然のことながら大きく体勢を崩した。


「そこかぁ!?」


 死に体となった少年に、大男が追撃を繰り出す。

 刀で受けるわけにはいかない。大木を一撃で斬り倒すような攻撃を受けて愛刀がもつ筈がないからだ。


「っく!」


 ほとんど無理な体勢から、鞘を地に当てた反動で横に躱す。

 無事だったのは奇跡的と言ってもよかったが、不利な体勢のままであることに変わりはない。

 そこへ第二第三の追撃が襲う。


 体勢を整えることも出来ぬまま、次々と襲い来る剣戟を少年は踊るように躱し続ける。もはや反撃もクソもない。

 距離を取ることすらままならない状況で、それは必然だった。


 ザシュッ!!


 左肩に攻撃を受けた。骨にすら達したかもしれない。


「やった!」


 後詰めに回った小男が歓声を上げた。

 しかし、少年は無様に追い詰められながらも、何も考えずに剣撃から逃れていたわけではなかった。

 例え成す術無く追い込まれようと、彼が勝負を諦めるようなことは無い。

 無様と言われようと、卑怯と罵られようと、生き残り、勝つ。

 挫けぬ心。不撓不屈、それこそが彼を日ノ本一の剣士にまで伸し上がらせた原動力。

 一心不乱に攻撃していた大男は、知らず知らずの内に後詰め二人の位置から随分と離れて行ってしまっていた。それに釣られて小男と痩身の男が後を追いかけるように距離を詰めようとした。


 それが狙いだった。


 二人の内どちらかがそこ・・に立つのを待っていたのだ!


「今だ! 虎丸!!」


「ガウアーーーッ!」


 物陰から飛び出した虎丸が全体重を乗せて背後から襲いかかる。

 後ろに控えていた二人は全くの無警戒だった。


 前足の一撃に、小男の首が「やった!」の表情のまま宙に飛んだ。



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